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第36話 傷だらけの英雄と誓い

「だい、じょうぶですか?」


 いつも通りの日常。先輩と後輩が週に一度顔を合わせ、習熟度を確認する時間。

 この班だけは後輩が二人いるという特例なのだが、もはやその場にいる全員はその状況に慣れ始めていた。

 では一体、彼女は何に驚いているのか。

 恐る恐る問いかけるカミュに対し、俺は元気を振り絞って答えた。


「大丈夫……だぜ?」

「大丈夫じゃないですよね!?」


 カミュの大きな声が広場中に響き渡る。だが、俺にはその大声に驚く元気は残されていない。

 度重なるガレッソとの特訓の賜物と言うべきか、そんなことで動じる今の俺では無いのだ。

 というよりも、単に疲れすぎている。


「酷い有様ですね」


 流石に不憫に思ったのか、イリスは少し優しげな声で言葉をかける。

 身体中に布を当て、見るも無残な俺の姿を見つめる後輩二人の視線。

 なんだろう。中々に堪えるものがある。


「まぁ仕方ない。残された時間は少ないからな」

「あと、数週間ですもんね」


 カミュの言葉に頷きながら、俺は改めてその時間の短さに戦慄する。

 そんな残された限りない時間の中で、最大限に足掻こうとするとこうなるのだ。

 否。そもそも挑戦される側の英雄が、こんな必死になって鍛錬に励む姿の方が哀れか。

 

「そんなに、ウィンリーって人は強いんですか?」

「強い」


 イリスが口にした疑問に、俺は間髪入れず答える。

 悔しいことに、奴は本物の天才だ。

 騎士団が偶然にも手中に収めることが出来た切り札にして、麒麟児と持てはやされている青年。それが、ウィンリーという騎士の正体である。

 だからこそ、騎士団はそんなウィンリーよりも先に出世した俺という存在を許せないのだろう。

 特に。奴らは二年前、俺にボルカ捕縛の功を奪われたという引け目がある。

 騎士団にとって、それが何より許しがたいのだ。


「勝て、ますよね」

「それは分からん」


 俺の言葉に、肩透かしを食らったような様子のカミュ。その姿に、俺は少し笑った。


「だが、負ける気で行くつもりも無い。そのために俺は、こんな姿になってまで鍛えてるんだからな」


 勝つか負けるか。そんな予想は、きっと何の意味も持たないのだろう。

 やってみなければ分からない。それがこの世界における、たった一つの真実だから。


「ま、期待しててくれよ」


 そう言って俺は、後輩の心配を笑い飛ばした。

 自らの不安すらも、吹き飛ばすかのように。



「今日もありがとうございました!」

「おう。気を付けて帰れよ」


 元気よく頭を下げるカミュに対し、俺は軽く声をかける。

 校舎へと走り去っていくその背中を眺めながら、俺は静かにため息をつく。

 そして、ゆっくりと振り返った。


「んで? お前もカミュと一緒に帰るんじゃなかったのか?」

「先に教室で待っててもらうだけです。少し、先輩に用があって」


 相も変わらず、余裕そうな表情で口を開くイリスの姿を眺める。

 今回の訓練でも、イリスは汗一つかくことなく完遂してのけた。明らかに、周りと比べて頭一つ抜きんでている。

 もはや新入生のレベルじゃない。いや、この学院の中でまともに対抗できる生徒は一体どれほど存在するのだろうか。

 ふと、そんな思いが頭をよぎる。


「なぁ、イリス」

「はい?」

「俺も一つ、お前に頼みができた」


 思いついてしまったら最後、もう試さずにはいられない。

 つい最近まで剣を握ることすら出来なかったのだ。故に、身体がうずいて仕方ない。

 今の俺が、どれだけ天才たちと差があるのか。


「本気で、俺に斬りかかってくれ」

「…………本気ですか?」

「頼む」

「……わかりました」


 俺の真剣な思いを察してくれたのか、イリスはゆっくりと腰の剣を抜き取る。

 助かるよ。

 俺は心の中で感謝を述べながら、静かに身体の力を抜いていく。


 辺りが一瞬、静寂に包まれる。

 目の前に立つイリスの瞳は、こちらを射殺すかのように強く見つめていた。

 一切手を抜かない、本気の佇まい。

 正中線に構えられたイリスの剣は、どの方向から刃が飛び込んでくるか分からない底知れなさを物語っている。

 そして。


「――――シッ」


 風を切り裂く速攻の一撃。

 イリスが振るった刃が、俺の首元に迫りくる。

 だが、俺は首を僅かに逸らしその攻撃を躱した。


「フッ!」


 続けて振るわれる斬撃の猛攻も、俺は目視しつつ余裕を持って躱していく。

 胴体を狙った横薙ぎ、斜め下からの斬り上げ、喉元めがけて放たれる刺突。

 その全てがかなりの速度で放たれている。だが、これまでの経験で培われた俺の肉体は、猛攻のことごとくを見極めた。

 

「ならばッ!」


 だが。


「これはどうですかッ!」


 イリスが言葉を発したその直後、脳内に警告が鳴り響く。

 ゾワリと背筋を震わせる俺の視線の先で、イリスが剣を振りかぶる。


 そして次の瞬間、音も無く剣が加速する。


「ッ!?」


 思い返される、ウィンリーの剣技。あの時も似たような状況があった。

 まるで陽炎のように、見えているのに防げない不思議な一撃。剣を手足のように、自由自在に制御する技術。

 イリスの振るった一撃は、そういったモノの片鱗を感じさせるものであった。

 故に。


「…………参りました」


 イリスが静かに、敗北を口にする。彼女の手に剣は握られていない。

 地面に転がっているイリスの剣を見下ろしながら、俺は静かに握りしめた剣を見つめる。

 俺は、咄嗟に腰から剣を抜き放ち、イリスの剣を叩き落としてしまったのだ。

 

「……いや、助かった」


 それは訓練に付き合ってくれたことか。それとも、剣を払い落としたことに対して何も言及しないでくれたことか。

 複雑な感情を飲み込んで、俺は感謝の言葉を口にする。


 最後の一撃。あれはまさしく才能の片鱗であった。

 勝敗を分けたのは、経験の有無だ。

 俺の経験に裏打ちされた危機判断が、瞬時に剣を抜くという行動を選択させた。

 そうでなくては、俺はその刃によって一撃喰らっていただろう。

 やはり、この後輩は奴らと同じ天才の一人。いずれ、俺の技術を追い抜く時が来るだろう。

 だからこそ、俺は心の中で安堵した。


 やはり、訓練の方向性は()()()()()()()()()


「…………悔しい。もうちょっとだったのに」


 そう言葉を漏らしたイリスの表情は、心なしか嬉しそうなものであった。

 俺はそんなイリスの様子に、頭を掻きながら口を開く。


「あー、まぁなんだ。お前も中々やるじゃねえか。さすが俺の後輩だな」

「……関係なくないですか?」

「嫌か?」

「……別に嫌じゃないですけど」


 どこか照れくさそうに顔を背けるイリスに、俺はフッと勝ち誇った笑みを浮かべる。


「そうだよな! なんたって俺は、憧れの騎士様だもんなぁ?」


 ピキッ

 血管がイリスの額に浮かび上がる。

 冷たい笑顔を張り付けながら、イリスは底冷えするような声で口を開いた。


「私の用はそれです」

「……ん?」

「確かに騎士として、先輩のことは尊敬しています。ですが、だからといって全てに憧れているとは思わないでくださいね」

「…………は?」

「見栄っ張りで意地っ張り。すぐ調子に乗る女好きの先輩に、どうして私が憧れると思ってるんですか?」


 この、失礼娘クソアマが。

 好き放題ベラベラと口にするイリスに対し、俺は負けじと言葉を吐き散らす。


「夢見がちな天才(笑)ポンコツ娘が……。そんな先輩に負けちゃって、悔し紛れの悪態ですかぁ? てか女好きってまだ最初の印象引きずってんのかよ。嫉妬ですか?」

「はぁぁぁ!? 誰がアンタなんかに嫉妬するもんですか! モテない癖に上から目線止めてください!」

「ちょ、それは普通に傷つくだろうが!」


 ギャーギャー騒がしく互いを罵り合う二人。

 今思えば、これがいつも通りの関係だ。初めて会ったあの時から、コイツとは気が合わないと思い合ってきた。

 どこか似たところがありつつも、相いれない二人の関係は変わることは無い。


「~~~ッ! わかりましたッ!」


 だが、今までと違う点が一つ。

 イリスは感情に身を任せて口を開く。


「私が先輩に勝つまで、先輩は誰にも負けないでください!」


 嫌いなわけじゃない。

 尊敬は心の奥底に、いつまでも残り続ける。

 互いに信頼し合う仲間として、共に救い救われた存在として。俺とイリスは切っても切れない繋がりを得た。


「ウィンリーとかいうクソ野郎にも、他の七雄騎将だろうが負けたら許しません」

「おいおい。随分簡単に言うじゃねえか」

「あら。まさかクルード先輩ともあろう人が、怖気づいてるなんてことないですよね?」


 無理難題を口にするイリスに対し、俺は苦笑いを浮かべる。

 しかし、イリスは当然のように口を開き、まるで俺を挑発するかのように言葉を紡いでいった。


「才能だけが全てじゃ無いって、世界に証明してください。そうして誰もが認める英雄となったあなたに、私は挑んでみせます」


 その言葉に俺は目を丸くした。

 それは、イリスも七雄騎将を目指すということの表れなのではないか?

 動揺を隠せない俺の視線の先で、イリスは不敵な笑みを浮かべる。


「もしもそこで先輩が勝ったら。その時は、心の底から憧れてあげますよ」

「……なるほどな」

 

 その時、俺はようやくイリスの真意を悟った。これは挑発であり、俺に対する鼓舞でもあるのだ。

 不器用な後輩が悩んだ挙句にたどり着いた結論が、こんな分かりやすい煽り文句とは。

 その隠し切れない愛おしさに、俺は無意識に顔を綻ばせる。


「なんですか……?」

「ククッ、いいや。可愛い後輩を持ったと思ってな」

「な…………ッ!?」


 俺がふとこぼした発言に、顔を真っ赤にして口を開閉させるイリス。

 いざという時は、聞いているこっちが恥ずかしくなるほど真っすぐ気持ちをぶつけてくる癖に。ふとした瞬間に見せる、不器用で思わず可愛く思ってしまうような一面。

 それがイリス。俺の後輩だ。


「上等だコラ」


 愛おしいモノを見るかのように俺はイリスを見つめる。

 こんな言葉をかけられて、奮い立たない男など存在しない。

 俺の新しい夢は、お前のモノでもあるんだからな。イリス。 


 天才少女に煽られて、俺は静かに宣言する。

 

「立ってやるよ、騎士の頂点」

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