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『終末酒場』―最後の晩餐―


 『SIDE:旧ソレドリア連邦・酒場』


 ――これはソレドリア連邦の崩壊のせいだけじゃない。

 ――ずっと昔からこうだったじゃないの。


 そう思いながらも、酒場の看板娘は精いっぱいの笑顔を作っていた。

 雪山の麓町<カルナック>。

 その街の片隅……魔物の侵入を防ぐ最前線の戦場とも呼べる都市に住まう町娘……エリーザは疲れを隠した満面の笑みにて、軍人崩れの男たちに給仕する毎日を送っている。


 エリーザは今年で十五歳の人間種。

 顔は悪くはないが、良くもない。

 背も高くはないが、低くもない。

 ただいつも絶やさぬ明るさと愛嬌が小動物を彷彿とさせ、平凡な彼女を見栄え以上に魅力的に見せていた。


 そんなエリーザが働くここは、まだ逃げずに営業している変わり者の店主が経営している酒場。

 現役を引退した戦士である店長は、目つきの悪い元荒くれ者。

 客層も荒くれ者。


 昼だというのに空気は悪い。


 それもそのはずだ。

 異常に沸き続ける魔物のせいで、既に皆、疲労困憊なのだ。

 だからこそ、憩いの場所である筈のここでも、こんな言葉が続く。


「おいおいなんだ、このクソまずいメシは!」

「誰のおかげで助かってると思ってやがる」

「ったく、干し肉ぐらいちゃんと温めておけっての」


 脅すような、八つ当たりのような声だった。

 粗雑なテーブル席にいたのは、やはり粗雑な輩たち。あの日の崩壊とともに南から逃げてきた、ソレドリア連邦の元軍人グループである。

 彼らは魔物を退治するための用心棒だと言い張り、そのまま居座り、我が物顔で街に住み始めた。


 幸いなのは実際に彼らが魔物と戦っていることだろう。

 戦わなければ死ぬからだ。

 元軍人で魔物との戦争にも長けていた彼らは彼らで、必死に生きようとしている。


 だが。

 彼らと違うグループが、ギロっと血色の悪い顔を上げ。


「――誰のせいでこうなっていると思ってる」

「あぁん?」


 元軍人のグループの重い視線が、一斉にそちらのテーブルに向かっていた。


 常ならばこの騒動で普通の客は逃げるだろうが、もはや普通の客などどこにもいない。

 沈痛な面持ちで酒のグラスを傾ける者たちは皆、武器を帯刀している。

 それぞれが元軍人や、ギルドと呼ばれる「何でも屋」組合から派遣されているガラの悪い戦闘員たち。魔物と戦える者たちであるが、その武器の手入れは既にガタガタ。

 まともに補給もできず、装備の補充もできていないのだとわかる。


 元軍人が硬そうな眉間に皺を作り。


「よく聞こえねえなあ、ギルドなんつー神話の時代からの名残で作られた互助会の坊やたちが、まさか国のために働いてたオレたちにケンカを売ってるなんてことは、まあねえわな」

「国のために? 国を捨てて逃げた売国奴ドナのためだろう?」


 ドナ。

 それはかつてソレドリア連邦がまだ無敗だったころの大統領の名であった。

 彼女の失策が現状に繋がっていることもあり、その評価は地に落ちている。

 そして、そんなドナの信奉者たちだった軍人たちへの目線も、酷く冷たいものとなっていた。


 反面、元軍人たちにとってまだドナは信仰対象だったのだろう。

 軍人グループの空気が変わる。


「……ドナ様を悪く言うんじゃねえぞ、殺すぞガキが」

「やれるもんならやってみろよ、オッサン」


 ギルドの若者と、元軍人のオッサンの睨み合いである。

 その中間にいるエリーザは、はぁ……またこの話の繰り返しだと一人、重い息を吐く。

 酒とは同じ話をさせる隠し効果でもあるのだろう。


 どうせいつかやらかすなら、外でやってほしいのだがと、そう思ってはいるが空気を読めるので口を挟む気などないようだ。

 ギルド所属の若者が言う。


「そんなにドナ様ドナ様言うんなら、あの戦争で仲良くあの売国奴と一緒に死んじまえばよかったのにな」

「ああん!? なんだと!?」

「それに今回の騒動だってそうだ。魔物の養殖は絶対安全、どこにも迷惑をかけないって話だったじゃねえか。なのに、やらなくてもいい戦争に負けて安全装置を維持できなくなった? いままで糧としていた魔物が制御できずに大量発生し続けるだったか? ははは、養殖してた魔物に逆に食われるオレたちが次の安全装置ってか?」

「またその話か?」


 もう何度もその話はされている。

 この魔物の大量発生の原理と、その原因だ。

 全ては人工的に作り出した、魔物牧場とも呼ぶべき施設のせい。


「事実なんだからしゃあねえだろう」

「何度も言わせるんじゃねえ! あれは必要な策だったっ! ドナ様は素材も資源もすくねえこの北部を豊かにするために、必死になって……っ」

「もし安全装置が壊れたらこうなるって警告してた連中を、必死に処刑してな」


 どちらも事実だった。

 既に彼らは椅子から立ち上がっていた。


「だからオレたちも戦って、てめえらを守ってやってるだろうが!」

「ならそっちも何度も言わせるんじゃねえよ! 皆もう限界なんだよ! 原因を作ったドナとかいう女をさっさと捕まえて、スナワチア魔導王国に謝罪に行かせて救助要請して貰えってな!」

「ねえだろうっ、やつらは銀杏を生み出した連中だぞ!?」

「そもそも魔導船団を失ったっつーガセ情報を信じてケンカを売ったのが悪いんだろうが! なにが獣王が目覚めた、なにがスナワチア魔導王国が衰退しただ。今がチャンスどころか、手痛い反撃を食らってこうなっちまったんだろうが!」


 いつ次の魔物の襲撃があるかも分からない。

 その苛立ちがギルドの若者に本音を吐かせる。


「だいたい、銀杏に負けるってなんだよ!? 悪臭実をばらまくアレだろう!? 意味分からねえって!」


 シーンとした沈黙が広がる。

 実際、意味が分からないのだ。

 それはそうだが、事実なのだから仕方ないじゃない。


 そう思うしかないと感じつつ、エリーザは重い腰を上げる。

 剣を抜きかける空気があったのだ。

 さすがに止めることにした。


「ちょっとお客さんたち、これ以上は勘弁してくださいよ」

「あん!? 小娘はひっこんでな!」

「だいたい、そもそもの話はウチの店長の料理が微妙……ってか、まずいって話でしたよね? 脱線しすぎでしょう」


 エリーザは頬を彩るそばかすが揺れる程の仕草で肩をすくめ、呆れたとばかりに露骨にかぶりを振り。


「そうやってバカみたいに大声出して。無駄に大きな体で威張って、大きな声を出すから――タダでさえ微妙な店長のまかないもおいしくなくなっちゃってるんじゃないですか?」

「誰の飯がまずいって!?」


 反応したのは店主である。

 エリーザは悪びれることなく。


「店長の作る賄いって、こう、なんというか無駄に一味多いんですよ」

「なんだと、このアマ! クビにするぞ、クビに!」

「自由にクビにできるほど人材があったらよかったですねえ」


 そう、既に人材などない。

 だから口答えはするが、こうやって荒くれ者達とも対等に会話ができ、物怖じしないエリーザがここで働いている。

 空気は店長と看板娘のケンカに移り始める。

 親子くらいの年齢差がある店長と看板娘は、ひとしきり怒鳴りあう。


 はじめは気を逸らすためだった。

 周囲もそれに気付いていた。

 だが、彼女も店長もそれなりにフラストレーションが溜まっていたのだろう。

 限界が近づいていたのだ。

 それが段々と険悪な応酬となりはじめ。


「はぁ!? む、胸が小さいのは関係ないですよね!?」

「てめえがこっちを見て、ハトの巣みたいな髪だって言ったんだろうが!」


 元軍人のグループもギルドの若者たちのグループも顔を見合わせ。

 それくらいにしておけと、二人を止める立場へと変わっていた。


「おいおい、エリーザちゃん……さすがに容姿をいじるのはマナー違反ってか」

「そうだぜ、そりゃあ店長もエリーザちゃんの胸のことを平たい皿みたいに言ったのも悪いが」


 ここはこの最前線で唯一営業している酒場。

 ここがなくなればもう、彼らの心は壊れてしまうだろう。

 終わりが見えかけていた。


 荒くれ達に止められた店長と看板娘は、すぐに正気に戻ったのだろう。

 だが根に持っているのか。

 エリーザは店長の顔の上を見て、へんっ……と微笑。


「すみません、少し言い過ぎました。ハトの巣じゃなくて、ツバメの巣ぐらいはありましたね」

「てめえの皿ももうちょっと盛ってあったらよかったのにな」


 嫌味のやりとりの最中、エリーザは冷静さを取り戻し。


「……でも実際、最近の賄い、ちょっと味が落ちてるのは本当なんですよね」


 そう、だからこそ元軍人のグループは声を上げた。

 元戦士の店長は、薄く開いた唇から息を漏らす。


「――まともな水が、もうねえんだよ」

「は? 水がねえ!?」

「ああ、そうだ。今の料理に使ってるのは水は水なんだが……不純物まみれ。雪を溶かして、見よう見まねで浄化したもんを用意してるんだが。やっぱダメだな、もう魔力もねえんだよ」


 <浄化の魔術>など司祭でなければまともに扱えない。

 軍人グループの男が言う。


「――魔術を用いねえ、斬った木の枝から絞り出すのは」

「もう試したが、ダメだ――ここいらの樹木は汚染済み、ドナ様とやらが魔物の養殖をするってんで土地を弄ったんだろう? まともに使えなかったよ」


 かつて斧や剣を握っただろう店主の手のひらには、トゲ傷の数々。

 様々な植物から水を得る手段を試した傷でいっぱいだった。

 もはや水は尽きかけている。


「そうか、終わりか」

「ああ、もっと奥地に行くしかない」


 けれど。

 現実を見てエリーザは言う。


「でも、きっと逃げた先でも同じでしょうね」


 絶望に支配されそうになった。

 その時だった。

 カランカラン……と、酒場の扉にセットされている呼び鈴が鳴った。


 こんな荒くれ者ばかりの酒場に来る理由など決まっている。

 魔物が出たのだろう。

 装備を手にした皆の視線が入り口に向くが、そこには誰もいない。


 知らせに来たのかと誰もが思ったが、違う。

 異常だ。


 ごくりと息を飲むエリーザを庇うように前に出たのは、先ほどケンカをしていた店長。

 もはや追い詰められたと悟ったのだろう。

 まき割り用の斧を武器とし、店長が訝しむように鼻梁に戦意を浮かべ。


「嬢ちゃんは隠れてな、戦いになったら――裏から全力で逃げろ」

「で、でも」

「ここの連中が死んだって誰も悲しまねえが、てめえが死んだら少なくともオレは悲しむだろうからな」


 ヘヘっと苦笑し、店長は斧に闘気を纏わせる。

 戦士のスキルだとエリーザの目にも分かった。

 軍人のグループもギルドの若者たちも自己強化の能力をそれぞれに発動。


 彼らの意思は決まっていた。

 非戦闘員のエリーザだけは生かす。

 そんな最後の連携……一致団結の空気の中、店長が敵を探るスキルを発動。


 その瞳に鑑定結果を表示させ。

 ぞっと背筋を凍らせる。

 軍人が言う。


「どうした」

「……鑑定できねえ」

「あんたに無理なら、大物だな――」


 この中で最もレベルが高いのは意外にも店長だった。

 だから、そんな彼が鑑定できないなら。

 ……。


 武者震いを戦意高揚の鼓舞にかえ、男は吠えていた。


「匂いからすると鳥類系の魔物かなにかだろうが――でてきな!」

『だれが魔物だ――! って、まあこの状況じゃしょうがないのかな。あのなあ僕たちは客だぞ! あんたが店長? だったらちゃんと席に案内しろって!』

「客!?」


 意味が分からず気配を探ると、そこには二匹の魔獣。

 ペンギンとカモノハシが、ブスーッとした顔をしながら人間たちを見上げていた。


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