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第27話 醜悪な本音

「……カミュ?」


 初めは、小さな違和感だった。

 訓練の最中、ふと視線を向けた扉の後ろから垣間見せた親友の表情。それがなんだか、思い悩んでいるような気がしたのだ。

 しばらくしてようやく訓練が終わり、着替え終わったイリスはリトに向かって尋ねた。


「あの、カミュはどこに行ったんですか?」

「カミュさん? 彼女なら確か、先に帰ると言っていたよ」

「そう、ですか。ありがとうございます」


 未だ片隅にこびりついた違和感を押し殺し、イリスは料亭ラビッツを後にし帰路に就く。

 ラビッツに通うようになってから早五日が過ぎ、流石のイリスも道を間違えることなく聖キャバリス学院に帰ることが出来るようになっていた。もっとも、いつもはカミュと一緒に往来を共にしているため、迷うことなどほとんど無いのだが。

 故に、一人で帰る道は新鮮で、どこか寂しさを感じるものだった。

 そして。


「…………カミュ?」


 寮の部屋に戻り、カミュの姿がどこにも無いことを知った瞬間。

 イリスの嫌な予感は全身を駆け巡っていた。


 慌てて寮を飛び出し、学院中を探し回る。

 生徒に、先生に、ありとあらゆる人間に声をかけるが誰もカミュの行方を知らない。

 気付いた時には、間もなく外出時間だという事も忘れて学院の外へ飛び出していた。


 学院から出てしばらく進んだ先で、イリスはあの広場へと辿り着いた。

 かつて待ち合わせ場所として用いて噴水の周りを駆け回り、道行く人にカミュの人相を口にしながら尋ねていく。

 そして。


「うん、見た見た。桃髪の少女ならそこで大泣きした後、おじさんと一緒にどこかへ行ったよ」


 そう告げられた内容に、イリスの脳裏は真っ白になった。

 犯罪、事件、最悪の結末を想像し、イリスはただひたすらに走り続ける。どれだけ見当がつかなくても、何処にいるか分からなくても、イリスは懸命に駆けだした。


「カミュ……っ!」


 焦燥感を滲ませながら、イリスはカミュの名前を呼ぶ。

 もはや自分がどこを走っているか分からない。ただでさえ方向音痴ですぐ迷子になるというのに、人探しなど出来るはずが無い。そんなことはイリス自身が良く理解していた。

 それが今まで困らなかったのは、いつも隣に親友カミュがいたから。


 自分の無力感に苛まれそうになりながら、それでもイリスは足を止めなかった。

 全身に汗をかきながら、激しく息を切らしながら、疲労感で視界が霞みそうになりながら。

 でも。


「……だぁぁぁッ、もぉ!」

 

 いくら探せども、カミュの影さえ踏める訳もなく。そもそも自分がどこにいるのかも分からない現状で、闇雲に走り回ったって意味は無い。

 そんなことは分かっていた。分かっていてもなお、自分への憤りを抑えられずイリスは天を仰いだ。


「…………おい」


 故に、これは偶然であった。


「俺の道を遮るな、女」


 低く呟かれた声色に、イリスは咄嗟に視線を下げる。そして、驚愕に顔を歪めた。

 フードの下から覗く、死霊のように蒼白い表情。生気の宿らない瞳。


 シュバルツ王立劇団、若き俊才ジルフロイド。

 現段階で仮想敵と睨んでいるはずの男と、まさかこんな場所で再会するとは、流石のイリスも夢に思わなかったのだ。


 ☨


「後は若者同士、まっすぐ気持ちをぶつけ合いなさい」


 そう言って遠ざかっていく父の足音に微かな意識を向けながら、視線と残った大半の意識を彼女へと向ける。

 どうしてここが分かったのか。何で追いかけてきたのか。そんなことを考えながらも、カミュはホッとした表情で口を開こうとした。

 しかし。

 

「イリス、さん」


 掠れた声で、名前を呼ぶことしか出来なかった。

 その瞬間、カミュは気づいてしまった。自分の身体が、小さく震えていることに。今すぐ逃げ出したい衝動が、全身を確かにめぐっているということに。

 感情を全部さらけ出してスッキリした影響だろうか。

 今なら、わかる。


 自分は、イリスに劣等感を抱いていたのだ。

 何も持たない自分と真逆に位置する、この天才の親友に。


「よかった!まったくもう、心配したんだから……」


 安堵の表情を浮かべながら、イリスはゆっくりと一歩踏み出した。

 そして。


「……カミュ?」


 イリスも気付いてしまった。親友が自分に向ける視線の中に、複雑な感情が混じっているという事を。


「どう、したの? そんなに泣いて……」


 目を赤くしたカミュの姿に驚きの表情を受かべ、イリスはそのままゆっくりと視線を動かした。振り返る様子もなく歩き去っていく男性の背中を眺め、イリスはそれがカミュの父親であると認識する。


「あれってカミュのお父さん、よね? 良かった……。カミュが変なおじさんに連れていかれたって聞いてたから、私、何か変な事件に巻き込まれたんじゃないかって……」

「……ごめんなさい! イリスさんに心配かけるつもりは無かったんですけどね~、たまたまお父様と出会って、ちょっと話が盛り上がっちゃったんですぅ!」


 安堵と心配が入り混じった表情を浮かべるイリスに対し、カミュは努めて明るい口調で言葉を発する。

 いつも通り。元気いっぱい、はつらつで、カラッとした性格の少女であるカミュを演じる。心配をかけない為に、善意で嘘を塗り固める。

 それがカミュに許された、唯一の武器だから。


「さ! もうこんな遅い時間ですし、学院に戻りましょっか! もしかしたらまた先生に怒られちゃうかもしれないけど、その時は私が何とか説得してみせますぅ! イリスさんが修行できなくなるのは困りますし、何か適当な理由でも考え――――」

「カミュ」


 ピタリと、音が止まるように。明るく振る舞うカミュの言葉を遮り、イリスは小さく呟く。

 瞬間、温かみを取り戻しかけた空気が急速に熱を失っていく。柔らかな雰囲気は霧散し、再び冷たい風が二人の間を通り過ぎる。


「どうしたの?」

「……イリスさんの方こそ、どうしたんです? そんなに怖い顔をしないで、いつも通り楽しそうに笑いましょうよ!」

「そんな顔をしてる友達の前で、いつも通り笑える訳ないじゃない」


 誤魔化すように朗らかに笑うカミュに対し、イリスは真剣な眼差しで友を見つめる。


「何かあったなら話してよ。私たち、友達でしょう?」


 その言葉に、カミュはハッとした表情で微かに目を見開いた。


「友達……」


 ポツリと小さく呟くカミュ。その単語に、得も言われぬ違和感をふと感じたのだ。

 カミュは考える。友達だから、何でもかんでも話さなきゃならないのか。仲が良ければ、信頼していれば、自分の全てをさらけ出すことは出来るだろうか。

 答えは、否である。

 友達だから、親友だからこそ、自分の醜い部分は絶対に見せたくない。自分本位の身勝手な考えを吐露しても、それは何の利益も生まない。

 そう、利益だ。嘘とは、利益を生むためにある。それが商人の間の共通認識であると、カミュは幼い頃からよく理解していた。

 なのに、どうしてだろう。

 何故こんなにも、心の内側が騒めいているのだろう。


「……本当に、何も無いんです」

「何も無いなんて、そんなの嘘よ」

「嘘じゃない、です」

「嘘よ」


 眉間が、ピクリと反応する。

 意見を曲げずにぶつかってくるイリスの態度に、カミュは徐々に苛立ちを募らせていく。


「大丈夫ですよぉ! 少し気分が落ち込んでるだけですから、しばらくすればいつも通りになります!」


 少し語気を荒げながら、誤魔化しの言葉を発するカミュ。

 しかし。


「いつも通り、ね」


 イリスは、そんなカミュの言葉に冷ややかな意見を放つ。


「そんな日常、もうどこにも無いじゃない」


 何かが軋む音のような幻聴が、カミュの脳裏に響く。心臓が徐々に早鐘を打ち、紅い血潮が全身を駆け巡る感覚をなんとなく認識する。

 思わず、カミュの拳に力が入る。


「何、を」

「ホーネス先輩もクルード先輩もいなくなって、コバニ先輩たちが七雄騎将を辞めさせられる騒動に巻き込まれて、なんだか周りの状況とかも騒がしくなって。もう、以前みたいな日常は戻ってこないのよ」

「そんなの、わかってます」

「なのに何もせず、何も見ていないフリをするなんて、もう嫌だ。だから私は剣を取るの。あの人たちがどれだけ気に食わなくても、強くなるために私は前に進むの」

「だから、そんなことは私だってわかってますよッ!」


 限界まで張っていた糸が千切れるように、弾けた感情が音を立てて口から吹き荒れる。

 声を枯らしてしまう程に、喉を震わせカミュは力の限り声を荒げた。


「もうあの楽しい日々は戻ってこないッ! そんなことは馬鹿な私でもよくわかってますッ! でも、何も出来ないから普通のフリをするんですッ」


 もう止まらない。感情に身を任せながら、カミュは溢れ出てしまう涙を再び手で拭う。

 この涙は、悲しみの涙だ。

 先輩たちを失ってしまった過去に対する涙では無い。今ここで大切な親友が失われてしまう、あと少し先の未来を憂いて涙を流すのだ。


「イリスさんはいいですよねッ! 力があるから、こんな時でも誰かの役に立てるっ! でも私は違う! いつだって、みんなの背中を見てることしか出来ない! あの時だって――――」


 思い返すは、先日の出来事。

 傷だらけのイリスとクルードが病室のベッドで横になってる中、何があったかをホーネス先輩と二人で聴いていた時。王立騎士団の陰謀に巻き込まれ、謎の黒装束に襲われたという話を聴きながら、思わずこう思ってしまった。

 まるで、物語の登場人物みたいだ――と。


「……クルード先輩も、イリスさんも、前に進むことを恐れない。どれだけ自分が傷ついても、誰かのために自分の身を差し出せる。……本当に、凄いですね。騎士の中の騎士、物語の英雄みたいですよ」


 哀愁を漂わせ、カミュは荒んだ笑みを浮かべる。


「私は違う。自分が傷つくのが怖いから、じっとみんなの帰りを待っている事しか出来ない。……私は、ホーネス先輩も同じ人間だと思っていた」


 しかし。


「でも違った。あの人は、誰よりも自分の身を犠牲に出来る人だった」


 『友である前に、私はクルード様の従者なのです。『あの方の為に何ができるか』それが使命であり、そこに対等な関係など必要ない』


 自分と同じ持たざるものだと思っていた彼は、自分の想像の範疇を超え、誰もが想定し得ない行動に出た。

 恐れを知らず、前に一歩踏み出す勇気。それを、ホーネスはしかとその身に宿していたのだ。


「…………どうです? これが私の、カミュ・シュバルツの全てです。何も考えずに、ただそこにいるだけで場を明るくするような快活な少女なんて、初めから存在しないんですよ」


 そして、カミュは引きつった笑みを浮かべながら首を垂れる。


「ごめんなさい。こんな臆病で弱っちい人間を、友達なんて呼ばせて」


 醜悪な本音をぶち撒け、カミュは不思議とスッキリした気持ちになっていた。今思えば、これまでの全ての行動には裏があったのかもしれない。

 エレガスの元へ行きホーネスの心情を探ろうとしたのも、自分の理解が及ばない場所へ行こうとするホーネスが怖かったから。

 イリスに対して冷たく言葉を発するホーネスの前に立ったのも、今の温かくて平和な日常が崩れてしまう気がしたから。

 クルードを庇うイリスのことを糾弾するコバニに対し自ら食って掛かったのも、あの日常が戻ってこないと指摘された気がしたから。

 全部、全部意味があった。自分可愛さで、身勝手に振る舞って、それを人のためと偽って。


 嗚呼、そうだ。

 こんな現実を知るくらいなら。身の程を知って、辛い目に遭うと分かっていたら。

 初めから、聖キャバリス学院に入学なんてしなければ――――


「【顔を上げて】」


 鈴の音のように軽やかな声が、優しく鼓膜を震わせる。

 顎に指が当てられているかのように、無意識に、視線が上がっていく。

 まるで、天使の囁き。そう錯覚してしまう程に、イリスのその言葉は美しく大気を震わせていた。


「……カミュの気持ちは痛いくらい、よ~くわかった」


 気が付けば、いつも通り優しく微笑むイリスの表情がそこにはあった。

 微かに、困ったように眉をひそめながら、イリスは静かに口を開く。


「ごめんね。私、友達はカミュが初めてだから。こういう時、何て声をかけていいか分からないけど。でも、一つだけ言いたいことがあるの」


 その表情は、まるでいつもの談笑の延長線上かのように、随分と軽く朗らかな口調であった。

 そして。


「ばーか! カミュが思ってる以上に、私はカミュの良い所をたくさん知ってますよ~だ!」


 記憶の中の日常と同様に、イリスは少し小ばかにしたような表情で笑い飛ばすのだった。

 

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