第20話 疾風迅雷
「ウィンリー!? 何でここにアンタが……!」
「おいおい、そう殺気立たないでくれよ。共に凡愚の背中を守った仲だろう?」
「ふざけないでっ! 私はまだアンタのことを許したわけじゃ……」
「ならば口を慎みたまえ。君は学生で、僕は王立騎士団として公的な立場にいる。そもそも、君たちがここにいること自体、僕からしても想定外だ」
やれやれとでも言いたげな様子で肩をすくめるウィンリー。
そんな姿により苛立ちを感じずにはいられないイリスであったが、その発言には何の反論も出来なかった。
自分は学生で、ただの騎士見習い。対して相手は、騎士の中でも選りすぐりの秀才と呼ばれる男。
立場が、違う。
「ふっ、理解したようだね。なら下がりたまえ」
勝ち誇った顔を浮かべ、ウィンリーはゆっくりとイリスの横を通り過ぎる。
そして。
「で。君がかの七雄騎将序列六位、コバニで相違ないかい?」
「……今度は誰? ボクは今忙しいんだ、悪いけど話ならまた後に――――」
「すまないが僕も仕事でね。君を『七雄騎将から除籍しろ』と、上からのお達しだ」
ピクリと、コバニの表情に皺が寄る。
「いま、なんていった?」
「おや、聞こえなかったかい? 七雄騎将を辞めろと言ったんだ」
瞬間、コバニは掴んでいたカミュを突き飛ばしウィンリーの方へと身体を向け直す。
突き飛ばされたカミュの身体を優しく受け止めながら、リトは即座に眼前の二人へと視線を向ける。
微かに揺らめく闘気が、二人を取り囲むように静かに立ち上っていく。冗談では済まされない一触即発の空気が、今まさに弾けようとしていた。
「落ち着くんだコバニッ! その者は恐らく騎士団の人間だ! 危害を加えれば、お前の立場はさらに危うく――――」
「黙れよ、リト」
リトの言葉を一蹴し、コバニは低音じみた声色を震わせる。
そしてゆっくりと料亭のカウンターへ近づき、机の裏面に手を伸ばす。
ガコンッと大きな音が鳴り、コバニの掌に現れたのは一振りの長剣。否、それは長剣よりもさらに長大な、コバニの身の丈よりやや小さい程度の奇怪な剣であった。
「ほう? その無駄に長い剣で、僕をどうする気だい?」
「どうするって、決まってるでしょ」
ピョンピョンと、まるで兎が跳ぶかのように真上へジャンプするコバニ。
その小柄な肉体の特性である身軽さを発揮したかのような脚力に、ウィンリーは静かに視線を向けて警戒する。
しかし、そんな危惧とは裏腹にジャンプの滞空時間はより長くなっていく。
ピョーン、ピョーン。兎が、宙を舞う。
「お客様、大変失礼ですが」
そして。
コバニが床に、足をつけた。
「――お帰りやがれ、クソ野郎」
次の瞬間、店の床が砕け散る。
小さな影が音を置き去りにし、続いて衝撃が周囲の空気を震わせる。
「つ……ッ!?」
咄嗟に刃を抜かずそのまま鞘で衝撃を受け止めた判断、ウィンリーは何も間違いでは無かった。
だが、ウィンリーが予想しえなかった一つの誤算。ピシリ、と鞘がひび割れる。
次いで訪れる、周囲の光景が遠ざかっていく感覚。瞬間、ウィンリーの視界に青い空が広がった。
「ばッ」
受け身の体勢を取り、大地への衝撃を背中で和らげる。
ゴロンと一回転し即座に立ち上がると、ようやくウィンリーは周りの喧騒を認識する。
「なんだなんだッ!?」
「料亭ラビッツから人が飛んできたぞ!」
「看板娘のお怒りだ! みんなこの場から離れろ!」
あぁ、なるほど。
服に付着した砂汚れを手で払い落しながら、ウィンリーは自らの状況を理解する。
「……七雄騎将の下位で、この威力か」
「そう。これが英雄の一撃」
煙幕のように立ち込める砂ぼこりの中から、小さな影がその姿を現す。
「最後の忠告。任務は失敗、コバニは七雄騎将を辞めるつもりは無いと伝えて。そうすれば生かして返してあげる」
「……いいのかい? 僕を殺せば、君は本格的にその身柄を狙われることになるが」
「だから、何?」
きょとんとした表情で、コバニは小さく首をかしげる。
「七雄騎将は、誰の命令にも従わなくていいという権利がある。王でも神でも、ボクが望めば強制することは叶わない」
「それは詭弁さ。それが許されるのはあくまで『国家の保護下にある』場合のみ。国賊扱いされれば、王国中の騎士が君の命を狙うだろう」
「君の方こそ、何も理解してない」
静かなる舌戦の最中、店から同じように飛び出したイリス、カミュ、リトの三人。
眼前に映る土を付けられたウィンリーの姿に、思わずイリスとカミュは固唾を飲み込む。
あれだけクルードが苦戦した相手が、たった一撃で吹き飛ばされてしまった事実。それはイリスとカミュにとって驚愕に他ならなかった。
「七雄騎将っていうのは、強さだけが全てじゃない。強さを主軸に置きつつも、国への貢献度、実績がモノを言う世界だ」
それは奇しくも、クルードが七雄騎将に選ばれた理由の一つでもあった。
強さであれば、クルードと同等の実力者は残っていた。そんな中でクルードが七雄騎将に推された所以。
若くして数々の実績を積んだ、その真実が彼をその立場までのし上がらせたのだ。
それは、コバニも同様である。
「王国周辺地域の治安維持。犯罪者、逆賊の討伐。その数は王国随一だ」
「あぁ、知っているとも。【首狩り傭兵】の異名は、騎士団の中でも有名だからね」
首狩り傭兵。
それは、数年前から王国周辺で噂された都市伝説のようなものであった。
人知れず村や町へ赴き、犯罪者の首をその地域の警備兵へ送り続けた一人の狂人のお話。その噂はやがて、コバニという幼い少年が行ったという事実へと置き換わることになる。
七雄騎将序列六位に、コバニが選ばれることになった所以。
それこそが、【首狩り傭兵】の伝説であった。
「ボクは七雄騎将になって、絶対に成し遂げなきゃいけないことがあるんだ。そのためなら、ボクは何十人何百人だろうと首を狩り続ける」
「……それが、王国の理に反することになったとしても?」
「ボクを除籍すること自体が王国の理に反すると、力づくでも理解させるまでさ」
そして再び、兎が宙を舞う。
「それで、答えは?」
コバニの冷ややかに告げられた言葉に対し、ウィンリーは静かに口を閉じる。
返す言葉も無く、ただウィンリーはひびの入った鞘を投げ捨てた。
「……そう。なら」
その行動を宣戦布告と取ったか、コバニは瞳を細めため息をこぼす。
再び、地に足が触れる。
「これでおしまい……ッ!」
衝撃波を纏い、小さな獣が音を置き去りにする。
疾風の如き弾丸が、直線状にウィンリーへと放たれた。
「やめ――――」
咄嗟にイリスが声を漏らす。
例え気に食わない人間であろうと、目の前で誰かが死んで欲しいとは思わない。自分が口を挟む立場に無いと分かっていながら、それでも口を出さずにはいられない。
どうして。同じ王国の騎士なのに、互いに刃を向けるのだろう。
何故、傷つけ合うのだろう。
こんなもの、自分が憧れた騎士とは全然違う。
あの人なら。そう、きっと、クルードなら――――――――
「いい加減にしろ」
雷鳴が、空を薙ぐ。
イリスの横から飛び出した影が、気が付けばそこにいた。
遥か後方にいたはずの男が、今まさに飛び出したはずのコバニの腕を掴んでいる。
「これ以上は見過ごすことは出来ない。叔父として、騎士として」
そう告げたリトの表情は、今までに見たことが無いほど怒りに満ちていた。
「リトさんっ!?」
「え、あれ、さっきまでそこにいたのに!」
イリスとカミュは驚愕と共にリトの名を呼ぶ。
先程まで横に立っていた男の姿が、いつの間にか眼前に立っていた。認識よりも早く、男は舞台に上がっていたのだ。
イリスは思わず戦慄する。
その動きは、今まで見てきた人間の中で誰よりも速い。
「……うるさいなぁッ! ボクはこんなところで立ち止まってられないんだよ! リトにだってわかるでしょ!? 母さんの仇を取るためなら、ボクは国を敵に回したって――――」
パンッ、と。
乾いた音が鳴り響く。
「姉貴が、そんなことを望むと思ったか?」
「あ、あ…………」
赤く腫れあがる頬を押さえ、コバニは瞳を震わせる。
呆然と立ち尽くす甥の姿を眺め、リトはため息をついた。
「こんなことなら、お前を七雄騎将に推薦するんじゃなかったよ」
そして。リトがポツリと告げた言葉に、コバニは表情を強張らせる。
絶望と呼ぶに相応しい顔色のコバニを横目に、リトはゆっくりと視線を移動させる。
「……君も悪い子だ。冴えないおっさんって呼んだくせに、俺が動かざるを得ない状況を作るなんて」
「これは失礼しました。焚きつければ動いてくださるかと」
「……本当に、悪い子だよ」
飄々とした態度のウィンリーに対し、リトは何度目かのため息をこぼす。
「最後の一撃、君は反撃できただろう?」
その発言に、イリスとカミュ、そしてコバニは驚愕の表情を浮かべる。
リトの言葉を受け止めたウィンリーは、恭しい態度で胸に手を当てながら口を開いた。
「何のことやら」
「とぼけるのは無駄だ。王立騎士団の麒麟児、ウィンリー。俺は初めから君のことを知っていたよ」
「これはこれは、大変光栄ですね」
頭を下げ、騎士の礼を取ったウィンリー。
その最大限の敬意を以て、騎士は英雄の名を告げる。
「七雄騎将序列五位、"紫電"のリト。――――最速の英雄様に名を覚えて頂けるとは」




