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第10話 存在意義

「エリーゼ王女殿下。分をわきまえず発言する愚行をお許しください」


 誰もが口を閉ざし王女の威光の前にひれ伏す中、一人の騎士が口を開く。

 兜によって表情を隠すアレスは、その声色を微かに震わせながら言葉を紡ぐ。


「許可します。アレス様、どうぞ何なりと」

「……っ! 感謝、いたします」


 まさか名前を呼ばれるとは想像すらしていなかったアレスは、その光栄に息を呑む。

 そんなアレスを後方から眺めていたデネットの視界の端で、ベローが悔し気に表情を歪ませる姿が映り込む。


「では、お尋ねいたします」

「何でしょうか」

「……何故、我々なのですか?」

「と、いうと?」


 アレスの発言の意図がわからないと、エリーゼは顎に指を沿わせながらコテンと首を傾げた。

 その仕草に年相応のあどけなさを感じ、アレスは僅かに言い淀む。

 しかし。小さく息を吸い、意を決して再び口を開くアレス。


「七雄騎将の皆様では無く、どうして我々に頼むのか……ということです」

「あぁ、なるほど」

「何を頼まれるのか存じ上げませんが、我々に出来ることなどたかが知れています。騎士団の代表を任されてはおりますが、それはあくまで並の騎士の話。実力は英雄の皆様方と比べるに値しません」


 そこまで口にして、その場に存在する騎士の面々に苦渋の感情が湧き上がる。

 分かっている。

 自分達が、七雄騎将になれなかった半端者であるという事は己が最も理解している。

 デネット然り、過去に挫折を経験した者が抱く劣等感。騎士団の頂まで上り詰めようとも、それはあくまで低い山の頂上にすぎない。

 猿山の王は、何処まで行っても猿のままなのだ。


「本当に、そうでしょうか?」


 そんな陰鬱な感情渦巻く騎士たちに、一筋の光が差し込む。


「確かに。七雄騎将は、一騎当千の強者だけが名乗ることを許される栄誉。文字通り、騎士の頂に君臨する者たちです」

「……では尚更」

「しかし。皆さんが七雄騎将と比べて劣っているのか。それを論ずるには早計だと私は考えています」


 さも当然のように、エリーゼは自らの考えを口にする。


「勿論、今私の隣に立っている二人に勝てるなどとは口にしません。それはお世辞だとしても、笑い話にしかならないと理解しているからです」


 そう言ってエリーゼは微笑みと共に両隣へと視線を向ける。

 そんな彼女に対し、一人は優しく笑い返し、一人は我関せずと顔を背けた。


「ですが、そうですね。例えば、最近話題の人物――クルード様などどうでしょう」


 瞬間、ピクリと反応したのはデネットであった。

 まさか王女殿下の口からその名前が出てくるとは思わず、デネットは動揺のあまり顔を上げる。

 そんなデネットの心境を知ってか知らずか、エリーゼはにこやかな笑みと共に口を開く。


「クルード様だけではありません。もう一人、新しく七雄騎将に選ばれたコバニ様。お二人と比べて、自分達が劣っていると思いますか?」

「……それは」

「思わないでしょう。それもそのはずです。巷では何か勘違いなさっている方もいるようですが、騎士団長とは決して七雄騎将に劣る存在ではありません。何故なら――――」


 そこまで口にし、エリーゼは一度言葉を途切れさせる。そして息を整え、ゆっくりとその言葉を口にする。


「騎士団長とは、()()()()()()()()()()()()()()者たち。故に、劣っているなどと軽率に判断する事など出来ないのです」


 静寂が、辺りを支配する。騎士たちの胸中に、温かな光が灯る。

 与えて欲しい言葉を、我らが主君が与えてくれた。その光栄、名誉。骨の髄まで染み渡る喜びに、気を抜けば思わず瞳が潤みそうになる。

 自らの存在意義を肯定してくれた、その言葉に報わなければならないと。騎士の本懐が訴えかけている。


「質問の答えになっているでしょうか? もう一つ現実的な回答をするのであれば、七雄騎将を動かすには色々と手順が面倒でして。癖の強い方々にお願いするよりも、皆さんの方が私の話をちゃんと聞いてくれるでしょう?」


 少し砕けた口調で、本音のようなものを口にするエリーゼ。その姿に、アレスは納得したように微かに頷く。

 現実的な理由も踏まえ、それでも我々を信頼しているその言葉に嘘は感じられない。

 アレスはゆっくりと、深く頭を下げる。


「十分です。心の底から、感謝を」

「それはよかった」


 ニコリと、可憐に笑うエリーゼ。


「では、早速本題に――――」

「お待ちください」


 そんな、明るい雰囲気に水を差すように。一人の男が、ハッキリと王女の発言を遮った。


「どうしました? デネット様」


 優しい声色でエリーゼは尋ねる。しかし、他の反応は違う。

 正気か貴様。王女殿下の言葉を遮るとは何事か。そんな言葉が聞こえてきそうな程に、アレスそしてベローの鋭く睨みつける視線を浴びるデネット。


「一つ。私の意見を述べさせていただいてもよろしいでしょうか」


 それでも。これだけは、自分の信念をかけてでも譲れない。


「……いいでしょう。許可します」


 そんなデネットの鬼気迫る表情に、それまでの柔らかな雰囲気から一転。少しだけ固い声色でエリーゼは話の続きを促した。


「私たちが七雄騎将に劣るモノでは無いと仰ってくださったこと、今一度感謝を申し上げます。その言葉は、どこか劣等感を抱く私たちにとって救いとなりましょう」

「……その言葉に、嘘偽りはありませんよ」

「理解しております」


 何故、このような愚行を犯しているのか。デネット本人にもよくわからない。

 ありがたい言葉をそのまま受け入れ、感謝と共に忠誠を深めれば良いだけの話。自らを肯定してくれたその恩に、報いれば良いだけの話なのだ。


「ですが」


 だが。惨めでちっぽけな過去の自分が言っている。

 逃げた事実から、目を逸らすなと。


「私は先日、七雄騎将クルードの戦闘を目の当たりにしました」

「知っています。あなたがゴルドレの命で暗殺に向かった事も。陰謀に巻き込まれ、その腹を深々と刺された事も。そんなあなたを庇うように、クルード様が単身で悪意に立ち向かったという事も」

「……全て、おっしゃる通りです」

「では、その時に思ったのですか? クルード様には勝てないと。敵わないと思うくらい、圧倒的な強さを持っていたのですか?」

「……いえ」


 それは無いと、デネットは心の中で否定する。

 確かに、クルードの鬼気迫る猛攻は驚嘆に値した。あの動きは確かに七雄騎将の面々と比べても遜色ない強さであったと理解している。

 しかし、デネットは知っていた。あの強さは、自分の肉体を犠牲にして得た力であると。

 その代償は凄まじく、それ以降クルードは剣を振ることすらままならなかった。

 故に、断言できる。クルードの素の実力は、自分達と何ら変わりない。いや、むしろ技術的な面ならば少し見劣りするほどであると。


「要領を得ませんね。ならば素直に、自分は七雄騎将よりも優れていると喜べば良いではありませんか」


 微かに綻ぶ、苛つきの芽。

 それまで明るい面しか見せてこなかった王女が見せる感情の揺らぎに、その横に立つ二人の英雄が微かに驚きを浮かべる。


「いいえ」


 王女の怒りを買ってまで、自分は何がしたいのか。

 訳も分からず、半ば自暴自棄になりながら、それでもデネットは言葉を紡ぐ。

 自らの内に湧き上がる感情に、身を任せて。


「それでも彼は、私よりも()()()()()を持っています」

「……それは?」

「彼は、夢から逃げない」


 ピクリと、その場にいた数名が反応する。

 アレス、ベロー、そしてエリーゼ。三者それぞれの想いを抱きながら、デネットの言葉に耳を傾ける。


「どんなに惨めでも、弱くても、頼りなくても。彼は絶対に諦めようとはしない。その結果、例え死を迎えるとしても」

「それは、無謀と呼ぶのですよ」

「ですが私たちには選べなかった答えです。それが例え()()わらわれようとも――――」


 瞳を真っすぐに見据え、デネットは高らかに告げる。


「クルードという少年は、やはり七雄騎将になるべくしてなったのです」


 それはきっと、クルードが心のどこかで求めていた言葉。

 落ちこぼれ。不良英雄。七光り。英雄に相応しくないと揶揄されてきたクルードにとって、自らの存在意義を肯定する言葉であった。

 出会ったばかりのデネットは、まさかクルードがそんな想いを抱いている事など露ほども知らない。

 ただ純粋に、心の底から出た言葉。デネットの本音そのものであった。


「…………………………クト」


 故に、その言葉は誰よりも深く突き刺さる。


「…………不屈」


 小さくこぼれ落ちた言葉は、誰にも届かず消えていく。

 エリーゼが呆然と放った言葉。それは、今まで一度たりとも見せてこなかった本音であった。


「気が変わりました」


 だから、これは些細な気まぐれ。エリーゼが初めて公で見せる、半ば癇癪かんしゃくのようなものであった。


「本当は王立騎士団を解体する予定でしたが、取り消します」

「なっ!?」


 その発言に驚きを隠せないデネット。

 それもそのはず。まさか自らの所属する騎士団が無くなる危機だったなどと、誰が想像できただろうか。

 もしもそれを知っていたら、こんな王女殿下に喧嘩を売るような真似は出来なかった。


「デネット様。あなたは騎士団長へ昇進。王立騎士団を再興し、元の勢力を取り戻すよう命じます」

「……は、ははっ!」


 有無を言わせぬ発言に、デネットはただ言われるがままに平伏する。

 此度の事件、その責を取って瓦解するはずだった王立騎士団。その存続を成し得たという自覚なく、デネットはただ自分が処罰されなかったありがたみを今になって抱く。


「さて」


 そんな怒涛の展開冷めやらぬまま、エリーゼは息を整え再び口を開く。

 心なしか、エリーゼを見つめる二人の英雄が生温かい視線を向けているが、そんなことをエリーゼが気にするはずも無く。


「それでは、早速本題に――――」


 これまで素を見せる事など無かったエリーゼの、垣間見えた感情。

 その事実は、親しみやすさを与えると共に、年相応の少女を守らなければならないという使命感を騎士に与える。それは、良くも悪くもエリーゼという"人柄"を感じさせるものであった。

 人間味を感じさせない王家の化身。怪物じみたその威厳が、微かに陰りを見せた。


「遅れて来てみれば。何故なにゆえ貴女がそこに座っている?」


 故に。最悪のタイミングであったと言わざるを得ない。

 暴威的なまでの言葉の重みが、緩やかに空間を蝕んでいく。

 先程までの権威溢れるエリーゼであれば、空気を呑まれる事など無かっただろう。しかし、今はエリーゼの年相応の振る舞いをこの場にいる全員が目の当たりにしてしまっている。だからこそ、空気は弛緩し柔らかく温かい雰囲気が満ちてしまっていたのだ。

 そんな甘い雰囲気を、この男は嘲りと共に蹂躙する。


「エリーゼ王女殿下。貴女はまだ王位を継承していない。まるでさも自分のモノのように玉座を私物化するのは止めて頂こう」


 低い声色が響き、空気は張り詰め緊張感を帯びていく。

 そんな凍えた風が吹く空間の中で、エリーゼは静かに口を開く。


枢機卿すうききょう……」


 その表情は、してやられたと言わんばかりの悔しさに歪んでいた。男はエリーゼの言葉に低い声色で返す。


「なに。招待状を出し忘れていると思い、こちらから足を運んだだけのこと。礼には及ばんよ。それに、四聖騎士団の代表が揃っているのなら連れてこない訳にもいくまい」


 そう言って、男は空間に足を踏み入れる。

 デネットはその時思った。エリーゼがおとぎ話に出てくる『助けを求めるお姫様』ならば――――


「"聖陽院しょうよういん"筆頭、ライアード。並びに"院立(いんりつ)騎士団"団長ザハト。呼びかけに応じ参上した」


 その姿は、『物語を掻き乱す悪役』そのものであると。

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