第23話 英雄、動く
ポツリ、ポツリと雨が降り注ぐ。
太陽は未だ頭上にあり、明るい陽射しが差し込んでいるというのに。まるで太陽が泣いているかのように、青い空の下に雨粒が零れ落ちる。
「……通り雨か」
薄暗い場所から空を見上げながら、エレガスは静かに呟いた。
雨。それは否が応でも、嫌な記憶を呼び覚ます。そういえばあの日も丁度、雨が降っていたな。
ふと、エレガスは思う。
もしもあの時、いやそれ以前に。力尽くで止めていれば、あんな悲劇は起きなかったのだろうか。それとも既に運命は決まっていて、自分にはどうしようもなかったのか。考えてもキリは無い。
だが、一つだけ言えることがある。
「…………行くか」
もう二度と、同じ悪夢は引き起こさせない。
それがたとえ、決められた運命だとしても。
☨
時を同じくして、聖キャバリス学院にて。
ざわざわとした喧騒に、困惑と不安の声が入り混じる。まだ幼い少年少女は何が起きているのか分からず混乱の様相を見せていた
教師陣からの説明は一切なく、緊急招集によって講堂に集められた聖キャバリス学院、全校生徒。
その中で、一人孤独に不安を感じる少女がいた。
「これは一体……?」
カミュは訳も分からず、ぐるりと辺りを見回して顔見知りを探す。
そう。探しているのはもちろん、イリス、クルード、ホーネスである。
しかし、誰一人としてその姿形は見当たらない。
「どこ行っちゃったんですかぁ……!」
軽く涙目になりながら小声で怒りを叫ぶカミュ。
イリスとクルードの喧嘩からしばらく、二人はそれぞれ別々にどこかへ消えてしまった。
本当は早く仲直りしてほしいけれど、あの二人のことだからそれは難しいだろうなぁ。カミュはそんな諦めに似た感情を覚えていた。
しかし、ホーネスは違う。
突然急用ができたと言い、どこかへ消えてしまったのだ。心細い今となっては、あの強面すらも心の拠り所にしたいところである。
と、そんなことを考えていたカミュの視界の中に。
「……あ!」
特徴的な坊主頭が映り込む。
真っ赤な髪の毛を剃り落とした、あの特徴的な頭をしている人物はカミュの知る限りただ一人。
「ホーネス先輩!」
「……あ、あぁ。カミュ殿」
走り寄って声をかけるカミュに対し、どこか呆然とした様子で言葉を返すホーネス。
その表情はどこか青白く、心ここに在らずと言った様相であった。
「……どうしたんですか?」
「いえ、何でもないですよ。ご心配をおかけしました」
それは嘘だと、カミュは即座に察した。
いつも通り優しげに細められた瞳に、迷惑をかけまいと穏やかに振舞おうとする声色。
ホーネスという人間は、見た目からは想像ができないほど紳士的な人柄であると、カミュは短い関係ながら理解している。
だけど、今は違う。
普段通りに振る舞おうとしてはいるが、どこか余裕の無さが滲んでいる。
それは、王都指折りの商人である父の仕事を傍で見ていたからこそ気づけたのかもしれない。
嘘をつく人間特有の雰囲気。それを見抜く観察眼が、娘のカミュにも発現しつつあった。
「……ホーネス先輩。何かあったなら、私が――――」
力になれるか分からない。
それでも、少しでも力になれればとカミュが言葉を紡いでいた……その時。
「総員。静まれ」
低くも鋭く放たれた言葉の刃が、その場にいた生徒全員の鼓膜を貫いた。
「七雄騎将序列二位、バイツだ。この場にいる人間は、一切の逃亡を禁ずる」
野性的な風格を纏う偉丈夫は、剣呑な瞳で辺りを睥睨していく。瞬間、カミュとホーネスを、まるで肉食獣に牙を剥かれたかのような錯覚が襲った。
荒々しく雄々しい声色は、聞く者の視線を強烈に惹きつける。
何故、ここに七雄騎将がいるのか。この騒ぎの原因は、この人なのか。カミュの脳内に疑問が湧き上がっていく。
周囲の生徒たちも、ザワザワと困惑にどよめいていた。
「慌てるな。貴様らに危害を加えるつもりは無い」
ふと、カミュは横を見た。
バイツの発言に耳を傾ける周囲の人々の中で、唯一人だけが視線を逸らしている。
蒼白な表情で瞳を震わせる男、ホーネス。そんな彼を見つめるカミュの鼓膜を揺らすように、バイツは静かに言葉を紡ぐ。
「ただ、黙ってこの場にいるだけでいい」
☨
「――――と、いう訳ですよ。大人しく投降してくれたら嬉しいなぁ」
魅惑的な声を震わせ、軽薄な笑みを浮かべる美女。見る者を釘付けにするスタイルは、全女性の憧れともいえる存在である。
だが、その瞳は笑ってなどいない。瞳の奥に映る深淵は、まるで見る者を引きずり込む奈落のようであった。
その姿に、背筋を凍らせる初老の男性が一人。
「……ラミエ。バイツも久しぶりに見たが、大きくなったな」
「学長。私はそんな思い出話に花を咲かせに来たわけじゃないんですよ」
学長と呼ばれた男性の言葉を一蹴し、ラミエは静かに口を開く。
「円卓の報せです。ガレッソとか言う教員は、今どこに?」
「……王女殿下か。あのお方は末恐ろしい。即座に行動に移す胆力は、父君すらも既に凌駕していらっしゃる」
「なるほど、この場にはいないんですね」
ピクリと、学長の指先が微かに反応した。
その動作に対し、ラミエの眼球がぎょろりと移動する。蛇の如き瞳は、あらゆる動きを捉えて離さない。
「分かっていますよ。この場にいるなんて、初めから期待してませんから」
「……聖キャバリス学院は、あらゆる有望な人材を受け入れている」
「それが、この国で異端とされていても?」
「その思想自体が間違っているのだッ!」
ガタリと、学長は椅子から立ち上がり咆哮する。
上質な木細工の椅子が床に倒れる様子を気にすることなく、学長はさらに続けて言葉を放つ。
「水面下で、差別が蔓延するこの国のどこが高潔な国家だ!? 騎士の大国だッ!? 古い価値観に縛られ続けることの愚かさが分からんか――――」
「確かに、バルバリス帝国に対する国民の認識は悪そのもの。ですが、それの何が悪いのですか?」
学長の言葉を遮り、ラミエは静かに嗤う。
まるでその考えこそが、稚拙であると言わんばかりに。
「絶対的な悪のお陰で、我々は正義の代弁者で居られる。逆を言えば、それが無ければ英雄に価値なんてありませんよ」
「……お前は、七雄騎将を」
「ええ。あんな称号、誇りに思ってません。私たちは鍍金の栄光に縋る、欠陥だらけの英雄です」
それは、二年前のあの日から。
「悪夢の夜。本物の英雄は、私たちが殺してしまったのだから」




