第36話 天技、極まりて――
撃つ。
爆ぜる。
空を切る。
「ヒャハ!」
風を薙ぐ。
音が響く。
虚空を穿つ。
「ヒャハハハァッ!」
哄笑が辺り一帯に轟き、不快な音に顔をしかめる周囲の人々。
イリスとウィンリーは、何度もその戦場に割って入ろうかと画策し続けていた。しかし、それは不可能だと悟る。
今ここで自分達が出来ることは唯一つ。
それはベリエッタの邪魔をせず、ただ傍観し続けること。
「チッ」
嘲り笑う声に苛立ったのか、ベリエッタが舌打ちを一つ放ちながら拳を振るう。
だが、当たらない。
先程よりも回転率は上がっている。空気が弾ける音を鳴らす程の速度で剛腕を撃ち込んでいる。にもかかわらず、ベリエッタの拳はナナシの身体に掠ることすらできていなかった。
見切られている。そうとしか言えない状況に、不安を募らせるのは他ならないイリスであった。
「ベリエッタさん……!」
名前を呼ぶ。
手も届かない距離に自ら避難しておいて、何を勝手にと思うかもしれない。それでも、このまま見殺しにすることなんて出来ない。
イリスは思わず、一歩足を踏み出した。
「やめろ」
「やめなさい」
その歩みを止めたのは、傍にいたウィンリーとエルマーナであった。
「君があそこに行って、一体何ができる。天技も使えない。……自分の力量すら把握していない君じゃ、足手まといにしかならないよ」
「でもッ」
「イリス。あんたの気持ちは痛いほど分かる。その優しさはとっても素敵だと思うわ。けどね……」
戸惑いと憤りを露わにするイリスに対し、エルマーナは優しく言葉をかける。
「信じなさい」
その言葉に、イリスの強張った表情が固まる。
「私たちじゃなくて、クルードを信じなさい。あんたの先輩が憧れた存在は、七雄騎将はそう簡単に負けやしないわ」
「その通りだ」
エルマーナの言葉に追随するように、ウィンリーも呆れた表情で言葉を吐き捨てる。
「君は七雄騎将を舐めているだろう? そもそも凡愚という身近な存在を基準にするから間違っているのだ」
あれだけ強張っていた表情から力が抜けていく。クルードを信じろと、そう言われただけで肩の荷が下りていく。
そしてイリスは思い出す。
目の当たりにする。
知ることになる。
「キャメロン王国最強の七人だぞ? 大陸全土が恐れ崇める英雄がこの程度だと――――君は本気で思っているのか」
クルードが憧れ、その背中を追いかける七雄騎将。
その、偉大さを。
☨
ナナシは、勝利を確信していた。
間違いなく速度も威力も上がっている。当たれば重傷は避けられないだろう。
だが、全くと言っていいほど危機感は感じない。何故なら、対峙する者の実力を既に見極めてしまったのだから
先程まで感じていた圧倒的恐怖が薄れている。もう目の前の怪物に怯える必要など何処にもない。
否、もはや怪物では無い。ただの人間だ。
「二年前、キミに刻み込まれた恐怖が懐かしいよ。あの時の屈辱を忘れたことは無い」
そう。一度たりとも、忘れたことは無い。
もっと国民の被害を増やせるはずだった。王国中を混乱の渦中に叩き落としてやるはずだった。
でも、それら全ては防がれた。忌々しい英雄たちの手によって。
「あれ以来、俺はキミに復讐するために暗躍してきた」
二年前、壊滅的な打撃を受けたあの日から今日に至るまで。ずっと、この瞬間を待っていた。
日の当たらない生活を続け、下げたくも無い頭をゴルドレに下げ、ようやく信頼を得た。
新たな戦士の覚醒候補を狙えば、それを庇うために七雄騎将は必ず動き出す。
だから、これは全て計算通りだ。
殺してはいけないクルードを殺そうとしたのも。
全てはあの方への忠誠を示し、誓いを果たすため。
「まるで神が味方しているかのように、俺は天技を会得した。分かるかい? この胸の内からこみ上げる、圧倒的幸福感がさァァァッ!」
ベリエッタから大きく距離を取り、ナナシは静かに腰へ手を伸ばす。そして取り出す、墨のようにドス黒い布袋。
「天が告げている。キミを殺せと」
袋を地面に投げ捨て、現れた中身を両手で握りしめるナナシ。
それは、毒々しい色合いをした鞘に収まった、一振りの短剣であった。
ナナシがゆっくりと鞘から引き抜き、露わになった凶器の刃が鈍く光を反射する。
「掠り傷一つで死に至る猛毒剣だ。どうだい? ヒリついてきただろう?」
トンットンッと、独特なステップを踏み始めるナナシ。
上がる気迫、殺気が膨れる。
ここで決める気だと、誰が見てもその光景は明らかであった。
「猛毒剣に、夜鷹闇瞳。そして――――」
緩やかに、滑るように足を躍らせる。一つ一つの動作が、流麗に次の動きに繋がっている。
その動きに、ベリエッタは静かに体制を整えた。
「孤影流歩行術。伝説の暗殺者の技で、天に送ってあげるよ」
瞬間、ナナシの姿が影に消える。
「ッ」
甲冑の中で息を吞むベリエッタ。
速い。純粋に、圧倒的な速度で地を滑るナナシの影が視界の端に映る。
七雄騎将の一人に尋常ではない瞬発力を有する者がいるが、それとはまた別種の速度。
一切の無駄を排除した、隙の無い歩行の術であった。
「へェ」
口角の上がる声が響く。
「こりゃ驚いたな」
そんなベリエッタの余裕綽々な態度に、ナナシは嘲るように高笑いを鳴らす。
「ヒャハハッ! どこまでも傲慢な奴だね! キミはもう、終わりだってのにさァッ!?」
縦横無尽に影が滑る。その光景を見渡しながら、ベリエッタはふと思い返す。
こんなにも、円は狭かっただろうか?
思考に至った瞬間、ベリエッタの感覚が警報を鳴らす。
「……なるほどな」
後ろを振り返ることなく、裏拳で黒装束を沈めるベリエッタ。円が狭まったと感じたのは思い過ごしではなかったのだ。
今の後方からの奇襲を受け、ベリエッタは改めて周囲を見回していく。
間違いない。
「ハッ、頭を使うじゃねえか。肉壁も兼ねた包囲網ってわけか」
ベリエッタの周囲に配置された黒装束が、徐々に間隔を詰めてこちらに迫っている。そしてナナシは、そんな黒装束の姿を盾に移動していく。
視界を遮る役割と共に、ナナシとベリエッタの間に割って入る盾の役割も果たす。その様は、まさにベリエッタを取り囲む鳥籠であった。
もはやベリエッタに言葉を返すことなく、ナナシは虎視眈々と獲物を狙う。
必殺の牙を携えて。
「…………さて」
そんな状況の中で、ベリエッタは唐突に瞳を閉じた。
「来るなら来い」
威風堂々と、その瞬間を待っている。
☨
そして、遠くからその死闘を眺める者も。
「来るぞ」
ウィンリーは静かに呟き、決着の訪れを予感する。
これで全てが終わると理解していない者は、この場には一人として存在しない。
全員が、固唾をのんで見守っていた。
「イリス」
「……はい」
その中で。エルマーナは唯一人、自らの役割を果たそうと動き出す。
「よく見ておきなさい」
教師として、生徒を導くという責務を。
「アレが、アンタたちが目指そうとしている――――」
残酷な現実を目の当たりにし、その答えに打ちのめされようとも。
それでも夢を見る覚悟があるならば。
「騎士の、頂点よ」
進め若人と、背中を押すために。
☨
そして、終わりは唐突に来る。
「――――――――フンッ!」
ベリエッタが瞳を開け、眼前に迫る黒装束を知覚する。瞬間、剛腕を振るう音と共に迫る幾体もの人形が音も立てずに絶命する。
だが、ベリエッタの意識はそこには無い。
残るは五体。ナナシは、その影にいる。
「退け」
そう短く吐き捨て、ベリエッタが一歩踏み出す。
もはや関心は目の前の弱者にあらず。あるのは、自分の命を狙う小さな狩人の姿。
拳を穿つ。命が一つ天に昇る。
手を伸ばし、眼前に迫る首を握り潰す。また一つ、命が天に昇る。
だが、ナナシの姿はそこに無い。
「…………」
言葉は出ず。しかし、思考は巡りに廻る。
残る三つの凶刃を感知しながらも、ベリエッタの脳内は次の状況を見据えていた。
そして。
ベリエッタの後方に迫る、真の凶刃。
死神の鎌が、彼女の首元に手をかけ――――
「そこか」
触れる直前に、短剣の動きが止まる
「………………………………………………は?」
間抜けな声が、ナナシの口から漏れる。
止まった刃の先端に視線を向け、そのまま思考を停止させる。
有り得ない。
何故。
どうして。
刃が、半分で折れている?
「意外と脆いのな。コレ」
そう言って、ベリエッタは手に持っていたものを後ろに投げ捨てる。
ソレは、彼女を襲おうとしていた黒装束の一人に突き刺さった。
その瞬間、グジュグジュと皮膚が腐り落ちていく音が辺りに響く。
「あ、あああアアアアアアァァァッ!?」
この世のものとは思えない苦痛に、それまで無言を貫き通していた黒装束が地面をのたうち回る。
「さて、と」
そんな地獄のような光景を見て見ぬフリをしながら、ベリエッタは口を開く。
そして。
「やっと捕まえたぞ、クソガキィ」
ベリエッタのその言葉に、ナナシは慌てて思考を取り戻す。だが、もう既に遅い。
気が付けば、ナナシの手首はベリエッタに捕まれていた。
「……………………嗚呼」
胸の内から、こみ上げる一筋の感情。
「………………い、や……」
先程までの、圧倒的幸福感など微塵も残っていない。
今湧き上がる、この全身から溢れる想いは――――
「い……や…………だァァァァァァァァアアアアアアッ!?」
圧倒的、恐怖。
「楽しませてくれたお礼に、イイモノを見せてやる」
そう言って、ベリエッタが地面を蹴り上げる。砂埃と共に、宙に一つの影が浮かぶ。
それは先程、地面をのたうち回る黒装束が落とした一振りの長剣であった。
ベリエッタは、その剣の柄に手を伸ばす。
瞬間、世界の色が変わる。
「天技が発現したことが、そんなに嬉しかったんだなァ」
空間に満ちる重圧の、桁が違う。
殺意の奔流がとめどなく周囲に漏れ広がっていく。覇気が、風格が、ベリエッタを中心に吹き荒れる。
その時、人々は気付いた。
「でもな、そこで満足したら駄目だろォ?」
ベリエッタはこれまで一度も、力の一端を見せていなかったという事に。
「天技には、まだ上があるんだから」
そして――――
「天技、極まりて天極と為す」
死が顕現する。
「怪腕魔纏」




