第41話 捨てた甘さ、得た強さ
肌が粟立つ感覚を覚え、思わずイリスは後方を振り返った。
「何、今の?」
もう遠くまで来てしまったせいで、コバニと騎士団長二人の対決を目にすることはできない。
だが、何かが起きたという事だけは感覚的に理解できた。
「振り返るな。奴が引き付けている間に、僕たちは王城へと侵入するぞ」
「わかってるけど、でも!」
「腹立たしいことだが、奴がそこにいる以上は誰もが奴を注視するだろう。この好機を逃す訳にはいかない」
そう言いながらも、ウィンリーの表情は激しい苛立ちに歪んでいた。
「……くそ。やはり奴も、至っていたか」
それは対抗心か、はたまたプライドを刺激されたが故か。天技へと至った者同士、どうしても意識せざるを得なかった。
クルードとは異なる、別種の敵対視。ウィンリーにとって、コバニの在り方は己とよく似ていたのだから。
☨
「………………が、ごほッ」
地面に大の字に倒れ込み、喉に絡まった血痰を咳き込みながら。ベローは何が起こったのかを冷静に分析する。
「ベロー殿ッ!」
遥か前方から名前を呼ぶアレスの存在を認識することで、自分が大きく吹き飛ばされたことを理解する。
だが、理解できても脳がその現実を拒んでいた。
この巨躯を、あのような小柄な肉体が吹き飛ばす。それはあり得ないことだ。天地がひっくり返っても実現することなど不可能だ。
そう思うと同時に、ベローの脳裏にはある可能性が浮かんでいた。
不可能を可能にする原理。その力を、ベローは知っていた。
「……まさか、在り得ぬ」
否定を口にするも、それ以外に考えようがない。
奴は、奴が放った力の正体。それは。
「天技、だと……!?」
驚愕と屈辱に歪むベローの表情。
腹の底から沸き立つ複雑な感情を抱くのは、ベローだけでは無かった。
「……そうか」
アレスの口から低く呟かれた声色には、数多の感情が込められている。
嫉妬、羨望、そして驚愕。
今しがた放たれた一撃の正体は、そこらの一反乱分子が持っていていい才能では無い。天技とは、並の人間では到達できぬ境地なのだから。
「……何故、とは尋ねません」
アレスは既に答えを導き出していた。
天技を使える人間は、記憶の中でも数えられるほど。ならばその正体も自ずと判明する。
「七雄騎将から除籍された恨みか、はたまたその他の理由があるのか。一騎士である私には考えも及びません。ですが、私は貴方を止めねばならない」
どうして黒装束のフリをしているのか。何故このような暴挙に出たのか。疑問が尽きることは無い。
しかし、アレスはそこに思考を裂いている余裕は無いと判断した。
止めると決めたなら、腹を括らねば勝てないのだから。
「来なさい。若き英雄よ」
剣を携え、挑発的な発言をするアレス。
「…………悪いけど」
しかし、次に放った一言はアレスの思考を停止させるに十分な内容であった。
「もう、君たちに興味は無いんだ」
さも当然のように、淡々と言葉を放つコバニ。その姿はまさに傲慢の化身そのものであった。
「ボクが待っているのは、君たちじゃない」
「……思い上がりも甚だしいぞ」
僅かに怒りを滲ませながら、アレスは強く剣を握り締める。
「もう貴方は、七雄騎将では無いのだ。我々は殺す気で止めようとするだろう。貴方にそこまでの余裕は無いはずだが?」
「余裕?」
アレスの発言に、コバニは装束の中で微かに笑みを漏らす。
「余裕は無いよ。君たちの強さは、さっきまでで良く思い知らされた。気を抜けばボクはやられてしまうだろう」
そう言って、コバニは罅の入った剣を掲げる。
「だから、ボクはもう油断しない」
そう言って、優し気な口調と共にコバニは一歩踏み出した。
――――それは突然の嵐だった。
「くッ!?」
気が付けば、アレスの眼前に小さな影が立っていた。驚きのまま咄嗟に剣を振るうも、次の瞬間には視界から姿を消すコバニ。
「出し惜しみはしない」
「このッ!」
後方から放たれた言葉に返事する間もなく、アレスは勢い良く剣を後ろに振るう。しかし既にコバニの姿はそこになく、刃は無情にも風を斬るのみであった。
「ボクの役目はここで注目を集めること。ムカつくけど、計画の為には仕方ない」
そう言い放つコバニの姿に、息切れる気配は無い。
「次の闘いに備えて、ボクは準備させてもらう」
どこまでも傲慢な発言。だが、その言葉とは裏腹に隙が無い。余裕、甘さ。それら全てはとうに捨て去ったのだから。
得た強さは、全てただ一つの目的の為に。
もう二兎を追う者はどこにもいない。冷静な強者はただひたすらに牙を研ぐ。いずれ来る機会に備えて。
☨
「ここからは短期決戦だ」
遂に辿り着いた橋の手前で、ウィンリーは短く息を整える。
上級街から王城に繋がる石橋の上には誰もおらず、その全てが出払った、もしくは城内で待機しているのだろうと悟る。
「僕が先陣を切り、城内にいる奴らの注意を引く。君は混乱に乗じて城内に侵入しろ」
「そして一階最奥に位置する聖堂に行き、人質を解放するのね」
先程身ぐるみを剥いだ騎士の鎧に身を包んだイリスは、待ってましたと言わんばかりにフンスと鼻を鳴らす。
「あぁ。キャバリス学院の長ガレイン。彼を解放すれば、この馬鹿げた革命も終わりだ」
「……本当に、終わるのよね?」
「知らん。だが、君は気付いているか?」
「何を?」
ウィンリーの放った疑問に、イリスはこてんと首を傾げる。
「今まで出会った騎士の中に、院立騎士団の鎧を身につけた者は一人としていない」
「……あっ」
「どれも貴公騎士団と親衛騎士団のみ。あの目立つ黒い鎧などどこにも見当たらない。ということは、だ」
そしてウィンリーは、限りなく可能性の高い推測を口にする。
「この城内で何かが起こっていると見て間違いない。恐らくは、王家派閥と聖陽院派閥の激しい政争がな」
「……同士討ちってこと?」
「抜かせ。奴らに仲間意識など無い」
そう吐き捨てながら、ウィンリーは剣柄に手を置きながらゆっくりと立ち上がる。
「あるのはただ、どちらが王国の舵を取るのかという支配権の奪い合いだ」
城門へと無造作に歩いていくウィンリーの背中をイリスは慌てて追いかける。誰もいない石橋を歩く二人の足音が、カツカツと響き渡る。しかし、誰も反応などしない。
やがて、ウィンリーは遂に城門前に辿り着いた。
「いいか。まずは僕が中に入って様子を見る。君は様子を覗き見ながら、隙を見て中に入れ」
「……わかったわ」
緊張した声色のイリスに対し、ウィンリーは鼻を鳴らしながら視線を切る。
そしてゆっくりと城門に両手を伸ばし、静かに押し開けていく。ギギギ、という軋んだ音が鳴り響き、ウィンリーの視界に城内の景色が飛び込んでくる。
そこには数多の騎士が隊列を為し、突然の侵入者に驚きの表情を浮かべる光景が――――
「……………………どういうことだ?」
一切なく、そこにあったのは広々とした空間と雄大な柱の数々、そして中央に君臨する大階段のみであった。
階段の両脇には奥に続く道があり、恐らくはそこが聖堂に繋がっているのだろうと推測できる。
だからこそ、この異様な光景には違和感を覚える。これだけの要所に誰も人を配置しないなどあり得るだろうか?
「……肩透かし、か」
騎士の大群が待ち構えていると踏んでいたウィンリーにとって、何も無いなど想定外にも程がある。
僅かに落胆しつつも、警戒を怠ってはならないと自らを戒め、ウィンリーは慎重に足を踏み出した。
「ふん」
それは本能が鳴らした警鐘だった。
呆れた声色にバッと視線を上げるウィンリー。その視線の先は、中央に君臨する大階段。
そこから降り注ぐ、冷ややかな視線が二つ。
「呆れたものだ。まさか、本当に侵入を許すとはな」
「まぁまぁ。相手はただの侵入者じゃ無いからね。普通の騎士たちには荷が重いだろうさ」
「ほざけ。ガキに手間取る輩など、とっとと騎士を辞めてしまえばいいものを」
その瞬間、ウィンリーは思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。これならば騎士の大群の方が百倍マシだ、と。そんな考えと共に、剣柄を強く握りしめる。
「だが、一番腹立たしいのは奴の推測が当たっているという事実だ」
ゆっくりと階段を下りてくる二人の騎士に対し、ウィンリーはごくりと唾を飲み込んだ。
王国で、彼らを知らぬ者などいない。七雄騎将を目指す者で、彼女らを軽んじる者など一人としていない。
何故ならその存在こそが、王国の頂点に君臨する一角であると知っているからである。
「老獪な化け物め。奴もまた、王家の血を引く者ということか」
「私たちは所詮、彼らの剣にしかなれない。この一件は、私たちの持ち主が誰になるかという闘争だからね」
双騎士は並び立つ。その圧巻の光景に、ウィンリーは気圧されることしかできない。
「さて、と」
そして、双獣の片割れが視線を向ける。
「はじめまして。願わくば、楽しい時間になりますように」
優し気な微笑みと、冷酷な眼差しを以て。
蛇は獲物を吟味する。
【第三章 忠義の騎士】ですが、あまりにも長すぎるので前編後編に分けようと思います。
なので、次話がひとまず前編最後となります。
次回「賽は投げられた」楽しみにお待ちください。




