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『流星のバシム』―かつて戦士だった男―


 『SIDE:麓町カルナックの酒場』


 圧倒的な強者を前にして走った幻影を言葉にするのならば――。

 走馬灯だろうか。

 最前線の最後の酒場にて、店長の男はごくりと息を飲んでいた。


 直感があったのだ。

 これはアレに似た存在、いやそれよりも悍ましい強者だと。

 死を意識したその頭脳は、強者の二匹を前にして、過去を思い出さずにはいられなくなっている。


 看板娘を守るように前に出たこの男――。

 かつて戦士だった店長たる男の名はバシム。

 歳は三十後半を超えてからは本人ですら数えなくなったが――そろそろ四十代ではなくなる頃だろう。


 ◆


 バシム=ランドラス=クルセイダーの名を翳せばそれなりの威光を示せたのは、昔の話。


 まだバシムが現役だった当時、負け知らずだった男には自信があった。

 誰にも負けない力と魔力があった。

 地位も名声も、酒も女もすべてを手に入れていた。


 二つ名は<流星のバシム>。


 戦場こそが住処だとばかりに、強き男は戦いを求めた。

 だからバシムはソレドリア連邦が連邦としてまとまり始めた頃、世界を股にかけて大きく暴れた。

 略奪もしない、簒奪もしない。

 出世も望まず、ただ戦場を求めて流星のように駆けたのだ。


 様々な冒険の中、バシムは自分を慕ってくれる女性と行動を共にするようになった。

 ソレドリア連邦は一枚岩ではない。

 多くの州議会が集った、いわば人種と思想のるつぼ。

 君主制ではないとはいえ州議会の上層部には、かつて王族と呼ばれていた人間も多く存在している。


 バシムを慕った女性もその一人だった。

 かつて姫だった女性はバシムの強さと陽気さに憧れを抱いたのだろう。

 二人は恋仲にはならなかったが、共に行動する機会が多かった。


 姫からのアプローチだと、周囲はバシムを冷やかした。

 だが。

 バシムはそんなことより冒険だと最強の名を轟かせるべく、世界を渡り歩き続けた。

 男は強かった。

 誰よりも何よりも強かった。

 姫はそんな彼の後ろを追って、いつでもどこでもやってきた。


 自分を追いかけてくる女に気を良くしたのだろう、戦士は駆けた。

 全力で駆けた。

 バシムの全盛期ともいえる時代だった。


 勝者の自分には自由がある。

 敗者の人生を狂わせる権利がある。


 世界は強いか弱いか、それだけだ。

 それが彼の持論であり、口癖でもあった。

 だが、上には上があったのだろう。


 流星のごとき戦士が落ちた日。

 それは、ソレドリア連邦の南部遠征に付き添い用心棒として船に乗った時の冒険。

 護衛する船には、例の姫もいた。


 その時には既に、彼女は彼にとっても想い人となっていた。


 彼にとって最後の冒険、短い物語である。


 バシムの脳裏にはあの時の言葉が残り続けている。

 戦いは一瞬だった。

 きっかけはソレドリア連邦側が魔の海域を超えたことによる、領海侵犯。


 結果は、敗北。


 それは流星よりも早い電光石火の一撃と共に贈られた、呪いの言葉。

 苦手な船上の戦いだったことを差し引いても、完敗だったのだ。


 砂漠騎士の流れを汲んだ女の一撃は、バシム=ランドラス=クルセイダーの肩を貫いていた。

 まるで女神のような魔女だった。

 神と見紛う程の美女が、バシムを足蹴に見下しの目線を落としていたのである。


 燃える船上。

 魔力で赤く輝く魔女の瞳が、敗北者を眺めている。

 ぞっとするほどの濃い魔力が込められた、重い声だった。


 ――弱いな。流星と聞いていたが、貴公にはガッカリしたよ。


 そんなあからさまな失望の声が、いつまでも呪いとなってバシムを蝕んでいた。

 その魔女の名はダリア。

 当時最強を謡い、実際に最強とされた<雷撃の魔女王>の二つ名で恐れられていた魔女騎士だった。

 ダリアに負けたその日に、バシムの人生は変わってしまった。


 相手が女だったことにショックを受けたわけではない。


 バシムは戦士として正面から戦い負けたことに初めて、腰を抜かしていたのだ。

 そして、それが初めての依頼失敗。

 雷撃の魔女王はつまらなそうに言った。


 ――まあいい、我らが領土を侵犯せしその報いは受けてもらおう。そちらが先にやったこと。これも公務だ、悪く思わないでいただきたい。


 待て――と叫んだ言葉を無視して雷撃の魔女王は姿を消し。

 そして護衛対象だった船団は全滅した。

 想い人も壊れた船の破片のように、海の藻屑となっていた……。

 別れの言葉すらもなかった。

 それが叶う時間さえも獲得できなかったのだ。

 世界は強いか弱いか、それだけだとかつて弱者に向けた言葉が自分に返ってきた瞬間でもあった。


 弱さが自由を許さなかったのだ。


 バシムはそれ以降。

 依頼をすべて断るようになった。


 流星のバシム。

 次第にその名も廃れ。

 最強ではなくなった男のもとからは、皆が離れ。

 旅立ち。

 いつしかバシムは一人になっていた。


 人生から戦いを失ったそのとき、ようやく男は気が付いた。

 自らの手を見て――知った。

 強者という称号を失った男には、何も残されてはいなかったのだ。

 武器を握らなくなった指の隙間から、零れるように落ちていったのだろう。


 ただ残ったのは護衛対象を助けられなかったあの日の、敗北感だけ。


 バシムは装備を売り払い、資金を調達した。

 現役を引退して、政治とも国ともあまり関係のない奥地に酒場を開いたのだ。

 肩は雷撃の魔女王ダリアに貫かれた時に満足に動かなくなったが、料理を作るぐらいはできる。


 バシムは思い出しながら、手を動かす。

 記憶の中に残る、あの女性が作ってくれた手作り料理の数々を。

 記憶に残るあの味には届かない、けれど最低限、客に出せる程の腕にはなった。

 いつかあの味に届く日が来るだろうか。

 いや、来ないだろう――とバシムは苦笑いをしながら毎日店を開いていた。


 思い出は美化されていくというが、その加算点を差し引いたとしてもあの味には届かない。

 そこで男は静かに悟った。

 自らの指を見て、知った。


「なんだ、ずっとそこにいやがったのか――」


 敗北と共にすべてを失ったと思っていたが、ずっと……自分は彼女の思い出と共にあったのだと。


 かつて戦士だった男は思った。

 ここが終の棲家。

 思い出を気付かせてくれたこの酒場で、老成し。

 静かに人並みとは言えないが……孤独ではない人生を送って、その生涯を終えるのだろう、と。


 それが負けた戦士の物語だったはず。


 だがソレドリア連邦の解体によって、変化が起こったのだろう。

 また戦士の物語が動き出したようだ。

 ペンギンが、じっとバシムの顔を見上げていた。


 ◆


 それが、過去を走馬灯のように読み取る魔術だと気が付いて。

 かつて戦士だった流星のバシムは、ぐっと丹田に力を込めた。


「てめえ……っ、なにが客だ! 勝手に見やがったな!」

『はぁ? 何の話だよ』

「とぼけるな!」


 酒場に、怒声と緊張が走る。

 しかしペンギンとカモノハシは、仲良く眉を顰め。


『すまないが、本当にあんたが言ってることの意味が分からないんだが。おい、毒竜帝……まさか、おまえなんかやったのか?』

『あぁん!? 知らねえよ! オレは魔術があんまり得意じゃねえって知ってんだろ!』

『いや、そこまで知らないが。おまえ……ダゴンとやらの眷属なんだろう? なんで魔術が苦手なんだよ』

『頭の中をあんな複雑な計算式が通り過ぎるっ、意味わかんねえモンをポンポン使いこなしてるてめえが異常なんだよ、氷竜帝のクソ野郎!』


 なにやら漫才のようにペンギンとカモノハシが、わちゃわちゃする中。

 バシムの後ろに隠されていた看板娘エリーザが、ひょこっと顔を出し。


「あ、あのう。本当にお客様、なんですか?」

『そうだって言ってるだろう。案内してくれないのか?』

「い、いえ! この辺りは魔物が多くて、みんなちょっと気が立ってて。すみません、えっと三名様でよろしいんですよね?」


 そばかすを指で掻きながら困惑を示す看板娘に、ペンギンがくちばしを顰め。


『いや、二名だけどって……おまえか』

「酷いっすよ! 秘書たるこのあたしを置いて勝手に遠征しちゃうって、どーなんすかそれ!」


 どうやら人間の、それもまだ若い二十歳にも満たないツレがいるようだ。


『面倒だからまいてきたのに、どーやってついてきたんだ……』

「どうって、目印に魚を渡したんで。そこを頼りに座標を察知して転移魔術の練習をかねてですけど」

『いつか誰かが僕の転移魔術を真似るだろうとは思ってたが、よりにもよっておまえかぁ……アランティア』

「は!? よりにもよってってなんすか!?」

『言葉通りの意味だよ!』


 正直意味が分からないと、バシムは元軍人のグループに目をやった。


「なにがなにやら――おめえら、ビクついてるがなんか知ってるのか」

「なんかじゃ、ねえよ。おい……」


 額の硬そうな、元軍人グループのリーダーが喉の奥からか細い声を絞り出す。


「こいつが、氷竜帝マカロニ……っ、スナワチア魔導王国の新しい君主だよっ」


 空気が。

 再びきつく締まっていく。


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