第34話 過去の過ちと賢王
剣戟の音と喧騒。群衆の侵攻によって生じる地面の揺らぎ。怒りと憎しみ、不安と困惑が入り混じり様々な感情が渦を巻いている。そんな混沌の戦場、その中心に小さな影が一つ。周囲の視線は黒装束の出現に釘付けとなっており、誰もがその挙動に目を凝らしていた。
「……ぐ、ぎぎぃッ」
それは明確な隙であった。意識が一点に集中すればするほど、意識外からの攻撃を防ぐことは難しくなる。腕の中で悶える男を見下しながら、ウィンリーは淡々と自らの役割をこなしていく。
「…………が……」
白目を剥いてダラリと腕を下ろす男の姿を確認し、ウィンリーはようやくその身体を静かに地面へと横たわらせた。
「手伝え、腰巾着」
「ちょ、ちょっと!」
周囲に人影が居ないことを確認すると、ウィンリーは近くの草むらに声をかける。すると茂みの奥から微かに慌てた声が響き、次いでイリスがその姿を現した。
「どうしてアンタたちはそんな無茶をするわけ? コバニは勝手に飛び出すし、アンタはいきなり近くの騎士の首を絞めて……」
「僕をあんな衝動的小動物と一緒にするなよ。これは必要な行為だ」
そう言ってウィンリーは気絶している男が身につけている鎧と甲冑を慣れた手つきで取り外し、剥ぎ取っていく。
「君が身に着けろ」
「はい!? なんで私が」
「その足りない頭でも少し考えればわかるだろう。君の白髪は目立つ。間抜けが勝手に捕まる分には構わないが、僕を巻き添えにして欲しくはないのでね」
「ぐぎぎ……!」
悔しさに顔を歪めるも、言い返す言葉が見つからずイリスは諦めて服の上から鎧を着けていく。慣れない装備の着用に苦戦するイリスを背に、ウィンリーは男を担いで草むらへと足を踏み入れる。
茂みをかきわけ、身の丈まで高く伸びた草木を押しのけ進んだ先にソレはあった。
「ふん」
大きな木の桶に尻が埋まる形で男を座らせるウィンリー。その桶を持ち上げ運んだ先には、さらに巨大な石材で出来た建造物。ソレは井戸であった。
井戸の縁から滑らせるように桶を落とし、ウィンリーは即座に縄に全体重をかける。ギリギリと音を鳴らしながら減速させる桶は闇へ吸い込まれていき、やがて底に当たる感触が縄を伝う。
「目を覚ます頃には全て終わっているさ。それまでは地下の世界で大人しく寝ていろ」
言葉を吐き捨て、ウィンリーは来た道を引き返そうと身を翻す。チラリと横目に井戸を睨みつけると、自ずと口から漏れる言葉があった。
「王国の影、か」
上級街の片隅、もう誰も使わない枯れ果てた井戸。それを意図的に隠すように植えられた背高草。
井戸とは本来、地下水を汲み取るためだけに存在する。地下水源が枯れれば終わり、そこで役割から解放される。
しかし。
「確かにこれは影だ。まるで人が出入りするために作られた、暗部の存在を証明する設備など……それは隠したくもなるだろう」
もしも王国の地下に、秘匿されし空間が無数に存在していたとしたら。そこにかつて、人として扱われない人間が住んでいたとしたら。
ウィンリーは先日の会話を思い出す。そうだ。奴は確か、この空間を何と呼んでいたか――――
☨ ☨ ☨
「王国の影……?」
耳慣れない言葉だ。カミュは素直にそう思った。
「あぁ。キャメロン王国がずっと隠し続けてきた裏の世界、それが王国の影と呼ばれる存在さ」
「なんで、そんな隠したりなんか……」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ、学院に通ってる君たちに一つ質問です」
人差し指を立て、リトは優しい口調で問いかける。
「ある日、君は決闘をすることになりました。絶対に勝たなきゃいけない勝負。負けたら全てを失ってしまう対決。……そんな闘いの直前、相手が自室で死亡したと報告を受けました。もしくは決闘で自分が負けた翌日、相手が遺体で発見されました。さぁ、君たちはどう思う?」
「どう思うって、そんなの。……性格が悪いと思うけど、ラッキーだったと思いますよね」
「私は気味が悪いって思うわ。そんなの、どう考えても不自然よ」
「うんうん、良い答えだね。それじゃあ質問を変えよう」
二人の回答にご満悦な表情を浮かべると、リトは続けて新たな問いを提示する。
「絶対に勝たなきゃいけない試合。人生を賭した一戦に対して――――君は何を捨てられる?」
朗らかな表情から一転、リトの眼光が鋭く輝いた。放たれた声色は低い唸り声と共に空気を震わせ、嘘偽りない回答を強制している。ピンと張り詰めた空気は重さを増していき、部屋中に息も忘れてしまう程の重圧感が満ちていく。
カミュは発言を躊躇った。そんな闘いに身を投じるなど想像もしていなかったからである。何かを捨てられる覚悟など、何一つとして持ち合わせていなかった。
そして、イリスはその質問に既視感を覚えていた。
「これって……」
「お、気付いちゃった?」
忘れるはずが無い。初めてリトと出会ったあの日、ここで交わした問答のこと。憧れを理解しようと踏み込んだその先で、彼がどんな選択をしてしまったのか、知ったあの日のことを。私はきっと永遠に忘れないだろう。
「『勝利を得るために、人生の全てを費やすという覚悟』」
脳裏によぎるのは、クルードの姿。
「どんな手を使ってでも、例え卑怯や販促と罵られようとも、勝つために人間性を捨てる。そんなことのできる人間は希少だ。と、言うよりもキャメロン王国の騎士大国としてのプライドが許さないだろう。……でも、絶対に勝ちたい。でも自分の手は汚したくない。じゃあ一体どうするのか?」
静寂の広がる店内に木霊するリトの声。気が付けば誰一人物音を立てることなく、言葉の続きに耳を傾けていた。
そしてリトは告げる。王国が犯した、最大の過ちを。
「暗殺者を使うのさ。それも、誇り高きキャメロン王国の人間じゃない。どれだけ手を汚させても良心の痛まない存在――――バルタニカ皇国の奴隷をね」
「…………はい?」
突拍子の無い発言に戸惑いの表情を見せるカミュ。
「なんでそこで、バルタニカ皇国? っていうか奴隷なんて、そんな馬鹿げたこと、あるわけ……」
「これは事実だよ。だから彼らはキャメロン王国を恨んでる」
「証拠はあるんですか?」
信じられないと首を振るカミュ。そんな彼女を横目に、イリスは一人冷静にリトを問い詰める。
もしもそれが真実だとすれば、何故誰も知らなかったのか。学院で学ばないのか。どうしてそんな歴史が隠されてきたのか。その裏に意識を向ければ、不自然なほどに秘匿されてきた人為的な痕跡が見えてくる。
一般市民は触れてはいけない禁忌の領域に、少女たちは足を踏み入れようとしていた。
「証拠ならある」
イリスの問いに、残念ながらと言わんばかりに顔を歪めてリトは言葉を返す。
「これは今から話そうとしていた反乱計画に関係しているんだけどね。王国の地下には、奴隷たちが虐げられてきた痕跡が未だ多く残されているんだ。彼らは時にそこで暮らし、時にそこで狩りを行っていた」
「狩り……?」
「暗殺さ」
リトの話を聞きながら、イリスの脳裏には一人の男の姿が浮かび上がっていた。黒装束を身に纏い、独特な戦闘スタイルで凶刃を振るう狂気的なあの男。
ナナシ。正体不明の殺し屋として鮮烈な印象を抱かせた奴の正体が、徐々に紐解かれようとしていた。
「地下に無数に広がる世界を駆使し、奴隷たちは主君の命に従い怨敵を討ち滅ぼしてきた。そうして彼らは自らの地位を確立し、少しでもこのキャメロン王国で生きながらえようとしてきたんだ」
「……そこまでしないと、生きていけなかったから」
「そういうことだね」
「そんなの、私は納得できませんっ! キャメロン王国は騎士の国です! 英雄の国なんです! だから、だからそんなこと、絶対あっちゃいけないんです! そうじゃなきゃ――――」
イリスとリトは同時に少女へと視線を向ける。瞳を震わせるカミュの表情は、今にも泣き出しそうな子供の様だった。
「みんなの憧れが、嘘になっちゃうじゃないですか……」
「カミュ……」
カミュがどれだけ優しい子なのか、イリスは理解しているつもりだった。でもそれだけでは足りなかったのだ。
シュバルツ王立劇団。そのオーナーの一人娘として生まれ育ち、数多の人が演劇に熱中する様を見てきた。誰もが騎士や英雄に憧れを抱き、熱い視線で舞台を見つめる姿を眺めてきた。そんなカミュにとって、その真実は決して認められないモノだったのだ。もしも認めてしまえば、あの熱が、憧れが偽りになってしまうから。
そんな万感の思いが込められたカミュの呟きに、イリスは思わず名前を呼んだ。
「その通りだ」
そんな少女の願いに感化されたのか、リトが一際強く言葉を放つ。
「そんな外道な行為、絶対に許してはいけない。過去の過ちは決して肯定されるものでは無い。……だが、その過ちを正そうとされた方がいる。それだけでこの国にはまだ救いが残されている」
「救い……?」
「あぁ」
そして騎士は、主君の名を呼んだ。
「キャメロン王国、第三十六代国王――ライドリヒ陛下。かつてキャメロン王国とバルタニカ皇国、及び周辺諸国に【賢王】の名を轟かせたお方だ」
現国王の真名が木霊する。
「あの方の政策によって、今では王国の影は廃止されている。地下通路は廃墟と化し、徐々に汚染されて人の住める場所では無くなった。奴隷身分も解放され、表面上ではバルタニカ皇国に対する弾圧や忌避反応も鳴りを潜めているはずだ。……だから書類上では、敵対国ではなく非友好国とされているのさ」
「よかった……」
その言葉に安堵したかのように胸をなでおろすカミュ。その姿にイリスは静かに微笑みを送っている。
「しかし、だ」
だが話はここでは終わらない。
「ならばどうして、今も王国の影は根絶されないのか。反乱分子である黒装束が勢力を拡大し続けているのは何故か」
「そ、それは……?」
「気を付けるんだ。まだ、過去の過ちは正せていない」
そして、リトは告げる。
「奴隷を利用し、政敵を影で葬ってきた者達がいた。キャメロン王国の血統こそが絶対であり、その優秀な血脈を継いでいる者こそが優れた騎士に選ばれると信じて疑わない者達がいた」
未だに残り続ける負の歴史。その遺産を背負い、自らを正義と盲目的に信じる集団の名を。
「彼らは――――」
☨ ☨ ☨
「グァッ!」
「ごほォ!」
「距離を取れ! むやみに近づいても一方的にやられるだけだぞ!」
時は戻り、舞台は上級街。
小さな黒装束が大地を蹴り上げ、細い腕を振り上げる。ただそれだけで人が不自然なほどに吹き飛ばされていく。現実的にあり得ない光景。しかしそれを可能にする人種を彼らは知っていた。
「くっ、これではまるで……」
天才と呼ばれる人間。騎士の頂点に立つ人間は、皆が一様に常識では測り知れない何かを持っている。今、彼ら騎士の前に立つ存在はそんな化け物共を彷彿とさせる何かであった。
影が舞う。ふわりと軽やかに大地に降り、そして次の瞬間には目にも止まらぬ速さで騎士の懐に飛び込んでいく。
「くっ!?」
咄嗟に剣を突き出し、相手の顔面を貫かんと刃先が黒装束へと迫る。しかし、まるで雲を掴むかのように実体無く、影はスルリと避けていく。
眼と鼻の先に黒装束が近づく。息がかかる程の距離で煌めく凶刃の姿を目にし、騎士は己の最期を悟る。
しかし。
「遅い」
そんな侮辱の言葉と共に、顎から脳天に突き刺すような強い衝撃。剣の柄によって撃ち抜かれた騎士は白目を剥きながら倒れ込んだ。
「……ふぅ」
どよめきが広がる周囲を尻目に黒装束――コバニは小さくため息をついた。
コバニにとって有象無象がいくら来たところで、命を取るに値しない。手加減が出来るということは、それだけ彼我の実力差がかけ離れているということ。だがこうも人が多いのであれば、流石に多少は疲れるというものである。
「まだなのか……」
コバニはひたすらに機を待っていた。
作戦を次に進めるうえで、この時間はただひたすらに耐え忍ぶ以外に選択肢など無い。無論コバニはこの事実を知っていた。理解したうえで立候補したのは他でもないコバニ自身なのだから。
とはいえ。
「ジリ貧、か」
いくら敵が弱くとも、こうも数が多ければいずれやられるのは自分だ。このままの状況が続くなら、ではあるが。
「……仕方ない。少し疲れるけど、このまま何もしないよりはマシ」
コバニは再びため息をつき、ゆっくりと身体を上級街の奥へと向ける。
「向こうが本気になるまで、強引にでも城に――――」
城門へと続く一本橋。そこへ無理やりにでも進むべきだとコバニは判断した。奥へ進めば進む程、兵士の数は多くなるだろう。だがこのまま変わらない戦況で体力を削るよりも、一か八かに賭けてみようか。
そんなことを考えるコバニの視線の先。
「――――ハハァッ!」
その上空から、影が差す。太陽を覆い尽くす勢いで飛び込んできた存在から、高らかな笑い声が響く。
瞬間、コバニは咄嗟に剣を構えた。
「ぐッ!?」
それは正解だったと言えるだろう。
芯を貫く衝撃と共に、小さな体が宙を舞う。この戦場において未だかつてない威力の一撃が身体を襲い、顔を歪めながらコバニは地面を転がった。
「……なるほど。そっちが来たか」
即座に姿勢を正し、ゆっくりと立ちがりながらコバニは視線を向ける。
「む? 吾輩の一撃を受けてすぐに立ち上がるとは、随分と丈夫な奴よの」
「油断をするな、ベロー殿。一人でこの戦況をかき乱す者だ。ただの黒装束と侮ればこちらが怪我をするぞ」
「貴殿こそ侮るなよ。この吾輩を誰と心得る?」
鍛え抜かれた肉体の大男に、洗練された細身の肉体を持つ甲冑騎士。相反する印象の双騎士の姿に、コバニは改めて剣の柄を握り直す。ここまではお遊びで、肩慣らしと言っても相違ない。だが、ここからは違う。
これからが本番だ。
「やれやれ。……小さな侵入者よ。君のことを斬る前に、まずは礼儀として名乗らせてもらおう」
全身鎧を身に纏い、銀色の光を輝かせ、騎士は荘厳に告げる。
「四聖騎士団が一角。親衛騎士団代表、アレスだ」
アレスの名乗りに鼻を鳴らし、大男は嘲りの感情と共に吠える。
「ハッ! こんな奴に真面目に名乗ってどうする! これだから堅物はつまらんのだ」
そして大男は剣を振るう。先程コバニを吹き飛ばしたであろう刃、その姿に思わずコバニは目を見開いた。
それは巨大な鉄の塊を薄く伸ばしたかのような、そう表現してしまう程に豪快な大剣であった。身の丈もあろう大剣をブンブンと振り回し、大男は勢い良く刃先を地面に突き刺した。
「おい小僧。いや、小娘か? まぁどちらでも良い。いやはや久方ぶりだ。この手で黒装束をいたぶることが出来るのはなァ」
土埃の中心に佇む男を睨みつけ、コバニは心の中で悪態をついた。リトから忠告されていた内容が頭の中を駆け巡る。
相手から名乗りを受けずとも、コバニは奴を知っていた。
『奴隷を利用し、政敵を影で葬ってきた者達がいた。キャメロン王国の血統こそが絶対であり、その優秀な血脈を継いでいる者こそが優れた騎士に選ばれると信じて疑わない者達がいた』
リトが口にした言葉の続きを思い出す。
過去の過ちを正そうと王国が動く中で、旧き慣習に縛られし老いた傑物。かつての栄光にしがみつく、皺だらけの騎士団。
『彼らは貴公騎士団。奴隷制度の恩恵を最も受けていた、王国を代表する騎士団だよ』
大男は傲慢な笑みを浮かべ、高らかに告げる。
「さぁ国賊よ! 正義の刃に沈めいッ!」
四聖騎士団が一角。貴公騎士団団長、ベロー。
騎士団の頂点に君臨する双騎士と、元七雄騎将の俊英。奇しくも相対するキャメロン王国の頂点の対決に、知るはずの無い周囲の騎士も視線を吸い寄せられていく。




