第15話 キャバリスの白鬼
「はぁっ……、はぁ……っ!」
息も絶え絶えになりながら、俺はその場でひっくり返った。
背中越しに伝わる冷たい地面の感覚。
しかし、そんなことはどうだっていい。
むしろ火照った身体を冷ましてくれて、こちらとしてはとてもありがたい。
「ハァ……なんだルー坊、随分と、疲れて……ハァ、るじゃねえか…………」
「あんたに言われたくねえよ!」
俺の横で同じように息を切らし、膝に手をついたガレッソの言葉に言い返す。
あの死の逃走劇から、小一時間が経過していた。
必死に逃げ回っていたせいだろうか。
気が付けば辺りはすっかり暗くなり、星空の輝きが静かに俺たちを照らしていた。
涼しい夜風が、全身を優しく冷ましてくれる。
「ここまで逃げてくれば、もう追いかけてこないだろ」
そう言ってガレッソはゆっくり辺りを見渡した。
ここは、聖キャバリス学院の屋上。
普段は生徒の立ち入りを禁止しているが、ガレッソがその鍵をこじ開けたのだ。
教師権限の乱用である。
学院は今すぐ、この男から教員の資格をはく奪した方が良い。
「まったく、誰のせいだと……」
「ガハハ! いや、すまん」
悪びれる様子もなく、あっけらかんと言葉を放つガレッソ。
どこまでも適当な発言に、もはや怒りも湧いてこない。
俺は呆れた表情を浮かべ、再び空を見上げた。
「しかしあれだな、ルー坊は相変わらず目の敵にされてるんだなぁ」
「別に、いつものことだろ」
ガレッソの言葉に、俺は大して気にしていないと手を振った。
もう慣れてしまったしな。今さらどうこう言っても仕方ない。
「あの人も悪い人じゃないんだが、どうも言い方がなぁ」
「まぁ元を辿れば、悪いのは俺だってわかってるし。甘んじて受け入れるさ」
「ガハハッ! そのトラブル体質、俺は嫌いじゃねえぞ!」
「勝手なこと言いやがって……」
いつもの如く豪快に笑い飛ばすガレッソの姿に対し、俺は呆れた視線を向ける。
この人は他の先生と毛色が違う。いや、違いすぎるのだ。
普通の大人だったら怒るところを、ガレッソは笑って受け入れる。
まぁだからこそ、俺は密かに心の中で、この人が担任で良かったと思っていた。
絶対に本人には言わないがな。
「それで、どうした?」
「…………なにが?」
ふと、ガレッソは神妙な面持ちでこちらに話しかけてきた。
しかし何のことを言っているのか分からず、俺は静かに首を傾げる。
「今度は何で悩んでるんだ?」
「……なんのことだよ」
「とぼけなくていい! 俺とお前の仲だろう?」
「まだ出会って二年と少しの癖に……」
「ガハハッ! まぁ固いこと言うなって」
相変わらず適当だな、このおっさん。
その変わらなさに、俺はためいきをついた。
俺が聖キャバリス学院に入学した時からそうだ。担任になった男性から突然、何か悩みはないかと聞かれた時は随分と驚いた。
この人はそうやっていつも、唐突に声をかけてくる。
しかも厄介な点が――――
「お前が問題を起こす時は、大体何かに悩まされてる……だろ?」
ガレッソの指摘は、いつも的を射てくる。
それが何故だか、無性に腹立たしい。
「あんたには理解できねぇよ」
「そんなの、聴いてみなきゃわからんだろ?」
「……いいや。少なくとも、あんたにはわからない」
そう、わかるはずが無い。
俺の心の底に、どれほどの醜い感情が蠢いているか。
その人種を目にしただけで、吐き気と嫌悪感が全身を駆け巡る。眩い輝きに照らされて、骨の髄まで焼かれてしまいそうになる衝動を。
「非友好国出身でなければ七雄騎将に選ばれるだろう――あんたには」
天才と呼ばれる人種の一人であるガレッソに、理解されてたまるものか。
「なるほどなぁ。お前の悩みの根源は、ソレか」
「うるせえ、ほっとけよ」
「昨年の御前試合。それがお前のトラウマになってんだな」
「……ッ! うるせぇっつってんだろうがッ!」
駄目だ、抑えろ。
感情的になってどうする。
頭では、理性ではわかっている。それでも、一度口をついて出てしまった言葉の濁流は、その勢いを緩めてはくれない。
「青臭ぇ悩みだって笑うか!? あの一回の試合で、こんなにダメになる俺は英雄失格だって! そうだよ、俺は英雄失格さ! 兄貴の代わりに七雄騎将に選ばれて、期待された結果がこれだもんな! あぁ、そもそも最初から俺に期待してた奴なんて――――」
「ルー坊」
激しく流れる川のように、想いの奔流が垂れ流される。
その言葉を遮ったのは、優しく口を開いたガレッソであった。
「俺は笑わんぞ」
「……ごめん」
ガレッソの言葉に、俺はようやく冷静さを取り戻す。
そして、あまりの恥ずかしさに顔を伏せる
醜態をさらけ出す、自分の浅ましさに反吐が出る。
この人は、俺の悩みを笑う人じゃないと理解していたのに。俺はこの人の在り方まで侮辱してしまった。
こんな青二才が英雄だなんて、とんだ笑い話だ。
「ま、ごちゃごちゃ言っても俺の言葉はお前に通じないだろ」
俺が自虐的な笑みを浮かべると、ガレッソは困ったように頬をかいた。
そして、ふと思いついたように口を開く。
「言葉じゃなくて剣で語る。俺たちには、こっちの方が性に合ってるよな?」
「……は?」
ガレッソの唐突に発せられた言葉に、俺は驚いて顔を上げる。
それは一体どういう意味か。
そう思っていると、目の前でガレッソは静かに腰の木剣を抜き取った。
まさか。
「幸いなことに、ここは誰にも見られないからな」
俺の嫌な予感が、みるみる警報を鳴らしていく。
まさか、本当にやる気なのか?
呆然と口を開けてその光景を見つめる俺に対し、ガレッソは豪快に笑いながら告げる。
「さぁ、やろうや。大人と子供の、意地のぶつかり合いだ」
俺にはこの学院で、絶対に敵わないと思っている人たちがいる。
その一人が、俺の兄貴。元七雄騎将のエレガスだ。
そして。
「…………マジかよ」
口角を震わせながら、俺は苦笑いを浮かべる。
学院最強の剣士の一人。キャバリスの白鬼と謳われる、伝説の老兵。
そんな強者が今、俺に牙を剥いていた。




