『愚者の見た世界』
『SIDE:最高司祭リーズナブル』
第二皇子の”やらかし”から始まった今回の銀杏騒動は解決した。
結果的にスナワチア魔導王国とダガシュカシュ帝国は改めて、正式に同盟関係を構築。
旧皇帝が既に崩御していた事実も民に公表された。
他国からは”聖女”とも呼ばれる最高司祭リーズナブルはその日、とある場所を訪れていた。
天の遣いジズの大怪鳥たるマカロニ国王陛下が銀杏を厄介払いした、その一週間後……。
ネコの行商人さま御一行、歓迎式典の準備を進めている、その裏の出来事である。
かつての英雄騎士皇帝の死に民たちは皆涙を流している。
両国の親交を深める意味も込め、聖職者の職務としてダガシュカシュ帝国の死した皇帝を弔う公務に従事していたのだ。
葬送は全て滞りなく終わった。
リーズナブルは、天の女神を祀る際に用いられるいつものドンペリを手にし、皇帝の棺の前にいた。
そこで、申し訳なさそうに項垂れる男に用があったのだ。
その男の名をリーズナブルは知らない。
民の多くも、その名をあまり口にすることはないだろう。
なぜなら彼を呼称する時、名より先にこんな言葉が浮かぶからだ。
バカ皇子。
あるいは、愚かな第二皇子と。
そう、あの日スナワチア魔導王国に宣戦布告の書状を持ち込もうとしていた、愚者である。
最高級シルクすらもたじろぐ程の美貌で微笑み、金髪碧眼を揺らし、聖女としての顔でリーズナブルは問いかける。
「死者を弔う神酒でございます――」
「……世界最強の聖女殿か」
父の死に顔を眺める第二皇子の声は、存外に低く整っていた。
兄と似た美形の皇族。
だが、その評価はどの方面から見ても愚者。
けれど――父を前にしたその顔には深い趣があった。
リーズナブルは言う。
「死は次の転生への旅立ち。その魂は朝と昼と夜の女神さまの膝元へと導かれ……浄化される。天の女神さま曰く、死者の魂を酒と宴と共に見送ってやるのが礼儀。死を嘆くことは悪いことではない、なれど、明日への希望を忘れてはならぬ。歌え、騒げ、飲み明かせ。死者が安堵し旅立てるように、笑ってやれ――それが我らが教義。さあ、あなたもこのドンペリを……弔って差し上げてください」
「我にはその資格がないのでありますよ、聖女殿」
「……お話をお聞きになられたのですね」
リーズナブルも仔細を把握していた。
だから思わず言葉を漏らしてしまったが、それがすぐに失態だったと気が付く。
いつの頃かはわからない、けれど耄碌した皇帝は北部の連邦国家の奸計に嵌められていた。
この砂漠の土地を植民地とする準備が進められていたのだろう――と、スナワチア魔導王国の王に化けることすら可能で誰にも悟られずに動き続けた、優秀なタヌヌーアの民が暴いていた。
第一皇子ダカスコスはそこまでは把握していなかった。
だが、弟たるこの男を守るために、父を討った。
その事実は伏せられている。
この第二皇子がこれらの流れを把握しているかどうかは――かなり怪しい。
だから失言だったのだが。
自分を殺そうとした父の遺骸の前。
魔術で生み出した簡易的な椅子の上。
力なく、大きな背筋から落とすように……大の大人の腕を下げ項垂れるバカ皇子が言う。
「知っているさ。聖女殿の失言ではあるまい」
「……どこまででしょう」
そう、どこまで知っていたのか。
それによって必要な応対も異なる。
「さて、どこまでが全容でどこまでこの我が把握しているか。全てが見えぬ愚者たる我には想像もできん。ただ、父が我を殺そうとしていて……そして兄上がそれを是としなかったとは、な」
「そう、ですか」
愚者であっても心がないわけではない。
兄が自分のために愛する父を討った。
言い換えれば殺したと知った愚弟の皇子は、父の綺麗すぎる顔を眺める。
女神アシュトレトの加護圏内。
姿だけは美麗な愚者の瞳には、静かに眠る狂王が映っている。
「既に崩御してから時間が過ぎているのに、まるで今でも生きているようだ。ああ……そうだな、我を見向きもしてくれなかった父のままだ。いっそ、その瞳で我を見つめ兄上のために死ねと仰せつかったのならば、我も父のため、国のため、兄上のために死んだであろうに――」
「殿下……」
「ここまで皇帝の保存状態がいいのは第一皇子、ダカスコス兄上による指示であろうな。皇帝は最後まで帝国を憂いていたが、その戦いの歴史と共に患った病と老いにて遂に力尽きた。皇帝は最後まで高潔に死んだ。そう公表するために、いろいろと手を尽くしたのであろう。この日まで父を保存するには殺した直後に<保存の魔術>を用いる必要がある、ならば誰が殺したのか……おのずと答えは見えてこよう」
だからと、愚者と呼ばれた皇子は唇を震わせ。
「隠されていた父の遺骸を発見した時、察したのだ。兄上が父を殺したのだろうと、そして兄上が父を殺すほどの何かがあるとするのならば……それが我のためなのだろうと」
リーズナブルが僅かに声を固くし。
「お待ちください殿下。隠されていた皇帝陛下の遺骸を発見したとは、いったい……」
「此度の騒動には北部連邦が関わっていたのであろう?」
「……はい。彼らはこの広大な砂漠に拠点を作り、植民地支配の足掛かりにしようとしていたのだろうと……それが、スナワチア魔導王国の首脳部の見解です。あなたの兄上も、同じ結論を出したと聞いております」
「そうであるか――」
父の遺骸の前。
兄を信頼する弟は告げる。
「兄上がそう仰るのならば、間違いあるまい。父が姿を隠した前後、我がスナワチア魔導王国に乗り込むより前……――敢えて我を誘導し父の遺骸を発見させ、騒動を起こそうとした連中がおったのだ。その者らからは奸計を好む嫌な香りがしたので斬り殺そうとしたが、逃げられた。斬ったときに正体を少し晒しておったが……おそらくは北のキツネどもだろう」
耄碌し、傀儡化した皇帝を言葉巧みに誘導し国を混乱させようとしたのだ。
その傀儡が消されてしまったのなら、次に動かしやすい第二皇子に接触することは不自然なことではない。
しかし――女神を宿しているようだと形容されるリーズナブルの蒼い瞳が、不思議そうに第二皇子を眺めていた。
「聖女殿、なにか?」
「いえ、殿下……あなたは自分を騙そうとしてきたその者たちが怪しいと思ったと、そういうことですわよね?」
「ああ、その通りだが――」
「失礼を承知でお尋ねします、騙されてばかりだった殿下がなぜ、その者たちの”嫌な臭い”が分かったのかと……そこが分からないのです」
ああ、と愚者たる皇子は口を開く。
「我は確かに愚かだが、この剣や魔術の腕には多少の自信はある。そして、騎士とは剣を使うモノ、戦いとなれば相手の心を探る必要がある。我は愚者だからな、経験の多くを割き……相手の心情を探る技術に特化させている。剣を装備していれば相手の悪意が分かる、例えば悪意のある発言をすれば我が剣が反応し教えてくれるのだ。何かを企もうとしているとスキルが反応する、ただそれだけの話だ。我が愚者であることは変わらぬよ」
「騎士のスキルによる直観ですか、なるほど」
納得してそこで、もう一つ。
リーズナブルは気が付いてしまった。
ならば、王が悪意を持ってスナワチア魔導王国に向かわせた時はどうだったのかと。
聖女が気づいたことに、皇子も気が付いたのだろう。
「……兄上のためならば、確かに我は必要ない。そう判断した父の遺志を、我は間違ったものとは思っていない。それがたとえキツネに騙された結果であろうとな。それが父からの遺言である事に変わりはない。そして、兄上は耄碌した父と愚かな弟という枷を捨てた状態で、新たな皇帝となれるのだ。愚者たる我でもわかる……なんと全てがうまくいくではないか――だから、そうだな。我は英雄騎士たる父を敬愛する第二皇子として、最後の務めを果たそうとしたまで。それだけだ、聖女殿」
ああ、とリーズナブルは思った。
この皇子はたしかに愚者なのだろうが、それでも悩み選んだのだ。
父の意向を知っていながらも、それが兄のため、国のためだと判断し従い……自らが死ぬ道を選んでいたのだと。
いきなりの宣戦布告とも取れる行動の意味も。
突然に獣王マカロニを斬りつけようとした件も。
あの日、アランティア元王女が第二皇子のことを記憶していなかったことも――ようやく、聖女は理解した。
耄碌した父は、息子が元婚約者を今でも好いていると思っていたのだろう。
だからその初恋の心を用い、愚かな息子を動かしたつもりだった。
だが、それは覚えていなくとも不思議ではない子供のころの記憶。
実際、アランティアも覚えていなかった。
おそらくはこの第二皇子とて覚えていなかったのだろう。
だから適当に思い出を語り、困惑するアランティアを囲う非道な王だとマカロニに難癖をつけ続けた。
それはきっと、父の意向に沿い殺されるため。
自分が兄の足枷となるのならば、父の言葉に従おうと思ったのだろう。
だが、彼は生き残った。
それは氷竜帝マカロニが変わった王だったから。
リーズナブルが思い描いた物語は彼女の空想、あくまでも可能性の中に浮かんだ妄想かもしれない。
しかし。
彼女は思った。
――噂されているほどには、この方は愚者ではない……のでしょうね。
と。
真相や答えを求めることはせず、聖女は神酒を差し出し礼をして。
「それでは、殿下――失礼させていただきます。それと先ほどの北からのキツネのお話、我らが主に報告しても?」
「ああ、そうしてくれ」
言って砂漠の騎士は立ち上がり。
スゥっと端正な瞳を細め。
第二皇子が皇子の顔で毅然と告げる。
「北部連邦の連中はいずれ、我らやそなたらの国家を脅かす闇となろう。我は猪突猛進に剣を振ることしかできぬが、これでも女神の聖地に住まう皇族。この愚者が必要となる場面もあるやもしれん。もし、必要とならば声をかけてくれ。卑劣極まりない連邦を、我はけして許さん。もう二度と、邪知なる輩が我らの地に入り込まぬよう――皇族騎士としての務めを果たそう」
ソレドリア連邦への懸念を抱き、愚者たる仮面を捨てて皇子は告げた。
その姿は勇ましく。
また、天の女神に愛されるに足る皇族としての覇気と美貌を持ち合わせていた。
が――!
「ご存じないのですね」
「何がであろうか」
最高司祭リーズナブルは申し訳なさそうに言う。
「あの、その……キリっと決め顔をされているところを恐縮なのですが。そのですね。北部の連邦なのですが――実はつい先ほど、ソレドリア連邦は銀杏との戦争に敗れ支配地を後退……植民地支配されていた地を放棄し、事実上の解体。国家としての機能を失ったとの発表がされておりまして。まあ、ようするに」
滅んじゃったみたいです、と聖女は告げる。
……。
「は!? もう滅んだだと!?」
「え、ええ、まあ」
「我らが銀杏と戦争をしていたあの日から、まだ一週間ほどしか経っておらぬだろう?」
つまりスナワチア魔導王国の王マカロニは、たった一週間で連邦を滅ぼしたということだ。
「あ、でも幸いにも民たちは無事なようですし。今ウチのジズ陛下が人道支援の名目で北部を乗っ取る算段をしているようですので、どうかご安心くださいまし」
「わ、我の先ほどのキメ台詞的なアレはどうなるのだ!?」
「いいじゃありませんか、この帝国を陥れようとした悪が滅んだのです。これも女神さまに愛されるジズ様のお恵み、あたくしは感無量にございます」
うっとりと、頬を赤らめ人類最強の女は天に祈りを捧げている。
この聖女もどこかがズレていると言いたげな顔で、第二皇子は怪訝な顔をするが。
「まったく、そのような恐ろしき国に乗り込んだと思うと肝が冷えるな」
「どうぞ、今度は同盟国からの使者……お客様としていらしてくださいまし」
「さてどうであろうな、正直な話だ」
愚者たる第二皇子は駆け引きも知らず、ただ率直に告げる。
「恐怖政治とされた恐ろしき連邦よりもだ、世界にとってはその恐ろしき国をわずか一週間で滅ぼした貴国の方がよほど――恐怖の対象とされるでありましょう」
「そうであったとしても、全ては神の御心のまま。あたくしはただ、陛下を信じてついていくまでです」
迷いのない言葉だった。
人類最強すらも味方とする氷竜帝マカロニ。
掴みどころのない存在を測るように第二皇子は問う。
「マカロニ殿は人間に戻りたい一心で動いている、そういう話でしたが」
「ええ、その通りですが――」
「――本当にそれだけが目的なのでありますか?」
「そうですね、元の世界に帰りたいとも言っていたかと。ですからご存じの通り、外の世界からやってきたネコの行商人と接触を図ろうとしているのですから」
聖女の言葉に嘘はないと判断したのだろう。
愚者の男は、静かに眠る父の顔を見て――。
皇子の言葉で告げていた。
「人間に戻りたい……ですか」
「なにか?」
「愚かな我には――理解ができません」
死した父の遺骸の前。
皇子はそのまま天を見上げ。
空に向かい指を伸ばす。
「人間は愚かなモノには辛辣です。愚かなモノには何を言っても、何をしてもいいと思っている存在でありましょう。そして、それは一定の真理を突いている。なぜなら愚者は周りに迷惑をかける、自分のみならば自己責任、それでいいのでありましょうが――自分が愚かなせいで大切な誰かを傷つけてしまう、そんな瞬間もありましょう。だから人間は皆、愚者を自らの前から消したいと思う、何をしてもいいのだと言い訳をもって接する。それが集団で生きる人間という動物の本能なのです」
皇子の指に、鳥が乗る。
この砂漠の鳥はこの愚者が愚かであるから、自分を捕らえることはしないと知っているのだろう。
だから止まり木に利用した。
それは確かに愚者だからこそできることだった。
けれど、皇子は言う。
「我は昔から愚かでありました。だから、分からないのです。いっそ人間の身を捨て――彼らのような鳥となってこの砂漠を抜け、どこまでも自由に飛んでいきたいと、そう思うことが多々あるのです。人間とは疲れる生き物の集団です。ですから失礼ながら何故、せっかく人間の器を捨てることができたというのに……なぜ、戻りたいと思うのか、そう思ってしまったのでありますよ」
人間になど戻る必要があるのか。
愚者の口から零れたその率直な言葉には、重みがあった。
愚者の瞳から眺めたこの世界はどうなっているのか。
魔術よりも鈍器が得意なリーズナブルにも少しだけ、その世界が見えていた。
けれど、リーズナブルは告げた。
答えは決まっていたのだ。
「考え方は人それぞれ、あたくしはただ陛下のご意志に従うまでですわ」
「聖女の心すら掴む獣王、か――本当に末恐ろしいな」
「殿下?」
「いや――あなた方の旅路に幸福があるよう天の女神さまに願っております」
人類最強の女が心酔する存在。
その事実もまた、世界にとっては大きな脅威。
氷竜帝マカロニの脅威はますます噂となり、世界に広がり始めていた。