第32話 脇役の革命
「久し、ぶりです」
怯えた表情で現れた彼女に虚をつかれた反面、嗚呼そうだよな、とデネットは納得の感情を抱く。緊張と不安が入り交じり、不整脈のように早鐘を打つ心臓を押さえつけながら、デネットは改めて目の前の少女に思いを馳せる。
七雄騎将クルードを誘き出し、貶めるために利用した女学生。貧しい家庭から家族のために聖キャバリス学院へと入学した、心優しき少女。それを自分は、心の隙間に侵食するように惑わし、利用し、放り捨てた。
「…………ああ」
乾いた声が喉を掠れてこぼれ落ちる。聖キャバリス学院に臨時教師として勤め始めた頃から、頭の片隅には常に彼女の存在がちらついていた。
もしも彼女に会ったらどんな顔をすればいいのか。なんて言葉をかければいいのか。自分がここで臨時教師として働くことに、どんな感情を抱いているのか。考えれば考える程に、不安と猜疑心が募っていく。それは当然の感情であり、自らの行いに対しての責任だとデネットは理解していた。
しかし。
「………………本当に、あの時は、その」
言葉が出てこない。あれだけ考えていた後悔も反省も、本人を前にすれば全てが泡沫と化す。
しどろもどろなデネットを前に、カミュは柔らかな口調で言葉をかける。
「デネット先生。まずは彼女の話を聞いてあげてください」
「……話?」
告げられた言葉の内容に疑問符ばかりが募っていく。カミュに促されるように向けた視線の先で、スカートの裾を固く握りしめる少女の姿。その口元は微かに震えており、不安いっぱいにキュッと縮こまっている。
そんな彼女が、ゆっくりと顔を上げる。デネットの瞳と、女生徒の瞳が真正面から見据え合う。
「私はあの日、クルード先輩を売るために、デートに誘いました。金に目がくらみ、自分の生活と、地方の家族への仕送りの為に」
「……あぁ、知っているとも。君の家庭事情を調べ上げ、傀儡に仕立て上げたのは他ならない私なのだから」
「金に釣られて先輩を売った卑しい女。……デネット先生はあの時、私のことを、そう仰いましたよね」
「それは私の間違いだ! そうせざるを得ないようにしたのは私で、真に卑しいのは、……本当に蔑むべきはこの私――――」
「いえ。私はその言葉、間違ってないと、思います」
震え混じりの声が室内に反響する。無数の視線が二人の対話を静かに覗き込んでいる。無論、その中にエレガスも存在していた。
「後日、私は思考も纏まらないまま、クルード先輩を探しました。なんて言葉をかけていいのか分からなかったけど、とにかく謝らなきゃって気がしたから。……でも、クルード先輩が意識不明の重体で入院していると知らされた時、私は足が竦んで動けませんでした。あれだけ謝ろうって固めた決意も、病院の前まで来ると途端に脆く崩れてしまうんです」
「……君は、どうしたんだ?」
「私は結局、謝ることは出来ませんでした。貰った金は一銭も手放すことなく、しっかりと仕送りに使いました。……そして、クルード先輩は学院から姿を消して、私はまた謝罪の機会を見失いました」
「そう、か」
「いえ。本当は、心の底ではホッとしていたのかもしれません。……もうこれで、自分がどれだけ卑しいか自覚せずに済むから」
「あのね。一ついいかしら」
重く苦しい空気を纏う言葉のラリーに、鋭い声が一閃。言葉の主へとその場の全員が視線を向ける。そこには僅かに苛立ちの表情を浮かべた保険医、エルマーナの姿があった。
「ここは自虐や反省をする場所じゃない。私たちは今、学院の方針を左右する大事な話し合いをしているんでしょう? カミュ。その子を連れて来て何がしたいのかわからないけど、そこの新任教師と傷の舐め合いをさせたいなら別のところでさせなさい」
あまりにも厳しいエルマーナの物言いに、しかし誰も反論の異を唱えない。本心では多くの者が同じ考えを抱いていたからである。王家への反逆。聖キャバリス学院の立場。あまりにも壮大な計画の一端において、この話し合いの何が重要なのか。
「はっきり言って、邪魔よ」
理解するものは、いなかった。
「――――革命家だけでは、革命は成功足りえない」
唯一人を除いて。
静かに呟かれた声に、再び場の視線が一点に集中する。エルマーナは僅かに怪訝な表情を浮かべ、自らの近くに座るその人に言葉をかける。
「どういうことかしら、エレガス」
「歴史研究家の間でよく使われる通説だ。君もよく知ってるだろ」
「それが今、どういう関係があるのかしら」
「カミュさんは、本気で革命を起こす気ってことさ」
ギィ、と僅かに椅子を鳴らし前傾姿勢を取るエレガス。その瞳は冷たくカミュを見据えている。
「君は想像以上に強かだね。今の話を聞く限り、その子は現状に満足していたはず。でもここに連れてきたという事は、何かを変えたい、変わりたいという意思を抱いて来ているはずだ」
「流石です、エレガス先生」
ニコッと朗らかに笑うカミュの表情に、エルマーナは無意識に背筋を伸ばす。何故だろう。優しく、甘い言葉を吐いているはずなのに。その声は、不用意に触れてはならない棘を想起させる。
「私は、彼女の気持ちが分かるんです」
柔らかな微笑みを携え、カミュは優しく女生徒の肩に手を乗せる。
「何かをしたい。何かを変えたい。そう思っても自分に出来る事なんてたかが知れている。自分に一歩踏み出す勇気があれば。自分に何かが為せる力があれば。そうやって無いものねだりをして、結局何も出来ないまま後悔だけを募らせる。――――だって私たちは、脇役だから」
ピクリと何人かが反応する。その最たる例が、デネットと女生徒であった。
「いいんですか? このままないがしろにされて、自分の存在価値を見失い続ける。そんな日々で満足できるんですか。……ねぇ、デネット先生」
「何が、言いたいんだ」
「先生だって、本当は後悔してるはずです。あの時、早まって自分が七雄騎将除籍の事を話さなければ、クルード先輩が傷つかずに済んだかもしれない。ホーネス先輩が消えることも、学院自体を危険に晒すことも無かったかもしれない」
「…………なんで、それを……!?」
「この場にいる皆さんの中にも、きっと後悔している人がいるはずです」
カミュの微笑みが、周囲を睥睨していく。大の大人が揃いも揃って、たった一人の少女に空気を支配されかかっている。エルマーナとエレガスは同時に同じことを考えた。この話し合い、既に勝敗は決したな、と。
「学院の侵入者を阻むことが出来ず、いい様にしてやられ、挙句の果てに権力によって暴挙をねじ伏せられる。それを許せるんですか?」
独壇場と化した室内にて、少女は高らかに声を震わせる。大輪の笑顔は人の心を甘く溶かし、温かな言葉は冷たく閉ざされた胸の扉を優しく開け放つ。心の奥底で鬱屈した感情が今、導火線に火を放たれたのだ。
「私だってそうです。クルード先輩もいない。ホーネス先輩もいない。大切な親友は自分のやるべきことを見つけた。それなら私は? 脇役のまま、何も為せないままうずくまって状況の鎮静化を待つ? ……いいえ」
少女の肩を軽く叩き、カミュは職員室の扉にそっと近づいていく。突如として静まり返った室内に佇む教職員たち。その耳に、微かな物音が飛び込んでくる。初めは小さな音だったそれはやがて大きく、確かな振動を伴ってこちらへと近付いていた。
それは足音だった。
「…………嘘でしょ」
「…………これはこれは」
エルマーナは驚愕に顔を歪め、エレガスは呆れと驚きを内包した声を漏らす。
「脇役が革命の主役になれないなんて、一体誰が決めたんですか?」
大衆の先頭に立ち、カミュは力強く言葉を紡ぐ。
その場に集まる教職員にとって、眼前の光景は到底信じられないものであった。そこにいたのは自分達が受け持つ、学年クラス問わず集められた生徒たちだったのだから。
その中で、特に目を惹く者が数人。エレガスはすぐに気づいた。その者たちが、女生徒やデネットに負けず劣らずの後悔を抱えているという事を。
「キャメロン王国上層部の暴挙は、私たちの学び舎を揺るがす脅威に他なりません。だから私は……いえ、私たちはお願いをしに来たんです」
「なら、教師一同を代表して私が問いましょう。カミュさん。君は一体、何をするつもりですか?」
凍える視線がカミュを穿つ。英雄の瞳が細く閉ざされ、鋭い矛先が決して逃しはしないと一挙手一投足を見つめている。そんな状況の中で、カミュはゆっくりと口を開く。
「それは――――」
告げられた言葉にエレガスは無言で瞳を閉じた。教職員の誰もが言葉を発さず、英雄の決断を座して待つ。そしてゆっくりと頷く横顔を見て、彼らもそっと瞳を閉じるのだった。
☨
「学び舎を荒らし、子供たちを傷つけるその所業。そこに道理があるというのなら――――お聞かせ願おうか?」
凛と放たれたエレガスの言葉を後方で耳にしながら、カミュは緊張に震える拳を強く握りしめる。
ついに始まってしまった。自分の言葉が、彼らを行動に移させたのだ。その責任の重圧は両肩に強く圧し掛かっている。
「ピシッとしなさい」
そんなカミュの頭を優しく撫でる掌。柔らかな声を口にするエルマーナは、気丈に胸を張りながらカミュの横に立っている。
「アンタが私たちを、そして彼らの背中を押したんでしょう。なら、もっと自信をもって胸を張りなさい」
「エルマーナ、先生」
「若者の熱に当てられちゃって、大人が揃いも揃って大はしゃぎしてるんだから。子供はもっと楽観的でいいのよ」
「ありがとう、ございます」
やや緊張がほぐれたようなカミュの表情を見て、エルマーナはフッと笑みを浮かべる。あの時に大口を叩いた少女とは思えない程に、今のカミュは年相応の姿をしていた。
「それにしても、ホントよく考えたわよね」
前方で声高らかに言葉を放つエレガスとデネットに視線を向けながら、エルマーナは感嘆の言葉を漏らす。その意識は既にこの場にはなく、各地に散らばる彼らに向けられていた。
「私たち教職員を、まとめて囮に使うだなんて」
☨
「民衆の暴動。その旗頭が、デネットとエレガスだと?」
円卓の一角にて、ライアードは低く唸り声を上げる。それはまさしく、計算外の出来事に動揺を押さえつける行為であった。
しかし動揺は一瞬のみ。すぐさま思考を切り替え、この後の取るべき対策を頭の中で羅列する。
「貴公騎士団、親衛騎士団。反乱分子を捕縛せよ」
「それは随分と早計じゃないかい?」
ライアードの命令を遮るように、ラミエがおどけた口調で言葉を挟む。
「彼らがどんな意図をもって行為に及んだか。まずはそこを探るべきでは?」
「通常ならば私も喜んでそうしよう。しかし、今日は国の行く末を決する重要な会合の日。ならばまず取るべき行動は鎮静化一択であろう?」
肩をすくめて押し黙るラミエ、そして誰も口を挟もうとしない状況を眺めながらライアードは勝利を確信する。どれだけの武力行使に及ばれたとしても、今日という日だけは絶対に地位が揺らぐことは無い。この場に王家が居ない時点で、発言権の最高位はこの自分。故に、七雄騎将以外の全ての指揮権はこのライアードの掌にある。
「さあ。ベロー殿、アレス殿。反乱分子に正義の鉄槌を下してやろうではないか」
「御意」
「承知しました」
柔らかな笑みと共に、傲慢な命令が下される。それぞれの想いを胸の内に秘めながら、四聖騎士団の二大巨頭が頭を下げようとした、その時。
「失礼します!」
再び扉の外側から、新たな伝令が姿を現した。
「緊急の要件につき、無礼をお許しください!」
「……今度はなんだ」
「ハッ! どうやら街のあちこちで、何やら不穏な動きが見られると!」
「それは既に聞き及んでいる。学院の愚か者が反乱を――――」
「市民が各地で一斉に蜂起し、国営施設を包囲しているとの報告がッ!」
「………………なんだと?」
揺れ動く事態にライアードは再び動揺を抱く。だが、まだだ。思考は周り、冷静に物事を考えられる。ならば同様に一つずつ対処していけばいい。取るべき行動を羅列し、自分の手札と対処方法を計算すれば済む話だろう。
自らに言い聞かせるように言葉を列挙していくライアードの元に。
「伝令ッ!」
「緊急事態発生ですッ!」
次々と嵐がやってくる。
「王都周辺に、黒装束の気配あり!」
「城内に侵入者の痕跡が発見されました! 現場から迅速な指示を求める声が上がっております!」
ドンッと鈍い音が響き渡る。円卓が衝撃に揺れ、視線が一斉にライアードへと向けられる。だが、もはやライアードにそれを認識する余裕は無い。化けの皮は剥がれ、醜悪な本性が顔を出す。
「……何だ。…………一体、何が起きているッ!?」
☨
「ふふ」
鈴の音が鳴るように、軽やかな笑い声が口から漏れる。思わず声を大にして言いふらしてやりたい。
どうだ。私の親友はこんなに凄いんだぞ、って。
「緊張感のない奴だ。何を暢気に笑っている」
「べっつに。逆にそういうアンタは緊張してるの?」
「ほざけ。腰巾着に足を引っ張られては面倒なだけだ」
「あーそーですか!」
「あのさ、キミたちは少し黙れないの?」
三者三様の言葉を吐き捨て合いながら、少年少女は立ち上がる。眼下に広がる光景を見つめ、剣柄を握りしめて一呼吸。
「さ」
炭のように黒く染められた装束を身に纏い、イリスは深くフードを被る。
「私たちも始めましょうか」




