第一部 エピローグ
ベヒーモス騒動は一応の区切りを迎え――。
魔海峡を挟んだ北と南の心の距離は縮んだ。
雨降って地固まるというが、まさにその通りだろう。
まあ、今回の場合は獣王という共通の相手と戦った――その環境を利用し互いに忖度。
うやむやな内に、魔術の悪用が発生しそうな無駄な紛争をやめようと動いたという理由が大きいだろう。
そしてなにより。
転移してやってきたのだろう……。
北と南の新しい平和条約、その草案書類の束を眺めアランティアが言う。
「長年続いた諍いをひとまずは忘れ、とりあえず和平っすか。まぁ、主神に降臨されて”魔術で過度なケンカすんな”って暗に言われたら、こーなりますよねえ」
『主神にとっても今回は好機。本当にアレは世界を愛しているっぽいからなあ。人類に対しても一定以上の情はあったんだろう。だがどーいう理屈かは知らないが、彼ら神々は直接介入ができない。つまりは――』
「結局、マカロニさんは利用されちゃったってわけっすね」
『ま、そうだろうな――』
アランティアのことだ。
どーせ僕をからかうのだろうと思っていたが、彼女は少し納得いっていない顔で。
「けど、せっかく倒せそうだったベヒーモスを回収しちゃうのは酷くないっすか?」
『僕も獣王だからなんとなく分かるが――魔術による悪用の部分が解決できずにベヒーモスを倒しても、またすぐに再臨する可能性があるんだろ。再臨したらまた最初から倒し直しだ、だったら二度倒した状態で再戦できた方が楽ともいえるかもしれないからなあ。ま、あくまでも僕の推測に過ぎないけどな』
たとえ利用されたのだとしても、こちらとしても利があったので問題はない。
僕は三冊の魔導書を眺め、クチバシの周囲をニヒィ!
『狼とニワトリの書は効果が絶大だが、魔力消費量が半端ない。今の僕にはまだ使いこなせない。けど、こっちのペンギン大王アン・グールモーアの書は違う! 僕がペンギンだからこそ! この書の魔力消費量には補正が働いて現実的な範囲で何度も使用できる! どんな神様かは知らないが、信仰してもいいぐらいには助かるんだよなあ!』
グペペペペっと魔導書を抱いて、スリスリ。
現実から目を離し頬を摺り寄せる僕を、じぃぃぃぃぃぃっと見て。
現実を眺めるアランティアがぼそり。
「ま、そのせいでペンギン化を解除したら、その書の能力補正が受けられなくなるってギャグっすよね」
うぐっ……っと僕の羽毛が揺れる。
「確実な帰還方法やらを手に入れるまでは元に戻れないでしょうし。あくまでもその魔導書に記された神はペンギンを守る神であって、マカロニさんは人類に戻ったらむしろ敵判定を受ける可能性もある。ぶっちゃけ、その書……ある意味でもっとも重い、ペンギン状態から戻れない枷になってません?」
僕はクワっとクチバシを開き、ガァガァガァガァ!
『う……っ、うるさいっ! 僕が見ないようにしてる現実を突きつけるなよ!』
「ぷぷぷー! ペンギンちゃんの遠吠えっすか!?」
『おまえもおまえで、よく僕にそんな口を利けるよなあ……』
北と南。そして銀杏には僕の力はそれなり以上に伝わっていて、僕はすっかり神扱い。
前と変わらないと言えば、マキシム外交官やリーズナブルやこいつから、ドナ、あとはタヌヌーアもコークスクィパーもそうか。
まあタヌヌーアとコークスクィパーは獣人だが、獣形態にもなれる。
モフモフを愛する主神の加護を受けられるので、心に余裕ができたのだろうが。
ともあれ。
アランティアがジト目で言う。
「なんっすかぁ、いまさら崇めて欲しいんすか? 本心からそう望むなら、努力はしますけど。ぶっちゃけ、たぶん無理っすよ」
『だろうな』
「まあどーしてもそーして欲しいってマカロニさんが? 頭を下げるなら考えなくもないっすけど――って! マカロニさんを揶揄ってる場合じゃなかった! そろそろ謁見の時間っすよ!? もうバニランテ女王と御付きの騎士君がきてるんすけど、あっちはどーするんすか?」
例の案件である。
『とりあえず、女神さまに話を聞いてきたよ。やっぱりあの男の遺骸は供物として判定され、月と狩人の神としての一面もある夜の女神に回収され、本人も知らないうちに眷属にされていたようなんだが』
「なんだが、ってどうしたんすか?」
『いや、夜の女神さまとしても二人が二度と会えなくなる契約を解除してもいい……というか、あの決戦で既に解除されてるらしいんだが、まさかバシムの方にああいう出会いがあるとは想定してなかったらしいんだよ』
しばし、アランティアがシリアスな魔術師の顔で考え。
「たぶんなんすけど――マカロニさんが行動すると女神たちが見えている先、未来みたいなもんがブレるのかもしれませんね。原理としては……ほぼ確定されているダイスの結果が、マカロニさんが関わると再抽選。もう一回ダイスを振りなおす状態になるんじゃないかとあたしは考えますが」
『僕が関わると未来が大きく変わるか、もしかしたら主神の狙いもそこにあるのかもな』
告げて僕は、うんざりとしつつも椅子からジャンプ。
椅子の高さ調整用の一品。
クッションにしているいつもの魔導書を回収。
『んじゃ、気が重いが事情を説明してくるよ。月を司る夜の女神さまからも伝言を貰ってるからな』
「あのヤンキーみたいな方っすよね? あの人はなんて」
こいつ、夜の女神とも面識があるのか……。
まあダゴンとはイイ感じに交友があるらしいが。
『自分は信念と契約に従っただけだが、まあそれでも、復讐契約用の供物にされたのではなく……あの儀式が死者への弔いだったことに気付けなかった。それは女神側の落ち度。意図しない儀式のせいで月の狂気に蝕まれ、狂わせてしまったのなら悪いことをした。んで、あの……例の件で苦しめてしまうのならすまない……的な感じだよ』
「女神さまが謝ることもないと思うんすけどねえ……」
アランティアは女神との契約の魔術式を記述して見せ。
「月光に向かい最上級の戦士、それも愛した男を差し出す。更に、月に向かって関係者への復讐を誓う。どっからどーみてもこれって、契約魔術ですし。ふつー、勘違いもしますって」
『神が良かれと思ってしたことも、人類にとってはイイことかどうか分からない。ま、女神さまが謝ってくれてるんだ、こっちはそれをそのまま伝えるだけだよ』
それでも気が重いのは、やはり生きていた……というより眷属として蘇生された流星のバシムが、あの酒場で共に過ごした娘と新しい育みを手に入れていた事だろう。
尾羽を落とし、ペタペタ歩く僕にアランティアが言う。
「だーかーらー、そんなに構えなくても平気ですって」
『そーは言うがなー』
「極端な話、それでマカロニさんが責められる謂れはないわけですし。本当にそのまま、ありのままを伝えれば解決しますよ」
妙に自信満々に語るアランティアに背中を押される形となり。
僕は謁見の間へ向かい――。
こほん。
車椅子のような魔道具に座っていた女王に、事情を説明した。
◇
謁見の間には、今回の件がデリケートなこともあり人数は少数しかいない。
本来なら文官も武官も並べているのだが、これは僕が提案したせめてもの配慮だった。
広い謁見の間にいるのは、僕とバニランテ女王。
そして彼女を介護するように車椅子を操作する若き騎士ハーゲン。
流星のバシムは召喚していない。
夜の女神との契約。
復讐を誓った月の狂気が消えたバニランテ女王は、とても衰えてみえた。
僕の裁定により魔術と魔力、そして神の加護が奪われたことも影響しているのだろう。
月の女神からの謝罪とも取れる伝言を聞き終えた、その後。
女王は細くなった白い指先で、すぅっと紙をなぞっていた。
そこにあるのは起こった事実を事務的に記した顛末書。
女神の使徒となったバシムについても当然記述されている。
そこにはもちろん、例の案件も。
マキシム外交官が記した淡々とした文書を眺め、彼女は静かに口を開いた。
「皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました――」
『あんたの罪は既に僕が裁定済み。判断に文句がありあんたを過剰に責めるような存在が現れたのなら、僕に一報をいれるといい。時間差はあるが、まあ少しは力になってやれる』
その時間差で発生する被害は、まあ騎士団を虐げた罪だと思ってもらうしかない。
騎士団の関係者も被害に遭っているので、こればかりは仕方がない。
裁定者としての立場で僕は言う。
『何か望むことはあるか?』
「――なにもございません」
分を弁えているのだろう。
復讐の狂気に憑りつかれていた彼女しか知らないのだが、こうしてみると本当に知的な美女に見える。
騎士団とその関係者以外は、彼女を慕っていたのだとよくわかる。
実は国としての今後についての話はもう終わってる。
このまま解散、でもいいのだが。
僕は腕組みするようにフリッパーを組んで、横を向き咳払い。
『……本当にないのか? いや、僕は別にどーでもいいんだが。夜の女神様がおまえのことを気にしていたからな』
「……それでは、一つよろしいでしょうか」
『内容にもよるが、言ってみて貰って構わないぞ』
というか、わりと気の毒でなんかこう……うん。ね?
顔を上げた女王は、魔術と共に色を失った瞳を光らせ。
「弱きものを虐げたこの身でも――全てにおいて中立で、公平……世界の調停者としてのバニランテ。その女王としての偶像の価値だけはございましょう。外の大陸に行かれるあなたの力となるつもりであります、その見返りといっては図々しいと分かっておりますが……魔術の一部をお返しいただくことはできないでしょうか」
言って、彼女が出したのは魔導契約書。
ハーゲン君とも打ち合わせ済みだったのだろう、女王が座す車椅子から離れ。
書状を展開。
契約内容を読み上げていく。
「――我らが女王の力は、正義のための力。全ては民のため、弱き命のためだけに使うとここに誓うものであります」
ま、ようするに悪事には使えない契約である。
内容に問題はない。
今の彼女ならば間違いなく、魔術を善き事のみに使うだろう。
そして彼女が外の世界を見に行く僕のための、調停者としての後ろ盾になるというのなら――魔術を戻す事は僕の利益にもなる。
僕は書状にサインをし、魔術の一部を返還。
女王に国と民を守る力が戻っていく。
だが、女王の瞳は色を失ったままだ。
おそらく視力もだいぶ落ちているのだろう。
一度失った魔力の影響で、歳よりも老けて見えてしまう。
そしてきっと、一生を車椅子で過ごすことになる。
まあ……彼女が騎士団にやっていた行為は正直えぐい、これでも罰が足りないと思う者はでてしまうだろう。
それだけのことを彼女はしていたのだ。
けれど、その復讐の力こそが国家の要――あの過酷な渓谷地で国を維持させていた側面もある。
考え方や、誰の目で見るかで思いは様々だろう。
『あんたにはほぼ全ての魔力と魔術を返還した。もう悪さはしないだろうからな。これからどう生きるかは任せるが、どうか、もう一度僕があんたを裁くことが無いようにしてくれると助かるよ』
バニランテ女王は頷き、ギシリ。
車椅子の魔力で稼働していた車輪を揺らす。
深く頭を下げたのだ。
これで謁見も終わり。
その筈だった。
だが、若き騎士団長ハーゲンが無礼を承知なのだろう――。
決意したように振り返り、訴えるような声を上げていた。
「マカロニ陛下! お聞きしたいことが数点ございます、お許しいただけるのならば! どうか、どうか流星のバシムについて、彼が歩んだその道筋を女王陛下にお伝え――」
「ハーゲン騎士団長!」
言葉の途中で叱責が飛んでいた。
女王は女王としての威厳は保っているのだろう。
「もういいのです……いいのですよ」
「しかし……」
「マカロニ陛下、部下が失礼いたしました。どうか、彼のまだ若き心に免じお許しを」
こんなものを見せられたら、まあ……事情を聞くしかないだろう。
『僕は構わないけど、おいハーゲン。おまえは女王を恨んでいるんじゃないのか?』
「恨んでいる部分とお慕いしている部分が両立しているのです。妻や我が子まで狙われた件は、もちろん……許せません。けれど、聖王国バニランテが維持できていたのは女王陛下による恩恵……女神さまとの契約があったからこそです。恨みがあっても、恩もある……それはそこまでおかしな話ではないかと、そう思います」
まあ、そうおかしな話ではないか。
だが。
『で、それでなんであのバシムの話なんだ。おまえだって、その……顛末書で知ってるだろう?』
「おそれながらその書には、流星殿が今、誰と暮らしているとだけしか書いておりません。マカロニ陛下、あの方と交流のあるあなたならば、詳細を知っているのではないかと……」
んーむ……。
真実を語るのはいいが……。
騎士団長ハーゲンくんに悪意はない、だが、詳細を伝えても女王が傷付くだけに見えるが。
僕は女王に言う。
『おまえはどーなんだ、知りたいって言うなら教える……というか、映像として見せるが』
僕は口で伝える気はない。
だからこうなった状況を想定し、念のためアイテムクリエイト。
――鶏が描かれた<異界の魔導書>の力を用い、バシムの魂と接続……バニランテ女王と死別し女神に拾われた、その後の過去を映像として保存。
<記録クリスタル>という魔道具化してあるのだが。
女王が言う。
「もし許されるならば、お願いできますか?」
『分かった。だが責任は持たないぞ――』
僕は車椅子に座る女王の手元に、浮かせた記録クリスタルを運び。
はぁ……と重い息を吐く。
全てを捨てても復讐すると誓ったほど愛する男が、最終的に小娘と恋仲になり、新しい命を授かる。
そんな物語だ。
どーみても、見るもんじゃない。
だが、女王は躊躇わず<記録クリスタル>を起動していた。
色を失った彼女の瞳の中には、自分も知らないバシムの物語が流れていることだろう。
愛する者を守れなかったと嘆くバシム。
落ちぶれたバシム。
終の棲家を見つけたバシム。
そこには愛する男の人生が流れているはずだ。
そして、問題となるのが……。
雇い主としてのバシムと看板娘……エリーザとの物語。
バシムは僕とも出会い、マカロニ隊騒動を終結し――その心を急速に接近させる。
彼らは年が離れていたが、仄かに育てていた恋心を花咲かせるのだ。
そこにあるのは、新しい未来。
脛に疵をもつ不器用な男。
そして、過去持つ男を気にしない明るい町娘……男女の幸せな物語が始まっている。
女王にとって、これほど残酷な物語はないだろう。
そう、僕は思っていた。
けれど。
女王はクリスタルをそっと握り。
色素を失った瞳に、大粒の涙を浮かべ。
言ったのだ。
「ああ、ほんとうに……よかった――」
と。
女王は人目を憚らず、泣いていた。
僕には一瞬、理解ができなかった。
なんで、よかったと言えるのか。
まったく、分からなかった。
けれど女王の言葉に嘘は見えない、だが直後……僕は人の心の深さを知ることになる。
彼女は言ったのだ。
天に祈るように、夜の女神に礼を言うように。
「生きてくれていて、幸せになってくれていて、ほんとうに……よかった――」
と。
クリスタルを抱き寄せる女王の涙が、僕の瞳に反射し輝いている。
彼女は本当に、心の底から安堵したのだろう。
愛する男が、幸せに生きていることが。
今を生きていることが、嬉しいと感じているのだろう。
それほどまでに、愛していたのだろう。
愛しているからこそ、幸せになってくれたのなら。
嬉しい。
だからあの日、月に復讐を吠えた女王は泣くのだろう。
ああ、だから僕は恋愛というものが嫌いなのだ。
僕はこういう連中が苦手で嫌いで。
だから、どうしたらいいか分からない。
けれど、おそらくは――これが女王にとっては救いとなったのではないだろうか。
分からない、分からないが――。
せめてできることはと考えた僕がしたのは――。
彼女を転移で彼女の私室に戻してやることと。
そして。
彼女の涙が消えるまでの人払い。
涙が終わるまで、彼女を守る結界を張る事ぐらいしかできなかった。
◇
結界が解けたのは、一時間もしないほどだった。
その僅かな刻で、彼女は立ち直ったようだ。
聖王国バニランテに、女王の力による聖なる結界が展開されていく。
女王の復活だった。
これからは、復讐を捨て――、本当の意味で聖王国の民を守るためだけに働き続けるのだろう。
おそらくは死ぬまで一生、民に尽くし続けるのだろう。
永遠に、孤独のままに――その罪を拭うために。
それが魔術を悪用した女王への罰だとしたら。
この罰は重いのか軽いのか。
僕には、判断することができずにいた。
あれから数カ月が経った。
聖王国はいまだに変わらず。
むしろ前よりも公平で中立で、弱き者を救う正しき国だと言われている。
第一部、北と南と魔獣王編 ―終―
次回から第二部開始となります。