ヒロインは無事ざまぁされました、終幕
「フェリハ・キラズ、第一王子ならびに公爵令嬢を筆頭とした王侯貴族への数々の不敬、平等を掲げる学園の生徒という立場を鑑みても目に余る。貴様は本日をもって平民から奴隷身分へ降格とし、終生国防結界の兵役へと任ずる」
うーん、ネット小説やタテコミで親の顔より見た展開。
魔力封じの手枷首枷を嵌められながら私が抱いた感想は、そんな無味乾燥なものだった。
というかこんな美少女に公衆の面前で手枷首枷って。この場にいる誰かに倒錯的な趣味でもあるのではと疑ってしまう。
私、この体の持ち主たるフェリハ嬢と同じくぴちぴちの十六歳だし、そもそも老若男女問わずこういう性的搾取と人権侵害、どうかと思う。
閑話休題。
あの、もしかしてこれって乙女ゲームの世界じゃなくて悪役令嬢物の世界だった感じですか?
こいつはうっかりしておりました。いやはや、この世界に追いやられる寸前までやっていたゲームにあまりにも酷似していたので勘違いをしてしまいました。
無駄だろうなぁと諦めつつ、一縷の望みをかけてつい昨日まで私と仲良くしてくれていた攻略対象さんたちに視線を送ってみる。
はい駄目。解散。
彼らはいつの間にやら軒並み悪役令嬢さんの近くに侍り、汚物を見るような、もしくは可哀想なものを見るような目でこちらを見詰めてきていた。
ははぁ、今までの甘言は全部嘘だった感じですかね? 悪役令嬢さんのために私を監視してたとかそういう? いやぁ、令和日本ではちょっと勉強ができるだけの平々凡々な学生をしていた私が将来国を背負うようなハイスペックな方々の心の内を見抜こうなんて、身の程を知らないにもほどがありましたね、こりゃ失敬。
どうしようかなぁ、と。
とりあえず考えをまとめるために取り押さえられ強制的に跪かせられたのをいいことに、顔を伏せて地面を見ながら今後の身の振り方について急ピッチで思考を巡らせる。
頑張った、つもりだったんだけど。
別に、悪役令嬢小説でざまぁされるような性悪ヒロインみたいなこと、してなかったつもりだったんだけど。
でも、ここは乙女ゲームの世界じゃなくて、悪役令嬢の、彼女のための世界だったらしいから。
私の頑張りなんて無意味で、無価値で。私の行動が彼女にとって脅威に映ってしまったのならそれはもう仕方がないのだ。だって私は彼女がスッキリ爽快なざまぁハッピーエンドを迎えるための舞台装置だったのだから。
あなたを破滅エンドに追いやるような真似、本当にしていなかったと思うのだけど。あなたがそう感じてしまったのなら、世界はあなたのために私を景気良く爆発四散させる方に舵を切ったのでしょう。主人公ってすごぉい。
ああ、でも、それでも。
泣いてもなんにもならないと分かっているのに。
泣いたところで、「泣けば許されるとでも?」とか、「この期に及んで見苦しい」とか、「汚い顔を見せるな」とか、散々なことを言われるだけだと分かっているのに。
誰も助けてくれないと思い知らされて、ただただ、今以上の屈辱を味わうだけだと分かっているのに。泣けば泣くだけ、惨めになるだけで、このちっぽけなプライドが粉々になっていくだけだと分かっているのに。
それでも、悲しくて、悔しくて、許せなくて。
顔を上げて睨み付ける気力すら残っていない。
だってもう、見てしまった。
あの人が、どんな目で私を眺めていたか。この一年は全て嘘だったのだと。何よりも如実に、あの、哀れみだけが浮かんだ瞳が物語っていた。
悪役令嬢さんに侍る男たちのその中に。
私がこの一年、なんとか平和にシナリオエンドを迎えようと選んで攻略を進めていた男がいた。
別に好きだったわけじゃない。
この世界で生きていこうとすら思っていなかった。
ただただ、帰りたくて。終わらせたくて。
本当のフェリハに、この体を、人生を、返してあげたくて。
同じくらい、いいえ、それ以上に、私の全てを返してほしくて。
ゲームをクリアしさえすれば、帰れるんじゃないかって。それ以外に帰る方法が思い付かなくて。だから。だから、私、あなたに恋をしたふりをした。
精一杯、できることはなんでもやった。愛されようと努力した。異性に媚を売るなんて生まれてこのかたしたことはなかったから、うまくできたか分からないけれど。いいえ、この現状が、大失敗だったことを示しているけれど。
それでも私、頑張ったよ。恋も勉強も何もかも。シナリオに沿って。頑張った、つもりだったよ。
足りなかったのか、最初から間違えていたのか、それすら、分からないけれど。
ねぇ、どうして?
どうしてあなた、そこにいるの?
どうして私を庇ってくれないの? 傍にいてくれないの?
行かないでよ、行かないで。どこにも行かないで。
私が好きなんでしょう? そう、照れたように笑ってくれたじゃない。
あなたは私のものなんでしょう? お互いがお互いのものだと、乙女ゲームらしい言葉を交わしたじゃない。
あなたのものである私がデッドエンドよりも酷いエンディングを迎えそうなのに、どうして何もしてくれないの、何も言ってくれないの。
私がんばったわ。あなたの愛を獲得するために、とてもとてもがんばったわ。
だからねぇ、どこにも行かないで。ここにいて。ずっといてよ。
めでたしめでたしで終わらせて。末長く幸せに暮らしましたで幕を引くの。
フェリハにこの体を返したら、二人で将来について相談してくれれば良い。だってあなた、優しいから。一年間の記憶がないとフェリハが言えば、愛の誓いも保留にしてくれるでしょう?
ああ、でも。今、この場でこの私を見ているだけなのだから。あなたが優しいというのは、あなたをゲームのキャラクターとしてしか見ていなかった私の思い違いだったのかしらね。
ゲームのキャラクターではない、肉の器を得ているあなたは、優しくなくて。悪役令嬢に何を言われたのだか知らないけれど、こうして私の、フェリハという罪のないたった十六歳の女の子の人生が終わろうとしているのを許容している。
ひどい男。最低、下劣、冷血漢。
私、私。こんな男を、少しでも、好きだと、思っていたの。
確かにゲームのキャラクターとして見ていた気持ちも嘘じゃない。だって私にとってどうしたって一年前までの日々が現実で、ここは非現実の世界だったから。
でも、それでも。およそ一年。あなたと、あなたたちと言葉を交わして、仲良く、なったと、思っていたのに。
こんな狂った状況に放り込まれて正気でいられるわけがない。だから、優しくしてくれる彼らをキャラクターとして見ながらも、同時にほんの少し心を許せる人たちとして甘えていたのに。
ああ、そう、それが、駄目だった?
悪役令嬢様のための世界だものね。身の程を知らない女狐は断罪されてしかるべきなのでしょうね。
そうね、そう。この幕引きのために私、選ばなかった命があったわ。あなただけを選んだわ。
悪役令嬢様は、私が諦めた命すら、華麗に救ってみせたけれど。あれは純粋にすごい。本当に私と同じ十六歳なのかしら。中身成熟した大人なんじゃない? でないとあんな発想できるものかしら。それとも単に天才なのかしら。彼女の中身、純正の悪役令嬢なのか、私と同じようにある日人格を捩じ込まれた日本人なのか確かめたことはないのだけど。だって純正だった場合リスクが高過ぎるし。狂人扱いされてバッドエンドは嫌だったし。まぁ、現状バッドエンドまっしぐらだから聞いてみた方が良かった説はあるけれど。
そう、私、命を秤にかけて、選んだわ。本当に本当に嫌で、怖くて、逃げたくて、助けたくて、だけど私の実力も知識も足りなくて、どうしても選ばなければいけなかったから。あなたを、選んだわ。だって愛していたから。あなただけを特別に愛していたから。そういう風に立ち振る舞わなければハッピーエンドを迎えられないから。
ねぇ私。精一杯あなたを愛したわ。ハリボテと言われてしまえばそれまでだけど。帰るための手段に過ぎなかったと糾弾されてしまえば、何も言い返すことはできないけれど。
それでも私、できる限り誠実に、一心に、あなただけを見ていたわ。
だからお願い。
ここに来て、私の手を取って、愛を謳って。幸せだと笑ってよ。
なんて。
無理な話だって、誰より私が分かってる。
だってここはもう既にエンドマークの向こう側なのだから。
あの日、彼とキスをしたあの瞬間。やっと帰れると安堵したあの瞬間。
シナリオは無事ハッピーエンドに辿り着いて、そして。
私は帰ることができなかった。
ふっと気が付けば、直前までプレイしていた乙女ゲームの世界にいた。
視線の先にあった全身鏡を見れば、パッケージに描かれていた真っ白な髪をした少女の姿。
ヒロイン、背格好は私と似ていたのねと現実逃避にそんなことを考えた。まぁ、年齢もおんなじ十五歳なのだし。そんなもんかと独り言ちる。
頭の中がぐちゃぐちゃで気持ち悪い。私の意識とヒロインの意識が混ざり合ってぐらぐらする。
私は、私は誰だっけ。私は、フェリハ・キラズ、あと数ヶ月後には十六歳になる、明日から首都の魔法学校に転入する花屋の一人娘――違う。違う、違う!
私は、千彩。田中千彩。日本の、春休み明けには高校一年生になる、父親が大学准教授をしていて、兄が二人いる、まだ一応、中学三年生。そう、フェリハなんて名前じゃない。
そんな風に、心で強く思った瞬間。すぅ、と気持ち悪さの波は引いて、フェリハの記憶がまるでそういう映画を観たかのように感情を伴わない「記録」となって頭の中に納まった感覚がした。そして。
私は、ついさっきまで、鏡の前で明日から着る制服をうきうきと身に当てて楽しみだと鼻歌を歌っていた同い年の少女の意識が、もうどこにもないことを理解した。
そんなこんな。訳も分からぬまま乙女ゲームの世界に取り込まれ、なおかつヒロインの体を乗っ取るという悪行を知らぬ間に強いられ、途方に暮れてから数日。私は予定通り転入した魔法学校の廊下を歩いていた。
許されるならば全部投げ出して逃げ出したい。誰かに全てを説明してほしい。フェリハの意識は無事だと誰か言ってほしい。いっそ私の元の体に入っているのでもいい。私は人を殺してなんていないと言ってほしい。
いいえ。何よりも。この悪夢を早く終わらせてほしい。フェリハのことだって心配だけれど、自分の人生だって心配だった。
猛勉強して入った地元で一番の進学校。ドラマで見たカッコイイエリート官僚のようになるために、これからそこで一生懸命難関大学へ向けてさらに勉強を続けていくはずだったのに。
それに兄たちの面倒も見なくてはいけなかった。研究室に住み着いて滅多に帰って来ない片親に代わり私たち兄妹は家事を分担していたけれど、バスケットボールを頑張りたいと言う次兄のために私と長兄は栄養学を勉強して食事だけは二人で用意していた。スポーツマンは食事も大切なのだ。
父や長兄や私と違って学問にはとんと興味のない次兄が唯一執着するのがスポーツだった。才能にも恵まれて、積み重ねた努力の結果、この春からプロチームへの所属が決まっていた。春休みが終わるまで、兄がチームの寮に入るまでだろうと、兄の筋肉は私が育てなければならないのだ。
私はこのゲームをまだフルコンプしているわけじゃない。ハッピーエンドを見たのは攻略対象の五人中三人だけだし、いるらしいと小耳に挟んでいた隠れキャラが誰かすらも知らない。ネタバレを自衛して攻略サイトも見ないタイプだった自分を恨むことになるなんて思いもしなかった。
幸いにも、私がクリアしたキャラの中にメインヒーローはいたので、彼のルートに進めば大枠はいいだろうと諦めたような気持ちで考える。
何回か辿り着いたのだけども、このゲーム、誰かを攻略しないと一年後にヒロインが魔力暴走を起こして学校ごと自分を消し飛ばすエンドをノーマルエンドと呼ばわっているのだ。正気かな? と最初に辿り着いたときは放心したし、思わず対象年齢を確認した。十五歳以上。十五歳の心の頑丈さを過信しすぎでは?
そもそもフェリハがこの学校に転入してくる原因となったのは彼女の突然変異としか言いようのない膨大な魔力量で、それまで近所の一般的な魔法学校に通っていたのに、この学校では対応しきれないと超一流学校へ推薦状を書いてもらったのだ。
勉強なんて一人でもできるじゃないかと思うのだけど、このゲームでは攻略対象と仲を深めながらでないとなぜか成績が上がらない。
まぁ、その理由はこの数日でもう分かっていた。
誰かに親身に勉強に付き合ってもらわないといけないくらい、フェリハの基礎学力に問題があるのだ。というかこれは魔力量だけを見ていきなりこの学校にフェリハを放り込んだ大人が悪い。中学生を大学に飛び級させたレベルで知識も技術もフェリハに釣り合っていないのだ。
しかも乙女ゲームの世界らしく、フェリハはやたらと攻略対象とエンカウントするし、勉強イベントに発展しやすい。彼らは軒並み人気者なので他の生徒たちの視線が滅茶苦茶に痛いが、じゃああなた方が代わりに教えてくれるのかと言う話だ。教えてくれないでしょうよ。なら私は男好きと謗られようと成績と将来爆発しないために勉強を教えてくれる人と勉強するし、仲も深めますよ。なお教師陣もできるだけ時間は割いてくださっているけれど私だけを構っているわけにもいかないので結局成績に余裕のある攻略対象に頼る羽目になっている。
ちなみに悪役令嬢さんはきっちりそんな私を面と向かって糾弾しにきてくれましたし、私も「それならサネラ様、ご教授いただけますか?」と別に好き好んで男好きの汚名を被っているわけではないので指南をお願いしたところ、彼女は天才型で分からない人の気持ちが分からないタイプの人でした。
優等生として生きてきた私だけれど、それは全て努力の結果だし、環境には確かに恵まれていたけれど、父や兄に比べれば私は頭の出来が悪かった。それを工夫と試行錯誤でカバーしてきたので、私は自分で言うのもなんだけれどいわゆる秀才型だった。つまり、悪役令嬢さんとの相性は端的に言ってよろしくなかった。
そもそもフェリハの記録が頭にあるとはいえ、意識は私なのだ。魔法なんて全く馴染みのない学問、それも一流レベルをいきなり理解しろと言う方が鬼だと思う。
悪役令嬢さんはしばらく私の勉強を頑張ってみてくれたけれど、あまりの私の不出来具合に愛想を尽かしたのか「そこまでわたくしから学びたくないと言うのであればもう結構。殿方から優しくご指導いただくとよろしいですわ」と軽蔑しきった目でこちらを見下ろして立ち去っていった。
どう考えても私が悪役令嬢さんからではなく攻略対象から勉強を教わりたくてわざと馬鹿のふりをしたと思われたような捨て台詞だったけど、残念、真実馬鹿なんだよな。いや、馬鹿ではないと思うんだけど、圧倒的に基礎が疎かで馬鹿と言われても言い返せない。
中学生に大学の数学を教えるレベルの金銭も発生しないとんだ面倒なボランティアをしてくれるんだから攻略対象って人間ができてると思いました。
そんなこんな。
必死の努力と攻略対象さんたちの優しさのお陰でどうにか成績も最底辺から中の下くらいまで安定してきたころ、個別ルートに入る時期がやって来た。
まぁ、当初の予定通りメインヒーローでいいだろうと考えつつ、いやでもメインヒーローって悪役令嬢と知人以上婚約者未満だったよね……とこの学校で数少ない普通に接してくれるルームメイト(噂だと個別ルート&友情エンドあり)(そのルートでいいのでは? とぼちぼちいじめとまではいかないまでも男好きのレッテルが貼られたまま遠巻きにされている現状に疲れてきて妥協しかけたけれど、やったことのないルートに進み間違って爆発する勇気はないのであった)から教えられた情報を思い出す。
でもなぁ、と考える。
このゲーム、やっぱり十五歳の心の頑丈さを過信していると思うんだけど、私がやった三人のルート、いずれも人が死ぬんだよな……。
ほのぼの魔法学校ものだと思っていたのに、暗殺騒ぎに巻き込まれるルートとか、魔法事故で過去に飛ばされて戦争に巻き込まれるルートとか、フェリハ本人が召喚触媒として狙われて誘拐されるルートとか、そんなんばっかりだった。暗殺騒ぎで学友は攻略対象もモブも含めて何人か犠牲になるし、戦争は言わずもがなどころかフェリハも手を血で染めるし、誘拐だと助けに来てくれた教師が帰らぬ人となる。
とんでもないゲームだよ本当に。確かに、確かにゲームとしてなら楽しめたと思う。あくまでもプレイヤーとして、「とんでもない乙女ゲームがあったものだよ」とSNSで草を生やしていたと思う。
ところが今そのゲームは現実として私の前に立ちはだかっているのであった。とんでもない現実があったものだよ。草。
そして結局、私は一番犠牲者が少なく、頑張ればその犠牲も回避できる可能性のあるメインヒーロールートを選ぶことにした。
この世界に来る前にやっていたシナリオの通りに、あるいはそれに逆らって、頑張った。
頑張った、つもりだった。
それでも、それでも私を助けようとしてくれた先生は敵の凶刃に倒れてしまって。それどころか、メインヒーローも重傷を負ってしまって、けれど追っ手はそこまで迫っていて、魔力が多いだけでまだ扱いきれていない私は二人同時に回復魔法をかけることなんてできなくて。
先生は、先生は。
僕は教師だから。彼を助けなさい、と。私に言って。私は震えながら、泣きながら、命の選択を、しようと、して。
突如現れた悪役令嬢さんが、まるで暴風のようにすべてを解決していった。
そのあとは、そのあとは。
少し変更がありながらも、概ねゲームのシナリオ通りに日常は進んで。
私は違う人間の顔で、違う人間として、美しい顔のキャラクターにファーストキスを捧げて。そして。
全ては終わらずに、けれど私の終わりはやって来た。
男好き、色狂い、学ぶためにやってきたのにやっていたのは男子生徒の後を付いて回ることだけ、そのくせその魔力量を狙われて学校の貴重な人材である教師と生徒に甚大な被害をもたらした、そのうえ教師を見捨て恋人だけを助けようとした、エトセトラ、エトセトラ。
違うと叫んでも無意味だともう分かっていた。だってここは彼女のための世界だから。私が何を言おうと、何をしようと。私の役割は変わらない。
悪役令嬢が華麗なザマァを決めてみせて、ヒロインは身を滅ぼす。そういうシナリオ。私が必死に、フェリハの命と生徒たちの命を守ろうと勉強してきたことも、ハリボテだろうと確かに必死に乞うた恋も、ぜんぶぜんぶ、無意味で、無価値だった。
あの人が言ってくれた言葉の全ても。嘘だった。
「……だ」
「罪人、まだ裁判の途中である。口を挟むな、不敬であるぞ」
「もうやだぁ!!」
「!?」
あんなにあんなに悔しくて耐えていた涙が後から後から零れてきた。うええ、と、幼児のように泣き喚く。だってもう私にできることはこれしかなかったし、最後にこれくらいはさせてほしかった。
「もうやだ、やだよぉ、パパぁ、兄さん、お兄ちゃん!! 助けてよぉ、なんで、なんでぇ? わたしがんばったのに、必死で、いっしょうけんめい、がんばったのに!!」
「罪人、だま」
「もうこんな世界やだよぉ! なんで、なんでぇ? 帰してよ、帰してよぉ! わた、わたし、あんなに勉強したのに、がんばって入りたかった高校にだって合格してたのに! パパもお兄ちゃんたちもよろこんでくれてたのに、なんで、なんでぇ? なんでゲームの世界なんかに閉じ込められて、いきなり魔法学校なんかに通わされて、それでもがんばってたのに、なるべくだれもきずつけないように、がんばってがんばって、できることはやったのに、どうして、どうして帰れないの!!」
うわぁん、と。大声で泣いて、泣いて。けれどいつだって私を抱き上げてくれた腕も、撫でてくれた手も、慰めてくれた声も、ここにはないのだと思い知る。
「かえりたいよぉ、かえしてよぉ! ぱぱぁ、だいにい、しょうにい、たすけてよぉ!!」
――そうして、そして。
おそれ多くも高位貴族の子息たちの多くを篭絡せしめ、さらにはその身の丈に合わぬ絶大な魔力から災いを招くと予言された愚かで淫らな魔女は、死を迎えるそのときまで、国の防衛を担う結界の魔力タンクとして終生牢に繋がれることになったのでした。
「楽しかったか?」
声が響く。
サネラは真っ暗闇で目を覚まし、警戒をしながら周囲を見回した。魔法で明かりを点けようとしたが、何故か魔力が思うように操れない。
ここはどこだ。昨夜は確かに屋敷の自室で就寝したはずなのに。いつの間にか敵国にでも浚われたのだろうか。とにかく状況を把握しなければ、と臨戦態勢をとる。
「一回りも年下の小娘をよってたかって嬲って。言い分のひとつも聞かずに罵って、監禁して、人間扱いせずにエネルギー源としてだけ生かして。なぁ、その力で得た平和は素晴らしかったか?」
また、別の声がした。男の声だ。何人いるのかと、サネラは暗闇の中で身を固くする。
「お前も俺からすれば、まぁ、小娘の年なんだろうがな? 三十も目前の大人が、まだ高校にも上がっていなかった子供相手にあの立ち振舞い。いやぁ、見下げ果てたものだったよ」
さらに別の声。これで三人。
声は反響して、どこから響いているのかも分からない。そしてサネラは、彼らが何を言っているのかも分からなかった。
口を開こうとして、気付く。声が出せない。
「ああ、喋らなくて良い。むしろ喋らないでくれ。俺たちはお前と違って平和主義なんだ。俺たちの可愛い可愛い紅一点にあれだけのことをしてくれたお前にも、この国にも、この世界にも、別段仕返しをしようというつもりはないんだ」
「親父がそう言うからな、俺も兄さんも我慢してるんだ。せっかく我慢しているのに、お前が余計なことを喋って俺らの地雷を踏んだら台無しだろ?」
「僕としては、千彩が泣いた分と、搾取された分、この世界の人間には泣いてほしいし、飢饉でも起きれば良いと思ってるけどね」
「こらこら、それだとフェリハさんが可哀想だという話に落ち着いただろう」
「あーね、確かにね」
「フェリハさんとご家族は申し訳ないけど話がややこしくなるからこの国とは別大陸で心機一転してもらうことで話はまとまったもんな」
「あちらの大陸はこの国よりよほど文化的だからねぇ、彼らの肌にはむしろ合うだろうさ。できる限りのお膳立てもしたからね」
「特に仕返しするつもりがないけどお前にだけ挨拶に来たのはね、忘れないでほしいからなんだよ」
「そうそう、若作りの子供返りさん。せいぜい覚えておけよ」
「少なくとも三人。お前のことを八つ裂きにしたい人間が存在して、いつでもお前を狙っていることをね」
その声を最後に、感じたことのないほどの殺気を浴びて恐慌状態に陥ったサネラはふっと意識を手放した。
目覚めれば、また変わらぬ日常を過ごしていくことになるだろう。
ただ、時折ひたりと首にナイフが当てられるような錯覚に囚われるようになるけれど。
「ぱぱぁ、だいにぃ、しょうにぃ!!」
「よしよし、遅くなって本当にごめんよ」
「たくさん泣いて良いぞ、千彩はたくさん頑張ったからな」
「俺たちのかわいーお姫様。真っ赤なお顔も可愛いなぁ」
「さぁさ、俺のかわいい子供たち。家に帰ろう。ここ二年くらいは仏壇もろくに掃除できてなかったからな。母さんたちやご先祖様も心配してるだろうさ」
「一家揃って二年のブランクかぁ、まぁ親父たちは頭良いし、俺も体力はあるし、どうとでもなるだろ」
そして大切な末っ子を取り戻した家族四人は、末長く幸せに暮らしましたとさ。
悪役令嬢も楽しくヒロインをざまぁできたようだし。満足だろう?
もう二度と、俺たち家族にちょっかいはかけないでくれよ、異世界の神様とやら。