憂う外交官 ~悲しいかな、ペンギンの足は短い~
バターを焦がしたような香りはファンタジーの香り。
獣脂のランプと魔力暖房の匂いだ。
僕は今、人里の迎賓館にて悠々と鎮座していた。
祈り念じればそれが魔術となる。
氷竜帝マカロニこと、三匹の獣王のキメラな僕が特別な存在だからこそのオリジナル魔術なのだろうが、これがまあそれなり以上のチートであって。
謎の魔力嵐に襲われ沈没した魔導船団を救った僕は、一躍英雄扱い。
無事、人間国家への侵入に成功していた。
魔術でノアの箱舟っぽい絶対に壊れない船を作り、遭難しかけていた彼らを回収。
船は人類の航海士の案内に従い、彼らの故郷に帰還。
前代未聞の未観測の魔獣討伐を決行しようとしていた魔導船団を救ったのだ、扱いはかなり良い状態となっている。
まあその魔獣の正体は僕なわけだが、それを気にしたりはしない。
助けたことは事実なのだから!
正当な報酬を受け取る権利があるだろう!
まだ名も知らぬ人類の国にて――。
彼らの代表と交渉を開始していたのである。
魔術による生活が一般的なのか、この土地の文明レベルはよく分からない。
ただ通された豪華な貴賓室のソファーの感触は悪くない。
まあ実は……このペンギンボディだとそのソファーに上るのにも一苦労だったりもしたのだが。
ともあれ。
夜更けの気配を外に感じながら、悠然と僕は嘴を開いていた。
『さて――自己紹介をさせて貰おうかな。僕はマカロニ、見ての通りごく普通のペンギン魔獣さ。まあてきとうによろしく頼むよ』
相手はいかにも中間管理職ですと言わんばかりの疲れと貫禄を兼ね備えた中年と、その護衛騎士と思われる若い女性が一人。
密談目的での少人数会談ではなく、僕という存在を測りかねているのだろう。
どちらもまあ美形である。
男の素性は外交官のようだが、はたして。
護衛騎士が僕の言葉に目を尖らせ。
「ペンギン商人マカロニ殿……全滅した我らの船団を助けていただいたこと、それは感謝しております。ですが、言葉や発言、態度を改め弁えていただきたい。こちらにいらっしゃるマキシム様をあなたもご存じでしょう?」
『いや、ご存じないけど?』
「そんなばかな! 合成技術と魔術武装との混合理論、人類の素質を四大属性に当て嵌める魔術理論を考案されたあのマキシム外交官を知らぬなどっ。ありえません!」
かつて成果を出した魔術師が、その威光を武器に外交官となっている。
といったところだろう。
出されている紅茶をわざとらしく、ズズズズズ!
音を立てて啜ってやり。
『いや、悪いんだけど、本当にご存じないんだってば』
こちらにはこの世界の知識はゼロ。
せいぜいが最高神がいて、その六柱の妻女神と共に世界を創世したというぐらい。
僕は唖然としている女護衛を小馬鹿にしたように、嘴の隙間から、はふぅと紅茶の息。
『そりゃああんたたちにとってはえらーい人なのかもしれないけど、あいにくと僕はペンギン魔獣なわけだよ? あんたらだって僕がアザラシを隣に偉そうに座らせて、これが王様ですって言われてはいそうですかって納得できる? できないよね?』
「そ、それは……」
『それに僕とあの魔導船団との契約は、速やかな情報提供だった筈だ。なのに、迎賓館といえば聞こえはいいが軍事施設に僕を閉じ込めて、はて、いったい何を企んでいるのか。ねえ? どうなんだい?』
まあ相手がやりたいことはわかっている。
突如、謎の攻撃を受けご自慢の船団は崩壊、彼らも状況を把握できていないのだろう。
おそらく目撃者たる僕にその詳細を聞きたい、といったところか。
偉そうだが疲れを感じさせる貫禄あるオッサンが言う。
「失礼いたしました、マカロニ殿。ワタシはご紹介に与りました通り、マキシム外交官に御座います。我らが国家ははしくれといえども王族を強く重んじているようでありまして、この老体であっても無駄に尊敬してくれてはいるようでして……いやはや、過度な庇護に参ってしまっているのです」
『老体って、あんた四十ぐらいじゃないの?』
「マカロニ殿は魔術をご存じですかな?」
既に魔術で人命救助をしたのだ、知らないと言うのも不自然だろう。
『そりゃあまあ多少はね』
「あなたがた魔獣の場合はどうか分かりませんが、人間という存在は年齢を気にする存在でしてね。こうして時代に取り残された古い魔術師であり……かつ王族の末席でありながらも外交官を任されていると、多少の見栄えも必要でして……。こう見えてもワタシは既に百を超えた老人。見た目だけは確かに四十ぐらいにみえるでしょうが、既に死を待つばかりの見せかけの若さを持っているのですよ。長くを生きていると本当に、色々とありましたけれどね」
遠くを眺める瞳で、男はもったいぶった空気感を醸し出す。
なにやら話を聞いて欲しそうなのであるが……。
ぶっちゃけあまり興味がない。
年齢操作や肉体老化の遅延を魔術で行えると分かったのは収穫である。
『ふーん、そんなことはどうでもいいんだけどさ。あんたはようするに魔術師なんだろう? 僕の質問にいくつか答えてくれないかな』
「ワタシにできることでしたら」
『実は僕はこれでもかつて人間だったらしくってね。元の種族に戻れる、或いは人間になれる魔術を探していてさ。なにか知らないかな』
僕は人間に戻りたい。
それは確かで鮮明な願いなのに、最高神の言葉通り僕の魔術であってもペンギン化を解除できない。
まあ、元がペンギンとして転生したので、元がこれ。
状態異常と呼ばれる現象を治す<解除の魔術>で治せないと言う理屈は、分からないでもない。
男と護衛女は目を合わせ。
こちらをあまり信用していなそうな女の方が、訝しむように言う。
「かつて人間だった、でありますか」
『ああ、そうさ。まあ人間だった頃のことはあまり覚えていないけれどね。それでも感覚は人間のままなのさ、だからさあ、こうやってフリッパーで紅茶を掴むっていうのも変な感覚でね。できれば早く人間になりたいと願っているってわけさ』
「は、はあ……な、なるほど……」
あまり信用されていないようである。
というよりも、まるで背信者をみる瞳だった。
はて……なんだこれは。
僕が少々ムッとしたと気付いたのか、王族外交官の方が口角に皴を作り。
「申し訳ありません、しかし我ら人間の間では……かつて人間だった魔獣、それはすなわち神の遣いと定説がございましてな。今の発言は、その、ご自分が神の獣だと名乗るに等しいことでありまして……」
『へえ、そんな神話時代の言い伝えをまだ信じてるなんて、この辺りの人間って遅れてるんだね』
必殺! 平常心で相手を無知扱いにするを発動!
やべえ!
あやうく正体がバレるところだった。
まあ、なにやらかなり深く見つめられているので。
これは、この中身が爺さんなオッサンには気付かれたかな。
だがそんな空気を感じさせず。
外交官は極めて冷静な笑みを作り。
「さて、今宵はご挨拶をさせていただきましたが、明日は国家としてあなたに感謝を示しましょう。どうぞゆっくりと御寛ぎください。何かありましたらお声をかけていただければ、すぐにでも対応させていただきます」
言って、マキシム外交官は立ち上がり。
有無を言わさぬ態度で護衛女の腕を取り、退室。
老体の態度を不審に思ったのか女が小声で言う。
「(マキシム殿?)」
「(我が国を大事と思うのならば、黙って退室せよ)」
「(は、はぁ……あなた様がそういうのでしたら従いますが、いったい、この生意気で口の利き方を知らないペンギンがなにか)」
「(……おそらく、本物だ)」
「(本物? いったい、何の話です)」
本来は内緒話。
密談の魔術のようだが、僕も上位存在。
神々が僕の心を読んでいたように、彼らの言葉を聞き取ることができていた。
僕に聞かれているとも知らずに、マキシム外交官が貫禄ある鼻梁を曇らせ。
頬に大粒の汗を一筋浮かべ。
「(この御仁こそが、かつて神との契約によって発生したとされる獣王。状況から察するに、海の支配者リヴァイアサン)」
惜しいがハズレである。
あまりにも荒唐無稽な話だったからか。
退室した途端、声が響く。
思わず密談の魔術が解けてしまったのだろう。
護衛女は硬い表情を崩したような声で。
「ぶはははははは! ちょ! やめてくださいよ、師匠! あ、あれがリヴァイアサンだなんてありえませんよ!」
「ば! 馬鹿者! 声に出すヤツがどこにいる!」
「だ、だって師匠が、あ、あの短足ペンギンを、よ、よりにもよってリ、リヴァイアサンだなんて。ひひあははははは! おなかが痛いっ。こ、これはあたしが師匠の後釜になるのももう少しっすね!」
どーやらこの二人、魔術の師弟関係のようだが。
僕はその短足で足を組む動作だけをし。
――短足で悪かったね。僕だって好きでこんな姿になってるんじゃないんだからな!
と、器用にくちばしの端をヒクつかせていた。
盗み聞きなので、突っ込めないんだけどな!
笑う弟子を諫めるように漏れていたのは、マキシム外交官の憂う声。
「笑いことではあるまい。もしあれが本当に獣王ならば」
「うちの国は終わりっすね。なにしろ、魔術を悪用しまくってますし。今回の大失敗した遠征だってあの迷信を信じちゃった狂王陛下の暴走っすからねえ」
「これ、狂王などと……」
「だって、本当にそうじゃないっすか。ぶっちゃけ、こんな国もう長くないんじゃないっすかねえ」
あっけらかんとした護衛女の声が響く。
「あたしはもし本当に師匠が言う通り、アレがリヴァイアサンならそれでいいと思いますよ」
「その心は」
「神話時代の約束、契約が本当ならあたしたちは背信者。我らが天の女神様に歯向かう大罪なんすから」
だから滅びちゃっても仕方ないっすよ。
と。
ここは天の女神を信仰している!?
つまり、ヤツの教会やら寺院があるに違いない。
明日の歓迎会まで出てはいけないと言われた部屋から、ズジャジャジャジャ!
僕は飛び出した。