第33話 暴力の才能
「ハハァッ!」
轟音と共に、肉の弾ける音が響く。
人間の身体のほとんどが水分で構成されているという話は、その光景を見れば真実であるとすぐに理解できるだろう。
絵具をぶち撒けた床の様に、地面には真っ赤な鮮血が染み広がる。
悪臭が、満ちていく。
「行け」
無情に告げられる言葉に、意思無き人形は淡々と死地へ向かう。その数は五人。
「だからァ」
その頭数が、一つ消える。
「有象無象じゃ意味ねェっつてんだろーが」
二つ、三つ。地に沈む肉塊を見下しながら、ベリエッタは自らの拳を濡らす液体を払い落とした。
そんなベリエッタを無防備と感じたのか、彼女の死角から凶刃が迫る。
先に潰された仲間の敵を討つが如く、残された二人の人形がベリエッタの首に剣を振り下ろす――――
「それとも、時間稼ぎのつもりか?」
直前、その刃がピタリと止まる。
動かない。どれだけ力を込めようとも、剣先はビクとも動こうとはしない。
有り得ないと、もしも人形に感情があるなら思うだろう。
「だとしたら、期待外れもいいとこだ」
指で挟んだ刃を、ベリエッタは軽く捻る。たったそれだけの行為。
まるで菓子を割るように、剣はその形を失った。
残されたのは、半ばで真っ二つに折られた凶器"だった"モノ。
そして。
「がッ」
「ぼッ」
喉を掴まれた勢いに、思わず声を漏らす人形たち。
握っていた剣を慌てて離し、首を絞めようとするベリエッタの腕を必死で外そうと足掻く。
しかし、どこまで足掻こうとも状況は変わらない。ギリギリと、ゆっくり締め付けられる音が辺りに鳴り響く。
やがて。ボキッと軽い音がして、人形たちの腕がだらんと垂れる。
「で? お前はずっと隠れて指示を出してるだけか? クソつまんねェなお前」
死体を投げ捨て、悪魔は吠える。
「もういいわ。さっさとお前を殺して、終いだ」
ベリエッタは興味を失った声色で、淡々と言葉を吐いた。
事実上の、死刑宣告。そんな発言に対し、ナナシは何も反応しない。
「………………だ」
ただひたすら、自分に言い聞かせる。
「…………まだだ。もう、少し」
瞳から光は消えていない。
虎視眈々と、反撃の機会を待っている。
☨
「キャメロン王国で最も強い騎士は誰か。そう問われた時、あの人を知る者は皆こう答えるだろう。『それは紅蓮の騎士、ベリエッタしかいない』ってね」
目の前に広がる光景と共に、ウィンリーの言葉は真実味を帯びてイリスの脳内を駆け巡る。
圧倒的。
そうとしか言いようが無いほどに、ベリエッタは死地の渦中でも不遜に佇んでいた。
「あの人が……」
イリスの脳裏に浮かぶのは彼女――否、彼の発言。
『ボクは、最強の女傑を知っている』
そうか。
コバニが憧れた、この世で最も強い女性と言っていた人物。それがあの人、ベリエッタだったのか。
驚きと同時に、どこか納得した感情がイリスの胸に浮かんでは消える。
あれは、劇薬だ。その姿は強い情景と共に、諦念を強烈に心に刻みこませるだろう。コバニは憧れたが、他の人間は一体どう思うか。
夢ごと叩き潰されたって、何も可笑しく無い。
「ならどうして、ベリエッタさんの存在は知れ渡っていないわけ?」
「……黄金の時代」
「え?」
「彼女は、そう呼ばれる世代に名を連ねる傑物の一人だ」
「黄金の、時代……?」
ウィンリーの口にした単語は、イリスにとって初めて耳にする言葉であった。
そんな反応に一瞬呆れた表情を浮かべると、ウィンリーはため息を一つ吐いた後に口を開く。
「元序列一位ヴィクトや、君もご存じエレガスと同様。かつて聖キャバリス学院に在籍していた、伝説の生徒たちのことさ」
それは、未だ語られる物語。
聖キャバリス学院が、ここまでキャメロン王国において影響力を持つに至った最大の理由。
「ヴィクト、エレガス、バイツ、ラミエ、そしてベリエッタ。彼らは皆、例外なく七雄騎将に選ばれた紛れもない傑物たちだ。そんな五人が、同時に在籍していた幻の一年が存在した」
「それが……」
「ああ、それこそが黄金の時代。数多の騎士の誇りと剣を叩き折ってきた天才だらけの世代だ」
肩をすくめ、ウィンリーは静かに呟いた。
「ゾッとするね。同じ世代に生まれなくて良かったと心の底から思うよ。……彼女のような存在も隠れていたんだから」
そう言ってウィンリーが視線を向けた先では、エルマーナが姿勢を崩すことなく治療を続けていた。
イリスは思う。
エルマーナは以前、自分をエレガスの先輩だと言っていた。つまり同じく聖キャバリス学院の生徒であり、黄金の時代に近しい存在だったのだろう。
そんな天才しかいないだろう空間で過ごしてきたエルマーナもまた、常人とは違う才覚を有していたとしても不思議ではない。
だが。だからこそ、イリスは改めて疑問に思う。
だったら何故、ベリエッタは序列四位に居座り続けるのか。
「……これは僕の仮説だが、彼女は持ち過ぎたのだろう」
「持ち過ぎたって、何を?」
そして、ウィンリーは静かに告げる。
「持て余す程の、暴力の才能を」
その単語の引力は、イリスの興味を惹きつけて離さない。
「暴力の、才能……」
「いわゆる騎士ってのは、誇りや矜持を大事にする生き物だ。自分の曲げられない信念を掲げる、どっかの馬鹿も似たようなものだろう」
それはクルードのことだろうか。
二人の脳裏に、御前試合で観衆に向けて中指を立てたあの時の光景が思い起こされる。
「だけどね。結局のところ、他者を捻じ伏せる力が無ければその全ては意味がない」
「そんな、そんな残酷なこと――――」
「あるさ」
戸惑うイリスの瞳を、ウィンリーの双眸が貫いた。
「僕たちは、その力の片鱗を知っている」
「…………え?」
「天技」
其れは、天に認められし才能。
「仕方ない。この僕が、無知蒙昧な輩に教示してやろう」
其れは、選ばれた者にしか理解し得ない領域。
「才能とは――――天技とは一体、何なのか」




