第22話 代償
世界が広がっている。
感覚が、どこまでも拡張されていく。
まるで自分の手足が、自分のモノじゃないかのようだ。
思考は加速され、体感時間が長く感じる。周りの光景がゆっくりと流れ、時が止まりかけているのではないかと錯覚するほどに。
これが、天才の領域か。
心が歓喜に打ち震え、快感が脳内に溢れていく。満たされなかった自尊心に、潤いが満ちていく。
凄い。こんなにも違うものなのか。
以前、ウィンリーと戦った時でさえこれほどの感覚は得られなかった。それはつまり、あの時でさえ未完成だったという事。
これこそ、本当の人技。完成された、蛮勇凶化か。
もっと。もっとだ。どこまでも高みへ。このまま羽ばたいて。
いつか、アイツと約束した、騎士の頂点へ――――
「嗚呼、本当に恐ろしいよ」
軋むような声色で、ナナシは吐き捨てる。嫉妬と呆れ、そして安堵を内包して。
「これがもし、ただの才能で成し遂げていたらと考えたらね」
狂喜的な笑みを滲ませ、ナナシが視線を向けた先で。
剣を振り上げたクルードの様子が、一変する。
その様子に一番早く気が付いたのは、近くで呆然と戦闘を眺めていた騎士団の人間たちであった。
「お、おい。あれは……」
「嘘、だろ……?」
「何だ、アレ」
信じられないものを見たかのように、目を見開きながら恐怖に声を震わせる騎士たち。
次いでクルードの変化を悟ったのは、遠くでデネットと会話を交わしていたウィンリーであった。
「クルード……?」
もはや凡愚という蔑称すら忘れ、呆然と名前を呼ぶウィンリー。その声を聞き、デネットは遅かったかと悔し気に表情を歪ませる。
そして最後に気が付いたのは――――
「……………………………………あ?」
クルードが、違和感に気付く。
気が付けば、視界が真っ赤に染まっている。深紅の世界の中で、眼前に立っているはずのナナシの姿が歪んでいく。
否、ナナシは何も変わっていない。変化したのは、クルードの知覚であった。
「……ぐ、ァあ」
続いて全身を襲う、強烈な痛み。関節が悲鳴を上げ、筋肉が軋む音が脳内に鳴り響く。まともに剣を握ることすら出来ず、掌から柄が零れ落ちていく。
拾わなければ。そう思ったクルードの思考に、肉体が追い付かない。
そして。
「がぁ嗚呼ああああアアッ!?」
苦悶の叫びを上げながら、頭を押さえて後退するクルード。
割れるような激痛が衝撃となって脳内を揺らす。
痛い、痛い。
今まで感じたことの無い激痛が頭部に奔り、たまらずクルードは手で頭を掻きむしる。その時気が付いてしまった。
顔が、何かで濡れているという事に。
霞む視界の中で、恐る恐る手を伸ばす。ぬるりと、気色悪い感覚と共に何かが付着する。
これは――――
「…………血?」
「ぴんぽーん。やっと気が付いたんだねぇ」
未だ痛みが収まらない中で、クルードはナナシの軽薄な声が響いた方角へと視線を向ける。
「これ、は……?」
「いやー、こっちの身にもなって欲しいよね。血涙を流しながら無表情で追いかけられて、おしっこちびりそうだったよ」
「けつ、るい?」
「周りを見渡してみな。自分が今、どんな風に見られているのかさ」
その言葉に、クルードはゆっくりと辺りに視線を向ける。
騎士団の人々、そしてウィンリー。皆一様に、驚愕に瞳を震わせながらこちらを見つめていた。
それはまるで、人間では無い別の何かを見ているような。そう。例えば、化け物を見た時のような――――
「ようこそ、怪物の領域へ。これが凡人じゃ見れない景色だよ」
「俺が、怪物……?」
「あぁ、そうだよ。君が羨ましがっていた、天才たちが向けられる視線だ。人と異なる扱いを受け、腫物のように周りから人が遠ざかっていく…………ハハ、ヒャハハハハハハッ!」
悍ましい哄笑が辺り一帯に響き渡っていく。聞く者を不快にさせ、嘲りと侮蔑の感情を滲ませた声が高らかに鳴り広がる。
「ハハッ、いやぁ傑作だよ。人ならざる身に変質を繰り返し、地獄の苦しみを乗り越え、引き換えに得た境地。そこまでの代償を払わないと、凡人は強くなれないとは……虚しいねェ、悲しいねェ」
そこまで楽し気に言葉を紡いでいくと、ナナシは急激に感情を沈ませる。
次いで湧き上がる感情は、純粋な疑問。
「キミもヴィクトも、そこまでして何がしたいの?」
「……ヴィクトさんも、この痛みを?」
「当たり前でしょ。キミは人技の仕組みを理解して無かったみたいだけど――――」
そして告げられる、英雄の死。
「ヴィクトはそれを分かった上で使い続け、最後は人技の代償に呑み込まれて死んだ」
「……………………………………は?」
ヴィクトさんが、人技の代償で死んだ?
全国民に秘匿されてきた、大英雄の最後。その真相が、コレ?
「う、そだ」
「嘘じゃない。これは紛れも無い事実。王国がずっと隠してきた黒金の末路さ」
「嘘――――」
「しかもアイツは、最後の最後にとんでもない事件を起こしていった」
信じたくないと首を振るクルードを無視し、ナナシは遠くを見つめる。
その瞳には、僅かな哀愁が漂っていた。
「二年前。キャメロン王国全体を巻き込んだ、未曽有の反乱計画」
「…………………………な、にを」
「君も記憶に新しいだろう? 何故ならキミは、首謀者の一人であるボルカを討伐した功績で七雄騎将に選ばれたのだから」
覚えている。覚えているに決まってる。人生の分岐点となったあの事件のことを忘れたことは無い。
それに、あの時だ。俺が初めて、イリスと出会っていたのは。
あの日は、とても印象深い日だった。
反乱計画は未然に防がれ、被害を最小限に食い止めた記念すべき英雄たちの功績。それは今もなお、語り継がれている。
そしてボルカという男と対峙し、そこで俺は大切な後輩と運命の邂逅を果たした。
そうだ。
だからあの日は、俺にとっても記念すべき、思い出の記憶――――
「でも、王国上層部は大事な情報を公表しなかった」
「……やめろ」
「あの事件の、本当の黒幕が一体誰だったのか」
「お願いだッ! やめてくれ…………ッ!」
「ま、言える訳ないよね」
耳を塞ぎ、目を閉じる。
知るべきではない現実が目の前に迫り、クルードの身体は未知の恐怖に震えた。
憧れが、原点が。音を立てて瓦解を始めていく。
嫌だ、知りたくない。そうクルードが願っても、この流れは誰にも止めることは出来ない。
それがどんなに――――
「最も国民に愛された英雄が、キャメロン王国を滅ぼそうとしただなんて」
非情な現実が待っていたとしても。




