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第33話 仲間

 静寂が支配する。

 誰も口を開くことが出来ない。


 知らなかったのだ。

 彼女がどんな扱いをされてきて、どういう想いで生きてきたのか。

 才能が無いことに悩む人々が存在するように、才能がある人間にも悩みというものは存在する。

 それがどれだけ他者から見て傲慢と捉えられようとも、当事者の苦しみは誰も知る由もなく。


 だから、初めてその価値観に触れた。


「……そうか」


 正直に言ってしまえば、共感は出来ない。

 自分は持たざる側の人間で、彼女らは持つ側の人種。分かり合う事など不可能だ。

 それでも。

 叶うことの無い苦しみを抱く者として、同情を禁じ得ない。


「お前が、あの時の少女だったんだな」

 

 俺は静かに口を開き、当時の光景を思い返す。


 王都で危うく発生しかけた、未曽有の反乱計画。

 その首謀者の一人が、あのボルカという男であった。

 学院生だった俺も事件解決に協力し、逃亡した奴を追いかけ名も知らない村にたどり着いた。

 そうか、あれがブーテン村だったのか。


「俺はあの事件の功績が認められ、翌年に七雄騎将に選ばれた」


 そう。

 皆から期待を寄せられるようになり、稀代の天才と謳われるようになった《《とある事件》》。

 それが、この事件だ。


「……悪いな。お前が憧れたクルードは、やっぱり俺じゃなかったみたいだ」


 口にしながら、思わず乾いた笑いが口からこぼれる。

 イリスが憧れた男は、もう存在しない。

 今ここにいるのは、無様な醜態をさらす落ちこぼれ。

 

「あの時の俺は、現実を知らなかったんだよ。上には上がいるし、努力しても超えられない壁ってのは明確に存在する。それを知ってしまった以上、もう元には戻れない」


 だから、もう終わりにすると決めた。

 夢を見ることはやめて、俺は身の丈にあった振る舞いをする。

 いつか英雄になる?

 あぁ、もうなったさ。その結果が、成れ果ての姿が、これほど苦しいとは考えもしなかった。

 だから、俺は、もう――――


「私にとっての騎士とは。クルード先輩、あなたです」


 扉越しに届いた言葉が、俺の思考に光を差し込む。


「土に塗れて、泥臭く足掻く。無様? 醜悪? 上等だと、それでも前を向く背中に、私は勇気をもらいました」

「……何を言って」

「私は、今のあなたが昔と変わったなんて思わない」


 無機質な木目が視界いっぱいに広がっている。

 この場所からは、イリスの表情は見えない。

 だが、その声色は。


「確かに、初めて会った時は欲に塗れた不良だと思ってた。口が悪くて、すぐ調子に乗るし。小言ばっかでやかましいし」

「おい」

 

 言いすぎだろ。思わず、俺は口から淡白な声を漏らしてしまう。


「でも」


 そして、扉越しにイリスの小さな吐息が聞こえてくる。


「私を庇ってくれたあの背中は、やっぱり私が憧れた騎士だった」


 それは学院決闘の終わり際で、俺が初めてイリスの前で剣を握った時の話か。

 あの姿を見てもなお、昔と同じ姿をしていたと?

 有り得ない。

 トラウマに身体を震わせて、みっともなく口を抑えていたというのに。

 あの姿の、どこに憧れているというのか。


「……センスねぇよ」

「いいえ。先輩が何と言おうと、私はこの選択を誇りに思います」

「俺は、お前が憧れていいような男じゃ…………」

「扉越しだと、よく聞こえないですね」

「ッ!」


 何度言っても聞き入れようとしない愚かな後輩に怒りがこみ上げる。

 どうして分からないんだ。

 俺は咄嗟にドアノブに手をかけ、勢い良く開け放つ。


「だから俺はなァッ――――」

「痛ッ!?」

「………………あ?」


 鈍い衝撃が手に伝わると同時に、イリスの短い悲鳴が響く。

 扉の両側に立っていたのは、カミュとホーネスの姿。まさかホーネスまでいるとは思ってもおらず、俺は目を丸くする。

 そして、視界にイリスの姿が見えない。

 

「やっと、出てきましたね」


 イリスの声が、下から聞こえてくる。

 俺が恐る恐る視線を向けると、イリスは鼻を抑えながら尻餅をついていた。


「あ、ごめん」


 その状況を見て、俺は即座に自分が扉を開け放ったのが原因であると悟る。


「……別にいいですよ。それに、ようやく扉越しじゃなくなりましたね」


 イリスのその言葉に、俺はそう言えばと慌てて扉を閉めようとする。

 しかし、何故だか扉はびくともしない。


「クルードせーんぱいっ!」

「カ、ミュ?」


 扉を足で押さえつけ、動きを封じるカミュ。

 笑みを浮かべるその表情が、今は何故だか少し恐ろしい。


「女の子の愛の告白を受けて、先輩は何とも思わないんですか?」

「告白?」

「ちょっ、カミュ!?」


 カミュの言葉を聞き、俺は思わず首を傾げる。今のどのあたりが告白だというのだろうか。

 ふと横目でイリスを見れば、顔を真っ赤にして身体を震わせていた。


「違うってばッ! 私は別に、そういうんじゃ!」

「え~、ほんとうですか~?」

「カミュゥッ!」

「キャー! 嘘です冗談ですー!」


 相も変わらず姦しいやり取りを繰り広げる女子二人。

 そんな二人を眺めていると、横からホーネスが声をかけてくる。


「クルード様」

「あぁ、ホーネス」


 しばしの沈黙。

 あの日以来、顔を合わせてもいなかったのだ。

 ホーネスに心配をかけると分かっていながら、俺は自分可愛さに閉じこもった。

 そして、ホーネスはそんな俺に気を使ってか、一度も部屋を訪れなかった。


「ホーネス、ごめ――――」

「申し訳ございませんでしたッ!」

「……へ?」


 勢い良く頭を下げるホーネスの姿に、俺は呆気に取られて間抜けな声を漏らす。

 どうしてホーネスが謝る必要があるのか。


「お前に謝られることなんて、何も無いぞ」

「いえ。クルード様の苦しみに、気付かないフリをしておりました」

「……そんなこと、お前が気にすることじゃ」

「私は、常にクルード様のためを思って日々を生きております。雨の日も風の日も、私の想いはクルード様と共にあります」

「重ぇ……」


 流石にそこまでされては少し気持ち悪い。本人には言わないが、俺は心の中でそう呟いた。


「先日あの騎士に侮辱されて以来、クルード様と話すことを怖がっている自分がおりました。以前から才能に悩んでおられることを知っていたのに、私は今までその問題を見て見ぬフリをし、遠ざけてまいりました」

「ホーネス」

「本当は、一緒に悩むべきだったのに」


 悲嘆に声を震わせ、顔を伏せるホーネス。

 その姿を見て、俺は一体どのような言葉をかけるべきか。

 そこまで考えさせてしまった申し訳なさに、俺が口を開こうとしたその時。


「ごべんなざいぃぃぃ!」

 

 そう言いながら、ホーネスは涙でぐちゃぐちゃに濡らした顔を上げる。

 まさかそんな反応をされると思っていなかった俺は、動揺を隠すことなく口を開く。


「お、おいおい! そんなお前が泣かなくたって……」

「な、仲間どしてもうじわげないですぅ~」


 そして。ホーネスが吐いた言葉に、目を丸くする。


「仲間……」


 声に出して、改めて理解する。

 そうだ、ホーネスは確かに俺の大切な仲間だ。

 分かっていてなお、本当の意味でその言葉の真意を知らなかった。


 俺のために涙を流す。そんな馬鹿もいるのだということを。


「ホーネス先輩だけじゃないですよ!」


 俺が慌てて声の主に視線を向けると、そこには優しい表情で俺たちを見つめるカミュとイリスがいた。


「私たちだって、直属の後輩として、そしてクルード先輩に助けてもらった一人として。先輩を大切な仲間だと思っています!」

「そうですよ。先輩に救われた人間は私だけじゃない。そして――――先輩のことを信じているのもね」


 カミュとイリス、二人の言葉が胸の奥を静かに叩く。

 真っすぐに突き刺さる期待に、心が静かに揺れる。

 だが、何故だろう。

 信頼されること、期待されることがあれほど苦痛だったのに。


 今は、少し心地よい。


『本当の仲間から向けられる信頼の重みってのはな、意外と気持ちがいいもんだぜ?』


 ガレッソの言葉が、ふいに脳裏に蘇る。

 あの時は、誰が信頼できるのか分からないと思っていた。誰かから向けられる信頼や期待を、いつか裏切るのが怖いと。

 だが、もしかしたら。

 俺が怖かったのは、裏切られることでは無く。


「俺は、誰にも信じられなくなることが怖かったのか」


 口にして、その自分勝手さに自嘲的な笑みを浮かべる。

 どこまでも利己的で、私欲的な考えだ。

 一人で抱え込んで、勝手に道が分からなくなって。色んな人に迷惑や心配をかけて、最終的に同級生や後輩にそれを教わる。

 嗚呼、なんて恥ずかしい。


「そんなの、怖いに決まってます」


 ふいにイリスが口を開き、俺の前へと手を伸ばす。


「独りは寂しい。そこに、天才も凡人も無いんですよ。きっと」

「……そうかもな」

「私に先輩がいたように。先輩にも、ホーネス先輩やカミュ、私がいます。私たちは独りじゃないんです」


 そして、イリスは満面の笑顔を浮かべる。


「互いに信じ合える者たちを、人は仲間と呼ぶのでしょう」


 瞬間、俺の脳裏で何かが弾ける。暗闇が晴れるように、思考が澄み渡っていく。

 信頼や期待を、恐ろしいモノだと思っていた。

 向けられる称賛の花束が、悪意のナイフに切り替わることを恐れて。俺は心に蓋をしたんだ。

 でも、違ったのかもしれない。

 どれだけ落ちぶれても、俺のことを見捨てないでくれる。

 無条件の信頼を向けてくれる存在が、今の俺にとってどれほど助けになるのか。 

 ソレをこいつらは、きっと理解していない。


「ハハ」


 笑い声が溢れ出す。

 今度は乾いた笑いでも、自嘲的な笑みでもない。

 心の底から愉快な、こみ上げる喜びという感情の発露。


「ハハハッ! こんな俺を仲間だと思うなんて、お前らもとんだ馬鹿野郎どもだな!」

「あら。先輩だって、その一人でしょう?」

「クク、間違いねぇ」


 清々しい気分だ。

 未だトラウマを克服した訳でも無い。迫る御前試合に対して、何かしらの対抗策が浮かんだ訳でも無い。

 それでも、心に絡みつくくさびが一つ解け落ちた。それがどれだけ、俺の心の救いになったことだろう。

 だから。


「ありがとう」


 俺は、差し出されたイリスの手を取った。


「俺を、信じてくれて」


 もう一度信じさせてくれて、ありがとう。

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