プロローグ―狂える女王―
【SIDE:聖王国バニランテ】
北方の地に築かれた砦の中央、自然の渓谷に囲まれた地に栄える国家。
聖王国バニランテ。
世界の調停者と評価され始めている王国にて、もう若いとは言えなくなっていた女王は重い悩みと頭を抱えていた。
まるで神殿を彷彿とさせる清らかな玉座の間にあるのは、女王と騎士団。
騎士たちは皆、女王に平伏し頭を垂れている。
女王は騎士団が上げてきた報告書を眺め、瞳をつぅっと細めている。
一見すると、清楚な女王と忠義を示す騎士団だが……。
……。
玉座に腰掛ける女性。
女王の名はラテーヌ=トルネリア=バニランテ一世。
建国の女王にして、かつて北部の小国家の王女だった女性だ。
普段は冷静沈着。
誰にも厳格で厳しくもあるが、誰にも優しいバニランテ女王は握りつぶしたくなる感情を抑え――報告書をスっとサイドテーブルに戻し。
自らの頬に手を添え一言。
「ドナが死んでいない、ですか。もしかして、ふざけていらっしゃる?」
静かな声だが、重い言葉だった。
女王の言葉に、まだ若き騎士団長ハーゲンは頭を下げたまま。
首に巻かれたネックレス装備<戒めの鎖>を揺らす。
「ふ、ふざけてなどおりませぬ。わ、我々は女王陛下の剣にして盾。全ての忠誠をあなた様に捧げております、嘘をつく事などできないと、あなた様が一番ご存じのはず」
「あら、そうでしたわね。あなたがワタクシに忠義を誓ったあの日より、あなた方騎士団の全てはワタクシの所有物。その命も力も、そして家族も。逆らうことなどできなかったのですよね」
聖王国の名に恥じぬ清楚な女王姿であるが。
その実態はどうなのだろう。
ただバニランテ女王は騎士団の首に巻かれたネックレスを魔力で締め付け、くすりと、悪女のような笑み。
女王は細い指を前に出し。
くふ!
「お仕置きが、必要ですね?」
「っ――ぐ……っ」
女王の指に連動し、鎖に魔力が発生。
きつく、まるで首を絞めるように鎖が締まっていく。
鎖により首を絞められた騎士団長は必死に耐えていた。
彼が反抗すれば、その叱責は本人ではなく他の誰かに跳ぶ。
だから圧迫に顔を赤く染めながらも耐えるしかない。
騎士団長ハーゲンは皆に尊敬されている。
母が女神アシュトレトの信仰圏内だったこともあり、息子である彼も女神の加護を受けたかのような美貌の持ち主。
性格も清廉。
実力も才能も秀逸。二十歳そこそこという若さで騎士団長になったことで、その才能は証明された。
顔もよく、人格者で、実力もある。
だからこそ、バニランテ女王は面白くないのだろう。
騎士の一人が叫ぶように顔を上げる。
「おやめくださいっ! 団長が死んでしまいます!」
「あら? そう? でも、この男の家族もかつての騎士団も、ワタクシを救ってくださらなかったですし……本来なら処刑する筈だった無能共の命を助ける代わりにと、このハーゲンは自分のみならずあなたがたの命まで差し出した。そんな男を、庇うのですか?」
「我々は――っ」
他の騎士も立ち上がるが、女王はそれを反逆とみなしたのだろう。
顔色一つ変えず指を鳴らし――。
ぐしゃ。
訴えた騎士の――その首と胴が、切り離されていた。
鎖が、声を上げた騎士の首を刎ねたのだ。
部下を殺された騎士団長ハーゲンの瞳は憎悪の色に染まるが。
女王はその瞳こそが面白いとばかりに、微笑み。
「なにかしら?」
「っ……重ねて申し上げます、その報告書は事実であります」
再度不興を買えば、他の部下が戯れに殺される。
それが分かっているのでハーゲンは、ただ、怒りを堪えることしかできなかった。
「そう……ドナの手配は解かれ、制裁を加えるはずだった旧ソレドリア連邦はスナワチア魔導王国の傘下に正式加入。魔物牧場も解体となり、氷竜帝マカロニが買い取った……ですか。事実ならば事実でやはりあなたがた騎士団は無能。ワタクシの与えた大事な命令を、少しも果たせていないということになりますね」
「恐れながら陛下」
「なーに、無能な犬」
「氷竜帝マカロニと敵対する道は避けるべきかと具申いたします」
女王は眉を下げ。
「どうして? たかが魔物じゃない」
「報告書にあります通り、水の神殿、海の神殿……どちらの司祭もかの獣王をリヴァイアサンであると認め、神の眷属の降臨だと正式に発表しております。そしてギルドからの報告によれば、その力も本物であると……。陛下も直接お会いしたことがあるのですから、分かるでしょう!」
「どこからどうみても、ただのペンギンだったじゃないですか。ふふふ、あははははは! あんなペンギンを恐れているのですか? 女王たるワタクシの<看破の力>で眺めましたが、あのペンギンの職業は詐欺師。全ては詐欺なのです。それなのに、後れを取り……ドナを逃がすなど」
全てが詐欺だと判定する女王に、騎士団長ハーゲンは再度食い下がり。
「たとえ職業が詐欺師でも、その力は……っ」
「お黙りなさい! ワタクシを誰だと思っているのです? 全ての逆境を乗り越え王となったワタクシは、全てにおいてあのペンギンよりも優れている。ワタクシには全てが見えている――ええ、そうです。あれはただの詐欺ペンギン。それなのに、今度はあなたの従者の腕を刎ねさせたいのですか?」
狂える女王を殺すのは簡単だ。
だが、騎士団とその家族全員につけられた呪いのネックレスのせいで、動けない。
主たるバニランテ女王が死ねば、連鎖的に効果が発動し――関係者全員が死ぬ。
反逆とされた時点でも、死ぬ。
騎士のみならばまだ良かった。
だが、その関係者も皆となると誰も動けない。
それが分かっているのだろう。
バニランテ女王は、くふっと微笑し。
「それでいいのですよ、豚の皆さま。ふふふふふ、あはははははは!」
「……っ」
「でも、反抗的な態度はいただけませんでしたね。見せしめに、誰の家族に罰を与えようかしら」
「ど、どうかお許しを! 罰ならわたしが」
名乗りを上げる騎士団長ハーゲンであるが。
「あら、無能な豚でも最高戦力ですもの。それを潰したらワタクシが損をしてしまうでしょう、でも、そうですね。ならやはり、あなたの奥様のおなかから出たばかりの、幸せばかり知ってしまった貪欲な子の指を、一本一本」
「どうかっ、どうか無関係なモノには……っ」
他人の幸せが許せない女王。
愛する者と結婚した、全ての家族が気に入らない女王。
その残虐さは日に日に増している。
必死に訴える騎士団に邪悪な笑みを浮かべ。
バニランテ女王は指を鳴らし。
ぐじゅ!
「え?」
指が、飛んでいた。
離れた場所にいる赤子の指ではない。
指を鳴らし、戒めを発動させようとしていた女王の指が、弾けて消えていたのだ。
魔術による攻撃だと、女王が理解するより前に。
再度、指がはじける。
突然、指が破裂したので女王も混乱したのだろう。
それでも騎士団を睨み。
「ぎゃぁああああああああああああぁぁぁっぁ! なぜ、なんでっ、おまえたちはワタクシに絶対に逆らえない筈っ」
首を刎ねられて死んだはずの騎士の死体から、声が漏れる。
「どういうことですかな、タヌヌーアの長マロンよ。当方らは潜入だけを命じられていた筈では?」
「だけ? 可能ならば連行しろともいわれていましたし、この状況では仕方ないでしょう。コークスクィパーの長キンカン。これを見過ごすというのは鬼畜。情のないキツネと違い、吾輩らタヌヌーアは人道を重んじる。それだけのことですよ」
互いに互いの役職と名を呼ぶ嫌がらせをしつつ。
死体から煙が発生し、ぶわり。
タヌキとキツネが同時に顕現――。
騎士団に紛れ込んでいただろう獣人である。
それぞれの種族の長は、立派な尻尾をふわふわに膨らませ告げる。
「女王バニランテ、吾輩らの主人マカロニ陛下があなたに聞きたいことがあるとの事」
「ささ、どうぞ――お迎えに上がりました」
キツネとタヌキ。
タヌヌーアとコークスクィパー。
彼らは犬猿の仲。一生、その関係性は最悪のまま。
長年いがみ合っていると噂に聞いていた騎士団も、状況が理解できないのだろう。
破裂した指を押さえる女王を守ることなく。
ただただ二匹のケモノを眺める事しかできずにいた。
狂える女王を守る気などないだろうが、守らなくては家族が死ぬ。それでも動けなかったのは――単純な実力差。
二匹の獣。
タヌキとキツネが種族の長にまでなれるレベルであり、騎士団よりも遥かに高レベルの亜人だったからだろう。
獣人の長を二匹も従える、報告書にあった氷竜帝マカロニの恐ろしさが証明された瞬間でもあった。
女王バニランテの凶行と連行。
これが、今回の事件の始まりだった。