『女王の過去』―力の根源―
【SIDE:此ノ書の記録】
恐ろしき獣王、氷竜帝マカロニの所有物たる此ノ書という魔導書。
ふだん、椅子に座る際の位置調整の段差にされ、草原で枕にされ……。
散々な雑な扱いを受けているが、これでも此ノ書は門外不出の、禁断の書……その複製品。
だが。
今も、つまらなそうに椅子に座るペンギンの尻に敷かれていた。
ペンギンがわざと大きな音を立て、出された紅茶をズズズズズズ!
投げ出した鳥足を包む腿の羽毛を、もこもこ!
ゲップ! と、喉を鳴らした直後に尾羽を揺らし、座る椅子の位置調整。
自分は無礼で尊大な存在だと敢えてアピールして、ペンギンはそのよく回る舌を内包するクチバシを開く。
『言っておくが、僕はボランティアって概念が嫌いだからな。もし動くことになるならそれなりの見返りを貰うからな?』
忠告された騎士は頷き、話を開始し始めた。
周囲の情報を記録として刻む魔導書に、バニランテ女王の過去が刻まれていく。
語り手は騎士の中の騎士。
苦労人と思われる騎士団長ハーゲン、この若造の目的は分かり切っている。
アシュトレト圏内の美を継承している彼は眉目秀麗、文武両道。
そして性格も極めて善性。
聖職者という意味ではなく、その心が聖人気質なのだ。
全てはこの国の民のため。
自分たち騎士団を虐げていた女王とて、この国のために必要ならば生かし、そして活かしたいと願っている。
民のためならば全ての矜持を捨て去ることができるという点では、この若造も狂っていると言えなくもない。
だから彼は語るのだろう。
少しでも此ノ書の所有者たる生意気なペンギン……。
いや、氷竜帝マカロニの同情を買おうと必死なのだ。
もはやこの怪鳥たるマカロニに縋るしか道はない、それが賢いこの若造には理解できているようだ。
だが、この怪鳥はこの世界の物事に対しかなりはっきりとした一線を引いている。
情が薄いのではない。
神が落とした波紋たる自分の力を把握しているからこそ、敢えて冷徹な部分を残そうと努め、誠実ゆえに無責任を気取っているように見て取れる。
部外者だからこそ見極められる事象もある。
そう考えれば、女神が小賢しい彼を選んだ理由も分からなくもない。
だが。
長い歴史を刻む此ノ書には分かる。
おそらく神にそんな意思はない。
天の女神は、ほんとうにただテキトーなだけなのだ、と。
女王についての話は、まあよくある話だった。
かつても小競り合いが続いていた、北と南。
伝説とされた海魔獣が棲息する魔海峡、魔海域ともされる境界で繰り広げられる北と南の縄張り争いの中。
北は南との境界線を侵犯した。
それはソレドリア連邦の強さを民に誇示するためのパフォーマンスだったのだろう。
かつて王女だったバニランテ女王もその船団に乗船、それは長い期間、国を空けていた王女に与えられた王族としての義務だった。
それが悲劇の始まりといえるだろう。
北は挑発するように船団を組み、いつもの小競り合いのつもりで南の海域へと入り込んだ。
本当の意味での戦争が起きれば、互いの被害は多くなりすぎる。
そして魔海峡には<万年悪魔蛸>がいる。
魔海峡での戦闘は自殺行為。
常ならば、領海侵犯は見過ごされ戦いとはならず。
無事に帰還できる王女は勇猛な王族として証明される。
当時、最上位の戦力とされていた戦士の男も引き連れての遊覧だ。
安全かつ有効的な政治活動の筈。
だった。
けれど今回ばかりは違った。
南の船には、悪魔がいた。
無敗を誇る恐ろしき人類……雷撃の魔女王ダリアの虎の尾を踏んでしまったのだ。
結果は船団の壊滅。
当時、北で最強とされていた戦士の男はダリアに敗れて、散った。
当時王女だった女王は船の墓場となった戦場を半狂乱となりながらも、必死に探した。
何を探したか。
それは愛する男の遺骸だった。
戦士の遺骸は夜に見つかった。
男の死因は出血多量による失血死だろう。
だが、その死肉には多くの銀製の刃物の痕がついていた。
それは騎士の剣、それも南ではなく北の騎士の剣だ。
戦士の男は傲慢だった。
強かったからこそ我が強く、敵も多かった。
だから、騎士団の中にも戦士を疎むモノは多かったのだろう。
王女は思い出す。
思えばこのパフォーマンスに当時最強とされたこの戦士を同行させるべく、依頼を出させたのは騎士団だった。
今回の遊覧に、自分の国の人間はあまり同行していなかった。
まるで、こうなることが分かっていたように。
ああ、と知恵ある王女は気付いてしまった。
敵は身内にいたのだと。
確かに、国のためを思えばあの戦士は邪魔だったのだろう。
どこの血かも分からない、ギルドに所属していたとはいえ、どこの派閥にも属さず……形となり始めていたソレドリア連邦からの要請も断り、自由に生きていた男は不要だったのだろう。
騎士団は国のために、戦士を殺すために動いたのだ。
そして、恋に浮かれていた王女も、国のために消そうと画策していたのだろう。
そう。
王女は戦士に恋をしていた。
だからあのパフォーマンスにも連れて行った。
それは王女の初恋だった。
誰よりも強く、誰よりも自由で、けれどどこか不器用な戦士に、一人の少女として恋をした。
恋をした故に、王女は男を死なせてしまった。
王女が戦士の遺骸を発見した時には、既に日は暮れていた。
戦士は最後に、何かを探していたようだ。
雷撃の魔女王に肩を貫かれ、海の冷たさに体力を奪われ……それでもなにかを探して、そして最後に味方のはずの騎士団に見つかり……。
命を落としたのだろう。
負傷していたとはいえ最強の男が騎士団に殺された理由など分かっている。
戦士が探していたのは王女たる自分自身。
戦士はおそらく、王女が見つかったと報告され安堵したその瞬間に凶刃に討たれたのだ。
全てを悟った時。
強い後悔と無力さが彼女を襲った。
深い夜の中、月光の下。
王女は泣いた。
初恋の戦士の冷めた体躯を抱きしめ、天に向かい吠えたのだ。
心の底から、生まれて初めて子供のように泣いたのだ。
月だけが見守る夜、泣いた王女は男の遺骸を海に流した。
もうこれ以上、穢されることが無いように。
沈んでいく男の亡骸を眺める王女の顔は、月に照らされる海に反射していた。
女の顔にあったのは、復讐者の憎悪。
海面で揺れる月に向かい――。
王女はこう叫んだそうだ。
『許さない……、絶対にっ、あたしから……いいえ、ワタクシから愛するこの人を奪った、全てを決して許さない!』
ダリアも殺す。
殺せぬ戦士が死んだのだ、ならばダリアとて同じ――卑劣な手ならば、彼のように殺せる。どんな手を使っても必ず殺す。
騎士団も殺す。
卑劣な血族、その一族郎党全てを苦しめ、未来永劫、子々孫々に至るまで苦しめ殺す。
そのためには――権力がいる。
だから王女は強くなる道を探した。
答えはすぐに見つかった。
魔術の要は心の力。
復讐とは強き心。
だから、彼女は強くなった――自覚できるほどの魔力と憎悪が、死んだ恋心の隙間に入り込んだのだろう。
憎悪が魔力となって、胸に膨らんでいたのだ。
復讐心が、まだ少女といえた王女を偉大な女王へと変えたのだろう。
本来の目論見が気付かれたとしても、いいように。
復讐のためだけに女王となったと知られても――誰も止めることができないような功績と評価を手に入れた。
復讐以外では、誰よりも何よりも心優しい聖人としてあり続けることを誓った。
全てはあの人を殺したやつらを苦しめるために――。
それが他所からは聖人が治める地とされ、世界の調停者とまで謳われた聖王国バニランテの始まり。
こんな逸話を、若き騎士団長ハーゲンは知っていた。
実の父から伝えられていたのだろう。
おそらく騎士だった父も、女王の復讐で虐殺されたのだろう。
だが。
父を謀殺されたはずのハーゲンは語る。
「それでも父は何度も言っていたのです。悪いのは、女王を裏切った我らなのだと。この国は女王の復讐心で成り立ち、その心で保たれている呪われた国なのだと。騎士団への復讐こそが力の源ならば、我らは女王の力の源。罪と罰を受け続けるしかないのだと。直接罪のないおまえたちには悪いことをしたと思う、けれど、だが……女王を狂わせたのは我らなのだと。そう、父は……」
と。