第17話 その足音は軽やかに
「殺される? ……いや、さすがに大袈裟ですよ」
震えそうになる声を必死に抑え、イリスは笑い飛ばすように口を開く。
「確かにあの人は女の敵で、色んなところで恨みを買ってるかもしれないけど。でも、殺されるほどのことじゃ……」
「クルード君の人柄は、今回重要じゃないんだ」
信じたくないと首を横に振るイリスを否定するように、リトは淡々と言葉を紡ぐ。
優しげに浮かんでいた笑みは消え、真剣な視線がイリスの体を貫いた。
「問題なのは、彼が使用していると推測される技についてだ」
「技……?」
「リトッ!」
リトの発言を遮るように、鋭い声で言葉を発するコバニ。
その表情は焦りと剣呑さを帯び、今にも飛び掛りそうな勢いである。
「部外者に何を伝えようとしてる……? それは王国の上層部が秘匿する、歴史の負の遺産だぞ」
「だからこそ、だよ。コバニ」
「その情報を知るということは────」
「教えてください」
二人の会話を遮って、イリスの静かな声が室内に響き渡る。
「私は、知りたい。あの人が何に巻き込まれているのか」
「だから、部外者には教えられないってッ!」
「コバニ」
引き下がろうとしないイリスの態度に、コバニは怒りをあらわに席から立ち上がる。
その時だった。
リトの体から、緩やかに溢れる気迫の片鱗。雰囲気が、変わる。
「彼女には、それを知る権利がある」
「…………どうなっても知らないぞ」
リトの瞳を見つめ、ついにコバニは諦めるように席に座り直す。
それを為したのはリトへの信頼か。それとも、踏み込んではいけない領域を悟ったからか。
いずれにせよ、もはや遮る者はいない。
「さて」
自らも席に腰かけ、リトは静かに口を開く。
「バルバリス帝国については、授業で習っているかな?」
「はい。キャメロン王国の前身、蛮族の国家であったと」
「そうだね。当時は力無き者は淘汰され、才ある人間だけが生存権を得る。貧富の差は激しく、まさに弱肉強食と呼べる環境だった訳だ」
「……でも、滅びた」
「その通り」
恐る恐る口にしたイリスの言葉に、その通りだとリトは頷いた。
「バルバリス帝国の政権は、当時の七雄騎将によって終焉を迎える。七人の尊い犠牲の元、革命は成された……はずだった」
「はず?」
「革命は終わってなどいなかったのさ。今も尚、ね」
「…………はい?」
思わず間抜けな声を漏らすイリス。しかし、それもそのはず。
革命が、終わっていない?
あまりにも意味不明な言葉に呆気に取られ、次いで浮かんだ感情は戸惑いであった。
「なにを、言ってるんですか? 革命は成功して、現にバルバリス帝国は滅びたじゃないですか」
「そう。間違いなく、国家は滅亡した。でもね、その遺伝子を駆逐するには至らなかったんだ」
「遺伝子って……、一体何の?」
イリスの単純な疑問に対し、リトが一瞬言い淀む。
そして、落ち着いた声色でゆっくりと語り始める。
「強者だけが正義を主張する国で、その存在はまさに国家の象徴。弱きを守らんとする者を、キャメロン王国で騎士と呼ぶならば。ただ強く在らんとする者を、バルバリス帝国ではこう呼んだ」
それは、騎士と対極を為す。
ただ勝利を渇望し、闘争のみが全て。他に何も必要とせず、それ以外の全てを捨て去ることが可能な存在。
そんな狂った思考の人間、その名は。
「戦士。それが、未だ王国に蔓延る負の遺産。血塗られた遺伝子さ」
静寂が室内を支配する。
誰一人として言葉を発さず、ただ時間だけが無情に流れていく。
イリスは悟った。
この話を今ここでする意味。それすなわち、これからの話の根幹に関わるということ。
「クルード君は、そんな遺伝子に適合してしまった新たな戦士の幼体。その存在は、キャメロン王国そのものを揺るがしかねない」
「じゃあ、クルード先輩のお兄さんであるエレガス先生も、戦士の遺伝子を?」
「それは違うね。重要なのは血脈では無く、もっと抽象的な話。いわば、魂さ」
「魂……?」
目眩がするほどに膨大な情報量の中で、イリスは必死に思考の糸を手繰り寄せながら言葉を紡いでいく。
ここで理解することを放棄してしまったら、もう二度と近づくことは出来ない。
憧れに、あの人に。
「意志。信念。そう言い替えてもいい。戦士として覚醒するには、それらの中である一定の条件を満たさなければならない」
「……その、条件とは?」
「悪魔の取引さ」
まるで理解できないと、呆れたように肩を竦めながらリトは言葉を吐き捨てる。
「勝利を得るために、人生の全てを費やすという覚悟」
その言葉に、イリスは口元に手を当てる。
理解、してしまった。
彼は誰よりも貪欲で、純粋に強さを求める人だから。
そして、夢が叶わない辛さを知っている。敗北の味も、劣等感も。あの人にとって、どれほどの絶望を与えるものなのか。
故に。私が彼なら、きっとこう思う。
夢を叶えるためなら、安いものだと。
「俺はさっき、このままだとクルード君は殺されると言ったね」
淡々と呟かれたリトの声に、イリスの思考が現実へと引き戻される。
「王立騎士団は、間違いなくクルード君の身柄を狙ってくる。もしかしたら、今まさに追われている最中かもしれない」
「なら……ッ!」
「でもね、彼らは命まで奪わないだろう。狙いはあくまで、生きた状態での捕縛だから」
慌てた様子で立ち上がるイリスの鼓膜を、冷たい言葉が静かに震わせる。
命までは、奪わない?
「え……。なら、殺されるなんてことは……」
「王立騎士団は、ね」
そして、告げられた内容は────
「いるんだよ。彼の死を願う、第三の勢力が」
イリスの心に、影が差す。
等しく、絶望が降り注ぐ。
☨
「あーあ。行っちゃった」
料亭ラビッツに、コバニの声が静かに響き渡る。
室内には、二人の影。コバニ、リト。
そこに、イリスの姿は無い。
「脱兎のごとく、凄いスピードで出ていったけど。そもそも本当かどうかすら怪しいのに」
「それは、クルード君が殺されるという話?」
「うん。だってそうでしょ」
無機質な瞳が、リトの体を貫いた。
「一番大事な話を、リトはあえて話さなかった。それはなんで?」
コバニの淡々と吐かれた言葉に、リトは静かに苦笑する。
やはり、なんでもお見通しか。
「ボクとしては、部外者に真実を語るのは反対だからいいけどね。……そもそも、なんでアイツに情報を渡したのさ?」
「…………部外者、ね」
怪訝な表情を浮かべながら疑問を口にするコバニ。
リトはその言葉を聞き、小さな声で呟いた。顎に手を当て、まるで何かを考察するかのように。
「イリス……、白髪……、首席……」
一つ一つの単語を、吟味するかのように口にする。
リトは思う。もしも。もしも、この考察が当たっていたとしたら、その時は冗談では済まされない。
王国の負の遺産?
秘匿された歴史?
いや、そんなモノじゃ無いだろう。これが、もしも事実だったとしたら。
「いや、流石に考え過ぎか」
そして、リトは静かに笑い飛ばす。いくらなんでも、あり得ない。
その行動は、一種の思考放棄かもしれない。それはリト本人も分かっていた。
分かっていて尚、わざと気が付かないふりをしたのだ。
「……さあ、彼女は間に合うかな」
「どうだろうね。でも、仮に奴等が動き出すなら、今を置いて他にないでしょ」
「そう、だね」
コバニの言葉はいつも正しい。
時に残酷なほどに、その言葉は真実だけを映し続けていた。
「……もしも、俺に大きな耳が付いていたら。きっと聞こえていただろうな」
「…………何が?」
小さな兎が、不安そうに瞳を震わせる。その姿に、大きな兎は大胆不敵な笑みを顔に張り付ける。
それが例え張りぼてだったとしても、大人は子供を勇気づけるモノだから。
リトは、いつも考えている。
自分の大切なものを守るために、何ができるのか。
もし。もしも、守り切ることが叶わなければ――――
「バルバリス帝国が滅びた時と同じ、破滅の足音が」
平穏を踏みにじる音が、軽やかに鳴り響くだろう。




