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第19話 才能の無い人間

「裏切り者の、英雄……?」


 乾いた唇の内側から、掠れた声が喉を震わせて溢れ出す。その不穏な単語の響きが、何やら嫌な想像をかきたてる。

 デネットが口にした英雄。それは、まさか七雄騎将のことを言っているのだろうか。


「さっきからあんたが口にしてる技って、もしかして蛮勇凶化ベルク・バーバリズムのことか?」

「ふ、ふふふ。なんだ、自覚があるではないか」

「……俺はこの技を、ある人から教わった。俺の大切な、恩人だ」

「そうか。ならば貴様は、その人物に一杯食わされたというわけだ」


 悪寒が全身を伝い、冷や汗が流れる。

 尊敬する人物を侮辱され、本来なら怒りが湧き上がってもおかしくない状況。だが、クルードの脳内はただ純粋に疑問に埋め尽くされていた。

 あの人は何者で、どうして自分にその技を教えてくれたのか。アレが一体どういうもので、自分は何に巻き込まれているのか。

 知りたい。知って、確かめたい。

 自分は、どうするべきなのか。


「……あんたは、この技のことをどこまで知ってるんだ?」

「いいや、私は何も知らない」

「………………は?」

「その技がどういうもので、何処で生まれたものか。私は答えられる知識を持ち合わせていない」

「なら……」

「だが、ね」


 意味が分からないと言った様相のクルードの疑問を遮り、デネットはもったいぶるかのように言葉を紡ぐ。

 その表情は、筆舌にしがたい複雑で醜悪な笑顔であった。


「私は知っている。貴様以外にその技を使用していた人間を。それも――貴様と同じ七雄騎将でだ」

「な……っ!?」


 デネットの言葉に驚きの声を上げたのは、クルードだけでは無い。


「何だと……?」


 ウィンリーもまた、その言葉に耳を傾けながら驚愕の表情を浮かべる。

 蛮勇凶化なるクルードが用いた技は、ウィンリーの知る限りで他の誰かが使用していた前例は無い。それが七雄騎将ともなれば、なおさらの事。

 にもかかわらず、デネットはその存在を明言したのだ。

 ならば当然、思うのは一つ。


「一体、誰が?」


 震えた声色で、クルードは静かに疑問を口にする。

 その言葉に、デネットは待っていたと言わんばかりに高らかに告げた。


「元序列一位。最も国民に愛されし英雄――――黒金の騎士、ヴィクトだ」


 あり得ない。

 クルードは即座に否定する。

 ヴィクトという人間は、騎士に憧れる者なら一度は耳にしたことがある程の大英雄。戦争以後で最も偉大な七雄騎将の一人であり、その逸話は色褪せることなく語り継がれている。

 そして、ヴィクトの名を聞けば誰もが口を揃えてこう言うだろう。


 真の天才、と。


「………………ハッ」


 思わず、鼻で笑う。一体何を言いだすかと思えば、とんだ笑えない冗談だ。

 かの大英雄ヴィクトが、蛮勇凶化を使用していた?

 いや、あり得ない。あり得るはずが無い。

 何故なら、ソレは――――


「あんたは本当に、この技のことを何も知らないんだな。蛮勇凶化は、言っちまえば天才を倒すために編み出された、()()()()()()()だ」

「何が言いたい?」

「おかしいだろ。あの、ヴィクトだぞ? それが事実だとしたら、それは……」

「それは?」

「そ、れは……………………」


 本当は分かっているのだろう?

 そんな風に問いかけるようなデネットの瞳に、クルードは言葉を詰まらせる。

 頭の中を雑音が支配する。自分の憧れが、自分と同じ技を使い、騎士の頂点へと上り詰めた。

 それが、もし事実だとしたら。


「何だ、言葉も出んか」

「――――ぇ」

「ん? もっと大きな声で話したまえ」


 首を傾げるデネットの前で、クルードは俯きながらぼそぼそと小さな声で呟いた。

 そして。


「――――――――凄ぇぇぇぇぇぇッ!」


 爛々と目を輝かせ、喜色の笑みを浮かべながらクルードは感情を爆発させた。


「それってつまり、才能が無くても騎士の頂点に立ったってことだろ!? やっぱヴィクトさんは凄ぇよ!」

「……………………は?」


 想像と違う反応を示すクルードに、デネットは間抜けな言葉を漏らす。その喜びように毒気を抜かれ、先程まで辺りに充満していた殺気もどこかへと霧散する。

 瞬間、クルードの剣に圧し掛かっていた重みが緩やかに消えていく。


「な、あんたもそう思うだろ!?」

「いや、私は……」

「だってこんな重い剣を振るう人なんだ! 相当血の滲むような努力をしたんだろ?」

「む、むぅ。それはそうだが……」

「本当は、あんただって英雄に憧れてたんじゃないのかよ?」


 そんなクルードの言葉に、ハッと目を丸くするデネット。

 まるで心の奥底を除かれてしまったかの様な、急激な恥ずかしさがデネットを襲う。


「ばっ、違うッ! 私は、欠陥だらけの英雄などに憧れはしない!」


 慌てて退きながら、デネットは強い口調で否定する。

 そしてフラフラとおぼつかない足取りで二、三歩後退すると、再び剣呑な表情を浮かべながら剣を突きつけた。


「才の無い凡人が、騎士の頂点に立つなど許されん! ましてや七雄騎将の序列一位など、国民へのとんだ裏切りだ!」

「なんで?」

「自分より才能のある人間に負けるならまだわかる。だが、同じ凡人がのし上がっていく様を見て誰が喜ぶというのだ!?」


 そうだ。

 才能の無い人間は、大人しく夢を諦めればいい。

 そうすれば、傷つかなくて済むのだから。


「だから、そんな蛮勇凶化などという得体の知れない技を使い、強くなった気でいる紛い物など――――」

「なるほど、貴方の底も知れたな」


 デネットの熱を帯びた言葉を否定するように、ウィンリーの冷ややかな言葉が会話を遮った。

 ふとデネットとクルードが周りを見渡すと、先程まで攻撃の手を緩めなかった騎士団の残党が剣を下ろしてこちらを見つめている。

 そして皆一様に、不安そうな表情でデネットを見つめていた。その様子に、デネットは今まで隠していた自らの醜い姿が露呈してしまった事を察する。

 そんな中で、ウィンリーはまるで演説をするかのように大手を振って語り始めた。


「昔、聞いたことがある。貴方は若い頃にそこの凡愚の兄、エレガスに負けてから王立騎士団で成り上がることに執着しだしたと」

「え、兄貴に!?」

「大方、自分が夢を諦めたのに、同じ凡人が夢を叶えていく様が耐えられんのだろうよ」

「ち、違う……!」

「違う? 一体何が違うというのですか?」


 狼狽えるデネットを逃がさないとばかりに、ウィンリーは獰猛な笑みを浮かべて追い打ちをかける。


「副団長まで上り詰めながら、その本性はとんだ劣等感の塊だったらしい。その感情の矛先を自分が負けたエレガスの弟に向けるのだから、まったく。業が深いとはまさにこのことだな」

「ち、ちがう。わ、わたしは…………」


 声も、立ち姿も、全てを震わせながらデネットは顔を手で覆い隠す。自らの醜い本性に蓋をするように。

 だが、もう遅い。全ては白日の下に晒された。

 きっと今頃、部下たちは私の本性に失望しているに違いない。ならばこれ以上、何の何の為に動けばいいのか。

 私は何の為に、剣を振るってきたのか――――


「それは、違うだろ」


 影に、光が差した。


「劣等感に振り回されるなんて、人間誰しもあることだろ。業が深いとか、そんな悪いことじゃねえよ」

「……凡愚、余計な口を挟むな」


 デネットを庇うような発言をしたクルードに対し、ウィンリーは少し動揺しつつも厳しい声色で口を開く。


「この男は、嫉妬という名の私怨で君の身を狙った。庇う義理などないだろう?」

「別に恨まれるのには慣れてるからどうでもいい。でも、多分その人は私怨なんかじゃない」

「……何?」

「その人は一度も、俺のことを『エレガスの弟』って呼ばなかった。それどころか俺に対して、一人の強者として相手するって言ってくれたんだ。嫉妬はあったかもしれないけど、私怨ってほどじゃない」


 クルードはそう言って、デネットに対して優しく笑いかけた。その表情に、デネットは目を丸くする。

 嗚呼、どうして。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それにさ」


 剣を肩に担ぎながら、クルードは快活に笑う。


「この人は、今でもずっと努力し続けてる。あの剣は、そういう重さの剣だった」


 その言葉に、デネットはようやく思い至る。

 どうして自分が、夢を諦めてなお剣を握り続けていたのか。自分が何の為に、剣を振るうのか。

 それはきっと、()と同じ――――


 ☨  ☨  ☨


「七雄騎将を辞めるだと!? 何故だ!?」


 日の沈んだ暗闇の中で、廊下に並んだ蝋燭ろうそくだけが優しく辺りを照らしている。

 そんな穏やかな明かりの下で、怒声にも似た言葉が響く。


「貴様には才能がある! 誰にも真似できない、貴様だけの輝きが! いずれ序列一位にだってなれるかもしれないというのに、一体何故!?」

「相変わらず、あなたの言葉には重みがありますね」

 

 廊下で対話を繰り広げる、二つの人影。

 熱く燃え滾る感情のまま言葉を発するデネットに対し、エレガスは困った表情のまま爽やかに笑う。


「最後の最後まで、アイツを超えることは出来なかった。もう私が七雄騎将を続ける意味はありませんよ」

「……いつまでその仮面を付けるつもりだ。本性をさらけ出せ」

「………………ふぅ」


 取り付く島もないデネットの様子に、エレガスは眉をひそめながら頬を掻いた。

 そしてため息をつき、ゆっくりと口を開く。


「……()はもう止まらないよ、デネット。君に何を言われようともね」

「……考え直す気は無いのか」

「無いよ。既にこの後の予定は決めてるんだ。前から働かせてもらってた、聖キャバリス学院の教師を続けようと思ってる」


 その言葉に、どうしようもないと悟ったデネットは静かに目を閉じた。

 震える拳を握り締め、溢れ出しそうになる感情を必死で押さえつける。

 そして。


「……そうか。なら、もう話すことは無いな」

「デネット。もし君が騎士団を辞める時が来たら、聖キャバリス学院においで」


 踵を返し歩き去ろうとしたデネットの背中に、エレガスは優しく声をかける。

 それが仮に温情だったとしても、その無神経な言葉はデネットの逆鱗に触れてしまった。


「ッ! 私は、貴様に負けて夢を諦めた人間だぞッ! そんな負け犬が、これからの王国の未来を担う若者に何が出来るというのだ!?」

「あぁ、君は確かに俺に負けた。君が劣等感に苛まれて、嫉妬の眼で俺のことを見ていたのも知っている」

「ならっ!」

「けど、君は負け犬なんかじゃない」


 振り向きざまに自虐の言葉を吐き捨てるデネットに対し、エレガスは優しげに笑いかける。

 その姿が、まるで許しを与えられているかのようで。

 思わず、目を見開いた。


「それでも努力し続けた君の言葉は、きっと誰よりも重い。俺は、君のような人間が騎士団のトップに立つべきだと思ってる」

「……エレ、ガス」

「それに、君が負けたのは仕方ない。相手はこの俺だからね」


 ふふんと、誇らしげに胸を張るエレガス。その姿に、デネットはすっかり毒気を抜かれてしまう。

 好青年のような印象で有名なエレガスの本性が、実は誰よりも自信家でお調子者だと知ったら国民はどう思うだろうか。

 そこまで考え、きっと誰も信じないだろうと思わず笑う。


「……そうだな」

「おいおい、ここは突っ込むところだよ」

「私は、ずっと認めんぞ。蛮勇凶化などという訳の分からん技を使っていたヴィクトよりも――――」


 エレガスに背中を向け、デネットは静かに歩みだす。もう二度と振り返ることは無い。

 きっと振り返ってしまったら、恥ずかしさで憤死してしまいそうだから。


「貴様の方が、英雄に相応しい」


 ☨  ☨  ☨


 そうだ。

 私はずっと、否定したかった。

 凡人である自分が為せなかったことを、他の凡人が為そうとしていることよりも。


 私に勝ったエレガスが、凡人に勝てなかったという事実を。


 これは私怨だ。

 目の前に立つクルードが否定してくれようとも、自分の醜さは自覚している。

 エレガスの弟が、ヴィクトと同じ蛮勇凶化を使うと知った時。私は浅ましい嫉妬の感情に呑まれた。

 何故お前なのか、と。

 嗚呼、本当は分かっていた。私は――――


「私も、彼と肩を並べたかったのだな…………」


 対等な関係でいたかった。

 ただそれだけの、単純な話。

 理解してしまえば、自分の厄介さに自嘲の笑みが零れる。


「すまない、皆の者。私の独断で、この作戦は中止とする」


 誰かが否定すると思っていた。

 だが。


「了解」


 皆一様に、私の命令に従った。

 本性を知って、失望した筈なのに。どうして、私の言葉を聞き入れてくれるのか。


「皆……」

「ふん。貴方が取り乱した瞬間、作戦よりも貴方の身を案じて剣を下ろすような奴らだ。こいつらは団長の信奉者ではなく、貴方の信奉者だったというわけだ」

「慕われてるっていいなぁ」

「……君の能天気さも羨ましいくらいだよ」

「あ?」


 ウィンリーの言葉に、クルードの笑顔。そして、こんな自分を慕ってくれる仲間たち。

 自分に、剣の才能は無い。

 だが、それでもいいかもしれないと、今なら思える。

 自分が剣を振るってきた意味が、少しでもあるならば。


「……クルード君。私は――――」


 私は、この剣を。



「はーい。茶番はおしまーい」



 ドスッ


「………………………………ごぽっ」


 紡ごうとした言葉の続きが、出てこない。

 代わりに口から溢れてきたのは、止めどなく流れ続ける鮮血。そして次いで感じるのは、腹に感じる異物感。

 視線を下に向ける。


 そこには、腹を突き破って現れた銀色に輝く刃。


「だ、れ、だ…………」

「いやいやいや。まだ最後まで話は終わってないでしょ。ヴィクトがどうして裏切り者の英雄と呼ばれるのか話さないと」

「だれ、だと、きいている……ッ!」

「やれやれ、せっかちだねぇ」


 突如として現れた男は、猛禽類の如き瞳を細めながら嘲笑を浮かべる。そして服で覆われた首元に手を伸ばし、勢いよく引き下げた。

 現れる、太陽の刻印。王立騎士団の人間が鎧に着けている紋章と同じエンブレムを身に宿した男は、その場にいる全員に舐めまわすように見せつけると、軽薄な口調で告げる。


「やっほぉ、クルード君。――――キミを殺しに来たよ」

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