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第13話 バルタニカ皇国

 そして時は戻り。


「――――このように。キャメロン王国が建国された後、国外へと逃亡した残存勢力は南方にて蜂起しました」


 一年生の教室にて、エレガスが教鞭を振るう。

 その内容はいわば復習。休み期間に出された課題を、しっかりこなしているかという確認が込められた授業であった。

 当然、イリスとカミュは既に学習済みである。

 しかし。


「それが、バルタニカ皇国こうこく


 例え一度やった内容だとしても、その衝撃は計り知れない。特にイリスにとって、それは確かな恐怖を意味するのだから。


「その国は今もなお、キャメロン王国の南方に存在します。そして、虎視眈々と機会を狙っている」

「……なんの、ですか?」


 恐る恐るたずねる生徒に、エレガスは無慈悲で残酷な真実を告げる。


「無論、キャメロン王国への侵攻です」


 ザワザワと、驚愕と恐怖が伝播する。

 それもそのはず。

 今を生きる若者にとって戦争とは過去のもの。大陸一強と謳われるキャメロン王国に刃を向ける存在など、この世に存在しないと思っていた。

 だが、それは勘違いだったのだ。

 バルタニカ皇国。その歴史は、キャメロン王国への憎悪と怒りに満ちている。

 国外へと追いやられ、光から闇へと落とされたその感情は想像を絶するものだろう。だからこそ、今もなおバルタニカ皇国は付け入る隙を狙っているのだ。


 その事実を、イリスはよく知っていた。


 身体を震わせる。

 忘れていた、思い出さないようにしていた記憶が蘇る。


『それで、本当なんだろうな? 隣国の騎士が、子供を高値で取引してくれるっつー話は』

『嘘偽りない真実だ。儂がなんのために、王国を裏切ってまで隣国に与すると思っておる?』


 ブーテン村での、師範と村長の会話を思い出す。

 隣国。騎士ボルカ。

 嗚呼、そういうことか。イリスの心に、仄暗ほのぐらい納得の感情が湧き上がる。

 バルタニカ皇国。彼らの謀略に、かつての自分は巻き込まれたのだ。


「ですが、ご安心を」


 うろたえる生徒たちを落ち着かせるように、エレガスは優しく口を開く。


「三十年前。バルタニカ皇国は一度、キャメロン王国へと侵攻を開始しました」


 その戦争の名を、生徒たちは知っている。

 今回の課題で学んだ者。親世代から聞かされた者。

 彼らは皆、一様に知っている。その結果がどうなったのか。


「【南方なんぽうバルタニカ戦役せんえき】。歴史上稀に見る大戦は――――王国側の圧勝で幕を閉じました」


 ざわめきの色が変わる。絶望から希望へ。恐怖から歓喜へと。


「もちろん、絶対に大丈夫とは言いません。皆さんはこの学院で多くのことを学び、いずれは王国の未来を担う騎士となる。だから、これだけは覚えておいてください」


 皆の顔を見渡しながら、エレガスは静かに口を開く。

 それは、元七雄騎将だからこその重みを感じさせる、"騎士の頂"からの言葉であった。


「この国には七雄騎将がいる。彼らと共にある限り、キャメロン王国に絶望は訪れさせない」



「先輩は、知っていたんですね」

「まぁな」


 草花を舞い散らせながら、男女は刃と言葉を交わし合う。


「言うなって口止めされてたんだよ。バルタニカ皇国が王国内でそんな事をしていた、なんて事実が広まったら戦争は避けられないからな」

「でもっ!」

「黙ってたのは悪かった。すまん」


 刃の軌跡がクルードの鼻先を通過する。

 避けられた。その事実にイリスは再び木剣を構え直す。一方、対峙するクルードの手に得物は無い。

 一度でも攻撃を身体に当てればイリスの勝ち。全てかわせばクルードの勝ち。

 そんな簡単なルールの模擬戦であった。


「別に、謝ってほしいわけ、じゃ……ッ!」


 言葉と共に、イリスの剣が綺麗な放物線を描く。

 縦横無尽、繰り出される連撃にクルードは徐々に追い詰められていった。

 

「おっ」


 トンッ、と。クルードの背中に木の感触。

 ここまで後退していたかと微かな驚きを浮かべるクルードに、イリスは勝利への確信を得る。


「もらった……ッ!」


 一歩、大きく踏み込むイリス。

 鋭く突き出される剣先は、空を斬り裂く速度でクルードの胴体へと迫る。

 そして、クルードの姿がブレる。


「なッ!?」


 正確には、クルードは流れる動作で身体ごと低く沈んでいた。腹部への攻撃は、気が付けば頭部へと標的を映している。

 危ない。そう思った次の瞬間、カクンと足の力が抜ける。


「近づき過ぎだ」


 瞬時に足元へ視線を移すイリス。そこには、自らの片足をイリスの膝へと絡ませるクルードの姿。

 グイッと引っ張られる衝撃に、視界が一気に空を見上げる。


「これで終わ――――」


 空を見上げながら、イリスは静かに敗北を悟る。

 もしもクルードの手に剣が握られていたならば、この隙は致命傷になり得るだろう。

 流石、先輩。

 以前までのイリスなら、心の中でそんなことを呟きながら憧れの騎士への想いを強めていただろう。

 だが、今は少し違う。


 もっと自分が強ければ、あの時先輩を助けられた。

 圧倒的な実力があれば、先輩に無理をさせることなく敵を退けられたかもしれない。

 私が弱かったから、先輩は私を庇って無理に立ち上がった。

 強くなければ。強くならなければ。私は永遠に、村にいたあの頃から何も変われない。


「まだ……ッ!」


 だから、このまま終われない。

 微かに足から感じる地面の感触。その感覚と、自らの肉体を信じて。

 イリスは、強く地面を蹴り飛ばす。


「は!?」


 クルードの目線から、その行為がどういった結果を生んだのか。それは余りにも想像の範疇から飛び出た荒業であった。

 アクロバティックな動きで後方へと身体を転回させるイリス。腕を一切地面に触れず、脚のみで肉体を空中へと浮かせるその運動神経は並大抵には出来ない芸当。

 そして。


「…………詰み、です」


 先程と同様、両足で地面をしっかりと踏みしめるイリスに。


「……参った」


 鼻先に突きつけられた刃を見つめながら、クルードは敗北を認めるのだった。



「やった、やった! イリスさん、やったっ!」

「ちょ、ちょっとカミュ! 喜び過ぎよ……もう」


 自分よりも喜びの感情を激しく露わにするカミュに対し、イリスは恥ずかしそうにしながらも微かに喜色をにじませる。

 なんだかんだ、初めてクルードに勝ち星を上げる。

 それがどんなにハンデがあったとしても、やはり嬉しいものは嬉しいのだ。


「いやー、派手にやられたぜ」


 そんな二人の様子に苦笑いを浮かべながら、クルードは静かに言葉を紡ぐ。


「あの土壇場で、まさかあんな発想をするとは思わなかった」

「まさしく、イリス殿の運動神経がなせる技でしたな」


 クルードの発言に同意するように、ホーネスも柔らかな笑みと共にイリスを褒めたたえる。


「ふふん。私、結構やるでしょう!」

「あぁ、すげーよ」


 ドヤ顔をかますイリスに文句を言うわけでもなく、クルードは静かにイリスへと手を伸ばす。

 そして。


「さっすが、俺の後輩だな」


 優しく頭を撫でる。


「ま、俺の指導がすげーってこったな!」

「よっ、流石でございますクルード様!」

「はっはっは! 俺の才能が末恐ろしいぜっ」


 バカ騒ぎを始める男子二人に、カミュは微笑ましいモノを見るかのような視線を向ける。

 そして。


「……よかったですね」


 真っ赤に熟れたリンゴのようなイリスの顔を眺めながら、カミュは静かに呟くのだった。



 そんな穏やかな空気の中で――――

 一瞬。影を帯びた表情を浮かべる主の姿を、ホーネスだけは見逃さなかった。

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