第26話 悪夢の夜Ⅲ
エレガスがまず向かった先。そこは、王城の膝元。王家の信頼を得た者だけが滞在を許される、上級街であった。
煌びやかで上品な空気漂う空間に、不似合いな物々しい装備を身に纏うエレガス。だが、その様に文句を言う輩など存在しない。何故なら彼こそがこの国の英雄であり、真の上流階級であると誰もが理解していたからである。
そしてエレガスは、街の中でも一際目立つ広大な敷地の館に足を踏み入れる。
しかし。
「ヴィクトが、いない……?」
「は、はい。夜明け前にお出かけになったきり、屋敷にはお戻りになられていません」
館を管理する執事長らしき人物の言葉に、エレガスは困惑の表情を浮かべる。
そう。この屋敷の主とはヴィクトのことであり、上級街に足を運んだ理由もそれであった。
緊急事態の対策を取るためにヴィクトに会いに来たというのに、当の本人がいないのであれば話にならない。
「どこへ向かったか、見当はつくかい?」
「いえ。少し留守にすると私にお告げになっただけで、それ以外は何とも」
「そうか……。ありがとう」
恭しく頭を下げる執事長に別れの挨拶を交わし、エレガスは屋敷を後にする。
夜明け前に謎の外出を告げたヴィクト。その姿を頭に思い浮かべつつ、拭いきれない違和感をエレガスは感じていた。
七大英雄杯の当日、その夜明け前に何の理由もなく出かけるだろうか?
仮に少しの気分転換とはいえ、一度も屋敷に戻らないのはどう考えてもおかしい。言ってしまえば、不自然だ。
だが、ヴィクトの思考を完全に予測できるのかと問われれば、答えはいいえである。
学生時代からの長い付き合いとはいえ、エレガスでさえ彼が何を考えているのか理解することは難しい。
あえて踏み込まない、詮索しない。それが二人の友情であると、互いに理解していたからである。
しかし、今は違う。
「お前は今、どこで何をしてるんだ……?」
ヴィクトの考えを、知りたい。
どうしてこのタイミングで、急に姿を消したのか。国民全員がその登場を渇望しているにも関わらず、何故救いの手を差し伸べようとしないのか。
知恵をどれだけ振り絞ろうとも、答えが出ることは無い。
「エレガス様。我々はどうすればよろしいでしょうか?」
「君たちは通常通り、上流階級の皆様をお守りすればいい。ここまで敵が侵攻してくることは無いだろうが、警戒を怠るな」
「ハッ!」
周りに集まってきた騎士に対し、エレガスは的確に指示を告げる。
彼らはキャメロン王国に存在する騎士団の中で、王立騎士団とは異なる派閥の隊士たちであった。
親衛騎士団。
直接的な長を持たず、時と場合によっては七雄騎将の管轄下で動くことを認められた英雄のための部隊である。
だが、その存在が役割を果たすことは滅多にない。緊急を要する事態以外は、上級街の警備を担当する近衛兵たち。それが親衛騎士団であった。
そして、彼らがエレガスの指示に従うという事。それ即ち、今が緊急事態であることを意味している。
「私は一度陛下に謁見し、今後の復興作業とそれに伴う七大英雄杯の延期を打診するつもりだ。すまないが、しばらく現場を頼むぞ」
「問題ありません。ご武運を」
激励の言葉を背に受けながら、エレガスは王城へと歩みを進める。
思考の海に沈んでいくエレガスの脳裏によぎるのは、たった一つの純粋な疑問。
七雄騎将が揃い踏みの状況下で、何故こんな事件が起きたのか?
冷静に考えれば誰でもわかる。この計画は、初めから破綻しているという事に。
失敗する確率が圧倒的に高い中で行動を起こす無謀。命を懸けた代償に何の成果も得られないかもしれない。
それを分かっていながら、どうして、今日なのか。
考え得る理由の一つに、七雄騎将の失策を狙ったというものがある。もしも被害を食い止めることが出来なければ、七雄騎将の存在意義は揺らぎ、国民からの信頼は根幹から崩壊するだろう。
だが、そんなことは起こらない。起こさせない。
自分が、友が、後輩が、信頼を置くに足る先達がいる。七雄騎将だけじゃない。王立騎士団――デネットがいる。
「大丈夫」
自らを奮い立たせるように、エレガスは言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ。きっと……いや、俺たちなら」
キャメロン王国は、こんなことで揺らぎはしない。
その信頼が、責任の重圧が、我らを七雄騎将たらしめているのだから。
「そうだよな、ヴィクト――――――――」
「やっと来たか。相変わらず、お前はおせーな」
上級街と、王城を繋ぐ唯一の架け橋。
その通り道の中央に、奴は静かに君臨していた。
「ま、それがお前のいい所だ。いつだって冷静で、最悪の事態になる前に策を弄し、自らも最善を尽くす。お陰様で、ここから状況が悪化することはねえだろうよ。でもな――――」
黒金の鎧を身に纏い、ヴィクトは剣を握り締めながら悠々と佇む。
「肝心な場面に、間に合わなかったら意味がねぇだろ」
その刃は、鮮血に濡れていた。
ヴィクトの周りに転がる、無数の死体。騎士団員と黒装束の人間が幾重にも積みあがり、乱雑な屍の山が散らばっている。
その中で、まだ息がある者が二人。
「バイツ……ラミエ…………?」
地面に蹲り、苦痛の表情を滲ませる後輩の姿にエレガスは掠れた声で言葉をかける。
身体に奔る無数の裂傷は、明らかに遊戯のそれでは無い。
まさに命の取り合いでしか起こり得ないような、紛れも無い殺意の証であった。
「エレガス、先輩……」
戸惑うエレガスの耳に、か細い声が響く。
「お願い、します」
未だかつて聞いたことが無いほど弱り切った震え声。
いつもの生意気さは鳴りを潜め、悲しみを滲ませるラミエがそこにいた。
そして、彼女は口にする。
「あの人を、ヴィクト先輩を止めて……ッ!」
そう言って振り返ったラミエの表情は、血と涙で赤く滲んでいた。
ボロボロに歪んだその顔を気にすることなく、ラミエは潤んだ瞳でエレガスに懇願する。
先程まで抱いていた、自信に満ち溢れた幻想が音を立てて瓦解していく。揺らがないはずの根幹が、容易く傾いていく。
受け入れがたい現実が、今目の前にある。
大切な後輩が、涙を流して助けを求めている。痛々しい傷を抱え、こちらに縋りついてくる。
その元凶もまた、目の前に佇んでいた。
「ヴィクト」
「何だ?」
「……お前、自分が何をしているのか――――」
「分かってるさ。だから、お前は遅いって言ってんだよ」
受け入れたくない。
認めたくない。
信じたくない。
だが、もう答えは揺らがない。
今目の前にある光景だけが、不変の真実である。
それさえわかれば、もう迷わない。
「――――ヴィクトォォォォォォオッッッ!!!」
「――――嗚呼。話が早くて助かるぜ」
そして。
「蛮勇凶化」
深紅に血塗られた瞳を開眼させ、ヴィクトは不敵に嗤う。
「最後の喧嘩、派手に楽しもうぜ」




