『幕間』~日常・後編~
マカロニ陛下の朝食を用意するはずなのに、何故か海に釣りに行き。
更に釣竿を傾けながらも、騎士姿のアランティアは魔術を詠唱。
そもそも釣りにその恰好はどうなのか?
そんな疑問よりも色々とツッコミどころは多い。
だが、そんな密偵の視線も気にせず。
彼女の鎧の表面に、高位魔術を行使したときに発生する魔術紋様が浮かび始める。
それは師を同じくする密偵も目にしたことのある、彼女特有の、理論が解明されていない魔術。
密偵が言う。
「……おい」
「なんすか? いま、魔術詠唱してるの見えないんすか?」
「いいか、まずその詠唱を停止しろ」
「なんなんすか!? 早くしないと朝食に間に合わないじゃないっすか!」
実は既に時刻としてはアウトである。
今頃、王は暖かい部屋で、ちゃんとした調理人による塩バターパンでも味わっているだろう。
密偵は思う。
そもそも師たるマキシム外交官が、腹に一物を抱えている子供だった彼女を拾った理由は、その特異な魔術にあった。
アランティアの魔術は凄まじく適当で、けれど何故かそれは発動してしまう。
原理もあまり分かっていない、分類もされていないオリジナル魔術を扱えるからだ。
だからこそあまり魔術を使うなとも言われていた筈なのだが。
密偵はわずかに表情を曇らせる。
――まあ、国家転覆を果たしたとき既に、師とは一定の距離を置いている。同じ主君マカロニ陛下に仕えているから行動を共にする機会も多いが、アランティア元王女は王位簒奪の首謀者。マカロニ陛下が”あんな感じ”だからホワホワとしているが、世が世なら、そして流れ次第ではマキシム外交官は極刑となっていてもおかしくはなかった。
前政権の幹部なのだから、当たり前の話だ。
つまり今のこの微妙な関係もマカロニ陛下がかなり緩い異邦人だったからこそ、こうなっているに過ぎない。
アランティアはアランティアで――もはや名も語られなくなっている祖国のために、結果的に、師を死なせてしまっても仕方ないと考えていたと思われる。
それが国同士の争い、そこに善悪の感情はない。
理屈はわかる。
だが、師に恩ある密偵はそこが気に入らない。
言いつけを守るはずもないか……と。
もはや敬語を抜きに、溜息に言葉を乗せていた。
「一からか」
「はぁ?」
「一から説明しなければ、分からぬか?」
「だからなにがっすか!」
アランティア元王女が釣竿と糸を魔導の杖の代わりにしている、珍妙な姿の前。
密偵は、露骨な呆れ顔でフードの下の美形を光らせ。
「いまおまえが詠唱している魔術の構成は、複雑。海の女神と天の女神の力を借り受けて釣りを成功させようとしているように見えるが」
「あと地の女神さまの力も借りてますけど? あれ? わかんないっすか?」
煽りではなく、あれ? 本当にわかってなかったのかという顔にイラっとしつつも密偵は言う。
「一応言っておくが、魔術での漁業は禁じられている」
「知ってますけど、なんなんすか?」
「……王の秘書が禁忌を犯したところを誰かに見られたらどうなるか、分かっているのか?」
すぐにスキャンダルとなる。
北部連邦の残党と事を構えるのならば、少しの隙も見せない方がいい。
それがマキシム外交官に仕える彼の意見であり、それはアランティア元王女を気にかけている言葉でもあるのだが。
「平気っすよ、これ釣りの魔術じゃなくて生命創造の魔術なんで」
またなにかをいいだした。
しばし考え、密偵はまともに顔色を変え。
「……生命創造だと!?」
「ええ、まあ見てて貰えば分かるっすけど」
言って、アランティアは釣り糸の先で天と地と海の女神の力を借りた魔術を発動。
ダガシュカシュ帝国の流派を思わせる魔女騎士の魔術はきちんと効果を発揮。
釣竿の先に魚……のようなモノが引っ掛かっていた。
天と海と地。
それは神々が六日と一日をかけて世界を作ったとされる、この世界を構成する三大要素。
三つの属性の魔術を組み合わせれば、水の中から魚の肉体を構成する要素を取り出し、再構成することも可能なのだろう。
もっとも……彼女はデザインセンスが絶望的なのか。
落書きのようなサカナもどきが、ビチビチと、針すらない釣り糸の先で踊っている状態になっているが……。
ともあれそれが、魚と呼ばれる物体と同じ素材で構成されている事に違いはない。
尋常ではない魔術練度……経験値であり、彼女が伊達でマキシム外交官の弟子をやっていたわけではないと理解ができる。
「ね? 漁業権を荒らすようなことはしてないっすよね?」
「相変わらず、意味の分からん魔術だ……」
「えぇぇぇぇ……密偵くん、君、マキシムさまの弟子なんすよね? こんなことも分からないで、大丈夫なんすか?」
「お前が異常すぎるのだ」
師につき従っていた密偵は思う。
そう、いつだってこの元王女は異常だった。
戦死した母の仇を討とうと師に近づいてきた、愚かな娘。
正体などすぐに気づかれた、哀れだが消されるだろうとそう思っていた。
だが、こいつはいつの間にか師の懐へと入り込んでいた。
今だってそうだ。
おそらく、全世界を揺るがすだろう氷竜帝マカロニの最も近い場所にいる。
「せっかくの美形を隠してるそっちの方が異常だと思うんすけどねえ」
それは氷竜帝から直々に下賜された装備。
ありえないほどの高性能で、全ての能力が大幅に上昇。
それを外して任務につくなど考えられないほどの手作り品でもあった。
この密偵が、陛下のお気に入りである証だと、他の隠密部隊から思われている所以でもある。
密偵自身もこれほどの装備を賜ったことを重く考えており。
マキシム外交官に並ぶほどの忠誠を、新たな王に捧げている。
もっとも、このアランティアだけは「近くに無駄に美形すぎる影がいるのが、若干うざかっただけじゃないっすかねえ……」と冷ややかなのだが。
「……この地に美形など珍しくも無いだろう」
「天の女神さまが実在するって証明されちゃってますしねえ。この辺りの王族が美形なのには理由がある……その先祖はかつて女神に愛されるほどの美形だったからこそ寵愛を受け、貴族と呼ばれる地位にまで上り詰めている。貴族の多くが美形なんじゃなくって、美形だからこそ貴族になれた。そー考えると順序が逆ってことなんすよね」
珍しくまともな発言である。
聖職者に美形が多いのも、それに近い現象なのだろうと魔術研究者は語っている。
アランティアも魔術を知るモノの顔で語っている。
アシュトレトの力を借り受け発動させる”天の魔術”の適性が高いモノが、聖職者に選ばれるが――そもそも天の魔術の適性を得るには顔面偏差値が必要なのだから、これも順序が逆。
天の魔術の使い手を探すと、必然的に美形ばかりとなる。
聖職者だから美形なのではなく、美形だからこそ聖職者になれるのだ。
ただ適性条件が判明しているのは魔術研究家にとっては、かなりありがたい話。
適性条件が分かりにくい、他の女神の魔術――。
地と海と、朝と昼と夜の魔術はここまではっきりとした条件が解明されていない。
それぞれの女神にどれだけ好かれるかが、魔術適性に影響しているだろう――とは研究により判明しているが……。
アランティア元王女はこれでも雷撃の魔女王の娘、魔術に対する造詣もかなり深い事がうかがえる。
「って、聞いてます?」
「お前の話は昔から分からん」
「えぇぇぇぇ、マカロニさんはちゃんと理解してましたよ」
「だいたい、魔術で魚を作り出すなら海に来ることもなかっただろう。おまえは本当に、昔から理解ができないことをし過ぎる」
美形隠しの装備の下で語る密偵であるが、妙に勘のいいアランティアはその下に小バカにした表情があると思ったのか。
「はぁぁぁぁぁぁ!? 理解できないのはこっちっすよ! 海には全ての素材があるんすよ?」
「おまえは何を言っているのだ?」
「見てわかんないっすか!? 生命の原初を辿ればたいていは海に辿り着くんすよ!? 誰でも使っていい、無駄に広くて新鮮な命の源がこーんなにあるんすから、ここにくるのが一番じゃないっすか!」
密偵の瞳にあるのは、海岸。
ただただ広い海である。
「理解できん」
「えぇぇぇぇ……マジっすか? マカロニさんはちゃんと理解してくれたんすけどねえ」
実際、マカロニ陛下が日常会話の流れの中で、アランティア元王女からこの世界の魔術の原理を学び、理解を深めているのは事実。
だが。
いつでもどこでも空気を読まない彼女に、陛下が辟易しているのも事実。
密偵が言えるのは、少しの苦言だった。
「おまえに悪気がないのはわかるがな、陛下をあまり困らせないで欲しい」
「困らせるなんてまたまた! マカロニさんって、ああ見えて寂しがりやっすからねえ――事あるごとに、あたしが優しくしてあげてるんすよ!」
自信満々である。
「陛下はああ見えて真っ当なお方だ、お一人でも大丈夫だろう。それに、おまえはちゃんと公私を使い分けるべきではあるまいか?」
「滅茶苦茶分けてるじゃないっすか」
「……いつも陛下のことを、マカロニさんと呼んでいるだろう。あれは文官、武官共にいい顔をしていない。避けるべきだと、おまえのために忠告しておく」
実際にそれは昔からアランティアを知る密偵の善意であった。
だが。
「避けるべき、そーっすかねえ……」
「なにがいいたい」
「マカロニさんって、一人でこの世界に産み落とされたわけっすよね?」
「審判のケモノ……魔術の悪用が発生した際に誕生する、創生の時代より生まれし魔術の破壊者。獣王として転生されたのならば、当然だろう」
「それって、きっとたぶん結構しんどいと思うんすよねえ」
アランティア元王女はムフっと偉そうに腕を組み。
「だから、あたしぐらいはちゃんとって、あの生意気ペンギンをマカロニさんって呼んであげてるんすよ」
「よくわからん」
「はぁぁぁぁ!? いま、あたし! 滅茶苦茶いいこと言いましたよね!? 感動するところじゃないっすか!?」
「支離滅裂だ」
アランティアは昔からこうだった。
人とは違う何かが見えている。
そんな話もあるが。
ブスっとしつつも、アランティアは魔力を乗せた瞳を赤く輝かせ。
「でも本当に、たぶんちゃんとマカロニさんって呼んであげないとあの人、まずいっすよ」
「具体的にいえ」
「……マカロニさんの正体、何だと思います?」
それは人によって見解が異なる。
ベヒーモスであり、ジズであり、リヴァイアサン。
いずれかの獣王であることに間違いはない。
「それは密偵ごときが口を出すべき領分ではないだろう」
答えなど聞いてはいない顔で、アランティアは淡々と口にする。
「そもそもマカロニさんがどんな存在なのかって、話っすよ。たぶんなんすけど、女神さまもちゃんとわかってないんじゃないっすかねえ」
「そのようなことはあり得ない」
「あり得ないなんてことはあり得ないっすね。女神様も結局は神性っていうステータスをもった命であることに違いはないんすよ。たぶん、マカロニさんの元になったナニカが流れてきたから拾って勝手に使ったんでしょうけど……なんで流れてきたのか、そこをはっきりとさせないと危ないんじゃないかってあたしは思ってるんっすよねえ」
また始まったと、密偵は隠さぬ重い吐息を漏らす。
「なにがいいたい」
「だーかーらー! この世界を代表してあたしがちゃんとマカロニさんって呼んで、あの人にこの世界を大切にしてください、あなたもこの世界の住人なんですってアピールしてるんじゃないっすか! 普通、ちょっと考えればわかるっすよね!?」
「あぁぁぁぁ! もういい! おまえと話をしていると頭がどうかなりそうだ!」
あまりにも支離滅裂なのだ。
人間、思考レベルが違い過ぎると会話が成り立たないというが――。
残念な子を見る目で密偵は言う。
「で? その魚もどきはどうするつもりなのだ」
「え? マカロニさんの朝ごはんにしますよ?」
「……おまえのために言ってやる、やめておけ」
ビチビチと、あたしを食べてぇと不気味に身を揺らす落書き生命を眺めての忠告である。
しかしそこはアランティア。
忠告など聞くはずもなく――。
◇
帰還後。
朝釣りに出掛けた彼女に気を使い、朝食を食べずに待っていた氷竜帝マカロニの前に”ソレ”が献上される。
ペンギンが、眉を顰めてクチバシの根本をひくつかせる場面など、見たことのある者はあまりいないだろう。
そんなレアな表情が、そこにはあった。
匂いは無臭、だからこそ余計に気味が悪いのだろう。
なんだ、”コレ”。
と、実にまっとうな疑問を告げるマカロニペンギンにアランティアはにっこり。
丸のみにしてくださいと微笑んだ。
こんなもん食えるかぁぁぁぁあぁぁぁ!
と、今日も今日とて王宮にコミカルな怒声が響き渡る。
日常の幕間~おわり~