『幕間』~日常・前編~
『SIDE:秘書たるアランティアと外交官の密偵』
魔導王国の王マカロニの秘書、アランティア元王女の朝は早い。
氷竜帝マカロニはペンギン。
ならば最近多忙な王のために朝食を用意するのも秘書の務め。
ただし彼女には一応の学習能力があった。
だから自分の家事スキルが絶望的な事実を把握していて、だったら家事スキルを必要としない朝食を用意すればいい。
「ふっふっふ、朝食が作れないのなら作る必要のないものを用意すればいい! いやああたしってば天才っすね!」
自画自賛しつつも海に垂らすのは、釣り糸。
そう、彼女はペンギンが丸のみにするであろう海の魚を釣りに来ていたのである。
そもそも普段人間と同じ食事を摂っている王をすっかり忘れての、朝釣りである。
もはや彼女に元王族としての威厳はない。
ただし、そんな害がなさそうな彼女は人付き合いも愛想もいい。
とかく暴走しがちである点も含め、民には好かれている。
そんな彼女の後ろには――、一つの影。
ワイルドな美形を王より下賜されたフードで隠す、マキシム外交官の側近たる密偵だった。
「ちょっとなにやってるんすかっ、影さんもこっちにきて一緒に釣ってくださいっすよ!」
「……いえ、自分の任務はアランティア殿の護衛ですので」
「えぇぇぇぇえ。護衛っていっても、あたし――守られないといけないほど弱くないんですけどねえ」
実際、魔女騎士とも雷撃の魔女王とも呼ばれた母の血を継いでいるからか、存外に彼女は強かった。
この海岸に来るまでに三度、魔物の襲撃を受けたが――その悉くを華麗な剣と魔術で一掃。
元王族に恥じない戦力を披露して見せていた。
共に師を同じくする人間種である故に、彼女が人並み以上に戦えることは知っていた。
密偵も正直な話、アランティアならば山賊や海賊と出くわそうが退治できると判断している。
が。
アランティアの場合に必要なのは護衛という名の監視役。
ようするに、なんかやらかさないように見張っていろと言う側面が強いのだろう。
密偵は美形隠しのフードの下で思い出す。
難しい会議をするマキシム外交官とマカロニ陛下に、彼女の警護を命じられていたのだ。
◇
あれはマカロニ陛下がネコの行商人ニャイリスから情報を聞き出した、数日後……。
大事な会議を邪魔するアランティアが説教され、追い出された直後の話。
あたしばっかり除け者にして!
いいっすよ! ならあたしにも考えがあるっすから!
と、これ見よがしに会議室の扉を閉めて、これ見よがしに足音を立てて去っていった時のことだった。
魔術で野心ある中年の体躯を維持する賢人――マキシム外交官は、タヌヌーアの長が集めた北方の資料を眺めながら、老獪なる顔を上げ。
『申し訳ありません陛下。アランティア元王女……我が弟子の中で、最も魔術の腕に優れた逸材。あやつは悪い娘ではないのですが』
北方遠征の前に既に動いていたのだろう。
いつものように水から支配しようと知略を巡らせるマカロニ陛下は、ペンギン用の特注椅子の上で短足を伸ばし。
黄金の飾り羽を揺らし顔を上げ――。
積まれた”ウォーターサーバー”契約書の束、その隙間から顔を出し。
『ああ、知ってるよ、うん……。悪い子じゃないんだけどな』
『だだ、その……我が弟子ながらアレはどうも……アレでありましょう。国家転覆に成功した後は気が抜けたのか、ますますその……アレがアレでありますので』
『うん、アレだな』
マカロニ陛下は笑っているとも呆れているとも取れる苦笑で、くちばしを動かし続ける。
『どーせ、あのバカのことだから”あたしが役に立つってことを証明してやるんす!”とか、なんかやらかす筈だ。んで、一応あれでも僕が王となる国家転覆事件の要での人物判定で、植民地支配されていた時代の属国の王族。国民からの人気も結構高い。マスコットみたいなもんだからな。何かあると困るんだが』
民衆からのアランティアの評価はかなり高い。
庶民派と考えられており、彼女は民との緩衝材。
それが文官たちのだした答えでもあった。
マキシム外交官が言った。
『知略を巡らせるだけではなく、神話の魔術を使用なさる陛下は……些か特殊すぎる存在でありますからな。直接の謁見が叶った者たちは皆、陛下のお姿に心を許すでしょうが――そうでない者にとっては審判の獣王が国を支配したと考えてしまうのでしょうな。陛下はそのお姿でだいぶ印象を和らげておいでですが、人類にとって恐ろしい存在であることに変わりはないでしょう』
このマキシム外交官の発言には、再確認の意図が込められていた。
知ってか知らずかマカロニ陛下は言った。
『魔術の悪用を禁じる。なーんて曖昧な契約をしちゃった女神のせいで僕まで危険視されるんだ、たまったものじゃないな』
『……あれから天の女神さまや最高神様からのご神託は――ない、ということでしたかな』
『あのなあ……たとえ命令されても僕がそのまま言うことを聞くはずないだろう?』
『しかし、恐れながら陛下。神があなた様をおつくりになられた際、傀儡師や魔獣使い、人形師などが用いる一種の呪い……行動を操る<強制命令>が発動されるよう設定されていたとしても、不思議ではない。この年寄りはそう判断いたします』
実際、タヌヌーアの長も人類のためと動き、王となる前のマカロニを危険な存在だと判断し謀殺しようとしたのだ。
今は人間の姿に戻り、元の世界に戻るためにこの国の王となっているが……。
いつ魔術の悪用を裁く獣王の務めを果たそうとするか――そんな危険性がある事は変わっていない。
だからこそ影たる男の主人マキシム外交官は、今でもこうして瞳を鋭くしているのだろう。
マカロニはフリッパーで腕組するようなしぐさをし。
『まあ可能性としてはゼロじゃないだろうな。あの女神はそーいう非道なことをするタイプには見えなかったが……最高神の方は怪しい。あれは言葉で他者を誘導するタイプの、胡散臭い男の声だったし』
信心のないモノですら口にできない……。
最高神への悪口を平気で告げるマカロニに、皆はしーん。
困ったのは、会議に一応参加していた最高司祭リーズナブルたちである。
『……あの、聖職者の前で最高神様とアシュトレト様を愚弄されると、いろいろと反応に困るのですが……』
『だけど、実際。僕が困ってるのに助けてくれてないわけだからな。人間だって自分で作った道具やら、家畜やらを平気で見捨てたり消耗品として使ったりするだろう? この世界を作った神だからって全部こっちの味方とも限らないし、なんなら魔物にとってもあいつらは創造神なわけだからな? どんな時でも人類に味方するかってなると、かなり微妙なラインだし。信用しすぎるのもどーかと思うぞ』
外の世界から来た者の、率直な意見。
忌憚なき感想でもあるのだろう。
空気は重いが。
こんな時にあるのもやはり緩衝材の役割。
『ま、そんなことより。今はアランティアの話だろう』
『そうでありましたな――』
マキシム外交官も話を戻し。
『ともあれです――神話の存在たる陛下は、良くも悪くも恐れを抱かれているのです。お姿を見ていないものならば、なおさらでしょう。その点、アランティアは言い方は悪いですが小娘。それも元王族であります、天の女神さまの恩寵の影響で見栄えも悪くはない。有事の際は御旗に使えましょう。だからこそ、少々危うい立場にもある。おそらくはアランティアがこの国を去れば民の心も移ろいましょう――そして』
『それに気づいた他国がアランティアを狙う可能性もある、だろ』
『そのように存じます』
言って、マキシム外交官とマカロニ陛下は会議室の四隅。
影となっていた部分に目線をやり――。
見破られたことで、密偵の姿隠しが強制解除される。
ようやくここで密偵がそこにいると皆も察したのだろう。
いつの間にとの声も上がる中。
最初から気付いていただろう氷竜帝マカロニが、ニヤリ!
『てなわけで! あんなバ……いや、少し知恵のステータスが足りないバ……まあなんでもいいや! 可哀そうな秘書でも狙われる可能性があるんだよ。悪いけどおまえ、見張って来てもらえるか?』
元王女かつ現国王の秘書、その護衛を依頼される……それは彼が単純に優秀だと判定されているのだろう。
マカロニ陛下はこの影たる男をよく使っていた。
そのままでは不敬に当たると美形隠しの装備を僅かにずらし、密偵が言う。
『我が……いえ、ワタシがでありますか?』
『すまぬが、頼めるか?』
自分を拾ってくれたマキシム外交官に頼まれたら断れない。
だからこうして元王女の奇行……。
早朝釣りという理解できない行動に付き合い、ついてきていたのはいいのだが。
◇
アランティア元王女の、釣りと称する行為に密偵は混乱する。
この元王女。
なぜか釣り糸を垂らしながら、魔術の詠唱を始めようとしているのだ。
一応敬語で、密偵が言う。
「……なにをなさっておいでで?」
「なにって、あれ? あれあれあれれ~? ぷーぷぷぷぷ! マカロニさんに命令されてきてるのに、あたしが魔術を使おうとしてるってわからないんすか?」
「そうではなく……なぜ、釣りに魔術をと問いたいのですが」
「釣りだからに決まってるじゃないっすか!」
意味が分からなかった。
理解できない状況の中、密偵によるアランティアの護衛は続く――。