『囮は多ければ多いほどいい』~マカロニの脅威なる策~
【SIDE:麓町カルナック】
神に狙われていると知った元大統領のドナは、自暴自棄とも似た心境で席に着く。
審判と契約の獣、海のリヴァイアサン、天のジズ、地のベヒーモス。
あのペンギンがいずれに該当するかは分からない、けれど魔術の悪用を禁じるケモノが実在したのだ。ならば女神の実在もほぼ確定している。
そんな女神の中の、一番冷酷だとされるダゴン神に目をつけられた。
その時点で終わり。
もはや未来は閉ざされた。
だからいっそ、清々しい気分でドナは最後の時を楽しんでいる。
女傑の目線がウォーターサーバーに向き。
「スナワチア魔導王国、やはり恐ろしい国家だったようだね――もう設置してあるじゃないか」
意味深な言葉に反応したのは元戦士バシム。
「あん!? どういうことだ!?」
「おや、気付いていないのかい? いや、気付いていたとしても無駄か。水がないのなら頼るしかなかった……選択肢などなかったのならばミスじゃないだろうさ」
「……詳しく聞かせろ」
「おやこれは魔導王国には悪いことをしたようだね。まだ気付いちゃいなかった、か……ふふ、でも違和感ぐらいはあったんだろう?」
「……何か知ってるってことでいいんだな?」
ここにいるのは、諦めた者だけが持つ開き直りの強さを持ったドナ。
ウォーターサーバーに疑問を持っていたバシムと、一般人の看板娘。
主人の登場に困惑するドナの残党に、町のために賞金が欲しいギルドの若者。
睨みあうタヌヌーアの長マロンに、コークスクィパーの長キンカン。
そして。
静かに、けれど悠然としている最高司祭リーズナブルに、なにをかんがえているか分からない女騎士姿の側近アランティア。
ウォーターサーバーについて語るべきか。
ドナは少しだけ迷ったが、もはや後がないのならと他人の手品の種を明かすように告げる。
「流星殿はどこまで気付いているんだい」
「なんか、うさんくさいってことぐらいだが――おい、なにか罠があるのか!? この水に、実は洗脳効果があるとかじゃねえだろうな!」
バシムはリーズナブル達を睨むが。
ドナは状況を揶揄するような否定顔、片眉を下げ口角を吊り上げていた。
「やめときな、流星殿。その水に害なんてない、洗脳効果もない。純粋に美味しく、安全な水なのは確かだろうさ」
「じゃ、じゃあこっちのペンギン印の魔道具の方に問題があるってか?」
「そっちも純粋においしい水を無限に引き出せる装置だよ。解析したことがあるから間違いない」
看板娘エリーザが、おそるおそる声を上げる。
「あの、それじゃあ何の問題もないってことですよね?」
「ああ、そうさ。ただ美味しいだけさ」
「え? なら別にいいんじゃありませんか……?」
純粋な町娘はキョトンとしているが、既に純粋ではなくなっている女傑は言う。
「――いいかい嬢ちゃん。人間ってもんは欲深い生き物さ。一度上げちまった基準を戻すことはなかなかできない種族だからね。問題があるのなら撤去すればいい、それまでは無料だって言葉に騙されてうっかり一度でも口にしちまうとアウト。もう二度と、その水からは逃れられなくなる。他のもんを飲もうとしたら身体が拒絶反応を起こした、なんて心当たりがあるヤツもいるんじゃないかい?」
指摘にバシムははっとして。
「確かに、酒を飲もうとしたら……なぜかこの水の方を選んじまった」
「海の支配者リヴァイアサンが齎した最高の水を知っちまったら、そうなるだろうね。その水は、一度でも口にしたらもう逃げられない。依存しちまう。提供先であるスナワチア魔導王国には逆らえないんだよ」
「そ、そんな!?」
看板娘エリーザは並んでいるスナワチア魔導王国の面々……。
その中の清楚なる美女リーズナブルに目をやり。
「う、嘘ですよね!?」
しばしの間の後。
うわっ、えげつない入信の数っすね……とリーズナブルが獲得した信者数を確認し、ちょっと引いているアランティアの横。
神を信じる聖女は、あくまでも清らかな声で告げる。
「あたくしどもはただ純粋においしい水を提供しているだけですわ。皆にジズ様の齎してくださった水を楽しんでいただきたい、皆に幸せになってほしい。そう願っての善意の行動にございます」
それは偽証を許さぬ、嘘ならば多大な罰が下る<聖女の刻印>を掲げての発言だった。
ドナが言う。
「狂信者リーズナブル、人類最強の聖女様。はは、実に清らかな聖職者様らしいやり口だねえ。この女は本当に、心の底からの善意でそのウォーターサーバーを無償提供し続けているのさ。一度口にしたら、もう二度と忘れられない水だと知っていながら――お試し期間に撤去すれば無償だって餌を撒いてね」
「事実、この水の安全性は鑑定により証明されております」
「だからタチが悪いんじゃないのかい?」
やはり皮肉に満ちた顔でドナは、くくくっと嗤い。
「仮にその水に魔術やスキルによる洗脳効果があったのならば、後からその悪事を根拠に糾弾できるんだろうがね。その水自体には何の仕掛けもない、一切悪くないってのがエゲつないのさ。しかし、分からないね。魔術でもスキルでもないのに、なぜこの水を飲むと二度と他の水が飲めなくなるんだい? その仕掛けが本当に分からなかった……そちらさんの無実を証明するためにもご教授お願いしたいんだが。どうだい?」
そうですわね、とリーズナブルはアランティアに目をやり。
「仮に元始への回帰とでも呼びましょうか。神々がこの世界を創る際に使用した基本の三属性、この世界を構成する天と海と地。天の女神アシュトレト様の御力、海の女神ダゴン様の御力、地の女神バアルゼブブ様の御力。その全ての魔術と魔力が人類の誕生に関係しているのです。そして人類の元となる存在、生命の始まりが発生したのは”海”とされております」
「海から? 初めて聞く理論だね」
訝しむドナに、えへへへへ!
アランティアによる能天気な声が響く。
「そりゃあそうっすよ! あたしが提唱した理論っすし!」
「ダリアの娘のあんたが、ねえ……。悪いが初めて聞いた理論だよ」
「そりゃそーでしょうねえ、あたし、この理論を外には発表してないですし」
ドナは口元をピクっとさせ。
「あのねえ嬢ちゃん。なら知ってるわけないじゃないか」
「でも、ふつうにちょっと考えればわかりますよね?」
「やめとくれよ、その顔。ああぁぁ、いやだ。あの女を思い出すじゃないか……っ」
「その反応、母様を知っているってことっすよね?」
「雷撃の魔女王……あの動く天災は北部でも有名だからねえ。あたしの世代で知らないヤツはいないだろうさ」
冷や汗を浮かべるドナの顔を見て、にっこり笑顔でアランティアは口を開け。
「動く天才ってとってもジーニアスってことっすよね! いやあ、やっぱり母様って偉大だったんすねえ」
「天才じゃなくて天災だよ……! って聞いちゃいないね。あっちの魔女は静かだったが、あんたは真逆で喧しい。けど……他人の話なんてどうでもいいって態度が似ているよ、あんたは……本当に」
雷撃の魔女王との因縁が浮かんだのだろう。
バシムが口を挟みだす。
「お……おい、ドナさんよ。この嬢ちゃんが、ダリアの娘ってのは」
「あぁん? 知らなかったのかい?」
「だって、ただの嬢ちゃん……にしか見えねえだろ。こんな娘が、あの野郎の……」
実際、外見だけならば無害そう……騎士に憧れる少女が、女騎士の格好を真似ているだけにしか見えない。
「嘘なんてつく意味ももうないさ。気をつけなよ。この嬢ちゃん、天然で空気が読めないバカ娘にしか見えないが……いつのまにかタヌキに乗っ取られていたスナワチア魔導王国のいざこざ、国家転覆を成功させた王権事件の主犯さ」
国家転覆事件。
そのテロリスト集団のトップ。
そういえなくもない。
「ま、まじかよ……こんな人畜無害でバカそうな子が?」
「何も考えてなさそうなのも、全て演技ってことか」
ドナの残党やギルドの若者の目が変わる。
彼らには、アランティアはただのマカロニの秘書。マスコットのような少女に見えていたのだろう。
目線を受けたアランティアは、えへへへへっといつもの笑みのまま。
「いやあ、なんかあたし褒められちゃってます?」
「親子揃って他人の心が分からない、自分を基準に考えて他人との境界線が曖昧な厄介な王族……バケモノの娘はバケモノってことかい。で、バシム殿。この子になんかあるのかい? さきほどから気配が変わってるようだ」
からかうように言うドナを睨み、バシムが言う。
「……噂ぐらいは知ってるだろうに。ドナ様ってのは随分とまあ、性格の悪い女だな」
「悪かったよ――でも、そうかい。流星のバシムは雷撃の魔女王に負けた、領海侵犯から起こったあの惨劇……。あの時の噂話は本当だったって事か……」
「はん、ドナ閣下はあの時から既に動いていたってか? あんた、何歳なんだ」
「女に年齢を聞くもんじゃないよ」
女に、との部分にコークスクィパーの長キンカンが、プッと失笑を漏らす。
「どういう意味だい、キンカン」
『ドナ様、大勢の場で当方の名を呼ぶのは……いささか』
「言っただろう? 先がないあたしにはもう怖いもんなんてないのさ」
自暴自棄ゆえに、口が軽くなっているのだろう。
ドナは厄介なものたちを眺め。
「で? 話を切って悪かったが、海から生まれたのがなんだってんだい」
「そうでしたわね。簡単な話です、天の遣いジズ様たるマカロニ陛下は、何故か海の女神さまの恩寵も有していらっしゃいます。世界が生まれたときの海の力と同じ、一切の汚れのない純粋な水をあの方はウォーターサーバーを通じて提供しているのです」
「……天地創造の時代の、神の水……。人類が生まれる元となった神聖な水ってことかい。そりゃあまあ、一度飲んだら他の水じゃあ物足りなくなるのも分かる、か。しかし、それは海の支配者リヴァイアサンの領分だろう? あのペンギン、ベヒーモスじゃなかったのかい?」
ドナの目線は情報収集をしていたキツネに向いている。
コークスクィパーの長キンカンは肩を竦めてみせ、その糸目に敵意を乗せてタヌヌーアの長マロンを睨み。
『はて、少なくともタヌキどもはそう判断していたようなのですが』
『吾輩はいまでもあの方がベヒーモス閣下だと信じておりますが?』
キツネとタヌキが睨みあう中、リーズナブルは祈る形で両手を握り。
「いいえ、あの方は神鳥ジズの大怪鳥様に違いありません」
「おいおい、なんだ……スナワチアの連中も、あれのちゃんとした正体を知らねえのかよ」
大丈夫なのか……? と呆れるバシムに自信満々の声が突き刺さる。
「何言ってるんすか! マカロニさんはマカロニさんっすよ!?」
「いや嬢ちゃん……そーいう話じゃなくてだな。そりゃあマカロニって名前やら、氷竜帝マカロニって種族なのかもしれねえが……獣王ってんなら、ジズかリヴァイアサンかベヒーモスのどれかってことだろう? そのどれかって話なんだが」
「だーかーらー! マカロニさんはマカロニさんなんですってば! なんでみなさん、わからないんすか!?」
もう、失礼しちゃいますねえ――と、ぷくっと子供のように頬を膨らませるアランティアは無視され。
ドナは言う。
「あぁ、もうあのペンギンの正体なんてどうでもいいさね。それで、あたしやこいつらを集合させて何をしようってんだい。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかい? 最高司祭様」
「あたくしはただここの護衛を命じられただけなので」
「じゃあそっちのクソ狸はどうなんだい?」
タヌヌーアの長マロンは、今もキツネと睨みあったまま。
獣人の美貌に犬歯を光らせ。
『吾輩も貴殿をここに連れてくるように言われただけなので』
『タヌキが信用されないのは必然。仕方ありませんでしょう』
『はは、キツネよりはマシでありましょうがね――』
タヌキとキツネは互いに笑って。
タヌキは植物操作魔術にて<銀杏の種>を、キツネは幻影魔術で実体ある<キツネ火>を浮かべ――距離を取る。
銀杏にトラウマがあるのだろう、ドナがまともに顔色を変え。
「ひっ、銀杏はもう見たかないよ!」
一触即発の空気で睨み合う中。
アランティアは何かを受信したのか、チョークを装備し床に刻みだしたのは魔法陣。
室内に新たな転移魔法陣が発生する。
こちらから転移魔法陣を作成したという事は、氷竜帝マカロニではない。
現れたのは――マキシム外交官だった。
ドナが言う。
「かつての英雄……魔術の祖たるマキシム殿か」
ドナに続き、マキシム外交官を知っていたのか――かつて流星とよばれたバシムが、緊張に汗を浮かべ。
「マジかよ、英雄様じゃねえか……」
「流星のバシム――生きておったのか」
それぞれがかつて国の要人だったモノ。
面識はなくとも互いの存在は知っていたのだろう。
マキシム外交官はバシムに目線のみで礼をし、ドナの前に立ち。
「貴殿が元大統領閣下であるか」
「英雄殿があたしを知ってくれているとは、光栄だね」
「貴殿の手腕には目を見張るものがあったからな。魔物牧場もしかり、侵略政策もしかり、ソレドリア連邦という国家のみを維持しようとしていた女傑。民に疎まれようと、他国に悪女と誹りを受けようともただ国家を維持するために献身し続けた逸材であると」
そう判断していると、野心に満ちた中年姿の老成の男は皆を見渡す。
「アランティア、戦いを止めろとマカロニ陛下に命じられていた筈ではなかったか?」
「やばくなったら止めるつもりでしたよ?」
「……陛下のご命令は……いや、いい。おまえに言っても曲解するだろうからな」
「分かってるなら言わないでくださいよ!」
「……おまえは本当に、我が弟子ながら……」
額を押さえるかつての英雄の姿に、皆は同情。
このアランティアがいつもどれほどに暴れているのか、容易に想像できたのだろう。
ドナが話題を切り替えるべく、口を開く。
「それで、英雄殿はいったい何用で」
「気分を悪くしないでいただきたいのだが、特に大きな用などない。陛下の命令で参った次第。そう緊張しないで貰って構わぬであろうな」
ドナもバシムも目線を鋭くし。
「どういうことだ」
「ここに主要人物を集める、それだけで我が主の目的は達成されている。そういっても、おそらくは理解できぬであろうな」
マキシム外交官は種を明かすように語りだす。
「この状況こそが囮なのだよ」
「囮? いったい、誰に対する」
「マカロニ陛下は今、天に行かれたのだ。創世の女神の意識をこちらに集中させている間にな」
ドナは理解できずにマキシム外交官を睨み。
「天だぁ? 死んだって事かい?」
「そうではない。信じられぬ話であるが……陛下は破天荒なお方ゆえに、奇抜な発想をなさっているのだ。なんと言ったらいいか……『面倒な女神を止めるには主人に説教するのが一番だ』と仰られてな、捕獲したマカロニ隊を連れ最高神様のもとに……殴り込みに行かれたのだ」
殴り込み。
その言葉を聞いた。
アランティア以外の一同は黙り込み。
最初に叫んだのは、ドナだった。
「は!? 最高神様のもとに、殴り込み!?」
「女神の方々は好奇心旺盛ゆえに、この状況を必ず観察なさる。その隙をついてとのことだ」
つまりは、ここを見ている今がチャンス。
「バ、バカなのかい!?」
「ははは、やっぱりそう思います? あたしもさすがにそれはどーなんすか……? って呆れたんすよねえ」
肯定するように、マキシム外交官ははぁ……と重い息。
事実だと悟ったのだろう。
この破天荒なアランティアですら呆れる、主人の奇行。
一同は皆、本当に言葉を失っていた。