第22話 凡愚と疫病神
「お、面白かったですね……!」
第一声、カミュの明るい声が劇場前に響き渡る。
しかし、周りの人々はそんな声に見向きすらしない。
何故なら他の観客もまた、同じく感動に胸を高鳴らせていたのだから。
「……えぇ」
「あ、あぁ。そうだな」
そんな様子のカミュに対し、俺とイリスは何とも言えない表情を浮かべながら同意の言葉を吐いた。
演劇が面白かったという事実は否定しようも無い。
しかし、最後の光景だけは手放しで賞賛することは出来なかった。
憎い旧敵とはいえ、一方的に相手を嬲る様子を歓喜する客たち。
あれは、少なくとも俺にとっては不快そのものだ。
「ホーネス先輩は、楽しめましたか……?」
そんな俺の思いを知る由もないカミュは、恐る恐る隣に立つホーネスに話しかけた。
その問いかけに対し、ホーネスは。
「ええ、とても」
貼り付けたような笑みで、小さく頷いた。
違和感。
いつもとは少し違うホーネスの表情に、俺はえも言われぬ不安感を覚える。
「おい、ホーネ――――」
俺が何気なく、ホーネスに声をかけようとしたその時。
「あれぇ。そこにいるのは、あの英雄クルード君じゃないか!」
奴は現れた。
ゾクリと全身の毛が逆立つ。この気配、この声、この話し方。
俺はゆっくりと振り返り、声の主に視線を向ける。
「あぁやっぱり! 久しいねぇ、元気にしてたかい?」
その男は、まるで友に話しかけるかのように気さくに笑いかけていた。
だが、瞳の奥に宿る感情は親しい人物に向けるものでは無い。
嘲笑、憐れみ、侮蔑。濁り切った、悪意の視線。
「お…………まえ、は」
心臓が早鐘を打つ。
何故ここにコイツがいる。
どうして、どうして今日なんだ。
皆がいる前で、俺の前に姿を現して、コイツは一体、なんで。
「ウィン、リー」
「覚えててくれて嬉しいよ! そうさ、君の親友ウィンリーだ! ……なぁ、そうだろ?」
蛇のようにこちらを覗き込む視線に、息が詰まる。
呼吸が、思うように出来ない。
「え。あそこにいるのって七雄騎将のクルードじゃない!?」
「あ? うわ、マジやん!」
ウィンリーのわざと視線を集める声に、周りの注目が一斉に集まる。
ざわめく観衆たちの声。そしてポツリポツリと呟かれる、言葉の暴力。
「クルードってあれだろ? 少し前に、七雄騎将でも無い騎士に負けたっていう」
「でも、たまたま調子悪かったんじゃ無いの?」
「いやぁ俺も見た事ないんだけどよ、噂じゃあボロ負けしたって噂だぜ?」
「えーそうなの!? じゃあ、あの噂も本当だったのかな」
無慈悲に吐かれる声は
「お兄さんのコネで入った、落ちこぼれって話」
俺の心を粉々に破壊する。
「あーあー。怖いねぇ、遠慮を知らない国民ってのも。まぁそれもこれも、君に才能が無いのが悪いんだけど、さ」
「貴様……ッ!」
ウィンリーの言葉が追い打ちをかけるように、俺の鼓膜を突き破る。
怒りの声を上げるホーネスの表情も、今は視界に入らない。
聞きたくなくても聞こえてしまう、見たくなくても見えてしまう。
失望の感情が、数多の刃と化す。
「まだ、無様にしがみついてるのかい? いい加減諦めなよ。以前も言ったけど、君は七雄騎将にふさわしくな――――」
「あなたに何がわかるんですか?」
その時、ウィンリーの言葉を遮る声が静かに響く。
ふと顔をあげれば、あれだけ向けられていた視線は何も見えず。
あるのはただ一つ、小さくとも大きな背中のみ。
「イリ、ス」
かすれた声が喉を突いて出る。
俺の前に、イリスが立っているこの状況。その意味が俺には理解できなかった。
何故、こいつが前に出るんだ。
そんな俺の疑問に答えることも無く、イリスは毅然とした声でウィンリーに問いかける。
「あなたは一体、クルードという人物の何を知ってるんですか?」
「……誰だい? 君?」
「いいから答えてください」
鋭く睨みつけるウィンリーの視線に怯むことなく、イリスは気丈な態度で口を開く。
その姿にウィンリーは小さく舌打ちする。
そして、嘲りの笑みを浮かべながら言葉を吐いた。
「何を知ってるか、だって? ハッ、僕にはわかるさ。その男はたまたま七雄騎将に選ばれただけの、凡愚に過ぎないってねぇ!」
悪意に歪む表情。
ウィンリーが吐く言葉の内容は、全て心の底からの本音であった。
この男は本気でそう思っているのだと、聞く者に理解させる熱意が込められている。
再び騒ぎ出す観衆たち。そんな中で――――
「くだらない」
イリスは、一人静かに口を開いた。
「…………何?」
イリスの言葉に疑問を抱いたのは、ウィンリーだけではない。
俺もまた、イリスの言葉の真意を理解出来ないでいた。
「誰も彼も、口を開けば才能才能。そんなに天才って偉いんですか?」
「フフッ、君にはわからないのかな。天才とは、世界中のあらゆる分野において、頂点に君臨する資格を持った存在のこ――――」
「それなら、随分とわかりやすい世の中ですね」
「……ハア?」
ウィンリーは再び自分の言葉を遮られたことに苛立ちを覚え、イリスを強く睨みつける。
何を言ってるんだという、明確な疑いの目。
そんな視線を意に介さず、イリスは当然のように口を開いた。
「そんな世界なら、一番になるのはこの私です」
それはまさに、傲慢そのもの。
イリスはただ静かに佇みながら、言葉を発しただけ。それなのに、周りの人々は誰も口を開けずにいた。
立ち昇る風格が、醸し出される片鱗が、彼女を否定することを許さない。
自分は天才であると、惜しげもなく口にする。
その言葉に口を挟むことが出来る人間など、一種類しか存在しない。
「へぇ? なんだ、君もこっち側だったのか」
まるで蛇のように、ウィンリーはニヤリと笑う。
鋭い眼光は、誰かを馬鹿にするようなモノでは無い。
獲物を、敵を狙うが如く、その瞳は冷静にイリスを貫いていた。
「そこの彼と違って、君はそこそこに期待できそうだ。どうだい? 学院なんかやめて、ウチの騎士団に来ないか?」
二人は対照的であると同時に、最も近しい存在であった。
才能という、抽象的な概念を持った二人。
その後ろ姿は、凡人の瞳には眩しすぎて目が焼けてしまいそうになる。
嗚呼、やはりそうだったのか。
俺とこいつは、こいつらはやっぱり違――――
「疫病神ッ!?」
その言葉は、まったく知ることの無い第三者によってもたらされた。
「…………あなたは」
瞬間、微かに震えるイリスの後ろ姿。
ゆっくりと呟かれた言葉も、僅かに震えている。
それはまるで、何かに怯えているような。
「ちょっと、ウィンリー様! なんで、こんな疫病神なんかと話してるんですか?」
高慢ちきな態度を隠すことなく、ウィンリーの後方から現れたその女は。
イリスを疫病神と呼びながら、憎悪に顔を歪めていた。




