まともなボスと治外法権~意図せぬ布石~
ペタペタペタタタタ――と、宇宙を背景にペタ足の鳴り響く音がする。
それは夢の終わり。
ドリームランドの出口と思われる螺旋階段を目指す、ペンギン大逃走は続いていた。
これは犯罪者から逃げる悪夢か。
メンチカツがある意味空振りなボスだったが、こっちは本当の裏ボスで黒幕。
偽神ヨグ=ソトースは契約の履行を主張し、僕を追いかけまわしている。
もっとも、今の成長した僕だと、どーにでも回避できる相手だった。
六女神の魔術に、逸話魔導書。
主神レイドからの恩寵ともいえる創世魔術に、かつて異能力集団の黒幕をやっていた時に見ていた異能のすべて。
そして偽を現実に上書きできる偽証魔術。
僕本人は接近戦や白兵戦は得意ではないので、一気に距離を詰めてくるタイプを不得手としているのだが……相手は遠距離から大技を放ってくるタイプ。
相性もいい。
だが問題があるとすれば、こちらも相手に大したダメージを与えられていない所か。
僕は物は試しにと、効くかどうか分からない偽証魔術を本格詠唱。
いつもの口頭で直接法則を捻じ曲げるやり方ではなく、魔術体系として昇華させた魔術を発動させる。
『世界偽装魔術:<第一項改定、はじめに光なんてなかった>!』
宇宙の始まりをビックバンと仮定し、それを指す言葉が「光あれ」なのだと無理やり解釈。
世界の始まりを一時的に否定し、宇宙=父なる神という法則を捻じ曲げ偽神ヨグ=ソトースを封印しようとしたのだが……不発。
偽証魔術の原理と矛盾したのだろう。
なにしろ偽証魔術は現実に嘘を上書きする魔術……このドリームランドの宇宙に嘘を作成、そのまま外の世界に転写するという裏技なのだ。
さすがに、宇宙の始まりを否定したら嘘を作成する宇宙まで消えてしまう、なのでこの偽証は成立しないのだろう。
無効になったのをいい事に、星屑で作られた腕を伸ばしながらの宇宙が冷厳な声で語りだす。
『氷竜帝よ、夜鷹よ――約束を果たせ、契約を履行せよ』
『だから無効な契約だって言ってるだろうが!』
言いながらも僕はムルジル=ガダンガダン大王の魔導書を空に浮かべて並走させ、開き。
『おい、大王! 聞こえてるんだろ!?』
『グワハハハハハ! もちろん聞こえておるぞ、小童よ。そろそろ余に話を持ち掛けてくるだろうと思い、商品をリストにして待っておったのでな! いつでも構わぬ、余に要件を申し付けてみよ!』
恐怖の大王アン・グールモーアが動いてくれたようで、ちゃんとムルジル=ガダンガダン大王の魔導書は発動できているようだ。
マハラジャ猫が、魔導書から顔を出している。
宇宙に流れるエーテル風で帽子が飛ばされないようにガッツリ肉球で押さえつつ、キョロキョロ。
『ふぅぅっぅむ、どうやら今も偽神に追われているようだな。あやつ、魔力のみならば並外れておるぞ』
『違法な契約なのに、しつこいんだよあいつ』
『しかし――……』
ムルジル=ガダンガダン大王は蠢く宇宙を見上げ。
じぃぃぃぃぃぃ……。
鼻の頭に汗を浮かべ、マハラジャの鑑定眼鏡なる謎の鑑定魔術を発動させ。
『……のう、マカロニよ。あくまでも概念としてはだが――こやつは本当に全ての始まり、故に……全ての父なる神そのものなのではあるまいか?』
『たとえ本当に凄い存在だったとしても、子供を詐欺にハメるペテン師だ!』
『よくぞ言った! 左様! 今更我らの世界がバグから発生した違法世界だからと消されるなど言語道断! 宇宙創成時代からの神というのなら、それはロートル! 古い人材にはお帰り頂くに限る!』
ムルジル=ガダンガダン大王もやる気のようだ。
ナマズの帽子を押さえる手をムキュっとさせ、ニヒィ!
『さあ願いを言え!』
『とりあえず相手の動きを遅くしたい、いくらかかる!』
『ふむ、それくらいはまあ少しサービスしてやろう。余の書の223ページ目を開き代金を支払えば、相手の動きを三十パーセント遅くすることを約束する。仮に三十パーセントを切った場合、料金はタダで構わぬ!』
どこがサービスなのか分からないが。
よーし!
僕は魔力を飛ばし指定されたページを開き、料金を羽毛の中の金銀財宝で支払い。
魔術を発動!
『<銭投げ魔術:使い魔音楽隊>!』
ムルジル=ガダンガダン大王の魔導書の効果で発生したのは、ネコの形をしたファンシーなパレード車。
その車の上には、マカロニ隊とメンチカツ隊とネコの行商人が乗っていて……。
それぞれが楽器を装備し、ブビビ♪ ブビビ♪ ブビブビブ♪
っと、楽器による音声魔術を開始する。
おそらくは、眷属という特性があるケモノ族を音楽隊として召喚……というか、雇うことができる魔術なのだろうが。
三十パーセントには満たない。
僕はクチバシを尖らせ、逃走速度を維持しながらクワ!
『おい大王! ぜんぜん効いてないぞ!』
『なぁぁぁにを言うか! ちゃんとそなたの速度を三十パーセントアップさせておる! これは実質、相手の速度を三十パーセント下げたのと同じであろうて!』
『僕は既に速度アップの異能と魔術を重ね掛けしてるから、追加で速度アップが入っても効果が三十パーセント未満になるんだよ!』
『んぬ!? な、ならば仕方がない。今回のみは無料としてやろう。さあ次の願いを言え! 商品リストにあるのならば、代金と引き換えにその願いを叶えてやろう!』
こいつも四星獣と呼ばれる特異な存在、願いを叶える性質のある魔猫。
大王の場合は金さえあれば願いが叶う、かなり汎用性の高い魔導書と言えるのだが。
……。
僕はしばし考え。
『いやさあ、このまま僕が取りこまれるとそっちも困るんじゃないか?』
『そうなったら残念だが、おぬしごと退治するまでの話であろうな』
『いやいやいや、たぶんウチのアシュトレト神が黙ってみてないと思うぞ? なにしろ僕はアレの眷属だからな? おまえだってあの女神の性質は知ってるだろう?』
『えぇぇぇい! 何が言いたい!』
『よーするに値引き交渉してるんだよ! 分からないのか!?』
ムルジル=ガダンガダン大王は呆れた様子を見せつつも、髯をグネグネさせたようで。
『この非常時に……おぬしは本当に神経が図太いな。だが、そこが良い! いいだろう! 血の涙を流す勢いで、全ての商品を五パーセント引きにしてやろうではないか!』
おぬしを考えて値引きする余は、偉いな?
と、うんうん短足猫が頷いているが……。
まあ、豪商に値引きを頷かせただけ良い方か。
こちらが次の銭投げによる願いの魔術を発動しようとした、その瞬間。
急に地面が割れ始めた。
偽神ヨグ=ソトースが空間干渉してきているのだろう。
宇宙がムルジル=ガダンガダン大王の逸話魔導書を覗き込み。
仰々しい音をたて、時空を揺らし始める。
『四星獣……願いを叶えるために際限なく宇宙を書き換える、害悪なる獣どもか――忌々しくも未来を眺めし見通す者たちに属する害悪、魔猫のマハラジャ。ムルジル=ガダンガダン大王』
どうやらこの宇宙さんとしては未来視はお気に召さないらしい。
『大王……あんた、なんか僕よりも恨まれてないか?』
『まあ四星獣の願いを叶える力は強力だからのう、こやつが宇宙の維持を最優先に考える、いわば元に戻るための宇宙の生理現象なのだとしたら――おそらく余や三獣神の一柱、神鶏ロックウェル卿は天敵扱いなのであろうて』
どうやら本当にそのようで、宇宙は更に虹色に輝き燃えていく。
太陽フレアでも発生させたのか、偽神ヨグ=ソトースが害獣を滅ぼす駆除者の声音で告げる。
『疾く去ね! 汝等は害獣。四星獣が維持する盤上遊戯世界、其の存在も違法! 本来ならば外界から内界に干渉し、害悪を排除せしニャンコ・ザ・ホテップに消されていなければならなかった筈の世界よ!』
ニャンコ・ザ・ホテップ?
おそらくはヨグ=ソトースと同類の、ニャルラトホテプを歪めた存在だとは思われるが……僕の知識には引っかからない。
それはまた別の案件だろうと僕は割り切り、燃える宇宙に向かい海の魔術を発動!
女神ダゴンの力を全開に引き出し、発動座標を指定し。
てい!
『<海洋魔術:大海の果ての鯨船>』
効果は海の召喚。
惑星規模に巨大化した鯨の形をした海が、燃える宇宙に向かい尾ビレを叩き直進!
太陽フレアと海を運ぶ鯨船がぶつかり――起こったのは超新星爆発。
夢の中の、偽りの宇宙だからこそ発生する似非現象である。
爆発を受けた偽神ヨグ=ソトースは、露骨にその身を揺らしていた。
宇宙が揺れたのだ。
さすがにこの規模の爆発にはダメージを受けるのだろう。
だが、そのダメージのせいで宇宙が更に不安定になりつつあった。
ドリームランド全体が、荒れる海に浮かぶ船のようになっているのだ。
宇宙が再び虹色に輝きだし――。
『<汝らの光を禁ずる>』
うわ!
やばい、色素とか光とか、そーいうのを封じられて視界が真っ黒になっている。
ムルジル=ガダンガダン大王はあくまでも逸話魔導書から顔を出しているだけなので、問題はないようだが……。
『大王! 一時的に視界を奪われた、魔力による探知も効かない。逃げる方向を教えろ!』
『こちらも周囲が物理的に暗澹としておる、闇に沈んでおるのだが――そのまま北に向かえ! なにやら光が見える!』
『光!? それって偽神ヨグ=ソトースじゃないだろうな!?』
『たわけ! さすがに余もそこまで愚かではない! なにか、ドリームランドとは異なる性質の物体があるのだ! おそらくは偽神の干渉範囲外、あの周囲は安全であろう!』
言葉を信じ、僕は北に向かいペタタタタ!
既に音楽隊は退去しているので、速度が落ちているが……それでもたしかに。
なにか、光がある。
そこにある。
僕はなぜか確信をもってその光に向かって進んでいた。
そして、光に辿り着き――ムルジル=ガダンガダン大王の逸話魔導書から取り出した、状態異常回復アイテムを発動。
戻り始めていた視界に映ったのは――糞生意気そうなドヤ顔。
……。
ゴムのような嘴を持った……。
『って! メンチカツ像じゃねえか!』
そう。
闇の中に浮かんだ光とは、あいつが違法建築した像だったのだ。
あ、しかもマジであいつの像の周囲はドリームランドの治外法権エリアなのか。
偽神ヨグ=ソトースも近づいてこれないでやんの。
しばしここで休憩するべく僕が像に寄り掛かると、像が煌びやかに輝きだす。
あのメンチカツが何か仕掛けていたとは思えない……だが、たしかに僕の中になにかが流れ込んできていた。