第35話 心・技・体
轟ッと嵐が吹き荒れる。
空間を削り取る勢いで、致死性の拳が頬を掠める。瞬間、皮膚が破ける感覚がナナシの全身を襲った。
傷口が熱い。燃えるような痛みが頬から内に染みていく。
「……ヒャハハ」
だが、まだ生きている。
「ヒャハハハハハハッ!」
ナナシは生きている。
この怪物を前にして、生き残っているぞ。
「ほらほらほらァ、どうしたッ!?」
上がる回転率。迫りくる乱撃の猛攻。
その全てが、手に通るようにわかる。
嗚呼、やはりそうか。
分析は、間違っていなかった。
「キミの腕力は確かに脅威だッ! だが、原理が分かってしまえば何ということは無い!」
高揚した口ぶりで、ナナシは吠える。
「キミは――――」
「ごちゃごちゃ五月蠅ェな」
だが、その言葉が最後まで紡がれることは無かった。
「余裕こいてると、足元すくわれる。だっけか?」
ボタボタッ
生温かい血が、ナナシの頬を伝う。
「まだか? やるなら早くしてくれよ」
何かが欠けた感覚。
思わず反射的に耳に手を伸ばし、そして理解する。
今の一瞬で、左耳の半分が欠損しているという事に。
「……流石、王国随一の怪力と謳われるだけのことはあるね。掠めただけで、耳を抉られるとは」
後方へ飛んで距離を取り、ナナシは熱くなった思考を冷ましていく。
油断は禁物。分かっていたはずなのに、反応することが出来なかった。
改めて、今目の前に対峙する人間の危険性をこの身をもって理解する。
「でも」
だからこそ、面白い。
この殺しを達成すれば、自分はさらなる高みへ至ることが出来る。
ナナシはそう確信した。
「やっぱりキミは、俺と同じタイプだ」
「……あ?」
純粋な疑問の声を漏らしながら、ベリエッタは静かに首を傾げた。
その様に、ナナシは思わず笑う。
ここまで来てまだ白を切るつもりなのか、と。
「気付いてるだろう? 俺の天技、夜鷹影瞳は動体視力と周辺視野を極限までに高めた性質にある。つまり――――」
確信をもって、ナナシは口を開く。
「キミと同じ、肉体型の天技さ」
「……あァ、なるほどな」
その言葉に、ベリエッタは納得したように言葉を返す。
「まさかお前みたいなガキが、才能三源説を知ってるたァ驚きだ」
☨ ☨ ☨
「天技……ッ!?」
突然の反撃。
急成長を遂げるナナシの姿に、イリスは驚きを隠せずにいた。
「何であいつが、天技なんかを……」
「才能は、必ずしも正しい人間が授かるとは限らない。とはいえ……」
戦慄のあまり、イリスは声を震わせ詰まらせる。
そんな様子を横目で見ながら、ウィンリーはため息を吐いた。そしてやれやれと首を振り、仕方ないと言った様子で口を開く。
そして。
「まさか奴が、肉体型とは思いもよらなかったがね」
ウィンリーが発した単語は、イリスにとって耳馴染みのないものであった。
「肉体型……?」
「あら驚いた。まさかここで、その言葉を聞くことになるなんて」
二人の会話に割って入るように、第三者が口を挟む。
その声に、イリスはバッと振り返った。
「エルマーナ先生!」
「応急処置は終わったわ。クルードは安静にしてれば大丈夫。けど……」
エルマーナが視線を向けた先。
そこには青白い表情で横たわるデネットと、それを心配そうな表情で囲む騎士団の面々の姿があった。
「デネットは辛うじて命を繋ぎ止めている状況ね。あと少し遅ければ死んでいたし、恐らく以前のようには動けないでしょうね」
そう淡々と言葉を紡ぐエルマーナの表情に、微かな悲しみが滲む。
しかし。
「自業自得だ」
「ッ! あんたねぇ!」
「いえ、その子の言う通りよ」
ウィンリーの歯に衣着せぬ物言いに、イリスはたまらず口を開く。だがそれを止めたのは、他ならぬエルマーナであった。
「彼は自分の意志でここに来て、罠にはめられた。同情する部分はあっても、彼の行った蛮行を庇う義理は無いわ」
「それは……」
「彼もいつかはこうなる覚悟があったはずよ。そうじゃなきゃ、クルードに刃を向けるなんて馬鹿な真似するはずがない」
「おい、ちょっと待て」
どこまでも無感情に言葉を紡ぐエルマーナに対し、ウィンリーは静かに口を挟む。
「貴女はさっきここに到着したばかりの筈だろう。何故、そのことを知っている」
その問いかけに、エルマーナは答えない。
「あなたたちは一体、どこまで知っている?」
続けざまに放たれるウィンリーの言葉に、微かな剣呑さが滲みだす。
そんな様子の二人に、訳の分からないイリスはただ黙って状況を見守っていた。
「……それは」
そして。
「答える必要性を感じないわね」
無慈悲に、そう結論付けた。
「何を隠して――――」
「そんなことより」
苛立ちに表情を歪めるウィンリーを無視して、エルマーナは唐突に話題を変える。
「面白い話をしてたわね。肉体型が何とかって」
「えっと、それは」
「懐かしいわ。まさかここで、才能三源説を聞くことになるなんて」
「才能、三源説……?」
エルマーナが見せた表情は、先程と打って変わり好奇心に満ちた学者の様であった。
どこか遠い目を浮かべるエルマーナの姿に、イリスはたまらず問い返す。
「それってなんですか? 授業では習ってませんよね?」
「学院では教えてないわ。だって、この学説はあまりに古すぎるんだもの」
「古い?」
それは一体どういう意味なのか。
イリスの疑問に答えるように、エルマーナは静かに口を開く。
「キャメロン王国建国の時代に、とある一人の学者が提唱した理論よ。その人物曰く、『天才と呼ばれる存在は三つの領域に区分することが出来る』らしいわ」
「それが、才能三源説……」
「その通り。そして、その理論の中で繰り返し多用される、三つの言葉。それが――――」
其れは、"才能"という捉えどころのない存在を言語化するために、かつての学者が至った一つの結論。
「肉体型――技巧型――精神型」
心、技、体。
それはまさしく、武術の心構えとして有名な理論を模して造られていた。
身体の発達と体力の安定。
高度な技術の会得。
冷静な思考と精神の成熟。
これらは全て、聖キャバリス学院でも学ばせる程の基礎知識。騎士を志す者であれば、誰もが知っている基本中の基本である。
だが、才能三源説など未だかつて聞いたことが無い。
「『肉体型とは、常人では持ち得ない身体的発達を遂げた才能。人知を超えたその異常性に、人は彼の力を【忌み子】もしくは【神の子】と呼び恐れるだろう』」
もはやそこにエルマーナの意志は介在しない。かつての学者の理論を憑依させ、淡々と言葉を紡ぐ。
古代と現代が混ざり合い、重なり合うはずのない言葉が渦に呑まれる。
今、この言葉を口にしているのは本当にエルマーナなのか。もしくは、かつての学者の亡霊か。
「『技巧型とは、常人が到達することの叶わない境地に至る才能。指先一つ動かすだけで、その力は【奇跡】を生み出す。だが、ゆめゆめ忘れる事無かれ。それは紛れもない現実である』」
その言葉は奇しくも、別の人物が口にした理論に似たものであった。
天技は、呪いの類では無い。
七雄騎将、現序列二位。バイツはかつて、御前試合でのウィンリーの天技を見てそう語った。
「『精神型とは、常人の理解を超えた思考を有する才能。彼の者を理解すること叶わず、彼の者を止めること許されず。常軌を逸した異質な力に、人は惹かれ心奪われる。その才覚、まさに【王の資質】なり』」
そして。
全ての才能を紐解き、紡がれた言葉は強烈に聞く者の脳裏に刻み込まれることとなる。
イリスやウィンリー、それだけでは無い。
この言葉を見聞きする者は皆、今ここで"才能"を知ることになるだろう。
才能三源説。
それがどうして、聖キャバリス学院で教わることが無かったのか。
「…………最後に、この理論はある言葉で締めくくられているわ」
フゥとため息をつき、エルマーナは息を整える。
そして心を落ち着かせると、再び過去に意識を向けていく。
「『近年。天才と呼ばれる人間の中で、さらに選ばれた才覚を有する者には――"天技"という異能の発現が確認されている』」
混じり、重なり合う言葉。
キャメロン王国建国の時代と同じ言葉を紡ぐエルマーナ。その姿が、証明している。
「『未だ詳細は不明。人類の遺伝子、その突然変異であるという説が有力である。……しかし、私はここに一つの仮説を提唱する』」
未知に挑み続ける、人類の長い探究の歴史を。
「『天技とは、奇跡でも魔法でも無い』」
そして最後に、かつての学者はこう口にした。
『人が岩を斬るように、人が空を飛ぶように。世界の法則を無視した、破綻寸前の理論。それを己の才覚のみで現実に呼び起こす。それこそが――天技と呼ばれるモノの正体だ』
第二章、本編は残り三話で完結です。




