『共犯者』~ドナドナ~
『SIDE:逃亡者ドナ』
月光が、女の影を照らしていた。
ここはかつてソレドリア連邦だった北部の、さらに北。
ペンギンすら辿り着かない極寒の地。
ドナは独り、暗く冷たい路地裏を歩いていた。
冷たさの中でも漂う悪臭は、ここがあまり治安のいい場所ではないせいだ。
逃げるような足早の彼女は、思う。
――どうして、こうなった……っ。
女傑たる風貌の、元大統領のドナはそう叫びたい気持ちでいっぱいだった。
かつての栄光など感じさせない汚れた服、以前は開いていた開襟シャツを隠すようにぎゅっと握り……唇を揺らす彼女は現在逃亡人生を歩んでいる。
それもこれも全てはダガシュカシュ帝国に干渉したせい。
いや、もっと言えばそのダガシュカシュ帝国を恩という名の鎖で縛るように工作していた、魔導国家のせいだろう。
その名はスナワチア魔導王国。
彼らは彼らでダガシュカシュ帝国を狙っており、暗躍していた。
そうなるとあの広大な砂漠を植民地とし、ここより南の大陸の覇権を握る足掛かりにしようとしていたソレドリア連邦は邪魔。
つまりは――。
「このあたしが……っ、ドナ様が、外道な策で負けるなんてねえ。クソ! クソ、クソがぁあああああああぁぁぁぁ!」
罠にはめられたのだ。
と、ドナはそう信じ切っている。
もう一度、叫びを上げそうになった女傑を窘めるような、けれど軽薄そうな声が路地裏に響く。
『荒れておりますな、ドナ殿』
ドナは姿勢を正し、懐の魔力短刀と銃に意識を向けつつ。
その視線を路地裏の闇に向け――
「……その声、キツネか」
『ええ、コークスクィパーの長にございます』
「あたしを嗤いにでも来たのかい? それとも、この首を取って小銭でも稼ぎに来たのか? どちらにせよ、もうあたしに用はない筈だ」
『左様ですな。本来ならば賞金目当てにあなたを訪ねてきたとしても、それはお金に用があって貴殿に用があったわけではない。はて、あなたの仰ることは至極まともなのです。が……』
「解せんな――小銭目当てならばとっととこのドナの首、寝首を搔くように持っていけば良かっただろうさ」
コークスクィパーの長と思われる影は、路地裏の影に変化したまま。
肯定するように影が頷き。
『少々、お尋ねしたいことがございまして』
「舐められたもんだねえ、素直に答えるとでも思っているのかい」
『おや、舐めるだなどと……とんでもございません。むしろその逆でして。伺いたいのですが、あなた、何をなさったのですか?』
ドナには質問の意図が分からなかった。
人類に化け、その社会の裏で悪い遊びをするキツネたちはドナの取引相手の一つ。共犯者といえる種族でもある。
ようするに、各国家にキツネを忍び込ませ世論や情勢を操作させ続けていたドナの悪事、その大半を知っているのだ。
――どういうことだい、なにをいまさら。
そう、訝しむ彼女の困惑を読み取ったのか、路地裏の影に化けるキツネが言う。
『なるほど、あなたも心当たりがないと。困りましたなあ、参りましたなあ。ふむ、これでは当方も面白くない』
「だから! 何の話さね!」
余裕のないドナは瞬時に跳び、路地裏の影とは反対方向に魔力短刀を突き刺し。
キツネに銃を突き付けていた。
変化が解けたのだろう、モフモフとした二足歩行のキツネが突き付けられた銃に、驚いた顔をして見せ。
『おや、影ではなく月光に化けていたとお気づきで』
「タヌキに負けそうだったあんたらキツネに知恵を授けていたのはあたしだ、だったらやり方だって想像できる。違うかい?」
『ははは、失礼いたしました。しかし、銃の音は存外に大きいと聞きます。ここで当方を怒りに任せ撃ち抜くのは得策ではないかと』
その通りだ。
その通りなのだ。
だが。
「部下共もみんな消えちまった今、あたしはもう終わりさ。ああ、そうさ終わりなのさ。だったらねえ、悪事の一蓮托生。いっそ、あんたを道連れにしてやるってのも悪くないだろう?」
『……本気のようなので、脅しますが。それは契約の破棄を意味するかと、はてはて、そんなことしたらお分かりですね? 当方はしたいとは思いませぬが、我らの同胞はアレの管理を放棄し、破棄するでしょう』
よろしいので?
と、キツネはまるで三日月のような邪悪な笑み。
「……つまりは、まだ」
『ええ、契約は守る。それがキツネの矜持、たとえ泥船といえどあなたとの契約が生きている限りは順守しますよ』
「で? キツネよ、貴様は何を聞きに来たというのだ」
『本当に知らないようですね、これをご覧ください』
言って、モフっとしたキツネが獣の手で差し出したのは指名手配書。
「何言ってるんだい、旧ソレドリア連邦を滅茶苦茶にした戦犯ドナ、あたしの指名手配なんてもっと前から始まっていたじゃないか。ボケたのかい?」
『ボケはあなたですよ。これは最新の手配書、金額をよくごらんなさい』
更新されただろう懸賞金の額は――。
「は!? どーいうことだい!? 額が百倍になってるじゃないか!?」
『ええ、あなたを捕まえれば人の人生の一生どころか、町の人生の一生が賄える分の額が掛けられている。正直、もはや見せしめの処刑対象としての価値しかないあなたを捕らえる額としては、異常です』
「キサマの仕業ではないのか」
額は大きければ大きいほど、民衆の話題を奪う。
実際に払うかどうかは別として――混乱を招くために、敢えてこういった額を提示する。
それはキツネの手口でもある。
だが。
大統領時代の勘を取り戻した女は、瞳を細め。
「いや、違うねえ。訂正しようじゃないか。黒幕があんたならあたしに問う必要もなく、殺していたか」
『ご理解いただき恐縮です。が……本当になにをやらかしたのですか?』
「なにもしちゃいない……と言いたいが、もしかしたらあたしがナニカした中で、こんな懸賞金をかける程の案件があった可能性もある。キツネ、あんたこそ何か知らないのかい」
『分からないからこそ、こうしてきているわけでして』
かつてのように胸元をわずかに晒したドナは考える。
この懸賞金は人の人生どころか国を狂わせるほどの金額だ。
おそらく多大な混乱を招くだろう。
相手はなりふり構っていないのだ。
「ふふ、これじゃあまるであたしは稀代の大犯罪者。世界を壊そうとしたような大戦犯みたいじゃないか。で? これほどの金額だ、相手は明確な意図をもってあたしを探している。なにがなんでもって勢いが分かるねえ。となると、もしあたしがこの懸賞金に見合う対象……標的じゃなかったとしたら」
『その通り、我らキツネが次のターゲットにされる可能性もある。故に、我らはドナよ、貴殿を見張るのです。全ては我らが生き残るために』
「ははははは! そりゃあ貧乏くじだったねぇ。ふん、あたしが知恵を貸してやって……群れが生きていけるようになった時点で満足してりゃあ良かったのさ」
当時、まだドナが大統領となる前。
北の覇権を争っていたのは人類だけではなかった。
それは人と隔絶された世界で生きる獣人たちも同じ――キツネの民、コークスクィパーはタヌヌーアとの縄張り争いに負けかけていた。
だから、ドナはキツネに鉛と知恵を授けた。
生き残りたいのならば武器を持て。
情けを捨てろ。
世界は甘さを許しはしない、と手勢の一つへと書き換えた。
結果としてドナの介入は獣人たちの勢力に、大きな変化を与えた。
タヌヌーアは絶滅寸前。
その生き残りがいつの間にかスナワチア魔導王国の王と成り代わり、そして……。
――。
ドナの額に僅かな青筋が浮かぶ。
あのペンギンを思い出したのだ。
しかし怒りや憎悪は判断を曇らせる、敗北の苦さと痛みを耐えドナは言う。
「あたしがやってきたことのナニカに、あたし自身も気付いちゃいない答えがあるのかもしれないね」
『ええ、そしてその答えが分かったその時には、相談があるのですが』
「……答え次第じゃあ、あたしを売るって事だろう?」
キツネの民、コークスクィパーの悲願は種族繁栄。
滅びないことにある。
だから、国家さえ狂わせるこの懸賞金は魅力的なのだろう。
キツネは飄々とした顔で、ククククク!
『さすがドナ殿、いや、ドナ様はお話が早い』
「いいさ、好きにしな。どう転んでもどうせあたしは終わりさね。だが、あんたらに預けている……」
『我らは契約を守ります』
共犯者たちはその一点において、互いを信用していた。
コークスクィパーの長は、飄々とした紳士姿の人に化け。
ドナに煙草を差し出し――。
ドナもまた自然にそれを受け取り、キツネに火をつけさせる。
銀色の闇世界に、煙草の仄暗い明かりが灯り始める。
それが彼らなりの契約の証だったのだろう。
「で? この馬鹿みたいな懸賞金を追加したのは、どこの狂人なんだい」
これは本当に世界を乱す悪手。
平和や平穏を望むモノからも敵視される愚策だ。
ソレドリア連邦を抜けた、あの偽善主義な聖王国の連中か……。
ともあれ、これほどの額で指名されるのならばドナは歴史に名を残すだろう。
と、どこか彼女は満足げでもある。
だが。
キツネ紳士が糸目を細め、けれど困ったように言う。
『……それが、その』
「なんだい、あんたが言い淀むなんて珍しいじゃないか」
『今は逃亡中の身、あまり叫ばないでいただきたいのですが……』
冷静さを取り戻した今。
そして目標ができた今。
もはや叫ぶことなどない。
――あたしはもう、二度と失敗などしない。
そう思っていたのだが。
懸賞金の財源を保証する、そう宣言したモノの名を目にしたドナの瞳が、ぎっと吊り上がり。
口元がプルプル。
叫びは夜の街を切り裂くほどの勢いで、飛び出していた。
「あぁぁぁぁ、あんの腐れペンギンがぁああああああああああああああぁぁぁぁあ!」
そう。
そこにあったのは、契約の獣王を名乗った氷竜帝マカロニの名。
キツネははぁ……と息を吐き、逃走経路を確保するべく、コォォォォォォォン!
紳士姿のまま月光に吠え魔術を発動。
<幻影魔術>にて周囲に霧を発生させた。