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第39話 妄執の獣Ⅳ

「お、来た来た」


 路地裏の薄汚れた一角に腰かけていた少年は、待ち人の来訪に呆れたような表情を浮かべる。

 普段であれば頭上で輝いている太陽が今は既にそこになく、差し迫る橙色の光が間もなく日の入りである事を知らしめていた。


「おい、遅いぞ?」


 静かに歩み寄って来る小柄な少女に声をかけながら、クルードは愚痴混じりのため息をこぼす。


「ったく、何時間待っても来ないから何かあったかと思ったぜ。まぁ、お前のことだし特に心配はしてないけどな」


 無言。

 クルードの言葉に返すことなく顔を伏せたままのコバニ。その姿に、クルードは言葉にし難い不安感を抱く。


「……おい。何かあったの――――」

「君は、どうして七雄騎将を目指すの」


 そして、告げられた疑問にクルードは言葉を詰まらせる。


「きゅ、急になんだよ」

「いいから」

「……別に。ただの憧れだよ」


 照れくさそうに頬を掻きながら、クルードはそっぽを向いて言葉を返す。

 憧れ。その単語に、コバニは小さく体を震わせ反応する。


「……実はさ、俺のあに――――」

「憧れだけじゃ駄目だ」


 その言葉を遮ってしまったのは、タイミングが悪いとしか言いようが無いだろう。もしも最後まで聞いていれば、共感し合えたものが確かにあったはずだ。

 だが、コバニはそれに気付かない。自分が取り逃したものが何なのか、理解することすら出来ないだろう。

 しかし、既にコバニの眼中にそのような些事は映っていない。


「憧れは、崇拝の対象だ。それでは超えられない」

「…………お前」


 そこでクルードはようやく気が付いた。

 顔を伏せ、口を噤み、小さく体を震わせたのも。それらは決して、落ち込んでいる訳でも不安がっている訳でも無かったのだ。

 そして静かに、コバニは顔を上げる。


「僕は七雄騎将を超える。じゃないと、僕の目的は叶えられない」


 それは獣の貌であった。

 瞳孔を見開き、牙を剥いたような笑みで言葉を紡ぐコバニの姿は、今までの儚くも芯のある少女の姿では無い。

 どちらかといえばそれは、雄々しく猛々しい少年のそれであった。


「一月後、僕は御前試合に出場する」

「ご、御前試合ってあの、王族も出席するっていう名誉ある闘いじゃねえか!?」


 御前試合は、聖キャバリス学院の生徒であれば――いや、王都中の騎士が立ちたいと願う夢の舞台。それをコバニは、誰よりも先に叶えると言っているのだ。

 信じがたいと、クルードは素直にそう思った。


「僕はもうここには来れない。だから一月後、会いに来てよ」


 それは、しばらくの別れを示す誓いの言葉。


「コロッセオの中央で、僕は君を待っているから」

「…………ッ! ちょッ、お、おい! コバニ!」


 遠ざかっていくコバニの背中に声をかけるも、クルードはその場から動くことができなかった。見ている景色が違う。その事実が、クルードの行動に歯止めをかける。

 今までのコバニの態度は確かに冷たいものだったが、その瞳は常にクルードを映し続けていた。しかし、先程のコバニは既に別の世界を夢見ていた。そこにクルードの姿は無い。

 それはクルードにとって、初めてのコバニの表情だったのだ。


 この日をきっかけに、クルードとコバニが裏路地に足を踏み入れることは無くなった。その行動の選択が、後に二人の運命を大きく変える事になる。


 ☨


 キャメロン王国。その王都の中央にそびえ立つ、巨大な建造物。

 漆黒の鉄に覆われた不思議な円形のソレは、王国に住まう民にとって重要なモノであり、神聖な空間であった。

 王国を象徴するコロッセオは、その長い歴史の中で幾度の闘争が繰り広げられた戦場であり、その地に立つことが騎士にとっての名誉である。


「ふん、くだらない」


 その全てを一笑に付し、コバニは出場口にて身体を温める。

 準備運動にて火照った身体の表面からは薄らと汗が滲み、コバニは微かな蒸気を立ち昇らせながらフーッと息を吐いた。

 準備は万端。この一月、自分にできる限りのことは手を尽くした。

 体を鍛え、技を磨き、そして――――


 ボロボロの布切れ。

 色白な腕。

 腕の付け根、肩部分に刻まれた兎の紋章。

 青年の涙と、自分の慟哭。


「…………コロス」


 殺意は研ぎ澄ませてきた。

 悪く思うな。七雄騎将を超えるには、殺す気で挑まなければならない。自分は挑戦者なのだから、全身全霊を用いて首を狙う。その結果死人が出たとしても、悪いのは僕じゃない。


「選手――――入場ゥゥゥッ!」


 コロッセオの中央から響く号令に、コバニは颯爽と飛び出した。照り付ける日差しと心地よい風を全身に浴びながら、小柄な兎は剣を携えて戦場へ向かう。

 顔に、無機質な仮面を纏いながら。


「うおおおおおッ!」

「待ってました、首狩り傭兵!」

「今日も派手な闘いを見せてくれよッ!」

「小さくてかわいい!」


 一部の不適切な応援を睨みつけながら、それでもコバニは胸を張って万雷の歓声をその身に浴びる。

 まるで己こそが挑戦を受ける側であると、傲慢な態度で相手を待つ。


「きゃああああああああああっ!」


 そして、()()はやってきた。


「きゃーっ、ラミエ様ぁ!」

「うおおおおおおおお、きたきたきたァッ!」

「今日も華麗なその姿を見せてくれよォ!」


 黄色い歓声と拍手がコロッセオ中に降り注ぎ、恍惚とした視線が一点に集中する。

 熱意渦巻く中心から、ゆっくりと這い出る長身の女性。スラリと伸びた手足に、長く乱れる黒髪を、歩きながら一つに纏めるその姿は確かに独特な色気を感じさせる。

 表情は常に微笑みを携えており、どこか余裕すら感じさせていた。


「やあ」


 穏やかな声色で、彼女はコバニに対し声をかける。


「はじめまして。私はラミエだよ」

「コバニ」


 差し伸べられた手を一瞥しながら、淡々と己の名前を吐き捨てるコバニ。


「貴女のことは知ってる。黄金の世代、その最後を飾る双獣が一人。黄蛇の騎士、ラミエ」

「おや、よく調べてくれてるなぁ。嬉しいね」


 握手に応じないコバニに対し、何の感情も表に出さずニコニコと微笑むラミエ。やはりどこまでも余裕か、その表情に再びコバニは苛立ちを覚える。


「両者、指定の位置へ」


 審判が静かに試合開始の準備を始め、その号令に合わせて二人は指定の位置に移動していく。


「キャメロン王国の名代のもとに、御前試合を執り行う」

「……契約騎士、コバニの名のもとに。御前試合を受諾する」

「七雄騎将、ラミエの名のもとに。御前試合を受諾する」


 正式な騎士団に所属せず、傭兵上がりという背景を持つコバニにとってこの宣誓は嫌悪感に満ち溢れたものであった。契約騎士という肩書は、未だ自分が何の力も持たないということを嫌でも理解させてくるからである。


「今ここに、両者の決闘受諾を聞き入れた。貴殿らはこの闘いに何を望む?」

「騎士の名誉を」

「騎士の名誉を」


 同時の宣誓に審判はそっと頷き、静かに一歩後退する。


「己の誇りを守らんとする若き騎士よ、今ここに」


 瞬間、コバニは腰の剣柄を強く握りしめる。

 そして――――


賽は投げられた(アーレアヤクタエスト)


 コバニの姿は、既に開始地点から消えていた。


 次いで遅れた衝撃が地面を微かに揺らし、観客はそこでようやくコバニが移動したことを認識する。

 コロッセオの中心から遠く離れた観客席からであっても見失う速度。普通であれば、対面する人間にその動きを認知する事などできない。


「なるほどね」


 しかし。


「まさに疾風怒濤。これが数々の騎士を地面に沈めてきた初撃か。噂に違わぬ速度だね」

「…………ちっ」


 刃は静かに空を斬り、コバニは思わず舌打ちを鳴らす。

 一撃で決められるとは思っていなかったが、まさかここまでとは。噂に違わぬとはこちらのセリフだと思いながら、コバニは忌々しい目つきで敵を見上げる。

 ラミエの左腕には、一本の短槍が握りしめられていた。


「ああ、槍使いが珍しいかい?」


 コバニの視線に気づいたラミエは、穏やかな表情のままに穂先を地面へと向ける。

 激しい悪寒と共にコバニが咄嗟に身を翻すと同時に、先程までコバニが立っていた位置を鋭い一撃が貫いた。次いでヒュンヒュンと風を薙ぐ音が鳴り響き、ラミエの周囲を竜巻が囲み始める。

 それら全ては、軽々しく槍を振るうラミエがもたらした現象であった。


「キャメロン王国では剣術が主流だからね。わざわざ槍を学ぼうとするなんて、余程のこだわりがあるか、変わり者か、ただの道楽か」


 ピタリと、竜巻が動きを止める。


「もしくは」


 身を低く屈め、地面と水平に槍を構えるその動きは堂に入ったものであった。先程までのゆとりを持った立ち姿では無く、初めてラミエが見せる構え。

 闘気が、僅かに揺らいでいる。


「――――才能があるか、だね」


 一瞬の静寂、後、光が迫る。

 視界を覆う矛先に、咄嗟に上体を逸らすコバニ。しかしその一撃はコバニの想像を超える速度で額に直撃し、衝撃が脳を揺らす。

 パキリと何かが割れる音に続いて、チカチカと星が舞う。


「つッ、……あぁッ!」

「ほう?」


 だが、間一髪で致命傷は避ける事に成功する。上体を逸らした姿勢のまま、衝撃に身を任せるように後方へと身体を流すコバニ。これによって衝撃と穂先を額で滑らせ、脳への直接的なダメージを流したのだ。

 咄嗟にしては高度な受け流しに、ラミエは思わず感嘆のため息を漏らす。


「素晴らしい。今の一撃で沈められたと思っていたのだが、やはり噂に違わぬ強さだね」

「…………ふざ、けるな」


 カランと軽い音を鳴らして何かが地面に落ちる。それはコバニが身に着けていた仮面の破片であった。

 額部分は大きく砕け、皮膚の表面がパックリと割れている。熱く流れ落ちる血潮を感じ取りながら、コバニは仮面の下で忌々し気に顔を歪めるのだった。


「まだ、今のは本気じゃないだろ」

「おや。どうしてそう思うんだい?」

「……貴女のことはよく知っていると言っただろ。黄金の世代の中で、かつて遅咲きの才能と呼ばれていたことも。白金や黒金、そして双獣のもう一人である蒼牙そうがと比較され、七雄騎将昇格に大きく遅れを取ったという事も」

「ふふ、よく知ってるね」

「……そして」


 楽し気に笑うラミエに対し、コバニは淡々と言葉を紡ぐ。


「ある時期から貴女は槍を振るうようになり、瞬く間に英雄の階段を駆け上がるようになる。その槍裁きは、かの白金と比べても遜色ない速度だと呼ばれるようになった」

「あの人と比較されると荷が重いけれど、概ね間違いでは無いね。でも、それが一体どうしたと言うんだ――――」

「貴女は常に飄々とした様子で、決してその表情を歪めることは無い。だが、その槍に殺意が乗る瞬間が一つだけある」 


 そして、コバニは嘲るように吐き捨てる。


「黒金のヴィクト。彼を侮辱された時にのみ、貴女は初めて本気を出すんだ。……所詮は、七雄騎将であっても男と女。どれだけ英雄視されたとしても、性に左右される凡人であることに変わりはない、ということか」


 脚に力を込め、コバニはあえてラミエとの距離を保ったまま周囲を飛び回る。地面に触れる度、そして移動するたびにドンッと衝撃音が弾け、コバニの姿が掻き消えていく。

 観客の中で特に以前からコバニを見続けてきた人間は、その光景に思わずつばを呑む。コバニの動きは、今までの戦闘の中で最も洗練されている。

 それは、過去最速と言えるほどに。


「ふざけるな」


 怒りに満ちた声が響くと同時に、コバニは正面からラミエへと迫る。加速した一撃は以前よりも衝撃を増し、咄嗟に受け止めたラミエの槍ごと大きく後退させる。

 しかし、コバニの攻撃はそこでは終わらない。


「幸せを抱いて、その席に座るな……! そこは、僕の場所だッ!」


 縦横無尽に駆け巡るコバニが、四方八方から刃を煌めかせる。

 背後から迫る一撃を受け止めよろめくラミエに対し、急ブレーキをかけて方向を転換し、再び刃を振るう。終わりの無い嵐がラミエを捉えて離さない。

 怒涛の殺意が、怒りが、戦場を塗り潰す。


「復讐の為に牙を研ぎ、敵を殺すことだけにこの身を捧げてきたッ! 何が黄金の世代ッ、何が天才だッ!」


 その瞬間、観客は確かに見た。小柄な体躯に覆い被さるように吹き荒れる、猛獣の気迫を。


「そんな幻想――――僕がぶっ壊してやるッ!」


 咆哮轟き、闘気が炸裂する。

 溢れ出る感情の奔流は止まることを知らず、コロッセオの熱意を更なる熱意で塗り替えていく。相対している七雄騎将に劣ることの無い気迫は、紛れもない傑物であることを証明していた。

 観客は思わず総毛立つ。

 自分達は今、新たな英雄の誕生を目の当たりにするのだと。


 筋肉が軋み、骨が震えるほどの圧力で地面を踏みしめ、弾ける弦のように爆裂する闘気。

 矢の如く迫るコバニに対し、ラミエは狼狽えるような表情で槍を構え直す。しかしその姿は心もとなく、今にも砕けてしまいそうな程に儚げであった。

 時代が、変わる。

 そんな観客たちの想い、そしてコバニの熱き願いは――――

  

「ふふ。つーかまーえた」


 いとも簡単に受け止められ、流され、地面へ叩き落とされるのだった。

次回でコバニの過去編、最後となります。

長々とお待たせしてすみませんorz

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