第35話 荒療治
「ふぅ……」
短く息を吐き、ゆっくりと胸を抑える。心臓がドクドクと早鐘を叩く様が、掌から伝わっていく。
もう二度と、この扉を開けることは無いと思っていた。
辛い思いをすると分かっていて、自分から進んで地獄に足を踏み入れることは無いだろうと。
それでも。
「行くか」
俺はトラウマを踏み越えて前に進む。そのためにも、約束は果たさなければならない。
扉に手をかけ、俺は勢い良く開け放つ。
久しぶりの光景。懐かしい感覚
そして。
唖然とするクラスメイトの表情を眺めながら、俺は無言で近くの席に着く。講堂に集まっていた他の生徒たちは、こちらを横目で見ながらヒソヒソ呟いている。
「なんでアイツが?」
「今さら何の用だよ」
「もうここに居場所なんて無いのにな」
耳に届く悪意の言葉に、俺は拳を強く握りしめる。
苦しい。こんな視線の嵐に耐え続けることが、どれだけ恐ろしいことか改めて思い出す。
それでも。
俺の脳裏によぎるホーネス、カミュ、イリスの顔。あいつらが俺を信じてくれているのだから、俺もここで諦める訳にはいかない。
それに――――
「さぁさぁお前ら! さっさと席に着け! ガッハッハ!」
講堂の前方から轟くガサツな声に、俺はゆっくりと視線を向ける。
クラスメイトたちが慌てて席に着き始める様子を眺めるガレッソ。そんな視線が、俺に向けられる。
ガレッソは俺の気持ちを察してか、ニヤリと不敵に笑った。
「あの野郎……」
誰にも聞こえないよう呟きながら、俺は昨夜の出来事を思い出していた。
ガレッソから告げられた、交換条件の内容。
それがまさか、こんなことだとは思ってもいなかったのだ。
☨ ☨ ☨
「ただし、お前はこれから毎日授業に出ろ」
その言葉を聞いた俺は、思わず間抜けな声を漏らす。
「はぁ? なんでそんな……」
「これが受け入れられないなら、俺はお前を鍛えんぞ」
「ぐ、ぬぬ」
ガレッソの表情は、嘘偽りも無い真剣な様子であった。
この男は、本気で俺に授業に出て欲しいのだ。
「お前がクラスメイトから色々思われているのは知ってる」
煮え切らない俺の様子から悟ったのか、ガレッソは少し優しい声色で口を開く。
「だが、これはチャンスだ」
「チャンス?」
「おう! お前のトラウマを克服するためには、同じような環境に身を置くのが手っ取り早い。ようは荒療治だな、ガハハ!」
何笑ってんだこのジジイ。
言ってることは至極真っ当であり、簡単なことだろう。だが、俺からすれば中々に勇気が要ることも事実。
悪意の視線に晒されて、俺がしっかり自分の足で立っていられるかどうか。
そんな不安が、心の底にこびりついている。
「なーに、心配するな。どう思われて何を言われようとも、お前には仲間がいるだろうが」
そう言われ、俺の心が微かに軽くなる。
確かにそうだ。
俺があいつらにどんな視線を向けられようとも、心まで蝕まれることは無い。
何故なら、俺には仲間がいるから。
「よし、上等だ! やってやろうじゃねえの!」
「お、その意気だルー坊!」
屋上でこんな時間に大声を出していいのかと思いたくなるが、今は許して欲しい。
大声を出して自らを奮い立たせる。
そうでなくては、身体が少し震えてきてしまうのだから。
「まぁ、この状況はお前にとって悪い話じゃねえさ」
その時、ガレッソが不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「見下されているこの状況下で、お前が皆の想像を裏切って御前試合で勝利してみろ! 掌クルクル野郎どもが量産されること間違いなしだぜ!」
浮かれた様子で言葉を紡いでいくガレッソに、こちらの心も沸々と何かが湧き上がってくる。
もしもそうなれば、俺はトラウマを克服したと言えるだろう。
そして、ガレッソは俺にこう問いかけた。
「ルー坊! カッコいい英雄ってのはどんな奴だ?」
「え? いや、それはまぁ、誰よりも強くて誰にも負けない奴じゃないか?」
「バーカ! んなもん、見ててもつまんねぇよ。いいか? 想像してみろ」
ガレッソは指をこちらに突き出し、俺の胸を小突いた。
「圧倒的な天才をぶっ倒す凡才。そんな英雄がいたら、最高にカッコいいだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、不思議と心の奥にスッと何かが放った感覚を覚える。
それはまるで、俺が目指す姿そのもの。言葉にされて、初めてそう思えた。
そうか。俺が目指すべき英雄像は、これなのかもしれない。
才能の無い人間が、天才を倒していく爽快感。カタルシスの解放こそが、俺に求められる英雄の役割。
「人は皆、心のどこかで才能ってやつに対して劣等感を抱いてるもんさ」
俺然り、お前然りな。
そう言って、ガレッソは豪快に笑った。
だが、俺にはその気持ちが痛いほど理解出来た。俺がまさに、劣等感の塊のような男だから。
「さて」
心の中でそんな風に考える俺を置いて、ガレッソは静かに口を開く。
「それじゃ、お前が教室に来れたら改めて教えてやるよ」
「……あぁ。是非、よろしく頼む」
俺はもう一度、心の底から深く感謝し頭を下げる
もう二度と後悔しないように。
誰かの期待を裏切らないために、俺はもう一度強くなる。
「今のうちに言っておく。俺が鍛えるからには、生半可な方法じゃねえぞ」
「覚悟の上だ」
「……それはどうかな」
俺が自信満々に口を開くと、ガレッソは何故かゆっくりと視線を逸らした。
まるで、少し後ろめたいことがあるかのように。
「凡人が天才に勝つ。言うは易いが、それを実行できる人間は砂粒しかいねぇ。それこそ言い換えれば、別種の才能の持ち主だろうよ」
だが。ガレッソは言い淀み、そしてゆっくりと口を開く。
その表情は、闘志に満ちたモノであった。
「お前はこれから、その才能を発現させるんだ。――――どんな犠牲を払ってもな」
その言葉は、およそ騎士が発していいモノでは無いほどに。
悍ましい戦士の声色であった。




