第27話 悪夢の夜Ⅳ
其れは、頂点の闘い。
「おらァッ! そんなもんかよ!?」
人の身でありながら、人の域を脱した者が存在する。
怪物、天才。そう称される、天上の人々の世界。その中でも頂点に君臨する資質を持った、神に近き存在。
「舐めるな……ッ!」
彼らは共に、人非ざる者であった。
刃が触れると同時に、爆ぜる空気。
ぶつかり合う剣が衝撃を生み出し、大気を震わせる。
常人であれば受け止めることすら許されぬ一撃が、縦横無尽に飛び交っていた。
だが、最も驚くべきはその速度。
致死の刃は、音を置き去りにしていた。
☨
「……あり、えない」
バイツが声を震わせ、目の前の光景に目を丸くする。限界まで開かれた瞼、その視界に映る光景。
何も、捉えられない。
「こんなに、速かった、のか……?」
「違う」
困惑を表情に滲ませるバイツに対し、ラミエは静かに否定する。
「二人が、互いに高め合っているんだ。限界まで、限界を超えて、遥か高みへ……」
傷だらけで、土に汚れた顔を拭き取ることなく呆然と目の前の光景を見つめ続けるラミエ。
その表情はどこか仄暗く、瞳は黒く濁りかけていた。
「そう、なんですね。ヴィクト先輩。貴方は……」
複雑に吐き出された感情は揺蕩う煙の様に、風に吹かれて掻き消される。
そんな姿のラミエを、何も言わず横目で見つめるバイツ。
各々が思惑を巡らせる中で、戦場は刻一刻と変化していた。
☨
「――――シッ!」
閃光が煌めき、次の瞬間ヴィクトの頬に一筋の裂傷が奔る。
「くっそ! 速過ぎんだよ、お前の攻撃!」
ヴィクトは舌打ちと共に、微かに笑みを浮かべた。その姿に、幾度の思い出の記憶がエレガスの脳裏に蘇る。
なんで、どうして。
湧き上がる疑問は、湯水のように溢れ止まることは無い。
「ヴィクト……。お前、何があったんだ?」
「……何って、何だよ?」
「本当は、理由があるんだろ? お前が意味もなく、人を傷つける奴じゃないってことは俺が一番よく知ってる。……今ならまだ、引き返せる」
空中で交差する二対の刃。
鍔迫り合い、火花を散らす剣を握り締め、エレガスは口を開き続ける。ヴィクトを説き伏せるように、優しく、落ち着いた声色で。
「なぁ、もうやめよう。周りの死体も、バイツとラミエの傷も、本当はお前がやったものじゃ――――」
「いや、全部俺がやった。俺の剣が、人を傷つけ殺したんだ」
だが、ヴィクトはその言葉に耳を貸すことなく、冷たい声色で突き放す。
「ッ! だったら、なんで、お前はッ!?」
「…………もう時間がない。手短に済ませよう」
困惑と憤怒に塗れた言葉を吐き捨てるエレガスに、ヴィクトは静かに瞳を細めた。
そして。
「死ぬなよ」
「…………………………は?」
瞬間、エレガスの力が一気に抜ける。
その隙を逃さず、ヴィクトは大きく後退し再び構えを取った。
しかし、エレガスは動けない。動かない。
今の言葉、その意味を理解することが出来なかったから。
「今のは、どういう……」
「これで最後だ、金ぴか。――――いや、エレガス」
茫然と佇むエレガスの言葉を無視し、ヴィクトは笑顔を浮かべる。
その笑みは、今までと同じ親友の表情で。エレガスは、思わず手を伸ばす。
「████」
それは、一瞬の出来事だった。
掠れた視界の中で、エレガスは自らが地に倒れ伏している様を自覚する。既に手の中に剣はなく、痺れる感覚が手足を襲う。
敗北。
その事実だけが、色濃く映し出されていた。
「…………な……に、が」
何かが起きた。それだけは分かる。
だが、肝心のナニカが思い出せない。記憶が朧げに揺らぎ、芯に響くような痛みが頭の中で鳴り響く。
「これが、俺の到達点。極だ」
頭上から降り注ぐ、冷たいヴィクトの声。
「これ以上は無い。俺の限界は、ココだ」
「げん、かい……」
「エレガス。その痛みを、絶対に忘れるな」
ヴィクトの声が、少しずつ遠ざかっていく。
まるで距離を取るかのように。自分達の前から、姿を消してしまうかのように。
痺れが和らいできた身体を必死に起き上がらせ、エレガスは声を振り絞る。
「待ってくれッ! 俺はまだ、お前を超えられていないッ! 俺を置いて、勝ち逃げなんて許さない……ッ!」
気が付けば。
天上の光を遮るように、仄暗い雲が空を覆い尽くす。闇に呑まれゆく大地に、悲しみの雨が降り注ぐ。
「エレガス……」
その時、ヴィクトが初めて露わにした感情。
怒り、悲しみ、諦観。複雑な感情が、声に滲む。
「もう止めろッ!」
悲痛な叫びが喉を震わせる。
無駄だと分かっていながらも、声をかけることを諦められない。
それでも、足は動かない。
どれだけ口を開こうと、言葉を紡ごうとも。二本の脚はまるで棒になってしまったかのように立ち尽くすだけ。
「エレガス君。君の方こそ止めるんだ」
その時だった。
無情にも降り注ぐ、冷たい声色。
エレガスは静かに横目で声の主を睨みつける。
「スレイド、さん」
「君が手を伸ばすことは許されない。君を慕い続けてきた後輩の信頼を裏切ることなど、あってはならない」
突然現れたスレイドは、まるでエレガスを諭すかのように冷たく口を開く。
スレイドが見つめる視線の先。そこには、不安そうな表情でこちらを見つめる二人の男女。
いつも自信に満ち溢れていた彼らの顔には、悲壮感が滲んでいた。
その事実が、エレガスの胸を締め付ける。
「ましてや――――」
底冷えするような声色で、スレイドは淡々と言葉を紡ぐ。
「裏切り者に情けをかける道理は無いよ」
そう言って、スレイドは鞘から剣を抜いていく。抜き身の刃に雨が伝い、雫となって剣先からこぼれ落ちる。
もう、止まらない。
現、序列一位と序列二位。この場に揃ってしまった、キャメロン王国最強の二人。
だが、エレガスは気付いていた。先ほどの戦いで、ヴィクトは余力の全てを使い果たした。
ヴィクトが生きて、この場を逃げる術はない。
そしてまた、ヴィクト自身もその運命を受け入れているかに見えた。
「なんで……どうして…………」
掠れた声に乗って、悲痛な感情が口から漏れる。
「どうしてなんだよッ!?」
エレガスの問いかけに、青年は静かに顔を上げる。
「……それは、俺が俺だからだ」
そう言い放った友の顔は、これから死にゆく者の顔では無かった。
どこまでも爽やかで、まるで親しい仲間と語り合うかのような、そんな優し気な笑み。
「なぁ、エレガス」
雨に濡れた黒髪をかきあげながら、青年は静かに問う。
英雄として、好敵手として、友として。
「お前は――――何の為に剣を振るってんだ?」
深紅に輝く双眸が、エレガスを貫いた。
「お、れは……」
それは、昨夜に交わした問答。二人が築き上げてきた、まじないの言葉。
だが、今のエレガスはその問いに対する答えを持ち得ていない。
何故なら、その理由が今、目の前で失われつつあるのだから。
「そんな難しく考えるなよ」
そんなエレガスを見つめ、ヴィクトは困ったように笑いながら口を開く。
「俺の、剣を振るう理由は唯一つ」
ヴィクトは指を天に掲げ、高らかに告げる。
「 」
言葉は風に乗って、その場にいた全員の耳に届いた。そして、その全てが理解を放棄する。意味が分からない、と。
だが、エレガスは目を見開く。
「ヴィクト……、お前…………」
「嗚呼、今日は最高に――――」
その言葉の真意を問おうと、エレガスは言葉を紡ごうとした。
だが。
「いい、日、だ」
ヴィクトは満面の笑みを浮かべ、背中から倒れ伏す。
天を仰ぎ、ポツポツと言葉を零した。それはまるで、夢見る少年の寝言の様に。
☨ ☨ ☨
太陽が沈むと同時に、英雄は死んだ。星々がまばらに輝き、昏い夜空が幕を開ける。
一連の騒動は騎士団と七雄騎将の活躍によって沈静化され、事件の黒幕はヴィクトであると紐づけられた。
ヴィクトがどうして、王国に剣を向けたのか。奴が一体、何をしようとしていたのか。
その詳細は、いまだ不明。
この事件以降、七雄騎将全員に口外禁止の命令が下され、ヴィクトの名をむやみやたらと口にする事を暗黙の了解で禁じられた。
全てが謎に包まれた、王国転覆計画。
それは、この事件に関わった全ての人間の心に深い傷を負わせた。
ある者は怒りを。
ある者は憐憫を。
ある者は劣情を。
いつからか。彼ら、彼女らは――――ヴィクトが存在した記憶をこう定義するようになった。
【悪夢】と。




