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第37話 妄執の獣Ⅱ

「調子乗ってんじゃねーよ!」


 辺りに響く粗野な声に、浮ついた意識が現実へと引き戻された。火照った身体は急速に冷めていき、コバニは冷静な思考で目の前の光景を分析する。


「そんなボロボロの状態で、粋がってんじゃねえぞッ」

「まぁまぁ、余裕ぶってんのも今のうちだろ」

「だな。人が寄ってくる前にさっさと終わらせようぜ」


 金髪の少年を取り囲むように、十人弱の集団が剣を抜いて構えている。よく見れば、その全員がまだ年若き少年たち。

 そしてコバニは気づいてしまった。少年たちが身に着けている灰色の薄汚れた外套。その下から覗く煌びやかな白い制服は、キャメロン王国の都が誇る聖キャバリス学院の生徒に支給される制服そのものである。

 つまり、こいつらの正体は。


「てめえは最初っから気に食わなかったんだよッ!」


 一人の少年が激昂した表情で剣を振り上げ、金髪の少年が相対するように右手の剣で拮抗する。その光景に、コバニは思わず目を見開いた。


「あいつ、木剣……?」


 ポツリと呟く。金髪の少年が握りしめていたのは、殺傷力の乏しい訓練用の木剣であった。

 対して集団が手にしているのは紛れも無き鋼の刃。間違いなく、人を傷つけ殺すための道具である。


「気に入らないなら決闘を挑めばいいじゃないですか。俺は逃げも隠れもしませんよ。それを大人数で寄ってたかって……。ずいぶんと卑怯なんじゃないですか? ねぇ、先輩」

「黙れ、黙れ黙れ黙れッ!」


 ガキンッ、と空中で刃が弾ける。怒りの感情のままに何度も何度も振り下ろされる剣撃からは、遠くから見ているだけのコバニでも感じ取れるほどの激情が迸っていた。


「つっ……!」

「てめえが反抗的な態度を取るからッ、俺が恥をかく羽目になったんだろうがァ!」

「……ハッ! 後輩をいたぶって、それが三年生のやることかよ?」

「黙れェ!」


 男の叫びと共に振るわれた一撃、その重さに少年はたまらず吹き飛ばされていく。駄目だ。眼前の光景に、コバニは咄嗟に顔を歪めた。

 膂力りょりょくが違いすぎる。二人の対格差は傍から見ても歴然であり、それなりに鍛えられた骨格の男に対して少年の骨格は些か発展途上のように感じられた。

 土に塗れ、少年の真っ白な制服が黒く汚れていく。鮮やかな金髪は、まるで錆び付いた色合いへと変貌を遂げる。


「てめえが俺に反抗しなければっ、俺は恥をかかずに済んだんだッ! 担当の後輩にしてやられた間抜けとして、馬鹿にされることもなかったッ!」


 暴論だ、と第三者であるコバニはそんな感想を抱いた。恥をかいて馬鹿にされたとしても、それをこのような形で精算できると本気で思っているのか。

 いや、きっとそう思い込まなければやっていけない程に追い込まれてしまったのだろう。憎しみの感情が煮詰まれば、やがてそれは純粋な悪意へと化す。そのことをコバニはよく知っていた。


「――――だから、殺してやるよ」


 瞬間。ドロッとした、粘着質のような濁り切った悪意が鼓膜を震わせる。


「お、おい! それは流石やり過ぎじゃねえか?」

「そ、そうだぜ! コイツを殺しちまったら、お前の騎士団で上り詰めるっつう夢が駄目になっちまうぞ!」


 激情に振り回される男を落ち着かせようと、周囲の仲間たちが宥めの言葉をかける。

 こんな集団リンチをしている時点で騎士団への道は危ぶまれているという事実から目を逸らし、仲間たちは努めて冷静な表情を浮かべながら男の肩を掴んだ。


五月蠅うるせぇよ」


 そんな仲間たちの想いを、男は無慈悲に切り捨てた。

 言葉通り、手に握った刃を振りかざして。


「…………あああああああああッ!?」


 仲間のうちの一人が地面に倒れ込み、首から鮮血を垂れ流しながら痙攣を起こす。辺りに広がっていく真っ赤な池から漂う異質な臭いは、今この瞬間を戦場へと変貌させた。

 悲鳴が迸る。男が仲間を手に掛けるその姿を見て、恐怖にとらわれた一人の男は尻餅をついてしまう。


「邪魔を、すんなよ」


 ユラリと身体を揺らし、仲間を見下す男の瞳は灰色に濁り切っていた。

 不味い。咄嗟にそう判断したコバニが一歩踏み込もうとした、その時であった。


「だぁッ!」

「ぐッ……!?」


 金色の光が、視界の端から飛び込んできた。

 勢いのままに男を吹き飛ばしたのは、先程まで地面を無様に転がっていた金髪の少年。そんな彼の表情に視線を向け、コバニはゾッとした表情を浮かべる。

 少年の瞳には、大炎の如き怒りが満ちていた。


「…………てめえは、何度も何度も……俺を、否定するなァァァッ!」


 気迫が微かに男の身体から迸り、殺意の奔流が刃を伝って溢れ出す。勢いのままに突進した男の剣を受け止める少年。しかし再び、対格差の前に退避を余儀なくされてしまう。

 正直に言えば、何ともレベルの低い戦いだとコバニは感じていた。

 叔父であるリトに連れられ、幾度となく戦場を練り歩いてきたコバニにとって眼前の光景は死闘とも呼べないものである。ましてや七雄騎将など夢のまた夢。

 得られるものなど無いと、そう思っていた。


「――――それでもッ!」

「ぐあっ!?」


 しかし、コバニは少年から何故か瞳を逸らすことが出来なかった。

 下がるのではなく、敢えて前進を選ぶ。不退転の意志を示した少年の行動に不意を突かれた男は、少年の頭突きをもろに鼻頭に喰らってしまう。


「それでも、どうしてアンタは逃げるんだッ! それだけの気迫を持ちながら、何故!」

「……逃げる、だと?」

「そうだ! 騎士団で上り詰めるという夢を持ちながら、何故腐る!? 何故、一度負けたくらいで悪事に手を染める!」

「……それはァ、てめえにはわからねえよッ!」


 少年の決死の問いかけに対して男は高らかに吠える。


「自分が本物では無いと知ってしまったその瞬間から、俺は既に死んだも同然だッ! 周囲から向けられる侮蔑の視線! 自分の努力が無意味だと気付かされた時の絶望! 自分のプライドを守るための方法は二つ! 自分が死ぬかッ、相手を殺すかだッ!」

「が、はッ!」

「てめえにはわからねえよォ!」


 刃が肩に喰い込み、少年は痛みに顔を歪める。その隙を狙うように放たれた男の突進に胸を強打し、息を詰まらせながら再び大きく距離を取らされる少年。

 男の言っていることは少年には理解できない。無理も無いだろう。それだけの挫折も後悔も、恐怖も知らないのだから。

 ()()()()


「だから俺は、俺の為にてめえを殺す! 俺のプライドを守るために、てめえは邪魔なんだよッ!」


 そして高らかに剣を掲げ――――


「死ねェッ!」


 無慈悲に振り下ろした。

 仲間たちの複雑な感情に歪んだ悲痛の表情に囲まれながら、男の一撃が少年の頭部に差し迫る。

 普通であれば、この状態から助かる術など存在しない。


「くだらない」


 常人の発想であれば。

 人の間を縫うように突風が吹き荒れる。空気を切り裂く真空の刃は、目にも止まらぬ速さで少年と男の狭間に立ちふさがった。

 黒いドレスが軽やかに舞う。


「全てにおいて、程度が低い」


 その様は、まるで小さな悪魔が降りてきたかのようであった。不気味な少女は腰から剣を抜き、静かに男の一撃を受け止めていた。


「なッ!?」

「……なんだ、この程度か」


 コバニは落胆の表情を浮かべる。

 どれだけ熱いことを口にしようとも、振るう刃の重さが軽ければ意味が無い。聖キャバリス学院、あの有名な騎士養成所で学びを受けたはずの男の一撃がまさかこのレベルとは。

 失望。コバニの胸中に浮かんだのはその一言であった。


「……待て。お前、その顔、見たことが…………!?」

「おい、そこの」


 男の驚愕の視線を受け流し、コバニは背後に庇っている少年へと声をかける。


「……俺のことか?」

「そう。君の名前は?」

「……クルード」


 少年の名前を聞き出したコバニの胸中に微かな喜びが湧き上がる。が、その一切合切を無視し、コバニは努めて冷静にクルードへと話しかける。


「一つ。クルード、君の言動は全てが甘い」

「なっ」

「挫折も経験も少ない君の発言も、戦いの場で木剣を貫くその姿勢も、全てが甘っちょろくて反吐が出る」

「お、お前みたいな子供に何がっ!」

「二つ。対格差のある相手に真っ向から挑むなんて馬鹿の所業。君、学習しないの?」

「……なんなんだよ、お前。ていうか誰だよ!?」


 苛立ちに顔を歪めるクルードの視線がこちらを見つめている。その姿に得も言われぬ喜びを感じる。

 嗚呼、太陽のような表情が様々な感情で形を変えるその姿。何度見ても飽きはしない。何度だって眺めていたい。

 だけど、駄目だ。それだけじゃあ駄目なんだ。


「三つ。これが最後だよ」


 そう言って、コバニは男へと向き直る。

 蚊帳の外に置き去りにされた男の表情は既に、驚愕を通り越して憤怒へと移り変わっていた。


「……邪魔をする奴は、誰だろうとブッ殺すゥゥゥッ!」


 大きな影が頭上に広がり、小柄な体格のコバニを覆い尽くそうとしていた。男は既剣を振り上げており、後は振り下ろせばコバニの頭部は果実のように弾けることになるだろう。

 ここで取ることのできる選択肢は、受け止めるか、左右か後方に避けるか。


「クルード。よく見て、よく学んで」


 その全てが、常人の発想である。


「――――理想は、力が無ければ語れない」


 瞬間、コバニは強く大地を踏みしめた。

 バキリと、鳴ってはいけないはずの音が小柄なコバニの足元から響く。砕け散った地面の欠片と土埃が吹き荒れ、突風が再び周囲を駆け巡る。

 そして、コバニの姿は全ての人間の視界から姿を消した。

 どこに行った。奴は一体。そんな様々な思考が入り混じる戦場の中で、真っ先に気が付いたのはクルードであった。

 それは勘でしかなかったが、地面に崩れ落ち、他者を見上げる事しか出来なかったクルードだからこそ気付けたと言えるだろう。


「あ」


 クルードは声を漏らす。

 裏路地を照らすように、天に輝く太陽。その中心から影が降り注ぐ。そして男の頭部めがけて放たれる、重力を纏いし一撃。


「ていっ」


 軽やかな掛け声と共に、コバニの足の踵が男の脳天に直撃した。頭蓋骨の砕ける音と共に、男はグルリと白目を剥く。鼻から血を滴らせながら、膝を折り、顔から地面に崩れ落ちる男。

 それは完全なる戦闘不能を表していた。


「ボクはコバニ。いずれ、七雄騎将に至る者」


 ふわりと地面に降り立ったコバニに呼応し、ドレスが重力に逆らって舞い上がる。黒い鳥が羽を広げるように、美しい軌跡を描きながらクルードの眼前に佇むコバニ。

 七雄騎将という称号は、コバニにとって復讐の道具でしかない。しかし、他の者にとってはそうでないことをコバニは知っていた。


「……俺はクルード。いずれ…………俺も、七雄騎将になる男だ」


 コバニに相対するように言葉を紡ぐ。クルードは圧倒的な才能を前に、初めて無意識のうちに恐れを感じていた。自分がソレを口にする資格があるのかを疑問視しながら、クルードは自らの夢を口にする。

 そこに、獣は付け入る隙を見出した。


「なら、ボクが導いてあげるよ」


 泥だらけの騎士に、兎は小さな手を差し伸べる。


「ボクが君に、誰も見せられなかった景色を見せてあげる」


 恋に焦がれた少年は、遂に太陽と邂逅する。圧倒的な才を持つ兎は、愚鈍で凡庸な亀に恋をした。

 兎は亀の手を引いて歩き始める。

 その行動がいずれ、自分の首を絞めつけるという事も知らずに。

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