第11話 悪意と裏切りの芽
「わざわざご足労いただきありがとうございます。お忙しいかと思ったのですが、枢機卿も存外暇を持て余しているようで」
「ふふ。エリーゼ王女殿下も、随分と政界の立ち振る舞いが身に着いたご様子。昔のお転婆な姿を見てきた身としては感極まる思いだよ」
天と地。王家と聖陽院。
英霊見守る大広間にて、若き怪物と老獪な魔物が相対する。
火花散らす舌戦を交わす両者に、場内の視線は一カ所へと集中していく。
「ふむ。役者は揃った、と言ったところか」
鋭い視線と共に、周囲を睥睨するライアードと名乗る男。
重厚な圧力を身に纏う男性に、デネットは心の中で疑問符を浮かべていた。
黒を基調としたローブを羽織り、その姿はまるで聖職者のような出で立ち。彫りの深い精悍な顔つきは、これまで潜り抜けてきた修羅場を感じさせる。
そして、最も特徴的な要素。それは銀色に輝く、獅子の如き鬣であった。
身体から醸し出されるその悪役めいた風格に、獣じみた毛髪が違和感なく調和している。これほどまでに迫力を感じさせる人物など、そうそうお目にかかれるものでは無いだろう。
だが。
「枢機卿……?」
その単語が、どうしても腑に落ちない。
無論、枢機卿という単語自体は知識として頭の中にある。宗教的文化関連の書物の中に記されていた、聖職者の最高位階とも呼べる役職にして、"王"の顧問としての権限を持つと。
しかし、それならば有り得ない。
何故ならこのキャメロン王国では既に、そういった宗教は禁止されているのだから。
「ふむ」
そんなデネットの疑問を置いて、大胆不敵に舞台の中央へと躍り出るライアード。王家の御前でありながら頭を下げることなく仁王立つ姿は、まさに不敬そのもの。
にもかかわらず、誰もその行動を咎めようとはしない。
場の空気は既に、異色の乱入者に支配されつつあった。
「貴公騎士団長、ベロー。親衛騎士団長、アレス」
その発言と共に、ライアードの視線がゆっくりと辺りに向けられる。しかし、ベローとアレスはその場から動かず微動だにしない。
顔を上げることなく俯く姿は、どこか視線を合わせることを躊躇しているかのようであった。
そんなライアードの瞳が、静かにデネットを見据える。
「新、王立騎士団長。デネット」
瞬間、ゾクリと全身の毛が逆立つ感覚がデネットを襲う。
なんだ、この男は。
立ち姿から見ても武術の心得があるわけでもない。剣を交えれば十中八九――いや、十分なほどに勝利を収めることが出来る。それだけの自信がデネットにはあった。
にも、かかわらず。
「君がゴルドレの右腕にして、元七雄騎将のエレガスに認められし男か。会えて嬉しいよ」
表面上、柔らかな笑みを浮かべる男性。デネットは、このライアードという人物に脅威を感じていた。
言葉の一つ、否その全てが信用できない。
瞳の奥に微かに滲む無感情の色は、偽りの笑顔の下でこちらの深層を覗き込むように鈍く輝いていた。
「エレガス君は元気かね?」
「は、はい」
「それは何よりだ。私はこういった立場故、あまり彼と接することが許されない立場でね。だが、私は今でも彼の身を案じているのだよ。なにせ――――」
三日月に、口元が歪む。
「国を守るために親友へと刃を向けた、誉れ高き英雄なのだから」
一瞬、デネットの思考が停止する。何を言われたのかすぐに理解出来なかったのだ。
コイツは今、エレガスを何と言った?
誉れ高き英雄?
あの、悲劇的な一件を、この男は"誉れ高い"とほざいたのか?
ヴィクトを……親友を救えなかったと、誰よりも嘆き悲しんだ男を私は知っている。
私の元にやってきて、七雄騎将を辞めると口にしたあの男の表情を、私は今でも覚えている。
奴は、悲痛な感情を表に出さない強い男だ。
完璧だと嫉妬するほどに、弱みを誰かに見せない男だ。そんな男が誰よりも英雄に相応しいと、私は今でも信じている。
だから、ふざけるなよ。
その悲劇だけは、英雄じゃいけなかったんだ。
親友を止められなかったその後悔は、ずっとエレガスを蝕み続けている。
その行為をもしも、英雄的だと、輝かしき栄光と宣うのなら。
「…………ろ」
「ん? 何だね、デネット君」
奥歯が砕ける程に強く噛み締め、デネットは喉を震わせる。
「て」
「撤回しろ、っつってんだよ。似非ゴミ聖職者」
ソレは、天から降ってきた。
神聖な大広間の床を踏み砕き、土ぼこりが辺りに舞い落ちる。衝撃が空気を揺らし、デネット達が触れている地面が震えている。
突如として現れた存在に驚愕し、目を見開くデネットの目の前で。
真紅の長髪が、ステンドグラスに反射して燦然と煌めく。
「アイツはたった一人の親友も救えない、ただの大馬鹿野郎さ」
怒りと微かな哀愁を滲ませながら。
暴威の化身、ベリエッタは静かに顕現した。
「だがなァ、お前よりかは馬鹿じゃねェよ」
「……ベリエッタか」
ベリエッタの登場に先程までの余裕ぶりは鳴りを潜め、ライアードはちらりとエリーゼの方角へと視線を向ける。
そこには、年相応の驚きを顔に張り付けた少女の姿があった。
「肩書きが、お前の命を守ってくれるとでも思ったか?」
「ふ、七雄騎将が味方に牙を剥くか。だから貴様のような異端者を英雄に選ぶべきでは無いと、私は何度も彼に忠告したのだ」
獰猛な肉食獣を前にして、ライアードは怯む様子もなく口を開く。
その姿に、デネットは信じられないモノを見るかのように成り行きを見守った。
「『蛮族の血は、いずれ君の血筋を破滅へと追いやるだろう』と。自分でもそうは思わないかね?」
「そんなもんに興味はねェよ」
「いいや。君の望む望まないに限らず、結末は既に決まっている」
そして、ライアードは静かに告げる。
「バルバリス帝国の血を継ぎし忌まわしき赤髪。お前は必ず、周囲の者を破滅へと誘うだろう」
もはや、そこに言葉など必要ない。
ベリエッタの纏う空気が一変する。
先程までの脅しとは全く異なる、暴力的な殺意。今この瞬間、ベリエッタはライアードの息の根を止めようと手を伸ばしていた。
「やめ……っ!」
思わず、デネットが悲鳴混じりの言葉を放つ。
今ここで手を出してしまえば、決定的な何かが欠けてしまう。そんな予感が激しくデネットを揺さぶっていた。
しかし。その手がライアードの首にかかることは無かった。
「一旦落ち着こうか、ベリエッタ君」
ベリエッタの肩を掴む、第三の影。
つい先ほどまで、そこに人はいなかったはずなのに。気が付けば誰かがそこに立っている。
音も影も無く、その人物は気付いた時には場に存在していた。
誰しもが意識を向け注意を払っていた空間の中で、彼は悠々と口を開く。
「この場でやり合うのは得策じゃないでしょ。それは互いにわかっているはずだ」
飄々とした態度を崩すことなく、彼――スレイドは無精ひげを撫でながら口を開く。
「ねぇ、ザハトさん」
遅れるように、デネットは認識する。
無意識の間を潜り抜けて現れたスレイドに向けられていた意識が、徐々に横へと逸れていく。そしてライアードの元へと視線が移動する。
そこには、何かがライアードを庇うようにして立っていた。
「…………スレイド……か」
しわがれた声が、優しくその場に存在する全員の鼓膜をくすぐる。
腰まで伸びた白髪をなびかせ、皺だらけの顔を僅かに歪ませ、その老人は二本の足で地を踏みしめていた。
閉じられた双眸と、一振りの曲剣を携えて。
「まだ、生きて、いたか」
「それはこっちのセリフだよ。戦争時代の老いぼれは随分としぶといんだねぇ」
「三十年前、あの時の小僧も……、今は立派な英雄、か」
「はは、恥ずかしいからやめてよね」
談笑を交わす両者。しかし、その肉体から醸し出される闘気は未だ臨戦態勢であることを如実に示していた。
「ああ、懐かしい……」
そんな中で、ザハトは静かに皺だらけの頬を緩める。
「儂と、ガレイン、そして小僧。三十年前、肩を並べた英傑も、今やこの三人のみ」
「時の流れっていうのは残酷だよね」
「然り。して、ガレインは、どこだ?」
「あー」
ザハトの問いかけに、スレイドは静かに言葉を返す。
「学院長なら、今は拘束されてるよ」
「……そう、か」
その返答に満足がいったのか、ザハトは静かに剣を鞘へと納めた。
鎮まる闘気の嵐。緊張感の解けていく空気を感じ、デネットはようやく大きく深呼吸をする。
この重圧を感じさせる二人。
七雄騎将第一位、スレイド。彼なら分かる。だが、このザハトと言う老人。この人物が一体なぜ、スレイドと同じ覇気を纏っているのか。
どうして、彼の持つ刃を見た瞬間――――
「仕方、なし」
寒気が、止まらなかったのだろう。
「待てよ。何納得した感出してんだコラ」
「ベリエッタ君」
「そこをどけ、ジジィ」
「退くのは君だよ」
もはや何が起こっているのか分からず、デネットを含めた騎士団長三名は呆然と目の前の光景を眺める。
立て続けに起こる対立に、いつしか感覚は麻痺し、脳は何も感じなくなっていた。今、七雄騎将の頂点とも言うべき存在が睨み合い、一触即発の危機に瀕している。にもかかわらず、脳は現実を受け入れようとせずに理解を拒む。
おかしい。
そうデネットが感じれたのは、奇跡に等しかったのだろう。
悪意が、また別の悪意を生み、連鎖反応を起こしている。悪意の芽が花開き、人と人が憎み合う、争いの種が撒かれる。
ほら、今だって――――
「【止めよ】」
荘厳な声が響き、脳内が激しく揺さぶられる。
まるで脳みそを直接握りしめられたような筆舌にし難い不快感を覚え、デネットは思わず頭を抑えた。
そして、自分の肉体を光が貫いている現実を認識する。
神々しい白光を背に、少女は神託を下す。
「【跪け】」
瞬間、デネットは無意識に首を垂れた。
どうしてその行動を取ったのか理解が出来ない。デネットは思わず、周囲を確認しようと尻目で辺りを見渡した。
そこに、膝を突かない人間は一人しか存在しなかった。
「ふ、ふふふ」
唯一、頭を下げない存在。
ライアードは歓喜とも憤怒とも取れる感情を発しながら静かに体を震わせる。
哄笑が喉を貫き、男は赴くままに言葉を紡いでいく。
「素晴らしい。久方ぶりの【エリーゼの権能】、しかとこの目で見させていただいたよ」
「……言葉巧みに誘導し、他者を対立させ意のままに操る。私からすれば、あなたの方がよほど権能使いに見えますが」
「心にもないことを。私のはただの技術さ」
「……あなたに、一つ問いましょう」
デネットたちの頭上にて、怪物と魔物は最後の問答を交わす。
「裏切り者は、あなたですか?」
事情を知らぬ第三者を置いて、物語は先へと進む。
理解する者、知識を保有する者はその会話に意味を見出すだろう。
だが、それ以外の何が起こっているかわからない者たちにとって、この会話はまさに天上の世界。理解の及ばぬ人外の領域であった。
その事実を噛み締め、やはりと一つ感じ入る。
この物語に初めから脇役は必要なかったのだ。
「あぁ、私だ」
正々堂々、威風堂々たる姿でライアードは告げる。
「だが、それを知ってどうなる? 摘発するには確証が足りず、踏み込むための権力差も微々たるもの。何より、君の手駒は扱いづらい英雄共。使いこなせば一騎当千だが、彼らが噛み合う事など永遠に無い」
そして、と。
ライアードは続けざまに言葉を紡ぐ。それはまるで、息を吹き返そうとする肉体に止めを刺すかのような、追い打ちに等しい行為であった。
「君がどこまで"聖女エリーゼ"に姿形を似せようとも、所詮は昔と変わらないお転婆娘。初代七雄騎将のように、七柱の英雄を束ねる事など出来やしない」
「それでも、私は……」
「『やらなければならない』、か。 それは父の為か? それとも惚れた男の最後の願いを果たすためか?」
ピクリと、小さく肩を震わせるエリーゼ。もはやそこに、得体の知れない存在だった少女はいない。
等身大の、まだ幼き乙女がそこにいた。
「私にも、叶えなければならない願いがある」
天を仰ぎ、ライアードは大きく両手を掲げる。ローブが黒く広がり、悪魔の翼のように雄大な影を落とす。
「そのために必要なのは、英雄などでは無い」
バサリと、翼を靡かせ男は嗤う。
「今のキャメロン王国に、もはや英雄は不要。七雄騎将などという、欠陥と偽りだらけの制度など消えてしまった方が世界のためよ」
そしてライアードは歩を進める。自らの理想を背に、大義を為すために。
「もしも負けを認め、私に玉座を明け渡すというのなら早く言いたまえ。この、ライアード・シエル・キャメロン。新たな王は寛大な心であなたを迎え入れよう」
キャメロン王国、最大の闇が動き出す。
「なに。兄の子を庇うのは、叔父として当然のことだろう?」




