第44話 鍍金を纏え
「ふざ、けるな」
地面に倒れ込みながら、ウィンリーは地面の砂を強く握りしめていた。
指先から出血するほどに、鋭く爪を立てている。
怒りなんてものじゃない。
憎悪に満ちた声色と表情は、ウィンリーの歪みそのものを表していた。
「ふざけるなァッ! 俺は騎士団の麒麟児と呼ばれ、いずれは七雄騎将に並び立つと目された天才だぞ!? そんな俺が、明らかに格下の凡愚に負けるゥッ!?」
視線を右往左往させながら、ウィンリーは喉を枯らす勢いで叫び散らしている。
錯乱状態に陥ったウィンリーは、剣を持たぬ方の指を持ち上げ、爪を噛んだ。
「許されない……あってはならないことだ……」
もはやそこに、柔和な笑みを浮かべていたあの頃のウィンリーは存在しない。
この男もまた、鍍金を纏っていた人間だったのだろう。
人を見下し嘲笑う、醜い性根がウィンリーの本質だったとしても。この男は化けの皮を被っていた。
だが、今のウィンリーにそのようなものは存在しない。
鍍金は完全に剥がれ落ち、現れた本性。
「殺さなきゃ……」
獣の如き、本能のままに行動する男。
それがウィンリーの本当の姿なのだと、俺は骨の髄まで理解した。
「俺は、俺はァ――――」
「そんな姿で、お前は本気を出せんのかよ」
だから俺は、声をかけてしまった。
「俺を殺したいくらい憎いんだろ? 英雄になりたいんだろ?」
ウィンリーのことは嫌いだ。
嫌いなんてものじゃない。俺だって、コイツに全てを奪われた。
剣を握れなくなるほど追い詰められ、悪夢に苛まれる日々を過ごしてきた。
本当なら、俺だって殺したいくらいだ。
でも。
「なら、獣に身を落とすなよ。お前は天才なんだろ? だったら最後までその才能に自信を持てよ。お前の自分の才能に対する信頼は、その程度の薄っぺらいもんなのか?」
俺は、天才に打ち勝ちたい。
才能だけが全てじゃないと証明するために、俺は本気の天才に勝利しなければいけないんだ。
だから。
「鍍金を纏え、天才野郎。全力を尽くしたお前の才能を、俺が否定してやるよ」
人によっては侮蔑に捉えられる挑発を、俺は口にした。
それと同時に、俺の脳内にガレッソとの訓練の記憶が蘇る。本性が醜いと、自信を喪失していた俺に対してガレッソが放った言葉。
それが――――
☨ ☨ ☨
「天才と凡人の違いは何だと思う?」
ガレッソが口にした内容は、誰もが知りたがっていた本質に切り込むものであった。
「……才能があるか無いか」
「そりゃ正解だわな」
「んだそれ……」
呆れた表情を浮かべる俺に対し、ガレッソは豪快に笑った。
「ガッハッハ! まぁ聞け。あいつら天才に共通していること。それは才能があることだけじゃない」
人差し指を掲げながら、ガレッソは告げる。
「奴らは自分の才能に、絶対の自信を持っている」
「自信?」
「そうだ。言ってしまえば、それが核だとすら俺は考えている」
突然哲学的な話をし始めたガレッソに、俺は静かに首を傾げる。
それは一体どういう意味なのだろう。
「他人よりも秀でている得意分野。そういう小さな才能の発芽を、奴らは異常なほどに盲信し続ける」
「……流石にそれだけじゃないだろ」
「あぁ、もちろん。天才と呼ばれる奴らは、そもそも秀でている部分が大きすぎるからな」
だが。
そう言って、ガレッソは話を続ける。
「自分の才能を信じきれない奴に、未来は無い」
その言葉は、覗いてはいけない深淵の一端に踏み入ってしまっているかのような錯覚を感じさせる。
「どれだけ打ちのめされようとも、揺るぎない信頼を抱き続ける。それが、真の天才。化け物と呼ばれる奴らの領域だ」
「…………なるほど」
「そして、これは俺たち凡人にも言えることだ。いいか、クルード」
そして、ガレッソは告げる。
俺の葛藤を見通しているかのように、俺の劣等感を肯定するかのように。
「鍍金を纏え」
それは、未だかつて聞いたことの無い言葉。
「俺たち凡人が天才に勝つためには、自分を騙し続けろ。偽物でもいい。仮初でもいい」
そう言って、ガレッソは少し自虐的に笑った。
「鍍金を纏わなくちゃ、やっていけない世界だってある」
☨ ☨ ☨
「わかったよ、ガレッソ」
記憶を思い返し、俺は小さく呟いた。
ガレッソの教えは、今も俺の心の中に刻み込まれている。
だから俺はあの日以来、自信に満ちているようなフリをしてきた。
試合開始直前に中指を立てた時だって、本当は震えるくらい怖かったんだ。
それでも。
鍍金を纏うことで、俺は今もこうして二本の足で立っていられる。
「鍍金、だと……?」
「あぁ。意味は分かんねえだろうがな」
「…………凡愚の言葉に、意味など無い」
そう言って、ウィンリーは静かに剣を構える。
その立ち姿は地面に対して真っすぐ、二本の足で直立に立っている。
瞳は揺るぎない。
悪態を吐きながら、瞳に殺意を宿しながらも。
獣ではなく、天才がそこにいた。
「自分が天才だということは、この僕が一番理解している」
今この瞬間、俺は誕生させてしまったのかもしれない。
自分への絶対的な信頼を抱き続ける、真の天才たちへ至る者。
化け物の幼体が、目を覚まそうとしていた。
何やってんだろうな、俺は。
そんな自虐的な感情が浮かぶと同時に、心の底に沸々と湧き上がる確かな感情。
俺は、この才能を否定してやりたい。
「お前には才能が無い」
「てめぇに言われなくても知ってるっての」
「そんなボロボロで、醜い姿は英雄に相応しくない」
「それは俺だって自覚してる」
「僕はお前が嫌いだ」
「奇遇だな。俺もだ」
睨み合う二人の騎士。互いに土に塗れ、もはやどちらが優位に立っているのか分かったモノでは無い。
満身創痍。そんな中で、ウィンリーは言葉を紡いでいった。
「だが」
ウィンリーが、再び身を低く屈めていく。それは、今までと同じ構え。
だが、覚醒した俺の脳内が告げている。
とんでもない一撃が、来る。
「兄の七光りと呼んだことだけは、謝罪しよう」
瞬間、新緑が揺らぐ。ウィンリーの姿全体が、陽炎のように揺らいでいく。
そして――――音も無く加速する。
爆発する闘気の奔流は、殺気すらも覆い尽くしている。
抜き身の刃。そう呼んで相違ないほどに、今のウィンリーの動きは研ぎ澄まされていた。
緩やかに流れる時の中でさえ、その速度は人智を超えている。
「それでもッ!」
ウィンリーが剣を振るった。
そして。
「僕が凡愚に、負けるはずが無いッ!」
俺は目撃した。
揺らぎが極限に至り、ウィンリーの剣は変化する。陽炎のように、影をブレさせることしか出来なかったはずの刃が。
くっきりと、三又に分かれる様を。
「死ねェッ! クロードォォォッ!」
三本の刃が迫りくる。その一つ一つが、俺の命を容易に刈り取る程の殺意を放っている。
必殺の一撃が、俺の首を狙う。
そんな光景を、俺は静かに見つめていた。
天才が成長していく様を、俺は今この目で目の当たりにしている。
嗚呼、ふざけんな。そんな感情が浮かび上がる。
俺が必死の思いで掴み取った勝機を、天才はこの土壇場で覚醒させていく。
やはり人種が違うな。そう、改めて感じていた。
それでも。
「クルード様!」
冴えわたる感覚が、極限まで至ったのか。
「クルード先輩!」
はたまた、ただの錯覚か。
「先輩」
いや、どちらでもいい。
ホーネス、カミュ、そしてイリス。あいつらが、仲間たちが見ていてくれている。その事実だけは変わらない。
ならば、みっともない姿を見せる訳にはいかない。
だってそうだろ?
「俺は」
信頼に答えると、誓ったのだから。
「あいつらのために――――」
気が付けば、俺は無意識のうちに剣を鞘に納めていた。
これまでの経験が身体を動かしたのか、脳が自然とこの構えが適切であると判断したのか。理由は分からない。
だが。
俺は、全身全霊で刃を振り抜いた。
「――――――――勝つッ!」
そして刃は、ウィンリーの剣を根元から叩き折り。
ウィンリーの肉体に裂傷を刻み込んだ。




