第9話 クソッたれな人種
周りの観客は、啞然とした表情を浮かべながらその光景を見ていた。
フタを開けてみれば、3年生が新入生に一方的に嬲られるという結果。
その事実が意味することを、彼らは理解したはずだ。
才能の片鱗。
それを今、自分たちは目にしたのだと。
「ふぅ……」
イリスが深く息をつく。
その顔は汗一つかいておらず、今の闘いが彼女にとって些事であったことを意味している。
「先輩、この後はどうすれば?」
こちらの方へ振り返り、イリスは俺に向かって口を開いた。
「…………先輩?」
まだ頭が朦朧としている。
眩しい輝きに当てられて、思考が未だ追いつかない。
いつもそうだ。
俺の眼前には、いつだってこんな奴らが――――
「ちょっと、大丈夫ですか? なんか顔色悪いですけど」
イリスの言葉に、俺は慌てて意識を戻した。
今はただ、目の前の決闘を終わらせることが肝心だ。
「あ、あぁ。さすが首席様、俺の弟子にふさわしい強さだな」
「誰が弟子ですか! もう……」
頬を膨らませながらも、少し緊張感を緩ませるイリスの表情。
その姿に、胸の奥がズキリと痛む。
こうして話していれば、普通の少女だ。
それでも、俺の脳裏には冷酷な瞳が浮かび上がる。
コイツは、俺とは違う。
「よし。それじゃあそろそろ解散と――――」
「待てよ」
ドロッ
粘着質のような、濁り切った悪意が鼓膜を震わせる。
声の方角へと視線を向ければ、そこには倒れていたはずの男の姿があった。
全身砂にまみれ、痣を作ったその身体。
男の誇りは傷つけられ、もはや見る影もない。
それでも。
「俺はまだ、負けてねぇ」
ユラリと立ち上がる男は、不気味な雰囲気を纏っている。
不味いな。
俺はこの空気に覚えがあった。
人が結果を認められない時、現実を否定したい時。
深い嫉妬と怒りは、やがて濁り煮詰まり、その形を変える。
「………………負けてねェェェェェエエエッ!」
それが、殺意。
男は剣を握りしめながら、叫び声と共に突進する。
「ヒッ……!?」
隣から、イリスが息を呑む声が聞こえてくる。
嗚呼、そうか。
いくら天才と言われようとも、稀代の傑物と呼ばれようとも。
彼女はまだ、未熟な騎士の卵なんだ。
「アアアァァァァァッ!」
だから。
俺は短く息を吸い、剣の柄に手を当てる。
瞬間、胸の奥からこみ上げる不快感。
脳裏に溢れ出す敗北の記憶、罵倒の言葉。
「――――――――シッ!」
その全てを呑み込んだ。
そして即座に剣を抜き去り、男の腕に叩きつける。
瞬間。
バキッという不快音と共に、骨の砕ける感触が掌に伝わってくる。
「がァぁァッ!?」
苦悶に歪む表情。
腕を抑えながら蹲る男に対し、俺は努めて冷静に言葉を放つ。
「決闘終了後の攻撃。また、故意に危害を加えることは制約違反だ。今からお前を学院上層部に引き渡す」
「…………クソッ」
悪態をつきながら顔を伏せる男。
これで終わりか。
俺は静かにため息をつきながら、ゆっくりと剣を鞘に戻す。
その時。
「お前も、こっち側のくせに……」
男が吐き捨てた言葉に、動きを止める。
そして、俺は慌てて口を抑えた。
心臓が肌を突き破りそうな程に鼓動している。
吐き気が、息が、苦しい。
「…………せん、ぱい?」
背中越しに聞こえてくるイリスの声。
その言葉に、俺は意識して笑顔を返す。
「おお、安心しろ! これでお前は無事に決闘に勝利。あのカミュって子も、無事に解放されるだろうよ」
「……それは嬉しいですけど、私は――――」
「さて、俺はこいつを先生に引き渡してくるか~。今日の所はこれで終わりでいいぞ」
イリスの言葉を強引に遮り、俺は男を背中に担ぐ。
そして周りを取り囲む観衆の間を潜り抜ける。
ざわざわと騒ぎ立てる大勢の生徒と、背中から感じるイリスの視線を浴びながら。
俺は、焦るようにその場を後にした。
☨ ☨ ☨
『ふむ、君が噂のクルード君か。よろしく!』
『さぁ、そろそろお遊びは終わりにしよう。本気でかかってきたまえ』
『…………まさか、それで全力なのか?』
『残念だ。君には、圧倒的な輝きが足りない。クルード君。君は――――七雄騎将に相応しくない』
「――――――――――――はッ!?」
何かから逃げるように飛び起きる。
全身から汗を吹き出し、浅い呼吸を繰り返す。
心臓が痛い。
息が苦しい。
「ハァ……ハァ…………」
短く息を吸い、呼吸を整える。
冷たい空気が肺を循環し、同時に頭も冷やしていく。
徐々に動きを取り戻していく頭。
やがて冷静さを取り戻し、俺は再び思い出す。
あの、忌まわしき悪夢を。
「…………クソッたれ」
悪態が口から漏れる。
もう二度と出会いたくなかった、あの輝きを持つ人間に出会ってしまった。
天才と呼ばれる人種の中で、真に才覚を輝かせる存在。
俺には成し得なかった、頂へと上る素質。
脳裏に映し出されるは、イリスの姿であった。
『つまらない』
あの冷酷な言葉。
やはり俺の目に狂いは無かった。
奴は紛れもない、あっち側の人間だ。
「ク、ハハハ」
腹の奥底から、笑いがこみ上げる。
自分への嘲りと、恥ずかしさを内包した自虐の笑み。
醜い嫉妬が心の内を埋め尽くす。
嗚呼そうだ、分かっていたさ。
俺はこっちで、奴らはあっち側なんだ。
あの――――
才能という暴力を振りかざす、クソッたれな人種ども。