第30話 会合
闇に覆われた世界に光が差す。柔らかな温かみが、夜の寒さを緩やかに溶かしていく。橙色の太陽が昇り始める早朝、人々は一日の始まりを認識する。
その日は不思議と、全員が奇妙な違和感を覚えていた。いつもとは異なる、何かが始まる予感が胸中を侵食していく。しかし彼らはその感覚が何なのか理解できない。否、知る由も無いのだ。
歴史の分岐点たる激動の一日が今、幕を開けようとしていた。
☨ ☨ ☨
「お集まりの皆々方。よくぞ参られた」
王宮の最奥。キャメロン王国の聖域とも呼べる空間の中心で、ライアードは高らかに声を上げる。以前、七雄騎将が集った円卓よりもさらに巨大な円環には、王国の有権者、文官、武官の幹部が雁首を揃えて席に座している。
特筆すべき人物として筆頭に上がるのはやはり、聖陽院の代表たるライアードはもちろんのこと。その他にも四聖騎士団の二頭、貴公騎士団のベローと新鋭騎士団のアレスが、円環を挟んで対角線上に立っている。
「キャメロン王国の未来を担う皆がこの場に足を運んでくれたこと。このライアード、陛下に代わって感謝を申し上げる」
その発言を聞いた皆が、心の中で苦笑いを浮かべる。一体どの口が言っているのか。王家の代弁者として立つ姿は、自分が立案したものであろう。誰もがそう思ったとしても、誰も口に出すことは出来ない。今この場において、最も発言力のある一人がライアードその人であるからだ。
そう。王家の面々は、誰一人として出席していなかった。国王陛下本人ならいざ知らず、その娘たるエリーゼまでもが姿を現していない。会合に集まった者たちは、その様子にこれからの行く末を察する。
キャメロン王国の現在の情勢が王家派閥と聖陽院派閥に分けられているのは、王宮の誰しもがよく知るところであった。そんな状況で、王家の人間が誰一人として会合に出席しない。これすなわち、情勢の雌雄が決しつつあるという事の証明である。
現に、王家派閥の幹部は全員が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。ここから先は、ライアードの独壇場であると全員が察したからであった。
しかし。唯一対抗できる存在が、この場にいる。
「口の利き方に気を付けろ」
低く唸る声色に、円卓の視線が集結する。その一角が纏う空気は異様と呼ぶに相応しい。席に座す一人一人に華があり、各々の振る舞いが会合の行く末を揺らがせるほどの風格を感じさせる。その瞳に睨まれれば身を竦め、対峙すれば息が詰まりそうな威圧感。
七雄騎将の中で唯一出席した三傑は、まさにこの場におけるライアードの抑止力であった。
「七雄騎将制度の廃止。それを口にした貴様の発言は、一つ一つが命取りだと思え」
「まぁまぁ。まずは話を聞こうじゃないか」
その中でも特に目に映るのは、やはりこの二人。序列二位のバイツと、序列三位のラミエであった。英雄の中の英雄、七雄騎将上位に名を連ねる者の発言には耳を傾けざるを得ない程の引力がある。彼らの一人が牙を剥けば、この場の人間が蹂躙されるだろうことは容易に想像できる。そこまでの力の差が、七雄騎将には存在するのだ。
「だがね、ライアード殿。これは私としても中々に興味深い題材だ。七雄騎将制度は、キャメロン王国の歴史そのもの。それを廃止しようなどというのは、歴史の否定だよ?」
「無論、存じ上げている。だからこそ、この場にて話す価値があるのだよ」
「ふむ。面白い」
知的好奇心をくすぐられたラミエの表情に焦りは一切存在しない。自分の立場が揺らがされるというのに、不安も怒りも無いのだ。それは他の二名も同様であった。彼らにとって七雄騎将という制度から自分が弾き出されることに対する心配など毛頭ない。ただひとえに、歴史の否定という問題。全てはそこに帰着するのだから。
「皆様は、バルタニカ皇国の現状についてご存じだろうか?」
ピリッと、場の空気が引き締まる。その発言はそれまでの何よりも重い。下手をすれば、七雄騎将制度の廃止よりも。
「三十年前の戦争から今日に至るまで国交を断絶し続けてきた某国。だが、近年は奴らの暴挙が目に余る。領土の端で人身売買に手を出す村落の出現。二年前、王都にて反乱計画を企てた首謀者も、彼の国から追放された騎士崩れであった」
「だが、あの一件は某国から離反した暴徒集団の策略であると調査結果が出ているはず!」
「確かに、某国は謝罪の意として謝礼金と彼らの身柄を我らに献上した。しかし、本当に無関係なのか?」
「それこそ陰謀論だろう!」
王家派閥の文官たちがライアードに食ってかかる。しかし、その尽くに対してライアードは首を横に振った。
「残念だが、この説を裏付ける調査結果が新たに判明した。……そうだろう? リト殿」
ライアードが放った言葉に、再び円卓の視線が一角に集中する。七雄騎将の三傑、その最後の一人である序列五位のリトは静かに瞳を閉じる。そして、意を決して口を開くのだった。
「……うちのコバニを連れて、自分は半年ほど国境付近で活動を続けてきました。治安維持というのが表向きの理由だけど、実のところは二年前のような反乱の異分子が居ないか村落を監視する役割でした」
一拍置いて、リトは告げる。
「俺たちはそこで一つの滅びた村を発見しました。名は…………ブーテン村」
ざわざわと騒めきの波紋が広がっていく。その村はキャメロン王国に因縁深い場所であった。二年前の反乱で首謀者たるボルカが討たれ、新たな七雄騎将を生み出すことになった聖地。
ピクリと、何名かが身体を震わせて反応する。
「かつて、人身売買の仲介を担っていた村落の一つでもあったブーテン村。その際に反乱計画に加担していた村長含む権力者たちは捕縛され、その後の運営は別の人間に一任されていたはずですが……。俺たちが発見したのは、無残に殺された後任者の死体でした」
「待て。それが一体、バルタニカ皇国と何の関係がある?」
「結論を言いましょう。ブーテン村に転がる死体の数々。その中に、若い人材は一人としていなかった」
「……どういうことだ?」
「調べたところによると、どうやらその村には道場があったそうでかなりの門下生が在籍していたと。戸籍と見比べて判明しましたが、死体の山に門下生は一人も存在しなかった」
「まさか」
「そう。ブーテン村は、その道場の門下生によって壊滅させられたのです」
どよめきが辺りを支配する。信じられない、何かの間違いじゃないか。そんな驚きと不穏な気配が円卓中を包み込んでいた。もしもそれが本当ならば、どうしてその事件が明るみに出なかったのか。当然の疑問が会合参加者の脳内を巡っていた。
「……その道場が、バルタニカ皇国と繋がっている証拠はあるのか?」
「バルタニカ皇国の国章を、皆さんはご存知ですか?」
「……悪趣味な、黒い太陽であろう? 王立騎士団の掲げる白い太陽を侮辱するかのような、おぞましい刻印だ」
「ええ。……それを身体に刻み込むための焼印が、道場の地下から見つかったとすれば。考えられるのは唯一つ」
「なんと、いうことだ……」
フラフラとよろめきながら席に着く文官を尻目に、ライアードは静かに円卓を睥睨する。ここまで会場が温まれば、バルタニカ皇国へのヘイトは確実に上昇する。ここまではライアードの思惑の範疇であった。
後は、七雄騎将廃止の意義を語るのみ。
「このように、バルタニカ皇国は水面下で我々に挑発を繰り返している。ならば黙って見ている訳にもいかない。我らは早急に、手を打たねばならない。……七雄騎将という制度は、キャメロン王国の権威の象徴にして抑止力。だが、その抑止力を行使するためには、確固たる規律の元で運用されるべきである。今のように各々が遊軍紛いでは困るのだよ」
「なら、どうするというんだい?」
ラミエの単調なる問いかけに対し、ライアードは笑みを深める。
「七雄騎将を、それぞれ四聖騎士団の――――」
その瞬間。会場の扉が勢いよく開け放たれ、一人の騎士が足を踏み入れる。汗を垂らしながら焦燥感に満ちた表情を浮かべる人物は、ライアードの手駒たる院立騎士団の団員であった。
「ほ、報告いたしますッ!」
「……この場はキャメロン王国の未来を決する会合である。それを妨げるなど、些事であれば極刑の」
「王都中央にて、民衆の暴動が発生! 警備兵では手に負えず、至急騎士団の派遣を願いたく……ッ!」
「…………なんだと?」
眉をひそめ、ライアードは心の底から驚きの声を漏らす。
「そのような愚行を犯す輩がいるとはな。して、その旗頭は何奴だ?」
「そ、それが――――」
次に告げられた言葉に、場は最大のどよめきに揺れる事になる。その名を耳にしたライアードのみならず、バイツ、ラミエ、四聖騎士団の面々が驚愕に顔を歪めた。
そんな混沌とした会場で一人、口元を手で隠す者がいた。思わず深まる笑みを隠しながら、彼は心の中で呟いた。
さぁ、反乱しちゃおうか。
「元七雄騎将エレガスと、王立騎士団団長デネットでありますッ!」




