第30話 特別な少女
キャメロン王国最南端、ブーテン村。
隣国との国境付近に位置する村であり、人口は数十人ほど。
あまりにも田舎すぎるその立地から、その村の名前を知る国民は王都でも僅かである。
そんな辺境の地にて、一人の少女が拾われた。
両親不明、出身不明。
名はイリス。「IRIS」と書き残された手紙を見て、村人たちは彼女をそう名付けた。
かくして少女は、ブーテン村のイリスとして生きていくこととなった。
村人たちは考える。
イリスを拾ったはいいモノの、一体どのようにして誰が育てていくのか。
決して裕福とは言い難い環境の中で、どこの子とも知らない少女を養っていく余裕は無い。
村人たちは協議を重ね、結果としてイリスは村の小さな道場で育てられることとなった。
それが、全ての始まり。
☨ ☨ ☨
身体が大きくなるにつれて、私は徐々に周りの人間とは違うことに気付くようになった。
初めは負けっぱなしだった道場の門下生たちにも、苦戦することなく勝利する。
他のみんなが苦労することを、私は何故か一瞬で出来るようになってしまう。
そしていつしか、剣を振るうことに関して門下生の中で私の右に出る者はいなくなった。
それでも、私は剣を磨き続ける。
道場だけが、捨て子である私の唯一の居場所だったから。だから、仲間たちに見捨てられないよう必死に努力した。
強ければ、私の存在を認めてくれると。そう思っていた。
「くっ!」
目の前で、悔しげに顔を歪める少年。
その姿を視界の端に入れながら、私はゆっくりと周りを見渡していく。
「次」
ざわざわと騒ぐ門下生たちに対し、私は冷静に言葉を紡ぐ。
「誰でもいいですよ」
「……ねぇ、イリスさん」
門下生の中で最年長である女性が、恐る恐る口を開く。
私がその人に対し視線を向けると、彼女はビクリと肩を震わせる。
「何ですか?」
「あの、少し熱が入り過ぎじゃないかしら?」
彼女の語る内容に、私は思わず首を傾げる。
「だめ、なんですか?」
「駄目じゃないけれど、ほら、イリスさんは他の人より強いんだから手加減してあげないと」
「手加減」
おかしなことを言う人だ。
私は彼女の言葉に対し、そんな考えを頭に浮かべる。
剣を学ぶ道場で、一生懸命やらずにどうするというのだろう。
「私が手加減するよりも、皆さんが強くなればいいのでは?」
「なっ!?」
私の言葉に、他の門下生たちが騒ぎ始める。しかし、私はそんな様子を見ても動じない。
何か間違ったことを言っているだろうか。
いや、事実そうだろう。
悔しいならば、人よりも努力すればいいだけのこと。
「……わかったわ」
「そうですか。では――――」
「あなたがいると、道場の雰囲気が悪くなるわ。申し訳ないけれど、出ていってもらえる?」
その言葉に、私は驚きに目を見開く。
「どうして?」
「私たちとあなたは、住む世界が違うの」
「私はただ、本気で――――」
本気で、門下生の仲間たちと切磋琢磨したいだけなのに。
私の居場所はここにしかない。
だから必死で努力して、少しでも皆と打ち解けたかっただけなのに。
なんで、どうして。
「うるさいな」
そんな私の葛藤を知ることなく、冷たい言葉が私の鼓膜を震わせる。
「お前がいるとこっちが萎えるんだよ」
「捨て子がイキッてんじゃねぇ!」
「空気読んで」
視線の先には、冷めた表情を浮かべる門下生たち。
その瞳に映る感情は、強い拒絶。
私という異物を許さない、忌避間の表れであった。
「あのさぁ」
そして柑橘色の髪の毛をなびかせながら、一人の少女が侮蔑の笑みを浮かべながら口を開く。
「みんな、あんたみたいな疫病神と一緒に稽古したくないの」
一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
「疫病神……?」
「そ。あんたが来てからさ、道場の門下生が少なくなってるのに気づかないわけ?」
そう言われて、私は改めて門下生たちの顔を見渡していく。
確かに、初めてこの道場に来た時よりも門下生の数は減っていた。その中には、以前まで私に稽古をつけてくれた先輩たちの姿は無い。
「あんたさ、呪われてんじゃないの? だから捨てられたんでしょ!」
「こんな田舎にしては異常な強さだと思ってたけど、それなら納得だよね~」
「人の才能を奪う疫病神だー! キャ~!」
好き勝手言いながら、クスクスと笑う彼女たち。いや、彼女たちだけではない。
その場にいる門下生全員が、好奇の目で私を見つめている。
侮蔑、嫉妬、嘲笑。
様々な思いが込められた視線を前に、私はただ呆然と立ち尽くす。
「ほら、疫病神! かーえーれ!」
誰かが放った言葉に、他の人たちも続けて口を開く。
「かーえーれっ!」
「かーえーれっ!」
「かーえーれっ!」
「かーえーれっ!」
「かーえーれっ!」
大合唱に包まれながら、私はただ静かにその光景を見つめる。
お前は間違っていると、自分の存在を否定されていく。
この日以来、私は疫病神と呼ばれるようになった。他人の才能を奪う、呪われた捨て子であると。
それが、私の居場所が失われた思い出の記憶。その始まり。
☨
「はい、それではこれで本日の稽古を終わりにします」
「ありがとうございました!」
「ありざーしたー」
「ざっす」
和気あいあいとした明るい雰囲気が広がる道場にて、師範のかけ声と共に稽古は終わりを迎える。
門下生たちは思い思いに返事を口にしながら、近くの友人たちと軽口をたたき合う。
そんな中、私は一人静かに立ち尽くしていた。
「おい」
後頭部に、べちゃりと何かが当たる感触。
生臭い雑巾が私の頭にぶつかり、水を滴らせながら床に落ちていく。
声が聞こえた方向へ視線を向ければ、クスクスと笑い合う女の子数人。
「あんた、私の代わりに床拭いといてよ」
「……なんで私が」
「はぁ? 疫病神が道場に住まわせてもらっておいて、何か文句でもあるわけ?」
集団の先頭に立つ少女が、苛ついた口調でこちらに語りかける。
同じ門下生仲間である彼女に対し、私は心の中でため息をつきながら口を開く。
「今日はあなたが掃除当番でしょう、フラン」
「だから代わりにやっといてって言ってんじゃん。いいでしょう? あなた、今日の稽古だってお上手でしたものねぇ?」
私の言葉に対し、フランは特に悪びれる様子もなく笑みを浮かべる。
むしろフランは、嫌味を込めて言葉を吐く。
嫉妬に塗り固められたその言葉を、私はこれまで幾度となく聞いてきた。
「流石、天才は違うわよね~」
「ほんと、羨ましいわぁ」
「だったらせめて、このくらいの苦労はしてほしいよね!」
彼女らはそう言って、声高らかに笑い合った。
その様を見て、私は心の中で静かに侮蔑の言葉を吐く。
身寄りのない捨て子の私が、道場で大きな顔をしていることがそんなに許せないか。
それでいて、幼稚な仕返ししか出来ないような卑怯者。
可哀想な人たち。
私は、そんな彼女たちのことを内心見下していたのだ。
「……チッ」
そんな私の考えを察したのか、フランは舌打ちをしながら踵を返し去っていく。
フランの後を追う他の門下生の背中を見つめながら、私は床に落ちた雑巾を手に取った。
仕方ない、やるか。
こうして私は、皆が帰った道場を一人で掃除する。
別にフランたちのためじゃない。この道場に住まわせてもらっている者の礼儀として。
「おお、イリス」
そして。
「どうして君が? 今日はフランが掃除当番のはずだろう」
白髪の混じった髪を緩く後ろで束ね、眼鏡をかけた初老の男性。
道場の師範であるその男は、柔和な笑みを携えながら優しく私に問いかけた。
「いえ、私が変わって欲しいと言ったんですよ」
その問いに、私は微笑みながら静かに答える。
私が、嫌がらせにも耐えることが出来る理由。
全ては、捨て子だった私を育ててくれたこの人に報いるため。そのためならば、私はどんな罵倒だって耐えられる。
「そうかそうか! イリスは優しいなぁ!」
そう言って私の頭を撫でる師範の手は大きくて、温かな人間味を感じる。
他の誰とも違う、優しい言葉。
目尻に皺を寄せる彼の笑い方が、私はいつも好きだった。
「……イリス。何か、他の子たちから意地悪とかされてないか?」
師範の言葉に、私の胸がドキリと高鳴る。
「……いえ、何も」
「嘘はやめてくれ。俺たちの間に、そんな遠慮は必要ない」
言いよどむ私に対し、師範は少し膝を曲げながら視線を合わせてくれた。
「俺たちは血は繋がっていなくとも――――親子だろう?」
にこりと笑う彼の笑顔に、私は心の奥がじんわりと温かくなっていく。
徐々に緩くなる涙腺を必死に抑える私の姿を見て、師範は笑いながら再び頭に手を置いた。
「ははは! そんなに嬉しかったか?」
「…………はい」
こぼれる涙を指で拭いながら、私は静かに頷いた。
やはり、この村で私のことを人として見てくれるのは師範だけだ。
私は心の中で、彼のことを父のように思っていた。
「……師範」
「ん? どうした?」
「どうして、私は他の人と違うの?」
そして、私はポツリと呟いた。
それは今まで幾度となく言われながらも、ずっと気にしていなかった部分。
だが、心の奥底では実感していた。
私は、他の人とは少し違う。
門下生は皆、影で私のことを疫病神と呼んでいることは知っている。
私と剣を交わした者は、その才能を奪われるのだと。
だが、私にその実感は無い。
門下生の先輩と剣を交わすたびに、私は新たな学びを得る。
少しずつ、剣が自分のものになっていく感覚。それを追求するために、私はただひらすら剣を振るう。
私にはそれしか無いから。
そして、剣を振るっている時だけは嫌な気持ちを忘れられるから。
「……それはね、イリス」
私の不安げな表情を見て、師範は小さく呟いた。
「君が、特別だからだよ」
「とく、べつ?」
「そうさ! 君は他には無い才能を持っている! それは素晴らしいことなんだよ?」
そう言って、師範は再び私の頭を撫でる。
それが心地よくて、私は静かに目を閉じた。
「だから大丈夫。君は強い」
その言葉は、私に勇気をくれる魔法の言葉。
いつだって、前を向かせてくれる。
「……はい!」
そこに含まれた、本当の意味を知るまでは。
☨
「ふんふーん」
私は鼻歌を歌いながら、野菜を手に道場へと向かっていた。
師範におつかいを頼まれ、村にある店へと買い物に行った後の帰り道。
機嫌よく道を歩く私の脳裏には、昼間に言われた言葉が巡っていた。
私は特別。私は強い。
「ふんふふーん」
師範に褒められた喜びが止まらない。
私はスキップしながら早く師範の元へ帰ろうとした。
しかし。
「…………あれ」
気が付けば、私は知らない場所に出ていた。
村の中心部よりかなりはなれた、郊外の敷地。
視線の先には、村にしては珍しい立派なお屋敷が一軒建っている。
どうやら迷子になってしまったらしい。
調子に乗って鼻歌を歌ってスキップしながら帰るからこうなるのだ。
私は恥ずかしさで顔が赤くなる。
周りからは疫病神だの特別だの、天才だの呼ばれている私だが、実際のところはダメダメだらけであった。
もっとも、こんな部分を知っているほど親しい仲の人は、この村には存在しないのだが。
そんな風に自虐的なことを考えている私の視線の先に。
「……あれ?」
見慣れた姿の男性が一人。
師範と思わしき初老の男が、立派な屋敷の前に立っている。
どうしてこんなところに?
そう思っていると、屋敷の扉が開かれ中から豪華な服装の男性が姿を現した。
師範とその男性は、何やら親し気に会話を繰り広げている。しかし、この距離では何を話しているのか聞こえやしない。
その時、私は思いついてしまった。
「驚かしちゃお~」
そう呟きながら、私は静かに足を踏み出した。
私は昔から、足音を消すのは得意だったのだ。気配を消して師範を驚かせたこともこれまで幾度となくあった。
だから。今回も師範を驚かせようと、そう思い私はゆっくりと二人に近付いていく。
どんな風に驚いてくれるだろうか。
師範の反応を想像しながら、私は誰にも気づかれること無くすぐそばまで近づくことに成功した。
そして、聞き耳を立てる。
「――リ――――――だ」
「あ――――――ね――よ」
断片的に聞こえるものの、まだ微かに聞こえない。
もう少し。もうちょっと近くで――――
「そうか。順調のようだな」
「ったく、こっちの身にもなってくれってんだ」
ようやく聞こえてきた声に、私は師範の声だと目を輝かせる。
しかし、その言葉遣いはどこかいつもと違うようで。
私はゆっくりと、二人の会話に耳を澄ました。
「どうして俺が、あんな異常者のお守りをしなきゃならねェんだよ?」
聞いてはならない、知ってはならない真実。
私の心の中で、何かが壊れる音がした。




