『外道』―戦争に、おとこもおんなも関係ないかもしれない―
【SIDE:密偵】
これはスナワチア国王が氷竜帝マカロニとの勝負に負けた。
その数十分前の話。
教会に殴り込みをしかけたのは、太陽を吸った白と黒の羽毛を、魔力風に靡かせるペンギン魔獣。
跳ねた眉の飾り羽と、跳ねた尾の羽毛が特徴的なごく普通のペンギンである。
どこからどう見ても商売上手なペンギンというだけで、無害に見えるのだが。
その正体は主に曰く、水と海の支配者リヴァイアサン。
禁忌を犯した人類を罰する神の獣だと言うのだ。
密偵は主を敬愛していたが、その見解には異を唱えていた。
なにしろこのマカロニ。
この一カ月でやってきたことは、やはり商売。
世渡り上手なのか、主婦と子供を味方とし世間と仲良くし――首都に馴染み、にひり!
相手に応じて契約料を変える<マカロニウォーターサーバー>を設置して回っているだけ。
相手の懐具合で契約料を変える事に関して、意見が分かれるところだろうが……契約料が高いところにはそれに応じたサービスや水質の向上が追加されているので、文句もあまり出ていない。
そしてその水はまさに聖水。
一度口にしたらもう二度と、普通の水は飲めなくなるだろう。
そう、文字通り。
もう二度と。
それはある意味で依存症を生む恐ろしき水。
脅威ではある。
ではあるが……。
だが――密偵は察した。
――この魔獣が仮に本当にリヴァイアサンだとしても、その本質は非戦闘員。狡猾な頭脳とペンギンのくせによく回るオウムのような舌で相手を洗脳するタイプ、つまりその職業は魔術師でも戦士でもなく扇動者や話術師、あるいは詐欺師の類。
戦いは不得手とみるべきだろう。
つまりはたとえ水に依存させる状態にされても、武力でどうとでもなるのだ。
そう、だからリーズナブルが本気の戦闘に用いる聖杖をアイテム保管空間から召喚し、握った時、密偵は聖女の勝利を確信した。
魔術による密造酒の量産。
それは確かに神への冒涜、禁じられた悪事。
その不正を暴いたペンギンは勝ち誇った顔で教会の壁を物理的に蹴破り、ペタ足でドン!
自暴自棄になっていた最高司祭リーズナブルとの戦いが始まっていた。
マカロニことリヴァイアサンが非戦闘向けな職業だとしても、腐っても獣王。多少は戦えることは想定済み。
獣王も弱くはないだろう、けれど相手が悪い。
相手は人類最強の女。
ペンギンにとっては分の悪い戦い。
聖女の剛力に全てはねじ伏せられる。
それがたとえ、神の遣いであったとしても。
だが。
彼はその時、その瞬間に見てしまった。
それはあり得ぬ光景。
聖女の敗北。
かつて国を導こうとしたマキシム外交官。
その忠実な影たる密偵は鷹のように鋭く、観察眼に優れたその美麗な我が目を疑った。
「なっ――!?」
思わず声も漏れていた。
決着はほぼ一瞬だった。
氷竜帝マカロニは指を鳴らすように器用にフリッパーを鳴らし、更に嘴から咆哮を発生。
咆哮とフリッパーによる共振動を聖女にぶつけた。
それだけだ。
密偵の瞳には、ただ聖女の肉体を揺らしただけに見えた。
実際に、聖女にダメージはない。
フィジカルで全てをねじ伏せる最高司祭リーズナブル女史はかすり傷一つ負っていない。状態異常の発生も見られない。
なのに。
「っぐ……っ」
人類最強の聖女は口元を抑え、重圧に耐えるかのように地に伏していた。
その顔からは戦意は喪失。
聖女は敗北を認め、聖杖を下ろし降伏。
戦いは終わっていた。
だから。
なっ……! っと隠れる事が本職の密偵は思わず声を漏らしたのだ。
その戦いを眺め。<密偵の鷹の目>と呼ばれる観察解析スキルを用いていた密偵であったが、何があったのか、まったく分からなかった。
密偵が所持する<密偵の鷹の目>のスキル練度は高い。
師ともいえるマキシム外交官の能力すらも査定できるほどの力といえば、多くの魔術師がその練度を手放しに誉めるだろう。
だから、その目で見抜けないというのなら。
さきほどマカロニの放った共振動で発生した風が、密偵を揺らしていた。
強い風だが、ただの風だ。
やはり何の影響もない。
ただ密偵の顔を隠していたフードを暴いただけ。
魔力で編まれた正体隠しの外套フードが風に吹かれ、暴かれたのは密偵の野性的な美貌。
男はハンサムと言って差し支えない、ワイルドな美を持った存在だった。
面差しの印象を聞かれ十人中、十人が口を揃えて答えるだろう回答は―――鷹だろうか。
男の顔をじっとのぞき込むかのように、天が煌めく中。
思考する男の鼻梁に粘度の高い脂汗が伝う。
――このペンギンは師よりも聖女よりも遥か先にあるバケモノ、ということだろう。しかし、この能力を暴かずに帰れはしない。
密偵はマキシム外交官に恩義を感じていた。
行き場をなくし彷徨っていた彼を拾ったのは、同じく居場所を失った寂しさを知っていたマキシム外交官。
その精神性は老体だが、肉体は野心滾る中年手前の壮年のまま。
密偵は常々思っていた。
師こそが、この国の王にふさわしいと。
こんな自分を救ってくれた方こそが、この国を導くべきだと。
マキシム外交官ならば、必ずこの国を、いや人類を平和に導いてくれるとワイルドな男は確信していたのだ。
だから。
密偵の瞳の奥。
脳に信号が走る。
人類最強すらも破るこのバケモノの能力の一端を握るためならば。そしてなにより、この国の民を第一に思うマキシム外交官。父と慕う恩師の為ならば。
――我が身がどうなろうと、暴いてみせる!
ごくりと喉を隆起させる密偵はフードを深く被り、精神を集中させる。
そして密偵は見た。
驚愕した。
戦慄した。
「ばかな……っ、そのような外道な力がっ」
マカロニは水の支配者、そのスキルに水分を操る能力があったのだろう。
こともあろうに。
このペンギン。
咆哮とフリッパーによる共振で、体内のある部分の水。
口にはしにくい部位の水分を操り……。
つまり……その、と密偵はわなわなとフードの下で美貌を揺らし。
「アホかっ、このペンギン! ただ対戦相手の尿意を限界まで高めっ、戦意を喪失させただけではないかっ!」
『だけど有効な手だろう?』
「きさまっ、いつのまに!?」
密偵は気配を察知されないように、一キロ離れた場所から眺めていた。
なのに、今、ペンギンは目の前にいる。
聖女も近くにいる。
ならば。
「っく、こちらの空間を操作し強制転移させたというのか。そのような魔術、聞いたこともないが」
『聞いたことがないっていうなら、いまこの瞬間できたんだろうね。おめでとう! 盗撮魔の君! 君がこの魔術の第一目撃者ってことだ!』
「調子に乗るなよ! 腹黒詐欺ペンギン!」
『おっと、僕のお腹は白いけれど?』
減らず口を――との胸中は叫ばず、その薄い唇はアイテムを起動させる呪を口にしていた。
「捕縛せよ――<アラクネーの結界>よ!」
密偵は相手の空気に呑まれる前にと全ての魔道具を発動させる。
それは結界と呼ばれる絶対守護領域を発生させるアイテムの数々。
結界とは魔力の壁。
汎用性が高く、攻撃にも防御にも使われる戦いの基本。
今回、密偵が用いた結界は極めて高品質。
本来、最高司祭リーズナブル女史が暴走した時のために使われる、人類による叡智の結晶ともいえる最上位の結界アイテムだった。
結界アイテムが、まるで蜘蛛の糸のようにマカロニの周囲を捕縛。
リーズナブルの動きですら十分は止められると、既に確認済み。
だから最低でも十分は捕縛できる。
筈だった。
だが。
黄金の飾り羽を輝かせるペンギンは、嘴を尖らせ。
太陽を背に、掲げたフリッパーと独特なフォルムの胴体とでYの字を作り。
垂直に、ドス!
『必殺! Wマカロニチョォォォォォォップ!』
それは単純な物理攻撃。
ただフリッパーを同時に叩きつけただけ。
最高司祭リーズナブルが最も得意とするフィジカルの分野。
氷竜帝マカロニの職業はおそらく詐欺師、言葉巧みに相手を操る低俗なるクラス。
一時的とはいえ、人類最強さえ封じる結界に通じるはずがない。
だが。
ビシ!
その甘い考えと共に、ソレは粉々となった。
結界が――。
割れていたのだ。
尿意をぷるぷると涙目で堪えながらも、主に戦場で用いられる……効果が秘匿されている乙女の魔術<先延ばしのお花摘み>を発動する聖女も、割れるソレを見た。
聖女の口が、驚愕に動く。
「あたくしよりも……っ、強い!?」
聖女はしばし考え。
くわっと叫んでいた。
「って! ジズ様!? ならばふつうにあたくしを正面から倒せばいいだけでしょうにっ、こんなっ、こんな手段を」
『いや、女性を正面から殴って倒すってのもー! 問題になるじゃないかー!』
「にょ、尿意をっ……」
『えー!? なんだってー!?』
おそらく公式な場で訴えたら最高司祭リーズナブルが勝つ。
だが、それを口にするのは女性としての、聖職者としての矜持が邪魔をする。
だから、訴える事もできない彼女は、ぷくっと頬を膨らませ。
「い、いえ! と、とにかく! 体内の水を操る方がよっぽど問題です!」
『まあいいけど! とりあえず、盗撮魔に逃げられても困るんだよねえ! その話はおいおいってことで、必殺! マカロニ流星脚!』
マカロニはしれっと話題を逸らし。
密偵の張った結界を破った翼で空を弾き、反動で加速。
魔力を乗せたペタ足で、そのまま密偵の顔面に飛び蹴り。
盗撮は許さんとばかりに容赦なく地面にたたきつけ。
ピクピクと痙攣する密偵の頭の上に、ペタ足を乗せ。
着地!
戦場を眺めていることを確信しているのだろう。
密偵の主人に見せつけ、聞かせる様に嘴を――くわ!
『いぇーい! 見てるかい外交官さん、どうやら僕の勝ちみたいだね!』
主人の顔も名も割れていない。
まだ言い逃れはできる。
ペタ足に顔を踏まれる屈辱の中、密偵は相手の素性を告げず空に向かい叫ぶ。
「ワタシの事は構わず撤退を……っ!」
『逃げちゃってもいいけどさ! あんたの部下がいい歳して恥ずかしく野良犬みたいにこの辺で、じょばーっとしちゃってもいいのかな? なんか近所の奥様方は見たがってるみたいだけど、ぶっちゃけ僕はやりたくないんだけどー!』
これは魔術ではなく、咆哮とフリッパーの共振により尿意を促しているだけなので、魔術の悪用ではない。
ちゃんと抜け道を用意している詐欺師ペンギンであるが、周囲の反応は悪くない。
やっちゃいなさいよマカロニちゃん!
わたくし、撮影の魔術もできますのよ?
妾もみたいぞー! やれ! マカロニ! いけー!
と、美貌の密偵の恥ずかしい姿がみたいおばちゃんや貴婦人たち、どこからともなく天から声が降る中。
妙な視線がげへへと集まる戦場にて。
「どうやら、ここまでのようですな――」
「師よ、何故!?」
「よい、もうよいのだ――我らは全てを見誤ったのであろう」
既に民衆の心を掴んでいるペンギンの前に、外交官が姿を見せる。
そして完全敗北を示すように、跪き。
乞うたのは――。
「我らの負けに御座います、獣王陛下……。許されるのならば、どうか――その御御足を。ソレは密偵ではありますが、大事な部下。その尊厳は……どうか」
部下への配慮。
悪い人間ではない、そう判断したのか氷竜帝マカロニはペタ足を下ろし。
『それじゃあ! 僕の勝ちってことで! 問題ないね?』
勝利を宣言したのだった。
これが、密偵と聖女が見た戦いの記憶。
その後、お花摘みの魔術で尿意を停滞させた聖女はしばし席を外し……すっきりしつつも、真っ赤にした状態で上げられない顔のまま。
降伏を宣言。
最後に王に勝ちにいくと、暴れそうなマカロニに従い。
彼女は王の元へと向かうことになった。
それは三つに分かれていた勢力の終焉。
全てがたった一匹のペンギンに敗北した瞬間でもあった。