第31話 炎
「な、な、な…………」
その存在を視認し、真っ先に反応したのは。
「何で、お前が……!?」
圧倒的なまでの恐怖に顔を歪める、ナナシ。
その姿は、これまで一度たりとも見せてこなかった純粋な怯えであった。
「あぁ? ……あれ、お前どっかで会ったか?」
そんなナナシに視線を向け、ベリエッタと呼ばれたソレは腕を組みながら首を傾げる。
そして。
「そうだ思い出した、二年前仕留め損ねたクソガキじゃねえか! 久しぶりだなァ。余生は楽しめたかよ?」
旧友に挨拶を交わすように、軽い口調で物騒なことを口にするベリエッタ。その言葉から察するに、この二人には並々ならぬ因縁があることがわかる。
クルードやイリス、他の者たちは知る由もない。
二年前、今と同じ路地裏にて。黒装束の死体が大量に発見された、あの惨状を。
「おっと。それと、だ」
突然、ベリエッタは思い出しかのように声を上げる。そして静かに、足を踏み出した。
悠然にして、大胆。その歩みは、一見すれば隙だらけのように見える。
だが、誰も動かない。動くことすら、許されない。
放たれた重圧に押さえつけられているかのように、ただ呆然とその場に立ち尽くすだけ。その様は、滑稽と言わざるを得なかった。
そんな中で、ベリエッタがふと立ち止まる。
「お久しぶりです、イリスさん。……なんてな」
「……………………えっ?」
イリスの思考が、僅かに停止する。次いで口から出たのは、間抜けな声色。
ありえない。しかし、この言葉遣いは。
「あなたは、王立騎士団の……?」
「ハッ、私が王立騎士団? あんなん嘘に決まってんだろ」
「それじゃあ一体、あなたは……」
淡々と告げられる真実に目眩を覚えながら、イリスはなんとか言葉を紡いでいく。
そんなイリスの姿に、ベリエッタはふっと笑い混じりの息を吐いた。
「お前も久しぶりだな、クソ坊主。この小娘に、私が誰だか教えてやりな」
「俺、ですか?」
まさか自分に声がかかるとは思わず、クルードは慌てた様子で口を開く。
「いや、その。甲冑で声が反響してるし、凄い言いづらいんですけど……、どなたです?」
「おいおい、悲しいねぇ」
そう言って白々しく嘆きながら、ベリエッタはゆっくりと甲冑に手を伸ばす。
バサリと、燃え盛る炎が現れた。
否、それは炎と錯覚するほどに色鮮やかな真紅の髪。苛烈な印象を与えるそれがクルードの視界に飛び込んだ。
「…………ど」
そして。
「どうして、あんたがここに……ッ!?」
クルードは、未だかつてない驚愕を露わにした。
それは言葉通りに受け取れば、いるはずのない存在が目の前に現れたことに対する驚きである。この人物が何者か知らないイリスにとってみれば、何の話か分かったものでは無い。
だが、クルードが口にした言葉の意味はそれだけでは無いだろう。何も知らないイリスでさえ、そう感じ取っていた。
何故なら、クルードの表情に浮かぶ驚愕の中には、隠しようも無いほどの焦りが込められていたのだから。
「どうしてあんたがエマ先と一緒に!? あんたが動いたってことは、王国上層部は……、いや、つまりあの人は――――」
「はいはい、色々聞きたいことがあるのはわかるけどね」
そんな焦燥感に満ちたクルードの背中に、白く細い腕が伸びる。
「アンタは、こっち」
「っ!?」
グイッと引っ張られ、思わず倒れそうになるクルードの背中に柔らかな感触が広がる。
エルマーナは後ろから抱擁するかのように、優しくクルードを受け止めていた。
「こんなに、ボロボロになるまで……」
「お、おい。離してくれよ」
「ダメ。これ以上、アンタに無理はさせない」
そう口にするエルマーナの表情は、泣きそうなほどの安堵に包まれていた。
ふと、クルードは気付く。
自分を抱きしめる細い腕が、微かに震えていることに。
「もう、これ以上、アタシの傍で無茶をする奴は見たくないの」
「……エマ、先?」
その姿は、今まで自分が見てきた気丈なエルマーナの印象とは全く違う。
儚げで、脆く、まるで泣き出しそうな幼子のような。そんな姿のエルマーナに、クルードは思わず言葉を詰まらせる。
「エマ。坊主の容態は?」
「……まだ大丈夫、だと思う。少なくともアタシの研究が正しければ、これ以上の覚醒は無いわ」
「そりゃ何よりだな。最悪の一歩手前で踏みとどまったか」
「そうね、間一髪よ」
ベリエッタとエルマーナ。二人の会話の内容は、その場にいる他の誰にも理解できるものでは無い。
しかし。
「戦士の完全覚醒に至るには、この子の肉体はまだ人技に馴染んでいない」
その言葉は、クルードにとって理解を放棄していいものでも無かった。
「一体、どういう……。あんたら、人技について何を知ってる……?」
「あ? それはだな――――」
「ベリエッタ」
「……ったく、わーったよ」
何やら意味ありげな会話を交わす二人に対し、クルードは悔し気に表情を歪ませる。
それが今にも癇癪を起こしそうな子供のようで、ベリエッタは思わずフッと笑みを浮かべた。
そして、静かに手を伸ばす。
「まぁとにかくだ。私が来たからには、お前もわかってるんだろ?」
ベリエッタの掌が、優しくクルードの頭を撫でる。その表情からは、先程まで放っていた覇気は一切感じない。
あるのは、唯一つ。
「後で詳しく教えてやるから、坊主は大人しくしとけ」
温かく包み込むような、柔らかな炎。その姿が、言葉が、クルードの心を静かに溶かしていく。
ポカポカと、何かが胸中に湧き上がる。
それだけでは無い。
段々と、思考が緩んでいく。
「まって、くれ。おれ、は…………」
意識が、暗闇に沈む。
だがそれは気分の悪いモノでは無く、むしろその逆。恐ろしいほどに心地良い、微睡。
クルードの瞳が徐々に薄まり、やがて完全に閉じられた。次いで、静かな寝息が口から漏れる。
「寝た……?」
イリスは思わず、驚きをそのまま口にする。
あれだけ緊張感を身体中に張り巡らせ、気力を振り絞って立ち上がったクルードが、一瞬にして眠りについた。
それ自体は、何も問題がない。
とっくにクルードは限界を突破していたし、いつ倒れてもおかしくないほどに憔悴していたのだ。何もおかしいことは無い。
だが、イリスが驚いたのはそこでは無かった。
「……なんて、安らかな寝顔」
クルードは決して、言葉にしなかった。でも、近くで見てきた後輩だから、イリスだからこそわかることがある。
この状況下で安らかに眠りがつけるほどに、この二人を信頼しているという事実。それが何より、イリスには信じられなかった。
「……あなた方は」
だから、思わず口にする。
「……あなた方は、一体何者ですか?」
そんな問いかけに、ベリエッタは思わず笑う。意地悪に、心底楽しそうに。
「なんだ。大好きな先輩が取られそうで怖いのか、ん?」
「なッ、違います! 私はただ……」
「冗談だよ。そうカッカすんな」
からかいを口にするベリエッタの姿に、イリスは困惑する。
こんな姿、以前に出会った時とはまるで別人だ。これが本当に、あの時と同一人物なのか。そう、疑いたくなる。
しかし、イリスはその一切合切を切り捨てる。
重要なのは、そこじゃない。
「……もう一度、問います」
深呼吸、一回。イリスは再び、口を開く。
「あなた方は、何者ですか?」
そんなイリスの問いかけに、ベリエッタもまた再び笑う。だが、今度はからかうような笑みでは無い。
もっと獰猛な、野性的な、凶気を孕んだ笑顔をベリエッタは浮かべる。そして、静かに告げる。
「生憎、私は隠し事が苦手でな。正直に名乗らせてもらう」
美と狂気を纏いし獣は嗤う。
「七雄騎将序列第四位、ベリエッタだ」
「ッ!?」
「そしてコイツはお前の知ってる通り、聖キャバリス学院の保健医エルマーナ。そして――――」
衝撃の正体にイリスが口を開く前に、ベリエッタは続けて言葉を放つ。
「元王宮医療部隊、筆頭。私たちは、王女殿下付きの特務部隊……【天秤】だ」




