第14話 最強の看板娘
キャメロン王国の城下町は、今日も平和である。喧騒と笑顔に溢れ、明るい空気に満ちた世界。まさかその裏で熾烈な逃走劇が繰り広げられているなどと、誰も知る由は無い。
そして彼女もまた、数多の住人と同じく平穏な日常を謳歌していた。
これは、そんな時に出会った不思議な人物たちとの、運命の邂逅。
時は、少し前に遡る。
☨ ☨ ☨
「ばかあほまぬけ……、おんなずき…………」
貧弱な語彙力で、ブツブツと独り言を呟く一人の少女。
頬をぷくっと膨らませ、怒りと悲しみで表情を複雑に歪めるその姿は、何とも言えない哀愁を漂わせていた。
「……ばか」
覇気のない様子で、イリスは静かに口を開く。頭の中で思い浮かべているのは、先程のクルードの表情。
訳も分からず、無性に言葉が溢れて止まらなかった。売り言葉に買い言葉。気が付けば、手が付けられないくらい言い争いはヒートアップしてしまったのだ。
そして勢いのままに口走った「嫌い」という言葉が、今も頭の中に反芻し続ける。
否、それだけじゃない。
きっとホーネスやカミュからは見えなかった、私からしか見る事の出来なかった表情。
一瞬、悲しそうに歪んだクルード先輩の顔が、脳裏から消えてくれない。
「……でも」
頭では分かっている。謝罪の一言でも口にすれば、仲直りできるだろうということくらい。
それでも、感情がその行動を良しとしない。
心の奥底で燻ぶる何かが、そう簡単には素直になれないと訴えている。
「こんな時、カミュやホーネス先輩がいてくれたら……」
だが、それは叶わなかった。
何故ならカミュは先生への質問で居残り、ホーネス先輩は急ぎの用事が出来たとか言って忙しそうな様子だったからだ。
そのためイリスは、こうして一人寂しく城下町を散策するしかないのである。
気を紛らわすために始めた外出だが、周りの人間が仲睦まじく他者と関わっている姿を見ると、無性に悲しい気持ちに陥ってしまう。
そんなことを考えながら、気が付けば随分と遠くまで歩いてきた。
王都の中でもかなり外れ、人混みから抜けて静けさを増した空気感。どこか故郷を思い出させる懐かしさを感じながら、イリスがふと視線を前に向けた――――
「ふざっけんじゃねえぞッ!」
その時だった。
ガシャンと、路傍の店から椅子が一脚、凄まじい勢いで吹き飛んできた。
「こんな不味い飯に金を出せってのか!? 詐欺だろ詐欺っ!」
「い、いやぁ。それは本当にごめんなさいというか……」
「ならタダでいいよなぁ!?」
「でも金はもらわないと……商売だから、ねぇ?」
辺りに怒号が響き渡り、街行く人々がちらりと店の方へと視線を向ける。そして次の瞬間、何事もなかったかのように視線を戻していく。
その様子を見て、イリスは驚きと違和感を覚える。
これだけ騒がしく言い争っていながら、誰も止めに入ろうとしないのはどうしてなのか。
「あの、すいません」
「あん? どうした嬢ちゃん」
往来の一人に声をかけ、イリスは静かに店の方角を指差す。
「あれって、止めなくていいんですか……?」
「なんだ嬢ちゃん、ここら辺は初めてか?」
イリスの心配を知ってなお、誰も動こうとはしない。むしろその尋ねた男は、ニヤリと笑って口を開いた。
「大丈夫だ。あそこには、最強の看板娘がいるからな」
「看板娘……?」
「おっと、噂をすれば」
男の声に、イリスはゆっくりと視線を向ける。
未だ言い争いは収まらず、客は先程よりも怒りを露わにしていた。
「てめぇ、いい加減にしねえとッ――――」
客が拳を振り上げ、店主らしき人物に向かって振り下ろそうとしたその時。
「いい加減にしないと、何?」
店主と客の間に、小さな人影が現れた。
無感情な声で淡々と紡がれながらも、その声には耳を傾けざるを得ない圧が込められている。
だが。
現れた人影を見て、イリスは素直にこう思った。
「女の子……?」
それは、自分よりも僅かに小さな少女であった。
見た目は完全に自分より年下であろう、まだあどけなさが残る幼い顔立ち。少し中性的な声色であるが故に、無機質な言葉がより強い印象を与える。
だが、しかし何故だろう。
一目見た瞬間、イリスは形容しがたい違和感を覚える。それが一体何なのか、今のイリスには分かるはずも無かった。
そんなことを考えているイリスの前で、状況は少しずつ動き出す。
「あぁ? なんだガキ」
「ガキじゃない。それよりも金を払え」
「うるせえッ! これは大人の話し合いだ! ガキは引っ込んでろ……よッ!」
瞬間、男は容赦なく少女に向かって拳を振り下ろす。
イリスが慌てて足を踏み出すが、もう遅い。ゆっくりと、拳が少女の顔に近付いていくのを眺めるしかない。
危ない!
そうイリスが口に出そうとした、その時だった。
「これは、正当防衛だから」
ゾワッ
全身の細胞が泡立つ感覚。イリスの脳内が全霊を以て警戒音を鳴らし出す。
そして、次の瞬間。
「がっ?」
少女の手に握られたほうきの柄が、凄まじい速度で客の顎を打ち払う。
バキッと、骨の砕ける音が響き渡る。
だが、少女の追撃はここで終わらない。
「ごほッ!?」
鳩尾に柄を突き立て、道の中央へと吹き飛ばす。ゴロゴロと転がる客が仰向けになり、口から吐瀉物が溢れる。
少しやり過ぎではないか。
そんなことを考えるイリスの耳元に――――
「それ以上はよせッ!」
今までにない焦った声で、店主が鋭く言葉を放つ。その言葉に慌てて振り返ったイリス。
その頭上に、影が降り注ぐ。
少女は高く飛び上がり、男めがけて得物を振り上げる。
その攻撃が、男に直撃することは無かった。
「っ!?」
少女が初めて感情を露呈する。
イリスの蹴りが攻撃の軌道を逸らし、男の身体すれすれの距離で地面を砕く。
その威力に冷や汗をかく。もしこの攻撃が直撃していたら、下手すれば男は死んでいたかもしれない。
それを平気で行った人物を、イリスは信じられない目で見つめる。
「……邪魔しないで」
淡々と呟く少女もまた、イリスに対して疑い深い視線を向けた。
睨み合うイリスと少女。
そんな二人を取り囲むように、往来の人々は口々に囃し立てる。
「よっ、流石は最強の看板娘!」
「難攻不落の名に偽りなし!」
「飯がまずいのはご愛嬌ってか!?」
ガヤガヤと喧騒が飛び交う中で、二人は互いに瞳を逸らさない。
静かに睨み合う状況下で、少女がゆっくりと口を開く。
「君、何者?」
「何って……、どういうこと?」
「そのままの意味なんだけど」
少女は眉間に皺を寄せながら、少し不機嫌な様子でこう答えた。
「ボクの攻撃を見切ったのは、七雄騎将以外で君が初めてだ」




