『乙女が滞在する酒場にて』~最強~
【SIDE:麓町カルナック】
酒場は異様な空気に満ちていた。
マカロニ隊と命名された魔物の群れは、ここにはもういない。
天地創造の時代の魔物<万年悪魔蛸>が棲息しているとされるあの魔海域を超えた、この辺境の雪町からはかなり遠い国……スナワチア魔導王国に引き取られた。
カルナックの危機は去り――。
ドナの手配が更新されるほどの時が経っている。
だが。
ドナの残党たる軍人グループも、ギルドの者たちも酒場に待機したまま。
デレー!
とある人物の滞在に鼻の下を伸ばし、完全に心奪われていた。
その相手というのが。
人類最強と名高い、天の神に仕える最高司祭リーズナブル。
スナワチア魔導王国の王、マカロニが護衛にと置いていった聖職者である。
清廉な波動を放ち続けるのは、本人とその装備。
聖職者の杖を握る人類最強は、女神の加護を受けた美貌を上げ。
「エリーザさん、でしたか。あたくしに何か?」
「い、いえ! す、すみませんあまりにも美しい方で……えへへへ、こんなに綺麗な人を見たことが初めてだったので」
「謙遜、したら失礼になってしまうのでしょうね。あたくしのこの顔は天の女神アシュトレト様からのお恵み。我らが神への賛美として頂戴いたします」
事実としてあまりにも美しいので否定するのは嫌味。
自らの美貌は神からの贈り物。
そう返した最高司祭リーズナブルは、ふふふふっと乙女の笑み。
ただ微笑んだだけだ。
そこには何の魔力もない。
けれど。
エリーザは、かぁぁぁぁっとそばかすの頬を赤くする。
「あははははは! はは……天の女神さまの庇護がある地域の方は、男女問わず魅了するほどの美形が多いっていうのは本当だったんですねえ。あたしもリーズナブル様の顔に見とれちゃって、って、何言ってるんですかねあたし」
「いや、本当におまえは何をバカなことを言ってやがるんだ」
厨房から顔を出し呆れた口調で言ったのは、中年男で元戦士のバシム=ランドラス=クルセイダー。
看板娘の頭をコツンと叩き魅了を解除。
魅了を招いた美貌の最高司祭に重い視線を向け――。
「あんた、その顔はどうにかならねえのか?」
「どうにかとは?」
「耐性のない連中が魅了されてるのは分かってるだろう? それと! さりげなく勝手にウチの店に入信手続き書類を置くんじゃねえ!」
「まあ! あたくしったら、ついうっかり!」
しれっと天の女神を崇める宗教を広げようとしている抜け目のない女に、やはり重い息を漏らし。
「そりゃああんたの主人に助けてもらったのは事実だが、洗脳みたいな事をするのはどうなんだ」
「あたくしはただ、あの方が返ってくるまでの護衛でございます。洗脳する気など少ししかありません」
「少しはあるのかよ……」
「少なくとも、心が弱っている場所に入信への導線を作るぐらいの下心はございます」
いけしゃあしゃあと語るその口は、まるで主人のマカロニそっくりだった。
看板娘が失礼ですよ! と、にっこり。
ペンギン印が刻まれた魔道具から、水をきゅっと引き出し。
「でも、いいんですか? こんなに良い水までいただいちゃって」
「このウォーターサーバーもマカロニ陛下の商品でございますので、問題ありません。さすがに永続的に無償で提供するとなると公平性が失われるのでできませんが、こちらは試供品。落ち着いた後に撤去していただければ代金もかかりませんので、ご安心くださいまし」
「ですって! ほら店長! やっぱり無償でいいって話ですよ! 水を貰えるってみんな喜んでたのに、何を心配してたんですか?」
たしかに、お試し期間に撤去するのならば料金は一切かからない。
そう魔導契約の刻印がウォーターサーバーには刻まれている。
そして事実として今ここに他の水はない。
氷竜帝マカロニがそのままにしている氷海エリアは危険で、近寄れない。
この施しはかなりありがたいのだが――。
筋肉が浮かぶ腕でガシガシと頭を掻き、バシムは言う。
「そりゃそーなんだが、なーんか罠がある気がするんだよな」
「罠だなんて、バシム様はとても心配性なのですね。ただとてもおいしい水ですので、撤去せずにそのまま契約なさる方が多くはございます」
「まあ……マジで水も切れかけてたから、すげえありがてえんだが」
言いながらもチラリと厨房に目をやり、店長バシムは訝しむ。
食料まで提供して貰っているのだ。
あまりにも好待遇で、恐ろしい。
それにと、バシムは戦士としての顔で目の前の絶世の美女を見る。
隙が一つもない。
ドナの残党やギルドの者たちは、最高司祭リーズナブルを眺めるバシムに目をやり。
くわ!
「おいバシムてめえ! 最高司祭様を厭らしい目で見てるんじゃねえ!」
「いくら店長さんでもリーズナブル様を愚弄したら許さねえからな!」
完全に魅了されている。
確かに、エルフという神秘的な種族の特徴もあるせいか、彼女はまさに神話の女神が降臨したかのような”美貌と威光”を持ち合わせている。
「これほどの魅了状態を魔術でもスキルでもなんでもなく自動発動させるって、それだけでやべえな」
「全ては天の女神さまの加護でございます」
「いや、だから……スゥっと入信書類を持ってくるなって……オレは入らねえからな」
既に魅了状態の若者たちに入信書類を手渡し。
店内に設置させながら、リーズナブルは微笑み。
「しかしバシム様。我が主はあなたに興味がおありのようで……」
「あん? なんでまた」
「あたくしも話として耳にしただけでございますが……なんでもあなたは<氷竜帝の咆哮>の中でも動くことができるとのこと。なおかつ夜の女神さまの結界を張ることができるとも聞いております。我が国は人材を大切にいたします。ですので……可能ならあなたを味方に引き入れろと、ジズ様はそう仰せでしたので」
バシムが「ん?」と眉を上げ。
「夜の女神の結界だぁ?」
「月光の力を発動されていたと聞いておりますが」
「いや、確かに結界は張ったが……何の話だ」
「おそらく、バシム様は夜の女神さまの加護を受けているのかと」
「いやいやいや、オレは宗教なんて入ってねえからな!?」
実際に、バシムは国や宗教といった組織に属することを嫌っていた。
神に願いを叫んだことなど、雷撃の魔女王に敗北し……沈んだ護衛対象の船を眺めたその瞬間、一度しかない。
しかし最高司祭リーズナブルは、ふふっと聖女の微笑に言葉を乗せる。
「創世の女神様はこちらから祈りを捧げた事に応えてくださるのではありません。もちろん、祈りを受け取り返答くださることもありますが、それは神々の気まぐれに過ぎないのです。神々は基本的に能動的に動かれる、きまぐれに俗世を眺め、気まぐれに気に入った命の物語を追い、”きまぐれに加護を授ける”とされています。あなたが入信していなくとも、夜の女神様はあなたに一方的な加護や恩寵を授けているのでしょう」
「な、なんでまた……」
「さあ、そこまでは――ただ夜の女神さまは月と狩猟を愛する神とされております。かつて<流星のバシム>として活躍されていたあなたを見ていた、という可能性はあるかと」
バシムは冷めた瞳で言葉を聞き。
「見てたって言うなら、本当に困ったときに助けてくれりゃあいいのにな」
「神は都合のいい道具ではございません」
握る聖杖から説法の光を出し、リーズナブル女史は語りだす。
「神々は世界に過度な干渉はしないとされております。あくまでも神話や伝承によればですが――直接的な介入は禁じられているとも……ですから、あたくしのような女神の加護を受けた人材を通し世界に干渉している、とも言われておりますわ」
「気に入らねえな」
「ふふ、バシム様――あなたのそうやって神をあまり信じない姿こそが神には魅力的に映った、夜の女神さまに気に入られたのかもしれませんわね」
「恩寵を求める連中は無視して、神を嫌う人間には勝手に恩寵を与えるってか? 神々ってのはどーしようもねえな」
挑発を受け止めつつも最高司祭リーズナブルは笑顔を絶やさず。
「けれど、天の女神さまが地上に齎した獣王ジズ様……。マカロニ陛下の恩情で水も食料も下賜された、アシュトレト様が恩寵を与えた陛下がいなければ、この地は魔物に潰されていたのかもしれません。被害を免れたとしても、食料不足に耐えられたかどうか。その事実もご配慮いただければ幸いと存じます」
「結局、脅しじゃねえか」
「この配給が無償である事は保証いたしますわ。ご不安でしたらお試し期間の間に撤去していただければ良いだけですので、どうかご安心を」
確かにそういう契約だ。
どんな罠があるか分からないが、水に害は一切ない。
強いて言えば、美味しすぎることで他の水を口にしたくなくなってしまう事だろうが。
人類最強を前にし、乾いた喉を潤そうとバシムは酒に手を伸ばそうとするが。
何故か手が、その酒を拒否していた。
その手は本能に従い、ウォーターサーバーに向かい……ただの水をグラスに注いでいる。
バシムは妙な違和感を覚えつつも、そこに魔術やスキル、洗脳系の魔道具などの気配を感じないので水を口にする。
これを撤去するなんて、ありえないだろう。
と、自分の中の声を聴き。
「おい、これは――」
「あら? どうやらお客様がついたようですわね」
話を切り上げたリーズナブルは聖杖を翳し。
馬車の音がする外に向かい、キッィィィィィィィン。
開錠の魔術で、カランカラン……と酒場の扉を開く。
皆の目線がそちらに向き、皆が驚きの表情を浮かべ――真っ先に声を上げていたのはドナの残党だった。
「ドナ様!? 生きておられたのですか!?」
「おまえたちも無事で何よりだ――……流星のバシムにそちらさんは人類最強……最高司祭リーズナブル殿か。まったく、あのペンギンはどれほどの手駒を持っているんだい」
流星のバシム。
その名を知っている女傑の名はドナ。
名を告げられたバシムが言う。
「あんたが元大統領様か――歓迎してえところだが、いったい何しに来やがった」
「それはあたしが聞きたいね」
「言いてえことは山ほどあるが――」
バシムは看板娘を守るように前に立ち。
錆びた斧を装備。
殺意と敵意を込めた視線をドナに向けていた。
ドナの残党が声を荒げ。
「てめえ! ドナ様に歯向かうってのか!」
「黙ってろ、てめえらだってこいつのせいで今こんな目に遭ってるんだろうが」
「そ、そりゃそうだが」
ドナの残党は既にバシムとの信頼関係を築いていた。
失踪していたドナへの信仰心よりも、天秤が傾いているのだろう。
店長と荒くれたちのやりとりの横、更新された指名手配書を思い出しただろうギルドの若者たちが立ち上がり。
「前代未聞の懸賞金。ドナを捕らえりゃあ、おれたちの町も復興、できる」
「って、てめえらもドナ様に弓なんて向けるんじゃねえ!」
「だがよう! この女を差し出せばっ、みんな助かるんだぞ!?」
それは国さえ狂わせる金額。
だからこそ店内は混乱する。
妙に悟った様子のドナは言う。
「……殺したければ殺せばいい、あたしはそれで終わりでも構わないからね」
「ド、ドナ様?」
「おまえたちにも苦労を掛けたが、あたしはもう駄目さ。どうしようもないモンに狙われちまってるらしいからね」
ははっと乾いた笑いを漏らすドナを眺め、ギルドの若者たちが一斉に遠隔攻撃を発動。
弓矢と投石。
魔術による戒めを試み、行動を開始。
ドナの残党はそれでもドナの味方に回るべく、テーブルを傾け遠隔攻撃を妨害。
「おい、てめえら! ウチの店で……っ」
「ちょっとみなさん!?」
看板娘エリーザも混乱の声を上げる中。
カツン!
と、静かでありながらも、広がる金属音が鳴り響き。
次の瞬間。
戦闘行動をとろうとしていた、全ての人間は床に伏していた。
それは最高司祭リーズナブルが鳴らした聖杖の一撃。
「皆さま、どうか落ち着いてくださいまし――彼女は我が主がここにお呼びしたのです、そういった行為を否定するつもりはありませんが主の用事が済んでからにしていただければ、と。ダメでしょうか?」
ただ杖を鳴らした。
それだけで戦闘行動を取っていた者、全てを蹂躙した。
それがどれほどの技量か――。
自分より遥か上の極みを眺め、かつて流星と言われていたバシムがやはり、乾いた笑い声を上げる。
「はは、マジかよ……対象指定した上で風圧だけで殲滅するとか……人間技じゃねえな」
「あたくしはエルフですので」
「いや、そういう意味じゃねえよ……あと、またしれっと入信案内を置くんじゃねえ!」
ふふっと最高司祭リーズナブルは微笑み。
「お待ちしておりました、ドナ閣下」
「あたしは……あまり会いたくなかったがね」
麓町カルナック。
ただの田舎町だったはずの場所に、徐々に役者が揃いつつあった。