【結末】
【SIDE:偽神ヨグ=ソトース】
猫の足跡銀河に広がるのは三女神の魔力。
彼女たちは三位一体ともいえる、宇宙の運命さえ容易に変える三柱。
それは宇宙の流れを理の外側からコントロールすることを望む偽神ヨグ=ソトースにとっては、天敵ともいえる存在の代表格だった。
異教徒の信仰により歪められ――血の盃を揺らし、多頭の怪物に乗り微笑する黙示録の大淫婦。
それが天の女神アシュトレトの正体。
異教徒の信仰により歪められ――血に染まった大神となり、夢世界の風説により更に歪められ原型を忘れた虚無の海。
それが海の女神ダゴンの正体。
異教徒の信仰により歪められ――其の身を血肉に群がる蠅の王と貶められ、嵐と慈雨の王の座を落とされた地獄にて、王として君臨せし大蟲王。
それが地の女神バアルゼブブの正体。
彼女たちは今、宇宙を背景にその正体を存分に明かし。
嗤っていた。
三女神をそれぞれ天と地と海の大きさとするならば、今の偽神ヨグ=ソトースの大きさは塵芥。
世界を構成する母なる存在、地母神としての天と地と海がそこにある。
対する父なる神は、敗走した抜け殻。
その差は歴然だった。
揺れる大海の音を鳴らし、女神ダゴンが言う。
『まさかいくら傲慢で愚かなあなたでも――あたくしたちから逃げられるなどとは、思ってはいないのでしょう?』
『これ、ダゴンよ――あまり虐めてやるでない。此れでもかつてはおそらく、本当に宇宙の安定を保っておった功労者、その成れの果て……疾く滅ぼし、消し去ってやるが慈悲であろう』
憐憫を向ける黙示録の大淫婦の言葉に、蠅の王がいつもとは全く違う威厳に満ちた声で……けれど、俗物を見下す遥か高みの羽音で告げる。
『肯定する。余も弱い者虐めは好かぬ』
『はぁ……アシュトレトもバアルゼブブもその姿だととても過激で困りますわね』
『過激も何も、妾は息子を狙う寄生虫を退治したいだけなのでな――見ていても不快なモノを早く消し去りたいと感じるのは自然の摂理。妾は間違ってなどおらぬ』
言ってアシュトレトは血の杯を傾け、告げる。
『祈る我が名はアシュトレト――天の父を名乗る存在の末端よ、此処で汝は滅びよ』
名乗り上げの時点で既に詠唱となっているのだろう。
そして滅びよとアシュトレトが念じた、それだけで魔術式となり宇宙の法則が書き換えられる。
結果――アシュトレトの滅びを告げる言葉が実行される。
ぐじゅゅぅぅぅううううううぅぅ!
筆舌しがたい音を放ち、ウイルスのような肉塊は崩壊。
それでもリセット能力で、その身は再生。
三女神の隙間を抜け、全速力で銀河を駆ける。
いつもとは空気や気配が違う様子で、ジギジギジギ!
地の女神バアルゼブブが王としての口調と声音で羽音を鳴らし告げる。
『時と次元を操りし力。上位存在としての異端なる能力、か――なるほど、理解した。其の力、其のロジックを夜鷹兄弟は引き継いでおるのであろうな』
『まさしく神の子――そのマカロニさんの身体を奪い、君臨しようとしていたあなたは、この世界の本物の神になりたかったのでしょうか? やはり、あなたは人に憧れ、支配したいと願ったのでしょうか? どちらにせよ、あなたはやりすぎた――全員が全員、あなたを否定はしないでしょう。けれど、あたくしはあなたを肯定しない、否定するしかありませんの』
だって、と女神ダゴンは微笑み。
『ごめんなさいね。あたくし、あなたみたいな腹黒は好きになれそうにないのですから』
ダゴンの言葉に、終末神話で語られる女神アシュトレトと全ての悪魔の王、全ての蟲の王とまで謳われるバアルゼブブは顔を見合わせ。
『のう……腹黒のぬしが、腹黒を好かぬとは……どーなのじゃそれ』
『然り。虚無の海に揺蕩う女神よ、余もしょーじき、反応に困っておるのであるが?』
『酷いですわ、二人とも――あたくしはただ、陰険なやり口が気に入らないと言っているだけですのに』
三柱の女神は敵を追い詰めながらも、まるで優雅な一時を過ごすかのような談笑を続けている。
偽神ヨグ=ソトースのことなど、目に入っていないのだ。
それこそ、道に転がる小石。
踏めば邪魔だからと排除する程度の、ゴミとしか見ていない。
それを理解したからだろう。
だから、偽神ヨグ=ソトースは唖然とした。
このままでは消されると確信していた。
故に、知恵を巡らせる――。
宇宙のありとあらゆる可能性を手繰り寄せ、自分が生き残るルートを探す。
が。
なにもない。
ひとつもない。
抜け道もない。
その事実に気付いたとき、偽神ヨグ=ソトースは自らの消失を悟った。
ないのだ。本当に、なにひとつ。
だからこそ尊厳も偉大さもかなぐり捨てるような声がだせたのだろう。
あぁあああああああああああああぁぁぁ!
っと、憎悪と怒りの絶叫が宇宙に響き渡っていた。
『既に役目を終えた古き神々よ! いや、古き神々の中でも異端であった者たちよ! またしても、またしても我らの邪魔をするか! ニャルラトホテプの放った魔王と勇者の伝承、異世界勇者召喚による宇宙を安定させるシステム”ニャンコ・ザ・ホテップ”が封印された際にも、古き神々の気配があったと聞く。なぜなぜ、なぜだ! なぜ貴様らは宇宙の安定を乱す!』
返答したのは三女神ではなかった。
そこに輝いたのはこの世界の主神。
太陽の如く世界を照らす、主神レイド。
黎明時代の伝承が正しければ、彼は四文字で語られる父なる神の息子。
父と息子、共に名を語ることができなくなっている神性。
つまりは、偽神ヨグ=ソトースの息子にあたる存在、その転生体でもある。
だが、そこに親子の再会の空気はない。
三女神を従える主神レイドは、いつもの胡散臭い笑顔と美貌ではなく――。
咎める者の声で淡々と言う。
『それは自業自得。あなたがたのやり方のせいでもあるのではないですか?』
『主神レイド……滅ぼされたメシアより別たれた欠片、その三分の一。我らが定めた未来とは異なる、イレギュラー。忌々しき三獣神と同様、規則外の神か』
逃げ場はない。
終わりが近づいている。
それを確信しても、もはや偽神ヨグ=ソトースにはどうしようもできなかった。
三女神を侍らせる主神が告げる。
『あなたがたはこの宇宙を望む流れに誘導する、外部からの侵入者。優先順位を与えられ、一定行動をするようにプログラムされた宇宙のデバッグシステムなのでしょうね。宇宙全体を安定させる未来だけを最優先としているようですが――この宇宙の中で生きる命にとってそれが必ずしも幸福とは限らない。運命は自らの手で掴み取るものである方が自然であり、なによりも面白いのではないですか?』
偽神ヨグ=ソトースは肉塊を沸騰させる勢いで、其の血肉を熱く滾らせ。
『救世主の欠片よ! キサマとてマカロニと同様、我が宇宙を安定させるために送り込んだコマに過ぎぬ! なぜそれが分からぬ! なぜ創造主に歯向かう!』
『申し訳ありません、私は既に転生した身。レイドとして女神に育てられた私は、あなたを父と思ったことなどはないのです。マカロニさんの言葉ではないですが、父を名乗るなら養育費ぐらい贈られたのですか?』
嫌味と皮肉に肉塊はもはや限界だったのだろう。
『もうよい! もう此度の宇宙もやり直し、新しき宇宙で仕切りなおす……っ。貴様も、三女神も、あのクソペンギンも全ては原初の始まりへと戻す! それで我の敗北の歴史も消え失せる!』
『おや? 宇宙のやり直しなど、もはや夢物語――大魔帝ケトスの娘、あの赤き魔女猫姫が時と次元の図書館を支配している限り、永久に不可能なのではありませんか? 私も前に魔術無き世界に宇宙を作り直そうとしたとき、彼女の存在をどうしても突破できませんでしたからね』
それは黎明の時代、神話となっている歴史で語られる物語。
主神レイドが言う。
『さて――お別れの時間です。私をこの世界に配置した全ての父、その本体にどうかもはやお構いなくとお伝えください。私たちの宇宙は既にあなたの手を離れ、自立し生きている。これ以上の援助も妨害も不要です――と』
皮肉を込めるように主神レイドは先端に髑髏をつけた邪杖を回転させ。
塵となりかけた偽神ヨグ=ソトースに突き付け。
詠唱する。
『我は汝を讃える者、レイド。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー也。さらばです、全ての偉大なる父よ――敢えて、この言葉を送りましょう』
『やめ……!』
制止に構わず、主神はこの世界を守るための魔術名を解き放っていた。
『<ハレルヤ>』
主を讃える四文字の祝福が、そのまま消滅魔術となって発動していた。
偉大なる父を讃えるハレルヤの言葉には反し、今のヨグ=ソトースは偉大さを失っていた。
故に、偉大だと讃えたことで矛盾が生じ、彼は偽の神、偽の父神として消えうせる。
これが決着であり、結末。
猫の足跡銀河。
輝くその夜空は、祝福の光で満たされていく。
長きにわたる暗躍。
その終わりを示す光が、スナワチア魔導王国を照らし出す。
まるで、王の目覚めを促すように――。