第34話 才能の性質
ナナシと言う人間は、これまでの短い人生の中で数多の依頼をこなしてきた。幾つもの人命を、その手で奪ってきた。
名前が無い。それは、殺し屋としては十分な利点である。
正体も分からない人間に殺される側は、復讐を果たすことすら困難になるだろう。
故に、狙われた者は決死の覚悟を以て抵抗する。
だが、これまでの人生でナナシが殺しを失敗したことは無い。
「拳……異様な打撲痕…………」
それは何故か。
「振り抜く速度は凄まじいけど、目に見えない程じゃない……」
ナナシは観察する。
一挙手一投足を見逃さないように、獣の如く瞳を細める。
これまで一度も殺しを失敗したことが無い。それは紛れもない事実であった。
では、温い仕事しかこなしてこなかったのか。素人同然の相手しか殺してこなかったからか。
答えは否。
商人、貴族、そして騎士。かつて相手にしてきた中には、真に強者と呼ぶべき存在も確かに存在した。
では、ナナシはどうやってそんな連中を相手に殺しを成功させてきたのか。
「前腕? いや、上半身か」
全ては、ナナシの眼にあった。
猛禽類の如き異常な発達を遂げた瞳は、標的の行動を細部まで分析する。そして癖や原理を紐解き、相手の本性を曝け出す。
ナナシもまた、別種の才能の持ち主であったのだ。
「……なるほどね」
その才能を以て、ナナシは分析の完了を遂げる。
「つまり、俺と同じタイプか」
☨ ☨ ☨
「人は生まれながらにして、他者とは違う面を持つ」
黒装束を薙ぎ倒していくベリエッタの光景を尻目に、ウィンリーはただ無感情に口を開く。
「足が早い、頭が良い、体が丈夫……とかね。全く同じ人間なんてこの世に存在しない。皆、何かしらの不平等を抱えているものさ」
その言葉に、イリスは自らの境遇を当てはめた。
不平等。それは捉え方によって、悪いことのように考えられることが多い。
他所よりも貧乏な家庭で生まれた。
周囲の人間よりも劣っている。
環境が、運命が味方してくれない。
そんな不幸な状況を呪い、人はそれを不平等と唄うだろう。
だが、不平等とはそれだけでは無い。
他者よりも優れている部分が余りにも突出しすぎた結果――不相応な力と引き換えに不平等を得ることになる。
そのことを、イリスはよく知っていた。
「さて、ではここで問題だ」
そんな思考の波に呑まれていたイリスに、一つの問いが投げかけられた。
「全ての天才と呼ばれるような人間は、初めから全員が天才足りえる存在なのか。君は一体どう思う?」
「どう、って……」
質問の意図を理解出来ぬまま、イリスは静かに自らの答えを口にする
「そんなの、初めから凄かったから天才と呼ばれるんでしょ」
「本当に?」
「……どういうこと?」
「では逆に問おう」
ビシッと、ウィンリーは人差し指をイリスに突きつけた。
「君より少しだけ足の速い人間を、君は天才と呼ぶのかい?」
「そんなの、呼ぶわけないじゃない」
「ほう。何故?」
「私より速いからって、全ての人間より足が速いかは分からないもの」
「なるほどなるほど! 実に面白い。では――――」
イリスの声に満足したように、ウィンリーは一人静かに頷いた。
そして、再び問いを投げ掛ける。
「この世の誰よりも足の速い人間と、走り方がめちゃくちゃなのに君より速い人間。どちらがより天才だと思う?」
その質問にイリスは一瞬思考を停止させ、次いで戸惑いが脳内に溢れ出す。
何故ならその問いかけは、余りにも判定の難しい内容だったのだから。
「……それは、両方」
「答えを」
「……私はさっき、自分より速くても天才の証明にはならないと言った。でも、めちゃくちゃな走り方で私よりも素質があるのなら、きっとその人は将来大化けするかもしれない」
どちらも、同じようで違う。天才と呼ばれる人種でさえ、その内容が全く同じことは無い。
人は生まれながらにして、他者とは違う面を持つ
それは、天才でさえ例外では無い。
「その通り。それこそが才能の違い。そして、性質の違いさ」
「性質の、違い……」
「天才は初めから全員が天才足り得るか。そんなもの、後から凡百が付け足した空想だよ」
そして、ウィンリーは告げる。
「天才は二種類いる。先天性と、後天性がね」
その言葉と同時に、状況は一変する。
☨
ベリエッタが違和感に気付き始めたのは、粗方の黒装束を狩り尽くした頃であった。
「……なんだ?」
残りは僅か、十人にも満たない少数。
そんな残党の動きが、変化する。
「おいおい、この私と一騎打ちでもしようっての?」
驚きと僅かな嘲りを声に滲ませ、ベリエッタは微かに笑う。
ベリエッタと対峙するは、先程まで後ろでこそこそと隠れていたナナシ。
二人を取り囲むように、黒装束は円を成して広がっていく。
それはまるで、簡易的なコロッセオの様であった。
「ご期待に沿って、俺が前に出てきてあげたんだよ」
「あァ、そりゃいいな」
挑発的に首を傾げるナナシに対し、ベリエッタは獰猛な息を吐いた。
研ぎ澄まされたベリエッタの感覚は、周囲の黒装束の微動を見逃さない。しかし、ベリエッタの予想と反して奴らが動く様子はない。
間違いなく、この状況は二人の一騎打ちを想定して形成されていた。
「なら――――」
ならば、と。ベリエッタは足を一歩踏み出した。
「楽しませてみろ」
瞬間、地がヒビ割れる。ドンッという爆ぜる音と共に、ベリエッタの輪郭が加速した。
豪速で迫る、赤い拳。
「いいよ」
しかし。
「当てられるものならね」
その剛腕は、空を切る。
当たれば確殺の拳は、ナナシの身体に掠ることさえできなかったのだ。
「ヒュウ! やっぱ近くで見るとまた迫力が違うね」
「……へェ」
余裕綽々の表情を浮かべるナナシに、ベリエッタは再び笑う。
今度は、満面の喜色を声に乗せて。
「なんだお前。やればできるじゃねえか」
「……ヒャハッ」
そう言って、ナナシは髪を搔き上げる。
現れる双眸。異質に見開かれた瞳が、ベリエッタの全身を隅々まで舐め回す。
「キミの方こそ。余裕こいてると、足元すくわれるよ?」
今にして思えば異常だった。もしもその場にクルードが意識を保っていれば、きっとそう感じるだろう。
覚醒状態のクルードを相手にして、あれだけ追い詰められておきながら致命傷の一つもなく逃げ切ることが出来たのも。
イリスの模倣天技を、ギリギリのところで受け止めることが出来たのも。
「天技、夜鷹影瞳」
全ては、彼もそちら側だったから。
「さァ、最終決戦といこうか」
全てを見通す俯瞰の視点を携えて、亡霊は不敵に嗤う。




