第25話 悪夢の夜Ⅱ
この一週間謎にプチバズり、より多くの人に読んでいただけて非常に光栄ですorz
七大英雄杯、当日。
国民は歓喜に打ち震え、記念すべき祝宴に沸き立った。王都は活気に溢れ、人々の笑顔と祭囃子がどこまでも鳴り響く。
それはまさに、祭典と呼ぶべき様相であった。
「…………ん?」
始まりは、突然訪れる。
「何だ……?」
群衆の一人、男が目を細めて何かを見つめている。
視界の先、遠い位置から押し寄せる黒い波。否、それは波と錯覚するほどの人間の群れであった。
異様なのは、その姿。漆黒の外套を被り、全員が素性も分からないような格好で歩いている。一歩、また一歩と少しずつ近づいてくるその姿に、群衆も少しずつ気付き始める。
「どうした?」
「何かの催しかな?」
だが、人々の意識に危機感は無い。
何故なら今日はキャメロン王国で最も祝福すべき一日、騎士の祭典なのだから。そんな場所で事件を起こそうなどと言う愚か者は存在しないと、善良な一般市民は信じて疑わなかった。
そして、それ故に大惨事は引き起こされる。
鮮血が舞う。
迸る飛沫が降り注ぎ、群衆の視界が赤に満ちる。
辺り一帯に、鉄の香りが漂う。
「――――嫌ァァァァァァァァァッ!」
悪意が、溢れ出す。
☨
「……いま、何て言った」
震える声色を必死に押さえつけ、冷静に振る舞うエレガス。しかし、その瞳は困惑に揺れ動いていた。
「王都全域で殺傷事件が勃発! 怪我人多数、死者数不明ですッ!」
「……は?」
喧騒溢れる街より少し離れた特別地区。そんな王都の一等地に建てられた家屋に住まうエレガスの元に、突如として駆け付けた伝令の発言。
そのあまりの馬鹿げた内容に、脳が理解を拒んでいる。
死者? どこで? いつ? 今日? ありえない。
グルグルと思考が廻り、世界が、価値観が地面ごとひっくり返っていく。平衡感覚を失い、覚束ない足取りでエレガスは玄関の壁に寄りかかる。
「……エレ、ガス?」
ふと、背中にかけられたか細い声に振り返る。
艶やかな肌を隠すように覆われた白布から、微かに覗く栗色の髪。そして、不安そうに怯える視線が、エレガスの瞳を静かに穿つ。
「何が、起こってるの?」
怯えた表情を浮かべるエルマーナの姿に、ドクンと心臓が高鳴った。
今、自分が何をするべきか。自分が動かなければ、最愛はどうなってしまうのか。最悪の光景が脳内をよぎっていく。
瞬間、戸惑いは完全に消え去り、エレガスの瞳が冷たく透き通る。
「……被害が最も甚大な場所と、その原因と目される容疑者の出現地は?」
「人が多く密集していた、繁華街近郊。黒装束の集団は突如として裏路地から出現。その詳細はいまだ不明です」
「分かった。今すぐに出る」
「ハッ!」
素早く伝令との情報交換を済ませ、エレガスは出撃準備を整えていく。
ヴィクトと戦う直前に着用するはずだった白銀の鎧に身を纏い、考え得る限り最上の業物である名剣を一振り腰に納める。
物々しい装備と風格に身を包むエレガスに対し、エルマーナは戸惑いの様子で口を開いた。
「ねぇ、どうしたの? 何か、大変なことが起こってるんでしょ?」
「大丈夫」
「……嫌。アタシ、なんだか胸騒ぎが止まらな――――」
「大丈夫だから」
そう言って、エレガスはエルマーナの身体を優しく抱きしめ額に唇を押し当てる。
「俺を信じて」
「……お願い。無茶はしないで」
「任せなよ。こちとら天下の七雄騎将だぞ」
不安を笑い飛ばすように、冗談交じりにエレガスが言葉をこぼす。そして静かに身体を離し、踵を返して扉へと向かう。
家の前で待機していた伝令の元へ駆け寄り、エレガスは焦り気味に歩を進めながら言葉を紡ぐ。
「急ごう。事態は一刻を争う」
「ハッ! 繁華街近郊に向かいますか? それとも裏路地へ?」
「いや、そこに向かう必要は無い」
「……と、言いますと?」
戸惑いに顔を歪める伝令に対し、エレガスはさも当然の如く口を開いた。
「もう既に、事態は沈静化されてるだろうからね」
☨
悲鳴と怒号が飛び交う地獄絵図と化した、繁華街近郊。
駆け付けた警備兵が慌てて応戦するが、時は遅く。死屍累々の山々があちこちに築かれ始めていた。
黒装束は音も無く人を殺し、音も無く殺されていく。意思無き人形のような異質の存在が、ただ無情に狂気を振り回している。
そんな状況に、ただの人間が耐えられるわけもなく。
事態は、悪化の一途を辿っていた。
「――――いやぁほんと、勘弁してよ」
この男が来るまでは。
電光石火の閃きが、黒装束の間を通り抜ける。そして次の瞬間、一斉に千切れ飛ぶ名も無き者たちの頭部。
瞬きの出来事に、その場にいた誰もが動きを止めて呆気にとられる。
静寂が辺りに響き渡るその中で、男は静かに口を開いた。
「こんなめでたい日に店仕舞いしなきゃいけないなんて、商売あがったりなんだけど」
最速の英雄、現着。
☨
「いやいやいや、おかしいでしょ?」
掠れた声で、呆れた笑みを浮かべる男。しかしその表情は緊張で強張り、冷や汗がとめどなく流れ続けている。
男の視界に広がる、常識はずれの光景。
今目の前で起こっている状況が、まるで夢なのではないかと男は疑いたくなっていた。
だが、夢じゃない。
これは紛れもなく、現実である。
「よォ、クソガキ。お前が親玉か?」
どす黒い殺意が声に乗り、周囲一帯を埋め尽くす。
迸る闘気は人間のモノでは無く、睨まれた存在は微動だにする事すら許されない。
そこに立っていたのは、人間では無かった。
甲冑まで着込んだ、真紅の全身鎧。異様な姿のその人物は、大胆不敵にただ立ち尽くしていた。
しかし、誰も動かない。
「なんで、こんなバケモノが裏通りを散歩してるわけ?」
男の放つ言葉には、現実逃避にも似た諦観の念が漂っていた。
それもそのはず。
鎧の人物、その周囲には――――
「おいおい。他人のことをバケモノ呼ばわりして、自分の弱さを棚に上げんなよ。まだ剣も抜いてねェぞ」
染みと化した、かつて人だったモノ。
壁に叩きつけられた何かが、まるでトマトが弾けたかのように真っ赤な液体をぶち撒けている。
そして、籠手から滴る鮮血が状況の全てを物語っている。この惨劇を、素手で成した怪物が存在するという事を。
「さァ、お仕置きの時間だ」
最恐の英雄、現着。
☨
そして、歴史に残らない影の死闘。
これはまだ、誰も知らない英雄の物語。
「……誰だお前。学生風情は、去ね」
「やだね。何故なら俺は、いずれ英雄になる男だから」
後――――鍍金の英雄、現着。




