第42話 人を惹きつける輝き
「天技は、呪いの類では無い。人それぞれが持つ強みを極限まで研ぎ澄まし、限られた人間のみが辿り着くことを許された領域――――文字通り、天に比肩する御技」
観客席の一角にて、青年は口を開く。
不機嫌な様子を隠すことなく、言葉には苛立ちが込められている。
「だが、決して万能では無い。使い手次第では敗北する可能性があるということを、あの青二才は知らんようだ」
「まぁ無理もないよ」
青年の隣で、蛇のような笑みを浮かべる女性は静かに口を開く。
「彼には圧倒的に経験が足りない。自分より才ある者に負けるという、敗北の経験がね」
「ふん。そこで慢心するような男に先があるとは思えん」
「流石、鼻っ柱を折られ続けてきた男の発言は重みが違うね」
女性の言葉に、青年はギロリと鋭い視線を向ける。
静かな怒りに満ちた瞳に対し、女性はどこまでも涼しげな表情を浮かべていた。
「貴様とて同じだろう。自分を棚上げするな」
「おや、失敬。もちろん私も、エレガス先輩に鼻を折られた同士だよ」
「俺がいつエレガスの話をしたッ!」
睨み合う二人の男女。
一触即発の空気が周囲を覆い尽くし、空間が軋んでいくような錯覚を覚える。
そんな状況の中で。空気を読まず発言する、冴えない男が一人。
「まぁ、エレガス君も凄いけどねぇ」
無精ひげの生えた顎を撫でながら、男は世間話をするように口を開く。
「僕は、あの子が忘れられないよ」
その発言に、緊張感を孕んだ空気が霧散していく。
二人は共に、気まずい表情を浮かべる。
「……あの人の話は関係ないだろう」
「死んだ人の話は空気が冷める。まったく、止めて頂きたいね」
二人が発した言葉には、どこか後ろめたさが内包されていた。
まるで、口にすること自体を嫌がっているかのような。
そんな言葉を聞き、男はひげを撫でながら微かに笑う。
「はは。悪夢は未だ消えず、か。……だけどね、僕はまだ夢を見ているんだ。いつか彼のような男が現れてくれることを」
その視線は、今も一点に向けられている。
土に塗れ、汚れていく背中。およそ英雄とは呼び難い、泥臭く足掻き続ける騎士の姿。
「彼は、【不屈の騎士】足りえるだろうか?」
クルードの背中を見つめながら、男は静かに微笑んだ。
☨
「ほらほらほらァッ!」
縦横無尽に降り注ぐ刃の嵐に、身体から鮮血を撒き散らす。
剣で防ごうとしても、その全てを避けられる。
ウィンリーが放つ刃の軌道を、俺は未だ見極めることが出来なかった。
「ぐッ!」
俺に出来ることは、傷を最小限に止めること。
身体を翻し、逸らし、受け流すことで辛うじて被害を抑え込む。
だが、既に大量の裂傷が肉体に刻まれている。
見るも無残な姿の俺に対し、ウィンリーは優し気な笑みを浮かべた。
「もう諦めなよ。さもなくば、死ぬことになる」
その笑みは、弱者をいたぶることに快感を覚える獣の表情。
そこに心配している様子は微塵も感じられない。
あるのはただ一つ、傲慢な勝利への確信が瞳の奥に映っている。
「今ここで、皆の前で土下座したら許してあげるよ。僕はただの負け犬です、って。英雄失格の落ちこぼれです、って」
そして、完全なる悪意が表出する。
「凡人に生まれてきて、ごめんなさいってさァ!」
どこまでも才無き者を下に見る、強者の発言。
誰も口に出せない。
ソレを否定することが出来る者が周りにいなかったことによる、肥大した醜悪な感情。
傲慢な獣は天を仰ぎ、自らの力に酔いしれている。
「……っざけんなよ」
だから、俺は立ち上がる。
「お前こそ、謝りやがれ」
「…………あ?」
「さっきから聞いてりゃあ、まるで自分が天才代表みたいなツラしやがって。この際だから言ってやる」
意味が分からないといった表情を浮かべるウィンリーに対し、俺は声を大にして告げる。
「才能があろうが無かろうが、お前の性根が腐ってんのは変わらねぇ! この下種野郎ッ!」
そう言って、俺は砂を手に取ってウィンリーに投げつけた。
突然の目くらましに面を喰らったウィンリーは、堪らず一瞬目を瞑る。
その隙に、俺は――――
「オラッ!」
「くっ!?」
ウィンリーの肩に斬りかかる。
僅かな手ごたえと共に、呻き声が微かに聞こえる。
そして。
「この、ゴミがァッ!」
再び嵐が降り注ぐ。背中は何度も何度も土に塗れていく。
それでも俺は、諦めない。
勝機を見逃さないために。
☨
それは一方的な蹂躙であった。
昨年と同様、ウィンリーの前に為す術もなく嬲られていくクルード。
その姿を見た観客の心は、二つの感情に揺れ動いていた。
身の程知らずの凡人がいたぶられる様を嘲笑う気持ち。どうしようもない暴力にさらされる様に憐れむ気持ち。
彼らの心の中に、どうしようもない感情が入り混じる。
「何やってんだッ!」
「そんなもんかよッ!」
観客は、気が付けば叫んでいた。
それはどういう感情の発露なのか、当の本人にすら分からない。
立ち上がって欲しいのか、立ち上がって欲しくないのか。応援しているのか罵倒しているのかさえ分からない。
だが一つだけ、確かな事実があった。
「クルードォッ!」
「しゃきっとしろ!」
「倒れ込んでんじゃねえよ!」
観客の意識が、クルードに向けられている。
その言葉の内容が完全な善意じゃなかったとしても、歓声の嵐はクルードに降り注いでいる。
そして、その状況の変化を察する者が――――
「イリスさん! これ……」
観客の声を聞いていたカミュが、驚いた様子でイリスに話しかける。
「えぇ」
だが、イリスは驚いた様子もなく静かに頷いた。
少しずつ、価値観が変化している。
その様子に気付いたのは、クルードがウィンリーに一撃を入れてすぐのこと。
あの一撃から、徐々に周りの声が変わっていくのを感じていた。
「クルード先輩は今、本当の意味で英雄になろうとしているのよ」
天才は、人を惹きつける剣を振るう。その剣の輝きに、人は焦がされていく。
その光が強ければ強いほど、大きな影を生む。
それが、才能というモノ。
「英雄?」
だが。
不思議そうに口を開くカミュに対し、イリスは優しく微笑んだ。
「今の先輩を見て、カミュはどう感じる?」
「どう、って」
「じゃあ、醜いと感じる?」
その言葉にカミュはぶんぶんと首を振る。
「そんなこと全然思いません! いえ、むしろ」
そしてカミュは、コロッセオの中央へ視線を向ける。
土に塗れるクルードの背中を見て、カミュは目を見開く。
「どこか、美しさすら……」
カミュの発言に、イリスは静かに頷いた。
気が付けば、周りの観客たちも同じような表情でコロッセオの中央を見つめていた。
確かに、クルードの剣に人を惹きつける輝きはないかもしれない。
しかし、だからこそ。
彼には、彼にしか出来ない方法で人を惹きつけることが出来る。
土に塗れてもなお、立ち上がり続ける。
何度打ちのめされても、再び前を向く。
人を惹きつける光が、眩く輝いている。
クルードの背中は、剣よりも人を魅了する。
「あの人は、決して諦めない」
そして遂に、舞台は終焉に近付く。
「鍍金が剥がれても、彼は何度でも立ち上がるから」
コロッセオの中央で、彼らは言葉を交わす。
☨
「ハァ…………ハァ……ハァ」
激しく息を切らす音が、静かに響き渡っている。
汗が頬を伝い、地面にこぼれ落ちていた。
そんな状態で、ウィンリーは静かに口を開く。
「おま、えは」
息も絶え絶えになったウィンリーは、ゆっくり汗を拭いながら言葉を吐き散らす。
「お前は、いつになったら倒れ伏すんだ!? いい加減大人しくやられてろォ!」
怒りと困惑が入り混じった表情で、ウィンリーは剣を振るう。
「だから言ってんだろうが」
そして、俺の刃と交錯した。
僅かに空中で爆ぜる火花を横目に、俺は不敵に笑みを浮かべる。
「やってみろ、ってな!」
俺が力を込めて押し返すと、ウィンリーの刃が弾き返されていく。
その様子に、ウィンリーは再び顔を歪める。
「この凡愚がァッ!」
冷静さを欠いた攻撃は、俺にとっては捌いてくださいと言っているようなものだ。
軋む身体を動かしながら、そのことごとくを叩き落とす。
もう少しだ。
あと少しで、俺は全てを見極められそうな気がする。
天技の本質、その理を紐解くことができ――――
「調子に、乗るなッ!」
瞬間、強烈な一撃が顎を打つ。
目の前の景色がチカチカと瞬き、暗闇に落ちかける。
微かに残った意識を振り絞り、俺はウィンリーの姿を瞳で追った。
「ふ、ふふ…………フハハハハ! ようやく膝をついたな!」
その言葉に、俺はようやく気が付いた。
無意識のうちに、膝をついていたということに。
「手間をかけさせやがって。だが、やっとだ。やっと貴様をこの手で英雄の座から引きずり下ろすことが出来る」
ニヤリと、ウィンリーは嗤う。
そして、俺にだけ聞こえる声で小さく呟いた。
「御前試合において、故意の殺人は禁止されている。だが――――」
ウィンリーは剣を天に掲げ、強く握りしめる。
「事故ならば許されるということを知っているかい?」
悪意の込められた言葉が、上方より降り注ぐ。
「御前試合で、七雄騎将の一人が不慮の事故で死亡。理由は、実力不足にも拘わらずみっともなく英雄の座にしがみついたから。代わりに選ばれたのは、御前試合で輝かしい活躍を繰り広げた、ウィンリーという男だった」
恍惚の表情を浮かべながら、ウィンリーは言葉を紡いでいた。
これからの輝かしい未来を妄想し、浴びせられるであろう称賛に頬を赤らめる。
「だから悪いけどさァ」
明確な殺意を秘め、ウィンリーは剣を振り下ろす。
「死んでくれェッ!」
その刃は音を斬り裂き、凄まじい轟音と共に俺の頭を――――
「終わったな」
青年はつまらなそうに呟き。
「クルード様ッ!」
ホーネスは短く言葉を漏らし。
「いやッ!」
カミュは悲鳴を上げながら瞳を閉じた。
観客の多くも、目の前の光景に目を逸らし、瞳を閉じていった。
嗚呼、やはりそうだ。凡人は何処まで行っても凡人であると。天才には敵わないのだと。現実から突きつけられる真実に、彼らは静かに諦めた。
そんな中で。
「先輩」
一人の少女は、静かに口を開く。
「勝って」
イリスは信じていた。クルードの諦めないという心を。これまで積み重ねてきた、莫大な努力の成果を。
そして。
『立ってやるよ、騎士の頂点』
二人の約束を。
「さぁ、ルー坊」
そんな中で、ガレッソは笑う。
「反撃開始だ」
「ゴファッ!?」
重い衝撃音と共に、地面を転げまわる。
何が起きたのか認識する間もなく、土に塗れていくウィンリー。
地面に倒れ込みながら、ウィンリーは横腹を抑えた。
「な、んだ……?」
余裕に満ち溢れたウィンリーの表情は、驚愕へと変化していく。
「………………は?」
目を丸く見開いたウィンリーの姿に、俺は静かに笑う。
嗚呼、間に合った。
「そ……」
もはやウィンリーに、俺の笑いを指摘する余裕はない。
震える声と、震える指先で、ウィンリーは叫び散らす。
「その瞳は、何だァァァッ!?」
恐らく、ウィンリーはこう聞いているのだろう。
先程まで青色だったはずの眼が、どうして真紅に変化しているのか、と。
「蛮勇凶化」
その言葉に、俺は静かに告げる。
「天を討つために、人が創りし技。――――人技だ」




