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第31話 ひび割れる心

「……………………え?」


 掠れた声が喉から溢れ、私は慌てて口元を抑える。

 幸いなことに、彼らの耳には届いていないようだ。

 しかし、私の意識は完全に別のところにあった。


 きっと聞き間違いだ。もしかしたら私の早とちりで、全然関係ない人の話をしているだけかも。

 そんな私の淡い期待をかき消すように、彼らは淡々と言葉を紡いでいく。


「そう言うな。イリスはブーテン村の希望となるやもしれん逸材だ」

「だとしてもよ、俺からすれば異常者に変わりねぇさ。あんな薄気味悪い奴と同じ屋根の下なんて、怖くて夜も眠れねえ」

「だが、奴の才能は本物だ」


 急激に遠ざかっていく、師範との思い出の日々。

 優し気に微笑む表情。私のいたずらに驚きながら笑う姿。頭を撫でる、温かい掌。

 その全てが、壊れていく。崩れていく。

 私は、あなたを、本当の父親だと思って――――


「まぁ、高く売れりゃなんでもいいや」


 その時。師範が呟いた言葉に、私は耳を疑う。


「それで、本当なんだろうな? 隣国の騎士が、子供を高値で取引してくれるっつー話は」

「嘘偽りない真実だ。儂がなんのために、王国を裏切ってまで隣国に与すると思っておる?」


 豪華な衣装を身に纏った男は、いやらしい笑みを浮かべながら口を開く。

 その姿は、まるでおとぎ話に登場する悪魔の様であった。


「随分と野心に満ちた村長様だな」

「ほっほ。平気で義理の娘を売り飛ばそうとする貴様に言われたくは無いのぉ」

「あ? 娘?」


 村長の言葉に対し、師範は眉をひそめながら言葉を吐き捨てる。


「あんな化け物を娘だと思ったことなんて、一度たりとも無ェ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は全速力で走り去った。

 もう、何も聞きたくない。

 ひび割れた心を抱え、私は現実から目を逸らすようにその場を後にした。



「はぁ…………はぁ……ッ!」


 いやだ、いやだ、いやだ。

 認めない。

 何かの間違いだ。

 どんなに周りから孤立しても、あの人だけは私の味方でいてくれるって、そう信じていたのに。

 どうして、私はいつも人から突き放される?

 私はただ、みんなのために――――


「あッ!?」


 足が絡まり、私は顔から地面に倒れ込む。

 どれくらい走り続けたのだろう。

 疲労が足に溜まり、痺れてもう動かすこともままならない。

 否、もう動きたいとすら思わない。

 だって、私の居場所は何処にも無いのだから。


「ぐ……………………ッ!」


 私はやるせない気持ちを拳に込めて、地面に叩きつける。

 何度も、何度も。

 皮膚が破け、血が滲もうとも。決してその手を止めはしない。


「なんで……ッ! 私は…………ッ!?」


 痛みなんてもはや感じない。

 拳よりも、心が。ひび割れた心が軋みを上げている。

 一体、私が何をした。どうして私は、こんな目に遭い続けるのだろう。

 原因は、私にある。

 いや、もう私は分かっている。この世界に生まれ落ちて、他人から蔑まれ続ける訳。

 それは――――


「このッ、手が…………ッ!」


 憎い仇を見るように、私は自身の拳を睨みつける。

 そうだ。

 この、他人とは違う剣を振るうこの手が。特別だと言われた、この力が。


「才能ッ!? ふざけるな! 私はそんなの求めてないッ!」


 例え他人から傲慢だと言われようとも、私はこの才能を嫌悪する。

 信頼する仲間も得られず、愛する存在から裏切られ、何も周りには残っていない。

 天才が孤独だというのなら、私は喜んで才能を捨て去ろう。


「………………独りは、寂しいよ」


 視界が滲み、水滴が地面にこぼれ落ちる。

 生温かい涙が頬を伝う。

 こんなに苦しい思いをするために、神様は私にこの贈り物を授けたのだとしたら。


 私はきっと、天からも突き離されている。


 そして、神様はさらに残酷な贈り物を私に授けてくれたのだ。

 顔を伏せる私の耳に、何やら激しい音が聞こえてくる。

 地面から伝わる振動はやがて、どんどんその大きさを増していく。

 そして。


「……貴様は村の者か?」


 馬のいななきと共に、頭上から冷たい声が降り注ぐ。

 その声に顔を上げ、私は驚きに目を見開いた。


「なんだ、まだ子供ではないか」


 それは、鮮血に塗れた一人の騎士であった。

 黒い外套を身に纏い、全身から殺気を立ち昇らせながら、騎士は静かに私を見下ろしていた。

 その瞳は、およそ騎士が抱いていい感情では無い。

 暗く濁り切った瞳の奥に、ドロドロとした悪意が満ちている。


「……ひッ!」

「おっと、騒ぐなよ」


 初めて向けられる本物の殺気に、全身が硬直する。

 そして、騎士は私の首元に剣を突き出した。


「小娘。ここはブーテン村で相違ないか?」


 騎士の言葉に、私は恐る恐る頷く。


「おお、そうか! では、村長の元まで案内してもらおうか? なぁに、取引が終われば貴様を解放してやる」


 その言葉に、私は先程耳にした会話を思い出す。

 そして、全てを理解した。

 嗚呼。この人が隣国の騎士か、と。


「ふふ、ここまで来ればもう安心だろう」


 何やらブツブツと独り言を呟く騎士を見つめながら、私は静かに思いを馳せた。

 これが、騎士。

 道場の門下生たちが目指す、目標地点。


 こんなものが?


 師範に読み聞かせしてもらったおとぎ話では、騎士とは困っている人々を助ける正義の味方ではなかったか。

 では、今目の前にいるコイツはなんだ?

 子供に剣を向け、野心に目をギラつかせる男が、みなが憧れる騎士だと?


 笑わせる。

 私が特別扱いされてきた才能の行き着く先が、これか。

 何が天才だ。何が特別だ。何が強さだ。

 その全てに、意味は無かった。


「ハハ」


 乾いた笑いが口から漏れる。

 どうしようもない現実に、呆れて言葉も出ない。

 嗚呼、もういいや。


「……なんの真似だ?」


 私はゆっくり立ち上がり、静かに目を閉じた。

 そして。


「騎士なんて、クソ喰らえッ!」


 そう吐き捨て、思いっきり騎士の顔面を殴り飛ばす。

 元から騎士などに興味は無かった。

 辺境の村に騎士はいない。それでも周りの人間は騎士を目指すから、私も置いてかれまいと頑張ってきた。

 それも、ここでおしまい。


「なっ!このクソガキッ!」


 突然顔を殴られた騎士は怒りに顔を歪め、剣を振り上げる。

 どうせ一人ぼっちの人生なら、私は喜んで死を選ぶ。


 近づいてくる刃の気配を感じながら、私はただ立ち尽くす。

 そして、騎士が振るった剣が私の頭部を斬り裂く――――


「あっぶねぇッ!」


 その直前。

 甲高い金蔵音と共に、若い男性の声が鼓膜を震わせる。

 遠ざかる刃の気配に疑問を抱きながら、私は静かに目を見開いた。

 金髪碧眼の、うら若き青年。自分と大して年も離れていないにもかかわらず、騎士の格好をした彼は――――


「大丈夫か!? 怪我は!?」


 突如、私の前に姿を現したのだ。

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